ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「依存すること、ユマニチュードの価値」

人間には、他の哺乳類同様に2つの誕生があります。

「第1の誕生」は出産により母胎から生れ落ちる、生物学的な誕生です。

「第2の誕生」は「第1の誕生」同様に欠かせないもので、社会学的な誕生、種の仲間に迎え入れることです。母犬は子犬をなめることで、「お前は犬だ。羊でも人間でもない」と伝え、子犬を犬の世界に迎え入れます。

人間も同様に、出産後に、フランスの精神科医ボリス・シリュルニクが「絆の合図」と表現した時期が始まります。大人が新生児の世話をし始めると、両者の間に関係性ができ、小さな人間である新生児は周囲の人間との交流と刺激のネットワークに入り、「ユマニチュード=人間らしさ」の特徴を発達させていきます。この関係性は、ユマニチュードの基本の柱「見る・話す・触れる・立つ」の根底にあるもので、柔らかさ、愛情、優しさ、親密な距離、愛撫、深いまなざし、温かな言葉など感情的基準と正確な技法につながります。人間の脳はこうして感情の基礎を形作り、「第2の誕生」を通して感覚神経回路を発達させ、それにより人生の長きにわたり愛情や友情といった他者との良い関係を築くことができます。私たちの感情記憶は人生最期の時まで残り、この人間らしさという特徴を持ち続けるには、人間が「人間の群れ」の一員と認められていると感じることが必要です。そして、この良い関係と絶え間ない交流によって、自己のアイデンティティと尊厳を感じることができます。

第2の誕生がなければ、子犬は死んでしまいますし、人間は発達に大きな困難をきたします。

人間は、病気や障がいによって自分が人間だと感じられなくなることがあります。その時こそ、そばにいる人がユマニチュードの柱を用いて「誰も私を見たり、話しかけたり、触れてくれることがなくても、私はまだ人間だろうか?」と感じるその方の命の支えになる必要があります。ユマニチュードの人間らしさの関係性を保つことで、他者に囲まれた人間と感じられるようにするのです。

しかし、時として他者が存在しない状況が生まれることがあります。私たち人間にとって、自分を認めてくれない人を優しく見つめたり、言葉を発しない人に話しかけたり、自分をたたく人を撫でてあげたりすることは困難です。病気はこうして、目に見えない無意識の罠をたくさんしかけて、ユマニチュードの関係性を消滅させようとします。

ユマニチュードの絆を結ぶには感情的な相互依存が欠かせません。

このユマニチュードが無ければ、つまり「私が私である」ための他者の存在が無ければ、人間は人間でなくなってしまい、自分の殻に閉じこもり、引きこもってしまいます。もし、その方がみんなの心の中でまだ人間であれば、他者に囲まれた人間、つまりユマニチュードの状態にあります。一方、他者との関係性がなくなれば、その方の皮膚は鎧となり、拘束衣となり、城壁となり、その方の生活は自分との関係だけで完結してしまいます。自身の心臓の鼓動、まだ生存している唯一の証の音を聞くだけになり、いわば老年性疑似自閉症のような状態です。しかし、「年老いた胎児」は、人間として生き返ることができます。近しい友人や家族、ケア専門職が意識してユマニチュードの4つの柱を行うだけでよいのです。そうすると、再び微笑んでくれたり、時には話しかけてくれたり、時には立ち上り…といった驚くべき贈り物とも呼べる、この「第3の誕生」を起こすことができるのです。

そして、関係性を消滅させようとするこうした罠を避けてユマニチュードの柱をすべて行うことで、アルツハイマー病の方の中にも明るい兆しを発見することができたり、優しさの絆においては、異なるケアのアプローチが必要なことを私たちに学ばせてくれるのです。

優しさの絆を私は与え、そして私もお返しにそれを受け取ります。そして、私は優しさの絆を受け取るからこそ、私が私として存在するのです。このユマニチュードの絆を結ぶには感情的な相互依存が欠かせず、これがあるからこそ日々の疲れも癒され、一人ひとりの出会いをかけがえのないものに感じさせてくれるのです。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「ユマニチュード®認証制度:持続可能で、質の高い生活と質の高い職場のために欠かせない道具」


「私の愛しい子、妹よ、

あの甘やかさを想っておくれ、

彼方に行き、一緒に暮らすんだ!

思いきり愛し、

愛し、そして死ぬ、

君に似たあの国で!

「旅への誘い」シャルル・ボードレール



皆さんの施設やサービスで、ユマニチュード認証制度取得に向けた準備プロジェクトが作られ、実施されることと思います。もしかしたら、既に開始された施設もおありかもしれませんね?誰もが経験することですが、プロジェクト管理は複雑で、初期の段階からこのプロジェクトを持続可能な取り組みとして計画することがとても重要です。皆さんは入居者にできる限り質の高い最良の生活を提供することを選択なさいました。ユマニチュード研修を通じてこのプロジェクトを実践してください。

私たちは、「ユマニチュード®の哲学」をもとに、いかなる困難な状況でも優しさの絆を保つことができるおよそ150の技法を開発しました。

ユマニチュードは、「知覚の連結」と「関係性に基づく技術」に基づいた、一連の技術を集約しています。「見る」、「触れる」、「話す」は、従来のケアでは忘れられがちですが、ユマニチュードでは関係性の中心に位置するものです。ケアを二者の関係性の中に位置づけ、ケアする側もされる側も関係性を意識してケアを行います。

「ユマニチュード®の哲学」は介護・看護専門職の役割を定義しなおし、調和の中でケアを行い、専門職が持つ権力を手放すよう提案しています。私たちが提案するケア技法は科学的研究によって評価され、困難なケアの83%が穏やかなケアに転換されていることがわかりました。しかし、プロジェクトはケア技法だけにとどまりません。ユマニチュード®の5つの原則は、入居者やケアを受ける人がより質の高い生活を手に入れ、ケア専門職がより質の高い職場を手に入れることができるように考案されました。

・強制ケアはゼロにする。しかし、ケアをあきらめない

・本人の唯一性とプライバシーを尊重する

・最期の日まで自分の足で立って生きる

・施設が外部に対して開かれている

・生活の場、やりたいことが実現する場をつくる

皆さんのプロジェクトに明確なビジョンと目的を定義することで、プロジェクト成功の可能性を最大限に高めることができます。

現在、4施設がユマニチュード®認証を取得済みです。(2015年現在。2022年1月現在26施設)すべての施設がメディアや雑誌・テレビ等から取り上げられ、推薦に値する施設であることが一目瞭然となっています。50施設(2022年1月現在120施設)が認証取得準備段階で、SSIAD(フランスの社会保障制度の一つである「訪問看護サービス」)も認証取得に向けて進んでいます。皆さんの施設も取り組みませんか?もしその意志があるならば、認証取得に向けて歩き出しましょう。

何故認証制度が必要か?

設定した目的に達したかどうかの評価をする必要があり、それを持続しなければならないからです。しかし、評価というものは往々にして難しいものです。プロジェクトを立ち上げたけれど評価をしなかったり、他のプロジェクトに置き換わったりということがよくあります。組織が一般的にこのような動きをする理由は、おそらく評価が複雑になってしまっているからでしょう。私たちは、皆さんのプロジェクトを効果的・客観的に評価するお手伝いをします。

Assumevie協会はユマニチュード®認証制度を創設しましたが、この組織を構成しているのは良いケアを目指しコミットする医療社会福祉施設や保健サービスの経営者、医師、医療現場のマネージャーらのグループです。私たちはAssumevie協会と共に、法律に則り、ツールを用いた評価方法を確立しました。

Assumevie協会に登録して評価ツールを利用することで、認証取得に取り組む施設は、一歩一歩、自らが求めるものを確かめ、施設で実施可能な形に調整することができます。時間をかけて明確なプロジェクトを作り、評価ツールを使って一つ一つの設定目標をクリアしていき、継続的に評価することを通じて、徐々に希望する変化を実現していくことができます。

私たちは皆さんをサポートするためにいます。そして、皆さんに期待をしています。

認証取得への旅に出かけましょうか?

認証をめざすチームに登録してください。皆さんを仲間としてお迎えすることをうれしく思います。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「批判されるユマニチュード、羨まれるユマニチュード」


「井戸の水を飲むとき、

井戸を掘った人を忘れてはならない」

中国のことわざより



ユマニチュードのコンセプトは、人間を「能力を持ち、特定の環境に住み、人類特有の欲求を持ち、コミュニケーションをとる動物」と定義した上に成り立っており、良いケアへのアプローチのひとつです。

私たちが30年間かけて、脆弱な方たちと関わってきた中で開発し、普及させ、ケアに適応させてきたこの技法は、ケアの世界ではなかなか居場所を見つけることができませんでした。

2000年代まで、私たちはユマニチュードを介護士や看護師に教え、穏やかなケアを実現し、リハビリを行い、寝たきりを減らすなど目覚ましい成果を上げてきました。その後、私たちはメディアの批判にさらされました。まず、私たちがケアの専門職出身ではないということ、次に、この言葉が喜ばれないこと、ユマニチュードが「ユマニティ=人間性」という言葉に近すぎることで、まるで私たちが介護・看護をする者が人間的なケアをしていないと非難しているかのようだということでした。これらの批判は、ケアを受ける側同様、ケアをする側にも同じように心を砕いていた私たちにとっては苦痛でしかありませんでした。ユマニチュードの絆を作り、維持するためには、当然ながら最低でも2人の人間が必要なのです。

「ユマニチュードはカルトである」、「ユマニチュードで教えていることは常識に過ぎない」、「ユマニチュードは金儲け主義である」といったことを、私たちは読んだり、聞いたりしました。私たちは何も発明していないという話も聞きます。しかし、ジネスト・マレスコッティ・インスティテュートは、年間800以上の研修を任されています。私たちの仕事を支持する施設の責任者、教育担当者、介護士・看護師の皆さんは、すべてが既知のことで何も教えてくれない人たちに払うために、公金をドブに捨てるような無駄なことをしているのでしょうか?

しかし、私たちと一緒にケアを行ってくれる方々やインストラクター、そして私たち自身は粘り強いのです。お年寄りの笑顔は私たちを喜ばせ、生き生きとした姿は私たちを満足させ、幸せなケアの専門職を見ることは私たちを喜びをもたらします。そう、ユマニチュードではお年寄りの方がより良いのです。私たちは、権力を捨てて優しさを優先すべきなのだと理解してくれた人たちとの信頼関係を築き続けています。

私たちは、フランス国内および海外で活動しています。

日本:

国立病院機構東京医療センター内に(「日本ユマニチュード学会」の前身となる)「ジネスト・マレスコッティ研究所日本支部」が設立されました。

イヴ・ジネストが静岡大学の客員教授に就任しました。

ポルトガル:

ユマニチュードに関する最初の博士論文が発表されました。

フランス:

EHPAD(フランスの介護施設)の役員やマネージャーが、良いケアが単なる言葉ではないことを示すために、Assumevie協会とユマニチュード認証制度を構築しました。

魅力的であり、時間の経過と共に考え方も変わり、ようやくユマニチュードという言葉が認知され、好まれるようになりました。喜ばれることが多くなり、研修機関のプログラムでもよく見かけるようになりました。研修機関としても、ユマニチュードのコンセプトが商標登録されているという事実を無視することはできません。今日、ジネスト・マレスコッティ・インスティテュート(IGM)以外で自分の研修をユマニチュードと名付けることは、顧客を欺くリスクを負うことになります。

そう、ユマニチュードは研修の分野におけるひとつの提案なのです。しかし、ただの提案ではありません。私たちは30年以上にわたり、脆弱な方たちの幸福のためにあらゆる困難に立ち向かってきました。「ジネスト・マレスコッティのケア技法®」、通称「ユマニチュード®」は、習得に時間のかかる技術や訓練が基本です。この技法を短絡的にキスセラピーなどと呼ぶことは拒否します。良いケアとはそれにとどまるものではありません。

脆弱な方々の幸福のためには、ユマニチュードが認められるに越したことはありません。剽窃との戦いにご協力をお願いします。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「立ったまま、生きて死ぬ」


「私は立ったまま死にたい、畑で、太陽のもとで

蜂の1匹さえも入れない閉じられた雨戸の影で

しわだらけのシーツが敷かれたベッドの上などでなく」

「太陽のもとで死にたい」Jean Ferrat作詞



どうすれば高齢者に、死ぬまで立てることを実現させてあげられるでしょうか?優れた介護者が太陽の日差しの力を借りれば出来ることでしょうか?

1982年より私たちは「立ったまま、生きて死ぬ®」の考えを念頭におき、これが私たちの職業の重要な意味だと考えてきました。私たちが「もうおしまい、無理だ」と思っても、高齢者は歩きたいと望み、行きたいところに介助なしに行ける望みを持っています。自由はその人の部屋の扉で待っています。

施設入居高齢者は、ケアをしてくれる専門職と50%以上の時間を過ごします。従来型の「ベッドに寝かせることがケア」の基本を継続していたらと仮定してみましょう。清拭は寝たまま、部屋から食堂への移動は車いすなどがその例です。

しかし、現在老年医学におけるケアとは、全てのケア専門職が、ケアを受ける方の健康、つまり生活の質を改善もしくは維持する手助けをすることです。

「立ったまま、生きて死ぬ」は、私たちに、動くこと、立つこと、歩くことの重要性を理解させてくれ、今日の私たちのケアの実践を根底から覆し、立位のケアを推進するものです。

1日20分の立位で寝たきりを予防

立つということはあまりにも平凡な姿勢で、歩くということはあまりにも当然の行動のため、しばしば過小評価されます。しかし、立って歩くためには、身体の組織ほとんどすべて、骨体系、軟骨、筋肉、腱、靭帯、静脈、呼吸器官、末梢神経、中枢神経を必要とします。もちろん自己愛的側面も、最期の時まで自分を好きでいるために大変重要です。

立位のケアは、簡単ではありません

私たちは、施設内のユマニチュードリーダーに、ケア専門職に対して、立つこと、歩行介助の技術、立位保持機の使用方法の再訓練をするワークショップ開催を奨励しています。

全てのケア専門職に、リハビリにおいて必要なことを実現するために欠かせない道具、つまり、調整、心理的援助、情報伝達の質を高め、バランスを保持し、介入の質を高めるための道具を提供することで、高齢者の多くが人生の最期まで立ったまま生きることを可能にします。

私たちはこうして、寝たきりの人の文化から、立って生きる人の文化、つまり本当の生活の場の文化に移行するのです。

しかしながら、ケア専門職はベッド上でのケアの教育を受けていますし、また、清拭の道具もベッド上でのケアを想定したものが設置されているため、依然としてベッド上や車いすでの清拭が見られます。「立位」のケアが可能な場合でもです。2人の介護者(例えば、バランスを保つための介助のために)がついて、洗面台やシャワーにて清拭を行う数が、ベッド上での清拭の数を超えてくれば、「そうです、あなた方の施設は、立位のケアに進んでいますよ」と言えることでしょう。

あなた方は、自由で最後まで立って生きる高齢者の方々の大いなる冒険におけるパイオニアなのです。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「継続的研修の限界」

専門研修実施に関する法律(1971年7月16日法)は、雇用者が被雇用者に永続的教育を受けさせることを求めています。

この法律は、今日のフランスにおける研修システムの「礎」とみなされるものです。フランスにおいては、40年以上の長きにわたり継続的研修のために様々な施策を行って、専門的技術や職場での就労環境・条件を改善してきたという事実を強調しておきます。私たちは本当に恵まれています、実に恵まれているのです。私たちは持つ知識や技術、ノウハウをより豊かにし、それをサービスに反映させる事が出来ます。しかし、同時に私たち研修機関の責任者は、研修には限界があることも承知しています。

「ジネスト・マレスコッティのケア技法®」の「ユマニチュード」の研修に際して、研修を受講するだけでは限界があり、研修後にケア従事者が学んだ知識や技術を実際に使って介護施設や介護サービスの場を、真の「生活の場」に変革する行動を推進するには十分でないことに気づきます。

4日間研修が終わると誰もが納得し、これを実践しなくてはならないと思います…しかし!

研修評価では、ある程度の時間が経過すると熱が冷めて、しばしばケア従事者は、「経営者が」自分たちが研修で得た知識を実践するための手段を与えてくれないと考えている事が示されます。それが正しい理由かどうかは別にして、誰にとってもイライラが募る状況なのです。ケア従事者は、学んできた優れたケア技法を実施できずに自らを悪い介護者だと感じます。経営者は、研修費用を投資したのに費用対効果が得られないと考えます。インストラクターは、熱意を持って研修を行ったのに結果が出ていないと考えます。

私たちの賭けです。施設で働き、他と異なるケアをし、権力を手放し、優しさを与え、注意深く聞き、一人ひとりに寄り添って、したい事や楽しみの実現、人生の最後までその方の「人生を生きる」ことを実現する手助けをします。

職員研修には高い費用がかかるので、研修は、関わる全ての人にとって役立つ投資でなくてはなりません。経営者、職員、専門職、そしてもちろんケアを受ける入居者本人にとって、本当に意味のある投資でなくてはなりません。

しかし、研修を意味ある投資にするその域にたどり着いた介護施設も現れてきました。いくつかの介護施設は、ユマニチュード認証という目標に賭け、障害物を乗り越え、職員にもこの変革に参画してもらい、ユマニチュード認証を獲得したのです。道のりは長く、3年から5年の歳月を要します。ですから、忍耐強く、パイオニアの経験を身につけて進みましょう。

今日では、私たちは、研修で得た知識を実行に移し、長期間施設に根付かせて継続させるためには、経営者や意思決定者達が加わり、彼らが研修を受けることも必要であると知っています。また、1名から数名のユマニチュードリーダーを育てることも必要です。リーダー候補者は、10日間特別のリーダー研修を受けます。

ユマニチュード認証取得計画を推進するワーキンググループを結成する際には、経営者、管理職、コーディネーター医師(フランスの介護施設には、主治医の他に施設全体の医療を統括するコーディネーター医師の存在が義務付けられています)、ユマニチュードリーダー、臨床心理士その他の専門パラメディカル、看護師、看護助手の他、入居者と家族の代表者が加わることも計画の成功のためには必須であるようです。

このワーキンググループが定期的に集まり、大小の計画を練り、目標を設定し、評価・再評価を行います。現場では、施設の規模により1つないし複数のグループを任命して計画を実施します。

ユマニチュード認証評価マニュアルは、認証を目指す施設が計画を熟考し、進めるためのガイドとなります。施設で研修が必要な際には、サポートいたします。

ユマニチュード認証を目指し、私たちに研修をご依頼くださる施設の皆様、気持ちを引き締めて行きましょう。ユマニチュード認証に向かって出発です!

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「生活の場」

ほんの何年か前に「夢」と思われていたことが、今日では現実になっています。「ユマニチュードの哲学」をガイドとして用いる施設が段々と増え、「生活の場」と私たちが呼ぶものを生み出しているのです。「生活の場」とは、「自律」、「市民権」、「自由」を尊重するケアの提供に価値をおく場所。脆弱な高齢者が入りたいと願い、何も失うものの無い場所でもあります。では、一体どうやったらそれを生み出すことが出来るのでしょうか?単純なことではありません。

私たちは、計画推進のため、施設の方々に、以下のようなステップを提案します。

  1. 入居される方が、施設入居により失う恐れがある事と強制される不都合な事について考えてみましょう。
  2. 「生活の場」から得られる価値を定義し、施設内に掲示しましょう。
  3. 「生活の場、したいことが出来る場」を生み出すために、掲示された価値と実践している内容に隔たりが無いようにしましょう。

「自律」とは自分自身で管理する能力、つまり「自分の行動を決めることができる」能力と定義されます。いわゆる「依存」は、生活における行動(身体的、心理的あるいは社会的行動)を他人の助けなしに実行することが部分的ないし完全に不可能になることと言えるでしょう。つまり、依存は「出来る」ということの意味を問いかけます。自分が決めた行動を実現するために、ひとは誰かに「依存する」ことができます。

ケア・介護のプロは、ケアされる方の自律に役立つための存在です。ケアされる方に寄り添い、ご本人が自分ではできないことを実現することを助けます。

私たちの役割は、脆弱な方々がしたい事を何より優先してケアを推進することです。

私たちの賭けです。施設で働き、他と異なるケアをし、権力を手放し、優しさを与え、注意深く聞き、一人ひとりに寄り添って、したい事や楽しみの実現、人生の最後までその方の「人生を生きる」ことを実現する手助けをします。

生活の場の構築は、施設計画の基幹として策定されます。生活の場という掲示された価値と入居者の健康を損なわないようなケア技法を尊重しなくてはなりません。各部署、各ケア従事者が協働して、施設計画と入居者各人の生活計画に記載されたことに、同時に応えなくてはなりません。「ユマニチュードの哲学®」と「ジネスト・マレスコッティのケア技法®」は、あなたがこれらの計画を実現させるために具体的に役だちます。

以下は、ユマニチュードにおけるいくつかの生活の場の原則です。

  • ・強制ケアはしない。ケアをあきらめない。
  • ・抑制は最小限に留め、それを補う計画策定を義務化し十分な根拠を示す。評価の厳格化と記録。
  • ・立って生きる・死ぬの原則:移動を自由にし、一日のどの時間にも立つ機会を作れるよう検討する。
  • ・自分の家、家族、性生活の尊重。
  • ・個々の睡眠時間の尊重。
  • ・楽しい、食べたいと思える時間としての食事を整える。
  • ・ケア従事者の「ユニフォーム」を廃止する。
  • ・「高齢の成人」として、社会的生活を確立するために一人一人にフィットした、選択可能な生活活動。
  • ・施設を外部へ24時間オープンにし、家族や友人を迎え入れる…

ケア従事者、専門家の皆さん、高齢者の「陽だまり」になり、施設で働く人もそこに住む人もひとつの家で幸せに過ごせるように優しさの絆を創りましょう。

それが、ユマニチュード認証の賭けでもあり、施設や先行機関に導入していきます。この試みが翼を広げることに賭けましょう!

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

強制ケアはしない・・・それは「夢」でしょうか?

今日フランスでは、国内全施設で毎日4万の強制ケアが行われていると考えられています。(2012年現在)許されることでしょうか?答えはもちろんNOです。

強制ケアはしない。つまり、叫んでケアを拒否する人に無理に入浴介助をしない、全力でズボンを引っ張り上げている人に無理におむつ交換する必要はない、食事を拒否している人に無理に口を開けさせない、ということです。

これらのケアについて再考してみましょう。やらなくてはいけないと思っているこれらのケアが、ケアをする側・される側、双方の苦しみの中で行われ、ユマニチュードの絆が壊れてしまっています。

そうです。私たちはみな、強制ケアをしなくてはならない状況をなくそうと夢見ています。

みんなで、この「夢」が現実になり得る、ならなければならない状況となるよう賭けてみましょう。

強制ケアをしないというこの夢にたどり着くために、必要不可欠な技術、職場の組織変革、適切な器材の準備だけでなく、ケアの技法を定め、自分たちケアをするひとは何者か、そしてその役割は何かを何度も繰り返し考えてみることが、脆弱な方々の役に立つ人間としてのわたしたちの存在意義を正当化してくれるでしょう。

専門的な技術は、知識が増え、ケアのアプローチが開発されるにつれ進化していきます。その一方で、基本原則は相対的に安定し、人権に直結して社会的に定義される基準です。基本原則はユマニチュードの哲学特有のものでなく、人間性を尊重するすべての老年医学的アプローチの中に存在し、フランス共和国の基本的価値を反映しています。生命保護の原則であり、私たちの職業の観点からは、相手の害になることをしない、高いケアのレベルを保つことです。

私たちは、強制ケアがあるところでは、必ず健康が脅かされてしまうと考えます。

「個人の自律と自由を尊重する原則」は、ケアを受ける人の同意を求めることを意味します。強制ケアがあるところでは、個人の自由が尊重されていないと考えます。

「生活の質を尊重する原則」とは、注意深く接して、ケアを受ける人が必要とすること、その要望、喜びを保護することです。強制ケアがあるところでは、生活の質が尊重されていないことが予測されます。

「定期的な評価による調整とたゆまぬ反映の原則」。定期的に状況の評価を行い、それを基にケアを変革していくことでこの原則を実現します。強制ケアがあるところでは、個別性のあるケアが生かされていないと言えます。

「人の関係性における誠実の原則」とは、同意を求める、ケアを説明する、まなざしを重ねる、信頼を保ち続ける態度が誠実であることです。強制ケアがあるところでは、誠実さが欠落していると想像します。

「正義と公正の原則」とは、すべての人に同じケアをすることを意味するものではありません。ケアを受ける人が自分の状態に応じた最適なケアを享受する権利をもつことで正義と公正を実現します。強制ケアがあるところでは、必要な調整をする能力に欠けていると考えます。

ケアの現場においてこれらの原則を尊重し、ケア技法を尊重することによって、ユマニチュードの絆が結ばれ続けることが保障されます。ケアをする人とケアを受ける人との間に、強制的ではない、良い関係が結ばれることが可能になります。わたしたちがケアをする相手に対して「あなたは大切なひとです」と伝え続けることが可能になります。

ですから、部屋に入る時はノックをしてケアを受ける人から許可を得ましょう。ケアの最中はケアをする人と受ける人との大切な絆の時間です。周囲から邪魔されないようにしましょう。ユマニチュードの柱を実践しましょう。無償の行為をあふれさせましょう。

みんなで「生活の場」を作りましょう。ケアを受ける人にとって明日を「したいことが出来る場」にしていきましょう。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「なぜ商標を登録しているのか?」

非常によくいただく質問に、「なぜ、商標登録をしたのですか?」というものがあります。どうしてこのような選択をしたのか、説明します。

私たちが病院や施設で働く専門職を対象に指導を始めた頃、私たちはケアや病気に関する知識はもちろん、病院がどう運営されているかについても何も知りませんでした。研修生たちが私たちの先生になって彼らが学んできたケアについて私たちに教えてくれ、私たちは未知の世界を発見していきました。

病院や施設の世界では、当時、良いケアをする人というのは、全て患者さんの代わりにやってあげる人でした。患者さんの清拭はベッドで行うように学校で教えられ、それが現場で実践されていました。ケアの間中、「動かないでください」、「もうすぐ終わりますよ」、「あなたのためなんですよ」という言葉が聞かれました。そこでは、私たちが体育学の観点から持っていた、動くことを良しとする文化が根底から覆されていました。

教育者として、体育学の専門家として、私たちは動くことが健康に資すると知っています。動くことのトレーニングをし、それを繰り返し、動き続ける事のみが、人間としての大きな機能を維持させてくれます。しかし、ケアを受ける人達は、清拭も食事も睡眠も生きるすべてがベッドの上でした。椅子に腰掛けることができる患者さんは稀でしたし、その大半は布で椅子に固定されていました。

そこで、私たちは「ケアの新しい形を考案しよう」と決めたのです。清拭の際に、可能な時はいつでも患者さんにベッドの足元に立ってもらうことにしました。車いすをやめて立って移動していただき、ケアをする人はそこに寄り添うようにアドバイスしました。1982年には、私たちは、「亡くなるその日まで立つ®」を提唱しました。すでに実際のケア現場での研修で得られた結果では、寝たきりの方の80%が、本来は寝たきりになる必要がなかったと推定されました。そこで、私たちは一日20分立つ時間を作ることで寝たきりを防ぐことができるか、計測を開始しました。「亡くなるその日まで立つ®」は、こうして私たちの第一の強いコンセプト、これまでと異なるケアを行う第1歩となりました。

「ケアの技術は予防の技術になる。」

「亡くなるその日まで立つ®」を目指すためには、ケアについて、着衣介助、道具使用などの何十もの技術を開発しなければなりませんでした。そして、新しいケアの仕組みを提案する必要がありました。さらに並行して、私たちは非常に優しい触れる技術、後に「優しく触れる®」に結実する技術を開発しました。

1982年から20年間、私たちは言語的・非言語的コミュニケーションの現実を学び、新しいコミュニケーション技術を専門職の技術として確立するする必要性に気づきました。「オート・フィードバック®、知覚の連結®」の誕生です。これは本人ができることをケアを通じて評価するための清拭(これを評価保清と呼んでいます)、一連の手順に基づいた清拭など、これまでとは全く異なる考えに基づく新しいコンセプトのケアでした。そして、これによって暮らしの概念が大きく変容することになったのです。

私たちはこれまでの活動を通じて、私たちのアプローチを共有し、文章にし、開示してきました。インターネットの登場と同時にサイトを立ち上げ、私たちの知識をオンラインに載せました。しかし、私たちのコンセプトがその出典を示さずに発表されたり、文章に載せられたりすることが頻発し、私たちの成果がそっくりそのまま何ページにもわたって著述され、それを他の人が自分の業績として発表していることに遭遇するようになりました。

1998年、カナダ・ケベック州のパートナーとの出会いが決定的なものとなりました。私たちのコンセプトの重要性や成果に魅かれ、彼らは私たちに、私たちの成果全体を「ジネスト・マレスコッティのケア技法」と名付けることを提案してきました。こうして、最初のIGM(ジネスト・マレスコッティ研究所)がモントリオールで誕生しました。

カナダのパートナーは、このコンセプトは私たちが自ら教えたインストラクターからしか学ぶことができないと考え、コンセプトを商標登録することを提案してきました。

コンセプトを商標登録したことは、批判や非難を招きましたが、私たちは後悔していません。何故でしょうか?

何故なら、私たちは自分たちの30年間の仕事の成果を「キス療法」などと呼ぶ人が出現する事態に直面したからです。私たちは自分たちの成果の価値を貶めたくないからです。

何故なら、「ユマニチュード」がメディアで取り上げられたことで、私たちが会ったことも教えたこともない偽ユマニチュードインストラクターが研修を実施するという、私たちのコンセプトを盗用した例が引き起こされたことを繰り返したくないからです。

何故なら、患者さんや施設関係者がスタッフを教育したいと考えるときに、ユマニチュードの教育の評判、メディアや科学誌等で発表された内容など、手にする情報が常に正しいものであってほしいからです。

今日、「ジネスト・マレスコッティ・ケア技法®」と「ユマニチュード哲学®」の認定インストラクターのみが、IGMのネットワークに所属して働いています。私たちが訓練し、私たちが認定した質の高いインストラクターが組織化されたネットワークのもとで働くことで、ユマニチュードを選択してくれた方々へのケアの質を保証します。

最後に、大学・看護学校などの教育機関は登録商標保護対象の例外であることをお伝えしておきます。専門教育において学生がユマニチュードを存分に学んでくれることが私たちの望みです。もちろん、その教育者が私たちからユマニチュードについて学んでおくことが前提です。

ユマニチュードはケアをする皆さんのためのものです。皆さんが私たちを信頼し続けてくださることに感謝いたします。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

「ユマニチュード」

 

「ユマニチュード」という言葉はときに聞いた人に居心地の悪さを感じさせることがあります。そして、「私はいつも人間性を重視して働いている。別にユマニチュードなんていらない」という方もいます。すでに優しさや人間性をもって働いているので、新たな概念:ユマニチュードは不要だとお考えになるのです。しかし、人間性(Humanity)とユマニチュード(Humanitude)は同じものではありません。

まずは、人間性とは何か、ということに立ち戻って考えてみましょう。すべての人は哺乳類ヒト科に属します。しかし、「人間性を持つ」ことは人間という種に属するだけでは十分ではありません。

私たちがユマニチュードについて語るということは、人間の価値について語りあうことに他なりません。価値とは、世界を保つために私たちが大切だと考えるものです。自由、平等、友愛などは私たちの大切な価値です。また、いくつかの価値は、社会規範としてその社会においての美徳として存在します。つまり、価値には、仕事をする人にとって社会規範に従った行動をすることが含まれます。それはケアをする人であっても同じです。

そして、それが時に尊厳と強く結びついている自分の価値を否定されているように感じ傷つく人もいます。尊厳はどんな人からも奪いとることはできません。なぜならば、尊厳はその人そのものだからです。尊厳なしでは人は存在しえないのです。哲学者・カントが宣言したように、尊厳とは自由と美徳に基づく行動に深く由来します。その意味において、この言葉は人としての特異性である基本的な価値、つまり優しさ、寛大さ、利他主義、博愛など、人間にとって必要不可欠と考えられる価値観を表現しています。

もちろん、ケアをする人が人間性に欠けていることはありません。ケアをする人もまた、人間性という特性をもつ存在です。しかし、実際にケアを行うときにユマニチュードの哲学に基づいた行動をとっているでしょうか。

人は哺乳類ですが、他の哺乳類と決定的な違いがあります。ユマニチュードにおいてはこの違いが重要なのです。すべての哺乳類は、子供が生まれると自分の種に迎え入れるための行動を本能的に行います。具体的には、母親が子供をくまなく舐めます。子供が母親の胎内から外界へ出てくることを「第1の誕生」と呼ぶのであれば、子供は舐められることによって親の種族に迎え入れられる「第2の誕生」を経験します。

では、人間はどうでしょうか。子供が生まれた時、両親や周りにいる人々は、その子供を他の哺乳類とは違ったやり方で、その子を人間という種族に迎え入れます。舐めるのではなく、舐める代わりの行動をとるのです。

人は、舐める代わりにその子を見つめ、話しかけ、触れます。そして子が発達の過程で体を起こすようになることに注目し、ユマニチュードではこの4つを「人として存在するための重要な柱」と考えました。

見る・話す・触れるの3つは、相手と良い関係を結ぶために私たちが生涯を通じて行なっている必要不可欠なコミュニケーションの柱で、これによって互いに自分が人間であることを確認し、相手もそうであることを認め合っています。

今この文章を読んでいるあなたも、毎日、いつも、何千もの視線、何千もの言葉を受け取り、握手、愛撫やキスで相手に触れ、相手に触れられています。このコミュニケーションによって、あなたは存在しており、他者からあなたがここにいると認識されているのです。

しかし、あなたがケアをしている人、廊下の端にいる老人、もう喋らなくなった人、絶えずうめき声をあげている人、触られると体を固くしてしまう人、そういった人々は、何を受け取っているのでしょうか?

彼らは何も受け取っていません。もしくは、ほとんど受け取っていません。1日に120秒しかないケアをする人からの一方的な言葉、9回しかない短い眼差し、仕事のためだけに触れる行為、このような状況下において生きていくのは誰にとっても辛いことです。

ですから、私たちはケアをする相手をどのように見るのか、どのように話しかけるのか、どのように触れるのかを学ばなければならないのです。「人間性」や「優しい心」をもっているだけでは十分ではないのです。私たちが無意識に行う反射 的行動は、互いを傷つけ、怖れを生じさせてしまいます。「人間性」や「優しい心」はこの無意識下の行動の前には無力です。

相手がどのような状況 にあっても、人として出会い、共に時間を過ごすことを可能にする一連の哲学と技術がユマニチュードです。

ケアをする人はそれぞれ自分が大切にしたい価値観を持っています。しかし、価値観と自己の行動を一致 させるためには倫理 が必要です。その価値観を現実のものとするために、倫理としての技術を学ぶことと、働く組織の変革が欠かせません。

優しさと愛情にあふれた環境のもとで、高齢者が最期の日まで立って生活ができるよう、私たちは共に力をあわせていきたいと考えています。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

私たちが立ち向かうべき2つの敵:COVID-19とせん妄

みなさん、こんにちは。

新型コロナウィルス・COVID-19が世界中に影響を与えています。その一つが高齢者施設に入居している高齢の方々への家族や友人の面会禁止です。この新しい制限についての私の意見を述べたいと思います。なぜならば、家族の絆を奪い孤立を生むことが、必然的に災害につながることを知っているからです。何千人、何万人もの人が、そのために辛い状況に陥り、亡くなる方もいらっしゃるでしょう。フランスには7200あまりの介護施設がありますが、もし、家族や友人から孤立していることが原因で亡くなる方が施設に1人いるだけで、全国では7,200人以上の死者が出ることになります。少なくともその死因はウイルス感染症ではありません。

これは信念ではなく、孤立が人間に与える影響についての科学的知見に基づくものであり、私は自分の40年間の現場での実践経験からこれに同意します。多くの老年医学の専門家は、高齢者が入院治療によって、寝たきりになったり、せん妄や認知症が進行することを現代高齢者医療の課題として認識しています。これについては数多くの科学的研究が進んでおり、せん妄が、周囲から孤立する生活環境の大きな変化によって起こり、80歳以上の高齢者の10人中1~2人に影響を与え、死亡率を20倍にも増加させることが示されています。

老年期の人々、そして非常に脆弱な状態にある人々は特殊性を持っています。つまり、精神的混乱の閾値に簡単に到達し、それは精神的混乱につながり、その後全身状態の低下が起こり、引きこもり、自分自身の殻に閉じこもり、食べることを拒否し、そして最後に、彼らは自身の拠りどころ、本質的な人間の家族の絆を奪われたときに、死に至る。どんなに努力しても、職業的介護者が家族の代わりになることはありません。

健康は私たちに与えられた貴重な贈り物です。しかし、それはあくまでも状況であり、価値ではありません。フランスは自由、平等、友愛といった価値観を世界にもたらすために戦ってきました。

私たちは高齢者の健康のために戦わなければなりませんが、 それによって彼らの自由や平等や友愛を奪ってはならないのです。愛と友情という人間の絆だけが、脳の活動、神経の健康、人間の発達、そして自身の尊厳の自覚を永続的に発展させ、その維持を可能にしているのです。

愛撫を受けない、愛情を伝える眼差しを受けない、優しい言葉をかけられない子供は、発達できず、重度の精神障害や知的障害を呈し、死亡することが多いことが知られています。これは高齢者でも同じです。おそらく、子供よりもさらにその傾向は強まるでしょう。

現在フランスでは、あまりにも多くの人が、愛する人に再会することなく、孤独の中ですでに亡くなっています。健康危機の緊急性の中で、高齢者を閉じ込め、家族との絆を奪い、最期の時に立ち会ったり葬儀への参列することを禁止するなどの重大な行為を行った責任は、私たちの社会が負わなければなりません。余命2ヶ月の高齢者を1ヶ月閉じ込めれば、その人の人生の半分が奪われてしまいます。このままではいけません。高齢者を孤立させることで、私たちが失うのは魂なのです。

では、どうすればいいのか?私には現場にいらっしゃる施設の運営者や介護部長、介護士の代わりに解決策を見つけて指示できると思う傲慢な考えはありません。解決策は、家族を含めた誰もが参加しなければならない創造的な思考から生まれます。私にはいくつかの解決策を提案することしかできません。

– まず無視できないのは、重要な訪問者(家族や親しい友人)は、施設に到着したら手を洗う、推奨されるマスクを着用する、私物(ハンドバッグなど)を入り口に置いて持ち込まないなど、介護職員と同じ標準予防策を取ること。

– 面会時間の制限を含め、尊重すべきルールが書かれた行動憲章を読み、署名する。

– 特定の場所を用意し、面会のための場所に透明なガラスやフィルムを使って直接の接触を避ける

– 実際に接触する場合は手袋を着用し、部屋を訪問する際には使い捨てのガウンを着用する

みなさんの力で、解決のためのアイデアを生み出してください。現場で生まれたいくつかの例をご紹介します。フランスの介護施設の試みです。

 

訪問する家族はマスクと手指消毒を徹底します。

 

面会のためのテントが庭に設営されました。

 

常に換気を行います。

 

対人距離を十分にとります。

 

マスクをしていても、笑顔を伝えることができる、ユマニチュードインストラクターの発案です。

 

窓を通して外部とつながります。

 

家族と過ごせない悲しみの中の入居者。孤独はせん妄の引き金となり、「終わりの始まり」となります。

 

それを防ぐために…

 

新しい科学技術を使ったコミュニケーションの試み。

 

家族の訪問は十分な距離を保ちます。

 

もしくは、窓越しに。

 

食事も距離をとります。

 

ガラスの移動式ついたて越しの面会。

 

扉を透明なボードに作り替えました。

 

 

これは、私たちが持っている基本的な価値観を尊重し、心が決めたことを尊重しながら、同時に何千人もの高齢者が亡くなることを防ぐための条件なのです。なぜなら、私たちは2つの敵に同時に立ち向かい、戦っていることを理解する必要があります。敵とは、つまり、新型コロナウィルス・COVID-19、そしてせん妄です。COVID-19のみと戦うのでは、我々がもう1つの敵・せん妄に敗北することになるのです。そして、高齢者を閉じ込め続けるのであれば、もう1つの敵によって多くの人の命が奪われることとなります。

私たちがこの2つの敵に対して同時に立ち向かい、戦うならば、私たちは勝利を得て、頭を挙げ、愛をもって、誰にも恥じることなく、この戦いを終えることができるでしょう。

2020年4月30日

 

イヴ・ジネスト

私は老年学の専門家です。私は40年以上にわたり、介護者と、高齢者と、病人と、実際の医療や介護の現場で仕事をしてきました。マルチモーダル・ケア技法:ユマニチュードは私のこの経験から生まれたものです。現在、京都大学こころの未来研究センターの特任教授、富山県立大学看護学部の客員教授としてケアに関する研究や教育に携わっています。

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

ユマニチュードの絆 第1号(2010年発行)

30年

1980年、病気の方々のために役立てる技術を携えて、私たちはケアの世界に入りました。

私たちは、毎日ケアの指導者として現場に赴き、看護・介護の専門職の皆さんと共に、そこで最もケアの提供が難しいと思われている方々を担当しました。

私たちは素晴らしい看護師さん、介護士さん、型にはまらないクリエイティブな施設長、研修生たちに会い、共に新しい老年学を創り出す努力をしました。というのも、時には恐怖、刑務所のようなホスピス、時には暴力的な介護者、業務遂行のみに注力する組織、痛みを全く意に介さない技術…などに出会うことがあり、その解決のために取り組む必要があったからです。

こうして私たちは、看護や介護の専門職の方々や家族の協力、ケアを受けるご本人との驚くべき出会いと共に、技術や組織、概念を発明していきました。

今日、すべてが「ジネスト・マレスコッティのケア技法®」の中に結合し、「ユマニチュード®の哲学」とおよそ150の独創的なケア技術を包括しています。この技法はすべてが現場で生まれ、考えたアイデアの実践を繰り返し、経験し、何度も話し合い、より良いものにしてきました。

私たちは皆さんの成果、皆さんのユマニチュードへの参画、皆さんとのたゆまぬコミュニケーションを大変うれしく思っています。

私たちは、このニュースレターを「絆」と名付けたいと思いました。たゆまぬ進化、皆さんが始め、私たちも実施してみる実験を互いに共有する絆です。

皆さんに重要と思われるイベントをお知らせしたり、知識や実施を改善するための絆です。

革新的な者たちが、独りぼっちで孤立しないための絆です。

差し伸べられる手、皆さんと一緒に体験した素晴らしい時を思い出させるささやき、ケアを拒んでいた患者さんが初めての微笑みを私たちに見せてくれた時、食事を食べることもできなかった男性が皆さんの助けで立ち上がった時、心配で打ちひしがれていたご家族が初めて皆さんに感謝の言葉をかけた時・・・

私たち共通の理想郷が、ある日しっかりとした現実となって現れる希望を共に持ちましょう。大きな相部屋だったり、苦しむ患者さんが放置されていたEHPAD(フランスの介護施設)が、ある日、優しく甘い言葉で語りかけ、ケアを無理やり行うのではなく、必要な場合にはそれを延期することをためらわない介護者に付き添われて、高齢の入居者達が過ごすようになるとは誰が想像したでしょう。ましてや、時にそこでダンスが行われるようになるとは。

自宅の代わりになる人生の本当の生活の場というのは、もはや理想郷ではなく、現実に存在するようになるかもしれないのです。

私たちは、30年前は二人きりでした。今日、私たちは、50名以上のユマニチュード専門家の集団となり、ジネスト・マレスコッティ研究所はフランス国内の12支部、国外の4海外支部、食事専門部門、総合部門で構成されています。(2010年現在)

私たちは研究組織IPRIMを支援し、研究に必要な費用を支えています。私たちは、Asshumevieの設立をお祝いします。Asshumevieは、施設へのユマニチュード導入プロジェクトを推進し、変化を恐れる勢力の抵抗を乗り越え、ユマニチュード導入施設の評価・認定に取り組んでいる施設長や理事長を組織化した団体です。

たくさんのプロジェクト、情熱、高齢者へのケアから生まれる相乗効果は、すべての人の尊厳を尊重し、市民であり続けること、自由を持つこと、正直であること、親切であることから生まれます。これらは施設で暮らす高齢者が私たちに求める最も重要な質なのです。

皆さんに感謝します。皆さんに私たちが寄り添えることを心からありがたく思います。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude vol.1