ユマニチュードを使っても自分の内面が伴わないと上手くケアできないのでは

「家族介護について語り合う会」より

会員限定コミュニティ「雨宿りの木」にて、1月よりスタートした「家族介護について語り合う会」。この会にて参加者の皆さまから寄せられたご相談やお困りのことに、ジネスト先生、本田美和子代表理事が回答した解決策やアドバイスを皆さまと共有いたします。それぞれの現場やご家庭でのケア、ユマニチュードの実践にご活用ください。

※参加者の皆さまのプライバシーに配慮し、実際の内容を一部変えている部分があります。

Q.ユマニチュードを使っても自分の内面が伴わないと上手くケアできないのでは。

看護師として、ケアというのは自分の内側から出るものが相手に伝わってしまうと思っています。例えユマニチュードを使っても、内面が伴わないと上手く行かない気がするのですがいかがでしょうか。

A.わたしたちは「ケアを分かち合う人・ケアシェアラー」であると考えてみて下さい

ケアをする人にも人生がありますから、例えば離婚をしたり、家族が亡くなったり、すごく辛いことがあったりということがあります。そうした良くない状況であると、届けるケアも良くないという可能性はあります。でも、それだからこそ、技術が必要なのです。

ユマニチュードはコミュニケーションの技術です。個人的に悲惨な状況でケアをしに行く時でも、重要なのは、映画の中のヒロインやヒーローのように、ケアの現場で素晴らしい関係を作るプロフェッショナルを演じること、職業人の技術としてにっこりと笑うことです。

この技術で届けたケアによって、相手はきっと笑顔を返してくれます。私たちは一方的にケアを与える人「ケアギバー」であるだけでなく、相手から戻って来るものが確実にあります。相手から笑顔が戻って来ることで、逆に私たちがケアを受ける人にもなるのです。

カナダでの話ですが、両親が亡くなり、離婚をして最悪の状況で仕事をしていた人が「私は、私がケアした相手からたくさんの愛情を貰っているので、この仕事場ではとても幸せだ」と話していました。

わたしは、ケアの場では、ケアを一方的に与える人、一方的に受け取る人の役割を分担しているのではなく、ケアを共に分かち合う存在「ケアシェアラー」であると考えています。共に過ごす時間を分かち合い、良い時間を過ごすことで、ケアは素晴らしいもの、嬉しいものとなります。一方的にケアを与え続けていれば、だれもが疲弊し、嫌になってしまいます。そうではなく、共に分かち合うことができれば、燃え尽きてしまうことを避けることができます。ユマニチュードを導入した施設では職員の燃え尽きや離職が少なくなることを数多く経験していますが、その理由は「ケアの分かち合い」にあると考えています。

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