ユマニチュードの絆vol.10『依存すること、ユマニチュードの価値』

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「依存すること、ユマニチュードの価値」

人間には、他の哺乳類同様に2つの誕生があります。

「第1の誕生」は出産により母胎から生れ落ちる、生物学的な誕生です。

「第2の誕生」は「第1の誕生」同様に欠かせないもので、社会学的な誕生、種の仲間に迎え入れることです。母犬は子犬をなめることで、「お前は犬だ。羊でも人間でもない」と伝え、子犬を犬の世界に迎え入れます。

人間も同様に、出産後に、フランスの精神科医ボリス・シリュルニクが「絆の合図」と表現した時期が始まります。大人が新生児の世話をし始めると、両者の間に関係性ができ、小さな人間である新生児は周囲の人間との交流と刺激のネットワークに入り、「ユマニチュード=人間らしさ」の特徴を発達させていきます。この関係性は、ユマニチュードの基本の柱「見る・話す・触れる・立つ」の根底にあるもので、柔らかさ、愛情、優しさ、親密な距離、愛撫、深いまなざし、温かな言葉など感情的基準と正確な技法につながります。人間の脳はこうして感情の基礎を形作り、「第2の誕生」を通して感覚神経回路を発達させ、それにより人生の長きにわたり愛情や友情といった他者との良い関係を築くことができます。私たちの感情記憶は人生最期の時まで残り、この人間らしさという特徴を持ち続けるには、人間が「人間の群れ」の一員と認められていると感じることが必要です。そして、この良い関係と絶え間ない交流によって、自己のアイデンティティと尊厳を感じることができます。

第2の誕生がなければ、子犬は死んでしまいますし、人間は発達に大きな困難をきたします。

人間は、病気や障がいによって自分が人間だと感じられなくなることがあります。その時こそ、そばにいる人がユマニチュードの柱を用いて「誰も私を見たり、話しかけたり、触れてくれることがなくても、私はまだ人間だろうか?」と感じるその方の命の支えになる必要があります。ユマニチュードの人間らしさの関係性を保つことで、他者に囲まれた人間と感じられるようにするのです。

しかし、時として他者が存在しない状況が生まれることがあります。私たち人間にとって、自分を認めてくれない人を優しく見つめたり、言葉を発しない人に話しかけたり、自分をたたく人を撫でてあげたりすることは困難です。病気はこうして、目に見えない無意識の罠をたくさんしかけて、ユマニチュードの関係性を消滅させようとします。

ユマニチュードの絆を結ぶには感情的な相互依存が欠かせません。

このユマニチュードが無ければ、つまり「私が私である」ための他者の存在が無ければ、人間は人間でなくなってしまい、自分の殻に閉じこもり、引きこもってしまいます。もし、その方がみんなの心の中でまだ人間であれば、他者に囲まれた人間、つまりユマニチュードの状態にあります。一方、他者との関係性がなくなれば、その方の皮膚は鎧となり、拘束衣となり、城壁となり、その方の生活は自分との関係だけで完結してしまいます。自身の心臓の鼓動、まだ生存している唯一の証の音を聞くだけになり、いわば老年性疑似自閉症のような状態です。しかし、「年老いた胎児」は、人間として生き返ることができます。近しい友人や家族、ケア専門職が意識してユマニチュードの4つの柱を行うだけでよいのです。そうすると、再び微笑んでくれたり、時には話しかけてくれたり、時には立ち上り…といった驚くべき贈り物とも呼べる、この「第3の誕生」を起こすことができるのです。

そして、関係性を消滅させようとするこうした罠を避けてユマニチュードの柱をすべて行うことで、アルツハイマー病の方の中にも明るい兆しを発見することができたり、優しさの絆においては、異なるケアのアプローチが必要なことを私たちに学ばせてくれるのです。

優しさの絆を私は与え、そして私もお返しにそれを受け取ります。そして、私は優しさの絆を受け取るからこそ、私が私として存在するのです。このユマニチュードの絆を結ぶには感情的な相互依存が欠かせず、これがあるからこそ日々の疲れも癒され、一人ひとりの出会いをかけがえのないものに感じさせてくれるのです。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

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