ユマニチュードの絆vol.7『立ったまま、生きて死ぬ』

ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生からのメッセージ連載

本内容はフランスのユマニチュード導入施設向けに配信されるニュースレター「ユマニチュードの絆」より転載したものです。ユマニチュード開発に至る経緯やジネスト先生たちの考えを知っていただく一助になると嬉しいです。

 

「立ったまま、生きて死ぬ」


「私は立ったまま死にたい、畑で、太陽のもとで

蜂の1匹さえも入れない閉じられた雨戸の影で

しわだらけのシーツが敷かれたベッドの上などでなく」

「太陽のもとで死にたい」Jean Ferrat作詞



どうすれば高齢者に、死ぬまで立てることを実現させてあげられるでしょうか?優れた介護者が太陽の日差しの力を借りれば出来ることでしょうか?

1982年より私たちは「立ったまま、生きて死ぬ®」の考えを念頭におき、これが私たちの職業の重要な意味だと考えてきました。私たちが「もうおしまい、無理だ」と思っても、高齢者は歩きたいと望み、行きたいところに介助なしに行ける望みを持っています。自由はその人の部屋の扉で待っています。

施設入居高齢者は、ケアをしてくれる専門職と50%以上の時間を過ごします。従来型の「ベッドに寝かせることがケア」の基本を継続していたらと仮定してみましょう。清拭は寝たまま、部屋から食堂への移動は車いすなどがその例です。

しかし、現在老年医学におけるケアとは、全てのケア専門職が、ケアを受ける方の健康、つまり生活の質を改善もしくは維持する手助けをすることです。

「立ったまま、生きて死ぬ」は、私たちに、動くこと、立つこと、歩くことの重要性を理解させてくれ、今日の私たちのケアの実践を根底から覆し、立位のケアを推進するものです。

1日20分の立位で寝たきりを予防

立つということはあまりにも平凡な姿勢で、歩くということはあまりにも当然の行動のため、しばしば過小評価されます。しかし、立って歩くためには、身体の組織ほとんどすべて、骨体系、軟骨、筋肉、腱、靭帯、静脈、呼吸器官、末梢神経、中枢神経を必要とします。もちろん自己愛的側面も、最期の時まで自分を好きでいるために大変重要です。

立位のケアは、簡単ではありません

私たちは、施設内のユマニチュードリーダーに、ケア専門職に対して、立つこと、歩行介助の技術、立位保持機の使用方法の再訓練をするワークショップ開催を奨励しています。

全てのケア専門職に、リハビリにおいて必要なことを実現するために欠かせない道具、つまり、調整、心理的援助、情報伝達の質を高め、バランスを保持し、介入の質を高めるための道具を提供することで、高齢者の多くが人生の最期まで立ったまま生きることを可能にします。

私たちはこうして、寝たきりの人の文化から、立って生きる人の文化、つまり本当の生活の場の文化に移行するのです。

しかしながら、ケア専門職はベッド上でのケアの教育を受けていますし、また、清拭の道具もベッド上でのケアを想定したものが設置されているため、依然としてベッド上や車いすでの清拭が見られます。「立位」のケアが可能な場合でもです。2人の介護者(例えば、バランスを保つための介助のために)がついて、洗面台やシャワーにて清拭を行う数が、ベッド上での清拭の数を超えてくれば、「そうです、あなた方の施設は、立位のケアに進んでいますよ」と言えることでしょう。

あなた方は、自由で最後まで立って生きる高齢者の方々の大いなる冒険におけるパイオニアなのです。

ロゼット・マレスコッティ

イヴ・ジネスト

Le Lien de l’Humanitude より

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