『ユマニチュードに出会って』 第5回 高野勢子さん(後編)
家族介護者の体験談をご紹介します
ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。
前回に引き続き、ジネスト先生の通訳も務めてくださっているフランス語通訳者の高野勢子さんにお話を伺います。今はご両親の介護をされている勢子さん。ユマニチュードの考え方に基づく観察と実験による介護のアイデアはとても興味深く、皆様のお役にも立つことと思います。
本田美和子・代表理事(以下、本田) 義理のご両親に引き続き、今は勢子さんのご両親の介護をされているそうですね。
高野勢子さん(以下、勢子さん) はい。自分の両親の介護をするに当たって、高齢になって少し認知力が下がった時からユマニチュードのアプローチをしています。よく観察して、話し掛け方を注意するとすごくスムーズに事が運ぶので、ユマニチュードなら楽に介護ができると実感しています。
特に父は認知症なのですが、多分ユマニチュードを知らなかったら「大変だ」と思ってしまうことが、気分的に楽でいられるのはすごく助かっています。というのは、例えば排せつの世話というのは家族にとって、おそらく介護の職業に就いている人にとっても、すごく大変だと思うんですけれど、いろいろ実験して成果がありました。
本田 どのようなことですか。
勢子さん 歩かないといけない、立たないといけない、つまり足の力を付けることが必要とジネスト先生は常々おっしゃっているのですが、確かにそうだなと思います。本人が立てて歩けると、介護はすごく楽になるんですよね。
去年の春、父はコロナ禍でデイサービスに通うのを一時やめていたんです。デイサービスに行くときは、住んでいるマンションの下まで歩いていきますし、施設が広いからお風呂に入るために歩いたりもするので歩く場面が多かったのですけれど、家の中にいるだけでほとんど歩かない生活になりました。
すると、3カ月ほどした6月に母から悲鳴のような電話がかかってきて、父がご飯を食べなくなって、あちこちに粗相をしてしまうと言うんです。駆けつけてみたら、どうも父は歩けないからトイレにも行かない、ご飯を食べるテーブルまで行けないから食べない、ということだと分かりました。
じゃあ、その歩けなくなった原因は何かなと思ったとき、私がトイレに連れて行こうとしたら、ソファから立ち上がるのをすごく大変そうにしていることに気づいたんです。足の力が弱っているということもありますが、それに加えて、以前、ジネスト先生が「椅子が低過ぎると高齢者は立ち上がれない」と話していたことをハッと思い出しました。
よく見ると、世の中の大抵のソファは普通の椅子よりも低くて、特に父が使っていたそのソファは非常に低いソファでした。「ああ、これで立ち上がれないんだ」と思い、母が使っていた椅子を二つ繋げて板を渡して布団を掛け、父をそちらの椅子に座らせてみたら、割とすっと立てるんです。
本田 このお写真ですね。この高さですと体重の移動が楽なのでしょう。
勢子さん はい、ちょうど膝の辺りまで椅子の高さがあります。もう一つ工夫が必要だったのは、父はソファに座る習慣を身に付けてしまっていて、反対側に置いてある椅子にはなかなか座ろうとしないんです。そこで、お昼寝している間に椅子とソファの場所を入れ替えてみましたら何もなかったかのように、椅子に座るようになりました。
立ち上がることができるようになったら、トイレに行ったり、ご飯も食べられるようになって。さらに歩く練習をさせないと駄目だと思い、慌ててデイケアを探しました。父は耳がほとんど聞こえなくてしゃべることができないんですけれども、デイケアではスピーチセラピストがついてくれて、そちらにも目覚ましい回復があったんです。
本田 それは素晴らしいですね。ジネスト先生のお話をすごく役立てていらっしゃる。
勢子さん 私はユマニチュードを知っているので「できることは自分でやってもらわなければいけません」と思えたのは大きいですね。例えば、母は「もうお父さんは何もできないから、私が全部やらないといけない」という感じで、トイレでズボンを下ろすのもお尻を拭くのも全てやってしまって、母の方がくたくたになっていたんです。そこで私が、父に自分で立ち上がって、自分で拭いてもらうという訓練をしたら、93歳でもまた自分でできるようになったんです。
父は、歩く訓練をしたら粗相もしなくなり、排泄という大きな問題がなくなって介護は本当に楽になりました。今はテーブルの上に何か美味しそうなものが置いてあると、1人ですたすたやってきて食べちゃうんで、それが大変ですけれど(笑)。6カ月でこんなに回復するのかなと驚いています。
さらに、歩く練習をすることによって認知力、頭もしっかりしてきたようです。前は耳が聞こえないせいもあって、ほとんど発語はなかったんですが、ある時、料理をしている私に「おい、ちょっと布団を取ってくれ」と言ったんです。もうびっくりして、母と「お父さん何か言ったよ」と顔を見合わせました。それまで全くしゃべらなかったのがたまにしゃべるようになり、歩く訓練をすることで脳もしっかりするんだということを実感しました。
本田 まさにユマニチュードの「立つ」を実践された結果ですね。
勢子さん はい、ユマニチュードの研修の中で「4つの柱」の話を何度も聞いていたのが助かりました。「見る」でも、やはり老人は姿勢が前屈み気味で視線が落ちちゃうので、しっかり正面から顔を近づけて目を見て話すと、父は大抵の動作はしてくれると分かりました。
例えば、父が反対方向にすたすた歩いて行ってしまうとき、つい後ろから引っ張ったりしてしまうんですけれども、それでは絶対に動かない。父の前に行ってかがんで下から覗き込むように顔を見て、目が合うと「あ、勢子が何か言いたいみたい」と分かってくれて、「あっち、あっち、あっち」と行く方向を指差すとそちらに向かって歩いてくれます。
ヘルパーさんも目を合わせて、握手をしたり、ちょっと触れたりしていると、すごくスムーズに介護がやれるみたいです。
本田 そうですか。他には何かユマニチュードがお役に立つ場面はありましたか。
勢子さん 「5つのステップ」の「再会の約束」ですね。認知症だから約束なんかできないだろうなと疑心暗鬼になりますが、すごく上手くいくんです。研修でも「相手に拒否されたときにはケアを諦めて、違う時間に約束してやりましょう」というのがありますよね。
本田 はい、あります。
勢子さん 実は私は「本当に認知症の人は覚えていられるのかな」とちょっと疑っていたんです。ところが、実際に父にやってみたら本当に効果があるんです。
父は、私が行ったときにお風呂に入れるのですけれど、お風呂は大好きなのですが、どういうわけか「お風呂に入りましょう」と言っても拒否するときが何回かあって。こちらは夕方6時になったら電車に乗って帰らなくちゃいけないので「どうしようかな」と困っていたときに、「あ、そうだ。ユマニチュードの約束だ」と思い出したんです。
その時は午後4時だったのですが、父は耳が聞こえないから「4時半になったらお風呂に入りましょうね」とボードに書いて見せたら「はいはい」と返事をしていました。それで4時半になったら時計とボードを見せて「はい。4時半になりましたからお風呂に入りましょう」と言ってみたら、時計を見て「仕方がない」みたいな感じではありますが、ちゃんとお風呂に入ってくれたんですよ。
それが何回かあって「これは効くな」と思いました。たった30分後なんですけれど、OKなんですよね。この「約束」はすごく役に立っていて、介護拒否があるときはいつも使っています。
本田 そうですね。「約束」は本当にいいですよね。先ほど見せていただいたお写真の中に、お父さまの脇の下に勢子さんが体を入れて、肩で支えるような形で歩いているものがありましたが、これもジネスト先生に習った方法ですか。
勢子さん そうです。母は年齢的に本人が立っているのも危ないぐらいで介助は無理ですので、私1人で父を歩かせるときどうすればいいかと思って。こうやるといくらでも歩けるので本当に楽で、且つ女性1人で大きい体の人も動かせるというのがすごくいいですね。
こういうことも多分1回や2回の研修を聞いただけでは思いつかないと思うんです。何回も何回も聞いて、何気なく頭に入っていて、あるとき必要になったら「あ、そうだ。あれがあった」みたいに出てきます。そういう意味では、ユマニチュードは定期的に研修や講習を受けるのがいいのではと実感しています。そうすると、ケアのやり方だけでなくて、観察の仕方はどうすればいいのかとかいうのも、少しずつ身に付くような気がします。
本田 おっしゃるように観察の仕方ってとても大事ですよね。「よく見ましょう」といっても、相手のどこを見ればいいのか分からないですものね。
勢子さん そうですね。うちの母も私からユマニチュードの話を何度も聞いているので、上手にユマニチュードをやったことがありました。夜中にいきなり父が起きて背広に着替えて「じゃあ会社に行ってきます」と言い出したのですが、母は「そういうときは気をそらせばいいんだ」という私の話を覚えていて、「お父さん、今日は日曜日です。会社はお休みですから明日にしましょう」ってボードに書いて見せたそうです。そうしたら父が「あ、そうか日曜日か。じゃあ明日にしよう」と言って服を脱いで寝たそうです(笑)。
本田 それは、すごい。
勢子さん 私も「すごい」と思いました。パニックにならず上手く対応して「ユマニチュードちゃんとできてるじゃん」て(笑)。
幸いなのは、父は認知症になっても字が読めることです。漢字もまだ結構読めます。一度、父が服を着て出て行ってしまったことがあって、それ以来、入口に「出掛けるときは○○子(母の名前)に言ってから出掛けてください」と大きくポスターに書いて貼ったんです。それ以来、扉まで行っても帰ってくるので徘徊にならずに済んでいます。義母のときもそうでしたが、書いてそこに置いておくというのも役に立ちますね。
本田 メッセージですね。お写真をたくさん見せていただきましたが、お食事のときの写真が私はとても好きです。お父様を覗き込んでいる、目を見に行く感じが素晴らしいです。
勢子さん 放っておくと自分の好きなものだけ食べて終わりになるんですが、ちゃんと視線を捉えて「これもどうぞ」「飲み物も飲んで」と1回ずつお願いすると食べてくれます。
ただ、こちらが目を見て、ちゃんと本人に話し掛けていれば反応が返ってくるんだけれども、つい「言っているつもりだけれども、本人は全くあっちを向いて聞いていません」みたいなときもあり、そういうときには全然ご飯を食べてくれなくて、困ることになります。毎回毎回、繰り返し何回も何回も「目を捉える」というステップをしつこいぐらいやらないと駄目なんだというのは本当に感じます。
本田 それをやると全然違うという手応えがあるということですよね。うまくいかないときはやっていなかったという感じですか。
勢子さん 本当にそうです。明確に反応に出ます。本当にこちら次第という感じで、こちらがきちんとユマニチュードのステップをやっていれば、まるで普通の人、認知症じゃない人と同じような感じで反応が返ってきます。ですから、逆に「目を見る」というアプローチをしなければ、「この人は存在しません」という感じになってしまうということもよく分かります。
本田 不思議ですよね。ジネスト先生、マレスコッティ先生が「こうするとうまくいく」という方法を見つけておいてくださっていて、本当にありがとうという感じです。
勢子さん お陰でどんなに介護が楽になったか。家族は毎日、介護をしないといけないし、そういう意味ではもう本当に大変。大変だけれども、ユマニチュードのアプローチで観察と実験とその成果を見ていると割と面白いこともあり、苦痛だけではなくなります。
本田 嬉しいお話です。お父さまだけでなく、勢子さんは様々な場面でユマニチュードが使えるとおっしゃってましたね。
勢子さん ユマニチュードを最初に知ったころは、親は認知症ではなかったので、私は自分の通訳の仕事でユマニチュードを利用していました。仕事のうち、初めてのお客様というケースが大体8割なのですが、こちらもお客様に受け入れてもらえるかどうか不安、お客様の方もどんな通訳が来るか分からないという不安があります。そういう言葉には出さない不安のある状況で人が出会うと、ついネガティブな反応になりがちなんです。
そんなときにユマニチュードをやると、人間関係における不安が払しょくできる、ポジティブな関係が築ける気がしています。相手にかなり顔を近づけるような感じで、瞳を見てにっこりして、触りはしないけれどもちょっと動作を入れて挨拶をして。そういう最初のアプローチをしておくと、お客様との関係がすごくスムーズになるんです。
ユマニチュードは、要するにネガティブになりかねない人間関係をポジティブに変えていく仕方、訓練なんですよね。そして、それを何回も繰り返しているうちに自然にできるようになる。
このコロナ禍にあって、こうした人間関係だけでなく、毎日の生活、日々の状況を捉えるにあたっても、やっぱりポジティブに考える訓練というのを私たちは身に付けなくてはいけないのではと私は考えています。「いつもポジティブだね」という人がいますが、それは自然にできているわけではなくて、やっぱり訓練しているんじゃないかなと思うんですよね。
ユマニチュードはその訓練の仕方、「こういうふうにしたらポジティブになりますよ」と教えてくれる方法だなと強く感じています。
本田 面白いお話です。勢子さんとは長いお付き合いですが、こういうふうにユマニチュードについてお話する機会がなかったですから、今日はとても楽しかったです。
勢子さん そうですね。私も楽しかったです。
本田 これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
(構成・木村環)
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