ユマニチュードの絆vol.2 「ユマニチュード」

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

「ユマニチュード」

 

「ユマニチュード」という言葉はときに聞いた人に居心地の悪さを感じさせることがあります。そして、「私はいつも人間性を重視して働いている。別にユマニチュードなんていらない」という方もいます。すでに優しさや人間性をもって働いているので、新たな概念:ユマニチュードは不要だとお考えになるのです。しかし、人間性(Humanity)とユマニチュード(Humanitude)は同じものではありません。

まずは、人間性とは何か、ということに立ち戻って考えてみましょう。すべての人は哺乳類ヒト科に属します。しかし、「人間性を持つ」ことは人間という種に属するだけでは十分ではありません。

私たちがユマニチュードについて語るということは、人間の価値について語りあうことに他なりません。価値とは、世界を保つために私たちが大切だと考えるものです。自由、平等、友愛などは私たちの大切な価値です。また、いくつかの価値は、社会規範としてその社会においての美徳として存在します。つまり、価値には、仕事をする人にとって社会規範に従った行動をすることが含まれます。それはケアをする人であっても同じです。

そして、それが時に尊厳と強く結びついている自分の価値を否定されているように感じ傷つく人もいます。尊厳はどんな人からも奪いとることはできません。なぜならば、尊厳はその人そのものだからです。尊厳なしでは人は存在しえないのです。哲学者・カントが宣言したように、尊厳とは自由と美徳に基づく行動に深く由来します。その意味において、この言葉は人としての特異性である基本的な価値、つまり優しさ、寛大さ、利他主義、博愛など、人間にとって必要不可欠と考えられる価値観を表現しています。

もちろん、ケアをする人が人間性に欠けていることはありません。ケアをする人もまた、人間性という特性をもつ存在です。しかし、実際にケアを行うときにユマニチュードの哲学に基づいた行動をとっているでしょうか。

人は哺乳類ですが、他の哺乳類と決定的な違いがあります。ユマニチュードにおいてはこの違いが重要なのです。すべての哺乳類は、子供が生まれると自分の種に迎え入れるための行動を本能的に行います。具体的には、母親が子供をくまなく舐めます。子供が母親の胎内から外界へ出てくることを「第1の誕生」と呼ぶのであれば、子供は舐められることによって親の種族に迎え入れられる「第2の誕生」を経験します。

では、人間はどうでしょうか。子供が生まれた時、両親や周りにいる人々は、その子供を他の哺乳類とは違ったやり方で、その子を人間という種族に迎え入れます。舐めるのではなく、舐める代わりの行動をとるのです。

人は、舐める代わりにその子を見つめ、話しかけ、触れます。そして子が発達の過程で体を起こすようになることに注目し、ユマニチュードではこの4つを「人として存在するための重要な柱」と考えました。

見る・話す・触れるの3つは、相手と良い関係を結ぶために私たちが生涯を通じて行なっている必要不可欠なコミュニケーションの柱で、これによって互いに自分が人間であることを確認し、相手もそうであることを認め合っています。

今この文章を読んでいるあなたも、毎日、いつも、何千もの視線、何千もの言葉を受け取り、握手、愛撫やキスで相手に触れ、相手に触れられています。このコミュニケーションによって、あなたは存在しており、他者からあなたがここにいると認識されているのです。

しかし、あなたがケアをしている人、廊下の端にいる老人、もう喋らなくなった人、絶えずうめき声をあげている人、触られると体を固くしてしまう人、そういった人々は、何を受け取っているのでしょうか?

彼らは何も受け取っていません。もしくは、ほとんど受け取っていません。1日に120秒しかないケアをする人からの一方的な言葉、9回しかない短い眼差し、仕事のためだけに触れる行為、このような状況下において生きていくのは誰にとっても辛いことです。

ですから、私たちはケアをする相手をどのように見るのか、どのように話しかけるのか、どのように触れるのかを学ばなければならないのです。「人間性」や「優しい心」をもっているだけでは十分ではないのです。私たちが無意識に行う反射 的行動は、互いを傷つけ、怖れを生じさせてしまいます。「人間性」や「優しい心」はこの無意識下の行動の前には無力です。

相手がどのような状況 にあっても、人として出会い、共に時間を過ごすことを可能にする一連の哲学と技術がユマニチュードです。

ケアをする人はそれぞれ自分が大切にしたい価値観を持っています。しかし、価値観と自己の行動を一致 させるためには倫理 が必要です。その価値観を現実のものとするために、倫理としての技術を学ぶことと、働く組織の変革が欠かせません。

優しさと愛情にあふれた環境のもとで、高齢者が最期の日まで立って生活ができるよう、私たちは共に力をあわせていきたいと考えています。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

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