『ユマニチュードに出会って』第9回 弁護士 篠木潔さん(前編)
福祉の現場を支援する弁護士の取り組みを紹介します。
介護のケアにとどまらず、福祉の分野でもユマニチュードの考え方や技術を活かすことはできるのでしょうか。「セルフネグレクト」に取り組む福祉職を支援する弁護士、篠木潔さんの試みを紹介します。(聞き手・松本あかね)
弁護士法人翼・篠木法律事務所の代表弁護士(福岡県弁護士会所属)として、主に企業法務や医療・福祉関連業務に従事し、福岡県介護保険審査会長、福岡県社会福祉士会理事なども経験。法律事務所内に社会福祉士を雇用して共同で成年後見業務にあたるなど、法律とソーシャルワークの連携を実践しています。
支援を拒否する人たち
-弁護士として「セルフネグレクト」に関わる医療・福祉職の方をサポートする研修会、シンポジウムの開催に取り組まれていると聞いています。まず「セルフネグレクト」とは何かを教えてください。
篠木潔さん 「セルフネグレクト」は一般的には次のように定義されています。
「人が人として、生活において当然行うべき行為を行わない、あるいは行う能力がないことから、自己の心身の安全や健康が脅かされている状態に陥ること」
より専門的な定義として「健康、生命および社会生活の維持に必要な、個人衛生、住環境の衛生もしくは整備又は健康行動を放任、放棄していること。そしてそれには、サービスの拒否、財産管理の問題、社会からの孤立などの付随概念を含む」という内容が提唱されたりもしています。
身近な例でいえば、いわゆる「ゴミ屋敷」がそうですが、それにとどまりません。近所の人が通報して初めてわかることも多いのですが、訪問すると、夏なのにクーラーもない中で寝込んでいることがわかったりする。極端に物を溜め込んだ不衛生な環境で、本人の栄養状態も極めて悪い、持病があるのに治療しない、介護サービスを導入しないと在宅生活が困難なのに頑なに拒むといった事例が見られます。
—篠木さんご自身が「セルフネグレクト」の問題を知ったきっかけは?
弁護士として、医療・福祉関係者から、支援を拒否する人に対し、強く介入しなかった場合に法的責任を問われる可能性があるか」という相談や、逆に「本人が拒否している関係で、どこまで介入してよいのか? 介入しすぎると法的責任と問われる可能性があるか」という相談を受けることが度々ありました。
また知り合いのケアマネージャーさんから、支援を受け入れないまま、2、3年経過するという事案もあると聞いて驚きまして。実際に孤独死も起きていて、これは大きな問題ではないかと勉強したところ、「セルフネグレクト」という大きな問題(テーマ・課題)があることがわかった。それが、5、6年前のことです。
—「セルフネグレクト」は直訳では「自分の世話を怠る」となりますね。なぜ、そのような状況に陥ってしまうのでしょうか。
セルフネグレクトに陥るリスク要因にはいろいろあります。例えば認知症によって判断能力が落ちて、身の回りのことができなくなる場合があります。また、判断力はしっかりしているけれど、配偶者や近しい家族が亡くなる、リストラといったライフイベントによって生きる意欲が失われてしまう、その結果、自分の世話をしなくなるといった要因もあります。
さらにプライドや遠慮、気兼ね。これは日本人に多いそうです。プライドの高い人は人の世話になりたくない、遠慮や気兼ねをする人は人のお世話になるのは申し訳ないと思ってしまい、生活や医療の支援を拒否した結果、家屋の衛生状態、本人の健康状態が著しく損なわれてしまうのです。
引きこもりの長期化も要因として挙げられます。人間関係の構築ができず、受け入れを拒否してしまうのですね。人間関係のトラブルで、人間が怖くなっている場合や、虐待のトラウマで生きる意欲が失われ、SOSを出せないということもあるそうです。そのほかには経済的な問題。支援の費用が出せないから拒否するというケースもあります。
—さまざまな理由や背景があるのですね。
そうなのです。そのような方に対して支援を進めるためには、本人の協力や同意、承諾が必要ですが、それを拒否されてしまい、支援そのものが進まないというのが現状です。ひどい場合は、そもそも自治体の職員や医療・介護関係者等の支援者に会ってもくれないという例もあり、支援に繋がるまでに数年もかかる事例が少なくないようです。
しかし、こうした「支援の拒否」を弁護士から見た場合、ご本人は「自己決定権を行使されている」ともいえるわけです。分野は違いますが、「尊厳死」は延命を拒否してするものですが、今はこれを尊重しようという流れもありますし、海外では安楽死さえ認められている国もあります。つまり、積極的に死ぬことを許容されている国もある中で、セルフネグレクトの場合は、その手前の事柄で自己決定権を行使されているのですから、なおさらその意思決定を尊重すべきと言えなくもありません。
しかし、行政自体も支援者も、本人の生命や健康等に悪影響が出ているのだから、本人を守るという権利擁護の観点から、あるいは支援者たちの職業倫理の観点から、それを放っておくことはできないと悩まれる方が多いのです。一方、放っておくと自分たちに責任が及んでくるのではないかと恐れている方も少なくない。そのような現場の支援者のジレンマに対して、私たち弁護士が、ある程度の方向性をアドバイスする必要があったわけなのです。
ユマニチュードのスキルを使ってみたら
—現場の支援者が、本人の意思を尊重する気持ちと命や健康を守らなければ、という使命の板挟みになっている状況が伝わってきます。それに対して、ユマニチュードのスキルはどのように役立つのでしょうか。
私が実際に関わったケースをご紹介しましょう。
認知症の症状のある高齢女性ですが、消費者詐欺に遭ってしまったり、契約の意味を正しく理解できないばかりか、預貯金の管理さえもできなくなったりされていました。認知症が進んで判断能力の程度から言うと成年後見制度の「保佐人」による支援が必要な事態となりました。しかし家庭裁判所から保佐人に対して、その方の生活のために預貯金の管理や介護サービスなどの各種契約等を代わりにすることができる「代理権」を付与してもらうには、制度上、本人の同意が必要なのです。なので、その方から代理権付与についての同意を得られなければ、ご本人の生活全般を守れないわけです。ところがその高齢女性の方は、子供さんや私の先輩弁護士がどんなに説得しても同意してくださらない状況でした。
そこで、このままではうまくいかないということで、私が先輩の弁護士に頼まれまして、その方の所へ同行しました。当時入院中だったのですが、先輩弁護士はベッドに座っておられた女性のところへ行って、仁王立ちになって言うわけです。「被害に遭っているから後見制度使わないといけない」「代理権付与の同意書をもらわないと困る」と、叱るような口調で。その方にしてみれば、そもそも被害に遭っているという認識もないし、自分でなんでもできると思っておられるから、当然拒否される。
それを見て、私は相手の視野に入るようにして膝をついて、「初めまして」。ゆっくり、話しかけてみました。そうしたら「あんた、なんね」、「弁護士です」。なぜ弁護士が来ているのかと、最初は「助けはいらん」と拒否されました。そこで、私は話を切り替えて「この病院はごはんがおいしいですか?」「お困りのことないですか?」と聞くと、「おいしくない」「看護師が意地悪する」とかおっしゃる。「それは大変ですね」、それから「触れる」のステップをしてみたんですよね。そうしたら、私の顔をじっと見て、そこからが急展開。私という人間を受け入れて、話を聞いてくださって、いろいろお話をしました。そしてその場で同意をもらいました。おそらく1時間くらいのことだったと思います。
—説得しようとするのではなく、まず受け入れてもらおうとなさった。ユマニチュードを使うことでコミュニケーションの扉が開き、支援の内容を理解してもらうことができたのですね。
はい。ユマニチュードのスキルを使うことで、これまで受け入れてくれなかった方が話を聞いて、「いいよ」と言ってくださった。そのお蔭で保佐審判開始の申立を行うことができ、保佐人が選任されて財産を守ることができました。
この方は認知症でしたが、それだけでなく「8050問題」といわれる引きこもりの当事者や、ゴミ屋敷のケースにもユマニチュードは役立つのではないかと思うのです。その点について本田美和子先生にお聞きしたところ、先生も「役立つと思う」とおっしゃいました。そもそもユマニチュードは、いろいろなスキルを駆使して患者さんが自分は大切にされている、支援者たちもあなたのことを大切に思っているということを表現するスキルだとおっしゃっていました。
それってまさに、セルフネグレクトのご本人に対しても必要なことですよね。自分が大切にされていない、酷いことを言われた、自尊心が傷つけられた、他人が怖いといった理由で引きこもりの方もいらっしゃるでしょう。だからこそ「あなたのことを大切に思っています」ということを、まさにユマニチュードのスキルを使って伝えることが重要だと思うのです。
「本人の意思の尊重』と「支援」を両立する~そのためにユマニチュードを活かす
本田先生ご自身も、医療現場でセルフネグレクトを経験されたことがあるそうです。いちばんいけないのは、「今日はあなたを支援するためにきました」とか、用件をはじめに言うことだとおっしゃっていました。
ユマニチュードの中でも、例えば相手の領域に入るために、ノックをして承諾を得ることとか、ケアをするという合意をしてからにしましょうとか、そういうところがある程度進んで初めて、用件を言って、その中で合意を得ますよね。それがご本人を一番尊重したやり方だと思います。
ところが現場の支援者は、セルフネグレクトが何年も続いる状況を目の当たりにすると、こんな暑い中で危険かもしれない、と急ぎ支援をしようと焦ってしまって、そういう大切な手順を取らないだろうと思うんです。本田先生は、相手が受け入れてくれなければ、その場で一旦帰るということも大切なことだと。実際に経験豊かな行政職、福祉専門職は、無理やり話を続けようとせずに、一旦は帰られるそうです。
—現場でも実はいろいろなスキルを実践されているのですね。
そうなのです、皆さん試行錯誤するなかで、生まれているスキルがあるのだと思います。ほかにも、私が使えるのではないかと先生にお話ししたのが、ユマニチュードの5つのステップの中の『感情の固定』。ケアの後で共に良い時間を過ごしたことを振り返るというステップがありましたね。
セルフネグレクトの場合にも、例えば、拒否していた方が、玄関だけ開けて話をしてくれたなら、「会ってくださってありがとうございます。本当に私は嬉しかったです」と感謝の気持ちを伝える。そうやって本人が喜ばれること、印象に残る話をすると、支援の前段階ではあるけれど、その会話自体が、本人にとってはケアのようなものではないでしょうか。そしてその良い印象が残り、それが次に繋がっていくのは、病院や介護施設でのユマニチュードの実践と同じかもしれないと思いました。
それから『再会の約束』、これは次のケアを受けてもらうための準備として、「今日は玄関を開けてくださってありがとうございます。また訪問します」と約束をする。おそらくそんな約束はいらないと言われるかもしれません。そのとき、「先ほど、花の話をされていましたよね、ちょうど1ヶ月後、紫陽花の季節なので、写真をいっぱい撮ってきます。○○公園の紫陽花なんかは種類が多くてとても綺麗なんですよ!」とかね。再会の約束と同時にご本人が喜ばれるような約束をする。それでも来なくていいとおっしゃるかもしれない。でも1ヶ月後に行ったときには、そのことを覚えていらっしゃって、その日の会話は、まずは紫陽花の話からスッと入っていくかもしれませんよね。
そのほかにも、ユマニチュードの手法や哲学で、セルフネグレクトの支援はもちろん、権利擁護の場面に役立つことはたくさんあるように思います。なので、日本ユマニチュード学会でも一度、研究していただければうれしいです。
—支援は介護と同じで、一回の訪問で終わりではなく、関係性の構築が必要だと感じます。
そうなんですよ。イヴ・ジネスト先生もそれをよくわかっていらっしゃって、うまくいく方法をしっかり体系化されていますから、介護ケア以外にも、きっと使えると思います。なんといってもユマニチュードにはそれを支える素晴らしい人間哲学がありますから。
—お話を伺っていると、本人の判断能力の低下による拒否もあるけれど、コミュニケーションがうまくいっていないことが、第一の原因という見方もできるのではないかと思いました。
そうですね。その意味では、まずは繋がるための支援が重要です。そのために、コミュニケーション ケア技法でもあるユマニチュードは本領発揮の場でもあると言えるように思います。さらに、セルフネグレクトの支援の場合、コミュニケーションが取れた後、ケアよりもさらに進んで、具体的にどういう支援をするかという話をご本人とする必要があります。
ケアや治療はある程度、行うべきことが決まりやすいです。でもセルフネグレクトの方を支援する時、それぞれ課題や背景や考え方が違いますから。お金がない、とにかく人が怖いとか、ご病気かもしれないなどさまざまです。そのため、適切なコミュニケーションを通じて必要な情報を取得し、その人にあった支援をどうしていくかという合意を形成していかなければいけません。その中においても、ユマニチュードの手順を1つ1つ繰り返していけば、拒否は起こりにくんじゃないか、そして前向きな合意形成が可能になって、セルフネグレクトの支援が進むんじゃないかなと思うのです。
前のページに戻る