ユマニチュードの絆vol.8『批判されるユマニチュード、羨まれるユマニチュード』
ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載
本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。
「批判されるユマニチュード、羨まれるユマニチュード」
「井戸の水を飲むとき、
井戸を掘った人を忘れてはならない」
中国のことわざより
ユマニチュードのコンセプトは、人間を「能力を持ち、特定の環境に住み、人類特有の欲求を持ち、コミュニケーションをとる動物」と定義した上に成り立っており、良いケアへのアプローチのひとつです。
私たちが30年間かけて、脆弱な方たちと関わってきた中で開発し、普及させ、ケアに適応させてきたこの技法は、ケアの世界ではなかなか居場所を見つけることができませんでした。
2000年代まで、私たちはユマニチュードを介護士や看護師に教え、穏やかなケアを実現し、リハビリを行い、寝たきりを減らすなど目覚ましい成果を上げてきました。その後、私たちはメディアの批判にさらされました。まず、私たちがケアの専門職出身ではないということ、次に、この言葉が喜ばれないこと、ユマニチュードが「ユマニティ=人間性」という言葉に近すぎることで、まるで私たちが介護・看護をする者が人間的なケアをしていないと非難しているかのようだということでした。これらの批判は、ケアを受ける側同様、ケアをする側にも同じように心を砕いていた私たちにとっては苦痛でしかありませんでした。ユマニチュードの絆を作り、維持するためには、当然ながら最低でも2人の人間が必要なのです。
「ユマニチュードはカルトである」、「ユマニチュードで教えていることは常識に過ぎない」、「ユマニチュードは金儲け主義である」といったことを、私たちは読んだり、聞いたりしました。私たちは何も発明していないという話も聞きます。しかし、ジネスト・マレスコッティ・インスティテュートは、年間800以上の研修を任されています。私たちの仕事を支持する施設の責任者、教育担当者、介護士・看護師の皆さんは、すべてが既知のことで何も教えてくれない人たちに払うために、公金をドブに捨てるような無駄なことをしているのでしょうか?
しかし、私たちと一緒にケアを行ってくれる方々やインストラクター、そして私たち自身は粘り強いのです。お年寄りの笑顔は私たちを喜ばせ、生き生きとした姿は私たちを満足させ、幸せなケアの専門職を見ることは私たちを喜びをもたらします。そう、ユマニチュードではお年寄りの方がより良いのです。私たちは、権力を捨てて優しさを優先すべきなのだと理解してくれた人たちとの信頼関係を築き続けています。
私たちは、フランス国内および海外で活動しています。
日本:
国立病院機構東京医療センター内に(「日本ユマニチュード学会」の前身となる)「ジネスト・マレスコッティ研究所日本支部」が設立されました。
イヴ・ジネストが静岡大学の客員教授に就任しました。
ポルトガル:
ユマニチュードに関する最初の博士論文が発表されました。
フランス:
EHPAD(フランスの介護施設)の役員やマネージャーが、良いケアが単なる言葉ではないことを示すために、Assumevie協会とユマニチュード認証制度を構築しました。
魅力的であり、時間の経過と共に考え方も変わり、ようやくユマニチュードという言葉が認知され、好まれるようになりました。喜ばれることが多くなり、研修機関のプログラムでもよく見かけるようになりました。研修機関としても、ユマニチュードのコンセプトが商標登録されているという事実を無視することはできません。今日、ジネスト・マレスコッティ・インスティテュート(IGM)以外で自分の研修をユマニチュードと名付けることは、顧客を欺くリスクを負うことになります。
そう、ユマニチュードは研修の分野におけるひとつの提案なのです。しかし、ただの提案ではありません。私たちは30年以上にわたり、脆弱な方たちの幸福のためにあらゆる困難に立ち向かってきました。「ジネスト・マレスコッティのケア技法®」、通称「ユマニチュード®」は、習得に時間のかかる技術や訓練が基本です。この技法を短絡的にキスセラピーなどと呼ぶことは拒否します。良いケアとはそれにとどまるものではありません。
脆弱な方々の幸福のためには、ユマニチュードが認められるに越したことはありません。剽窃との戦いにご協力をお願いします。
ロゼット・マレスコッティ
イヴ・ジネスト
Le Lien de l’Humanitude より
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