「科学的介護の実現に向けて、現在の進捗とこれからの活動」開催レポート(後編)

会員コミュニティ「雨宿りの木」にて、8月に行われたオンライン勉強会「科学的介護の実現に向けて、現在の進捗とこれからの活動」の模様の後編です。当学会の理事でもある京都大学大学院情報学研究科の中澤篤志准教授と本田美和子代表理事との対談は、ユマニチュードで大切なノックの意義からその歴史的な考察まで広がり、参加者の皆さまからも多くのメッセージ、質問が寄せられました。

中澤 篤志(なかざわ あつし)氏

日本ユマニチュード学会理事
京都大学大学院情報学研究科知能情報学専攻 准教授

大阪大学講師を経て2013年から現職。医療者やロボット研究者、心理学者らとチームを組み、ユマニチュードを通じて優しいケアの技術を解明する研究プロジェクトを牽引している。

(前編から続く)

中澤篤志・京都大学大学院情報学研究科准教授(以下、中澤先生)   先ほど本田先生ともお話していたんですけれど、今、私が個人的に興味があることをお話しすると、ユマニチュードはもう少し介護を受ける方、人がどういう風にものを捉えているかっていうところから考える必要があるのではないかと思います。

もちろんユマニチュードは技術ではあるんですけど、よく「じゃあ真似をすればいいんですか」って言われることもあって。でも真似だけでは駄目で、ご紹介した研究のようにキャッチボールができなければいけないというのがあります。これは人間はどう考えているのかを理解しないといけないと思っているんです。

「自由エネルギー原理」という心理学で最近注目されている理論がありまして、日本でも色々本が出ています。分かりやすいのは、乾敏郎先生(京都大学名誉教授)が書かれている『脳の大統一理論』という本がありますが、人間は「予測」しながら人の「信念」を更新して行動しているんじゃないかということなんです。

「信念」と言っても、「俺は今日は絶対にカツ丼食べる」とかいうことではなくてですね(笑)、世界をどう捉えているかということです。例えば、僕は今、どういう状況にいますか?  今、僕は講演をしています。講演をしているといきなり変なことを言ってはいけないし、いきなりビール飲み始めてはいけない。そういう「信念」みたいなものがあって、(それに応じた)行動があるわけですよね。

例えばここで「講演が終わりました」という「感覚信号」が入ります。そうすると「打ち上げだ。もうビールを飲んでいい」と「予測」して、行動するっていうことがあります。

人間はこうした「信念」、今の状況をどう捉えているかとか、自分にとって良い環境かとか、目の前にいる人は敵なんだろうか味方なんだろうかという「信念」があって、それをもとに色々「予測」をしています。

例えば、今、僕の前にいる人は敵なので、戦わなくちゃいけない。戦わないといけないと思って身構えたんだけど、向こうの人が笑ってくれた。そうすると「敵だ」という「予測」を変えて「信念」も変える、という風にできているんじゃないかというのが(「脳の大統一理論」で)言われていることです。

人間の脳の中では、僕らは外の環境、例えば前にいる人が敵か味方か真実は分からないですよね。だから、推定するしかないんです。でも外の環境の真実、敵か味方かはあるんです。僕らは外を見て推定するんですけど、得られた情報をもとに、例えば「前の人が笑った」ということが、今の「信念」と同じかどうか比較して「信念」を更新しているんです。

前の人が敵だったらナイフを出してくるかもしれないですよね。「この人は敵だ」と思っていたなら「信念」と合致するからこのままでいいんですけど、「味方だ」と思っていて、相手がナイフを出してきたら戦わなければならないから、(その「誤差」に応じて)「敵だ」という風に「信念」を更新しないといけない。そういうことだと捉えてもらえればよいと思います。

じゃあ、この理論をユマニチュードで考えてみましょう。ユマニチュードでは、いきなり介護される人の前に現れない、ノックしますよね。これを逆の(介護される人の)立場から考えましょう。いきなり人が現れました、アイコンタクトもせずに来ました。いきなり「今から検温です」と言われます。目を合わせてくれません。

そうすると、まず介護される人は、いきなり人が現れるので予測はゼロです。いきなり人が現れるので、予測なく大きい感覚信号が入ってきて、とっても大きい誤差が出ます。これはいわゆる「驚き」の状態なんですけど、予測せず人が現れて、予測誤差が大きくて誰か分からないと、当然、人間は防衛しますので「怖い」という状況になってきます。

ユマニチュードでノックするというのは、そこを緩和する役割があると思います。ノックして人が現れると、まず予測ができます。人が来るんだろうなという予測ができる。それで人が現れます。ユマニチュードだと会ったらすぐにアイコンタクトで話しかけますので、「敵ではない」となり、外環境が良い状態であるという認識が脳の中で形成されるのではないかなと思っています。

良い状態を作ろうと思うと、これにプラスして言葉と接触とポジティブな感覚信号っていうのを与えてあげる。そういう意味で推定した外環境の状況もポジティブにしないといけない。という風な流れができるのではないかなと今思っています。

健常な人と認知症の人で何が違うのかというと、この辺りは僕の単なる推測なんですけど、二つ理由があるんじゃないかと思います。

まず一つは今言ったように、得られた信号から「信念」を更新していきますが、正しい「信念」というのが更新できないんじゃないかなと思います。どうしてかというと、感覚信号自体が誤っている。例えば耳が聞こえづらい、目が見えづらいとなると、入力する感覚信号自体が得られないから間違っていることにつながります。

当然、脳の認知能力も下がってしまうので、これは特にアルツハイマーの人にいわれますが、顔の同定ができませんから、誰か分からない。目の前の方が自分の子供なのか、全然知らない誰かなのか分からないですから、そうすると予測を更新したときに、誤って「この人は別の人だ」「私は戦わないといけない」という風になってしまうわけです。当然、相手が言っている内容が分からないということも出てくると思います。

この「信念」の更新自体ができない場合も当然出てくるだろうと思います。やはり視覚記憶が非常に早く失われてしまうので、直前の感覚信号が分からない。忘却してしまうというのもあるのではないかと思います。

もう一つは、この「信念」自体が更新されない。つまり、頭の中の状態が、新しい感覚があってもずっと更新されずに、最初に思ったことをずっと信じている。よく頑固な方っていらっしゃると思うんですけど、それは「信念」が更新されないということですよね。日常的にも年を取ると頑固になるっていうのは、信念の更新のアルゴリズム、仕組みが少し変わってきてるんじゃないかなと思います。

こういう意味において、ユマニチュードが何をやっているかというと、例えばノックで、良い予測を上手く与えてあげて、なるべくこの予測との誤差を小さくしている。予測していて、入ってきた感覚と合致していたら、そのままスッと(脳の中のシステムが)回るので脳の中の活性化が生まれるんじゃないかなというのが一つです。

もう一つは、先ほど言ったタッチなどを組み合わせて、ポジティブな感覚をどんどん入れていってあげるので、この予期の流れをポジティブにいくように回す、ということをやっているということですね。

ノックが届けるもの

中澤先生  ここで忘れてはいけないのが、ユマニチュードでケアをする前の状態というのがとても重要だと思っています。「u0」と書いているのは、コンピューター的にいうと初期状態といいますが、初期状態がとても重要で、いわゆる機嫌が良いとか悪いかっていう状況は、「u0」が良いか悪いかなんですよね。

先ほど本田先生とお話していたんですけど、ユマニチュードでノックをする前に環境を良くしておくと、例えばおいしいラーメンの匂いがするとか、今日は爽やかでいい日だというのがあると、ケアを受ける方の機嫌が良くなるんじゃないかな、と。

ケアをする前から良い状態になっているので、上手く回る。そういう解釈ができるんじゃないかと思っているところですが、皆さんはいかがでしょうか? 最後の方は思い付きなんですけど、僕はある程度説明できるんじゃないかなと思っています。

本田美和子・代表理事(以下、本田) ありがとうございます。「そうだよな」と納得がいく、理屈に合うと言いますか、これまで積み重ねられてきた経験がこのように説明できるということが、とても嬉しいです。特になぜノックが必要かということに関してはとても明快な説明になっていると思います。

中澤先生  同じようなことはこの理論の前から、大体そうじゃないかなと思っていたんですけど、ただノック自体は良い意味、悪い意味があるので、そこでどういう風に良くするかっていうところに、(ケアする側の)スキルの違いがあるんでしょうね。

本田 そうですね。ノックの速度も割と重要で、トイレに入っていて「出て下さい」と言われるノックは、早くトントントントントンっていう感じですよね。音だけではなく速度というのはとても重要で、穏やかなメッセージを届けるには、ノックの速度はゆっくりな方がいいですね。

時々「トントンって口で言っちゃダメですか?」って聞かれるんですけれど、物を叩いた時の方が声よりも音の振幅が大きいそうで、より耳に届きやすくなることから、声よりも近くにあるものを叩いた方が良いそうです。扉だけでなく、たとえば紙コップの底を指ではじくと、とてもいい感じの音が出ます。

中澤先生  そう考えると、日本人ってノックの習慣がないのですが、ユマニチュードのフレームだと日本でやっても意味があるわけですよね。日本人はそういう意味で、プライバシーのないひどい状況に置かれてたんだなって思うんです。いきなりガラッと扉を開けて「頼もう」っていうわけですから(笑)。

本田 そうですね。歴史的に。

中澤先生  なかなかすごいなと思っていて、予期しないのにいきなり来て、解釈しなきゃいけないっていうのはすごい話ですね。

本田 その一方で、歩いて廊下がきしむ音で、みんな「来た!」って思っていたので、前触れの音っていうもの自体は歴史的にあったんじゃないかと思います。

中澤先生  なるほど。もともと家の作り的に音が聞こえるので、そういう意味では予期していたんでしょうね。

本田 面白いなと思います。日本人としてというよりも前に、洞窟に住んでいても、何か音がしたら敵や動物がやってきたと反応していたと思いますので、文化的なところの一つ前の、私たちが原初から持っている本能的に訴えているのかもしれないなとも思いました。

中澤先生  あるかもしれないですよね。ここではあげていませんが、人間には「注意」というメカニズムがあって、予測をするっていうのは「注意」に対してどういう風に脳のリソース、脳の資源を配分するのかという意味があります。人は常に気を張って、目も耳も舌も皮膚も全部集中するわけにはいかないので、どれかに資源配分します。

予測をしておくと、あるものに注意がいって、そのものに対してすごく精度のいい推定ができるというのが、この中(「脳の大統一理論」)で言われている理論でもあって、そういう意味でノックで注意配分をしておいてあげると、人がいきなり現れても全然気づかないような人でも、人が来たのが分かるとか、そういう役割になっている可能性もあると思います。

本田 それはきっとありますね。覚醒水準を上げるといいますか。よく例えで出ているのは、日曜日に寝ていて宅急便が来たときに、最初のピンポンでは分からないけど、2回目のピンポンでハッと思うというような、徐々に覚醒水準が上がっていくみたいなところで、ノックを扉でする、反応がなかった時はベッドボードを叩く、それでも反応がなかったときにはベッド柵があればベッドの近くをもう1回叩くというところも、波状効果を狙うメッセージの出し方、情報の出し方によるというところでしょうかね。

中澤先生  そうですね。僕は、ユマニチュードでノックで反応がなかったら行ってもいいっていうのは面白くて、それは暗黙的に(注意を)与えているから、予測はできているでしょうという解釈なんでしょうか?

本田 そうですね。必ずしも「はい、どうぞ」って言われることがOKのサインではなくて、っていう感じですね。

中澤先生  そういう意味でノックってどういうことかというと、ノックがあっても、(予測とその誤差の)更新までいってないのかなと思うんですね。外に人がいるとは確信的に思われていない。でもノックがあるから「注意しよう」とは思っているんだと思うんですよね。

予測はできてるけど、人が来ているというところまでは確定的になっていない。でも「注意」はあって、そこに人が現れて確定的になって、人が来たんだと分かる。そういう風な形なのかなと、今お話ししていて気付いたところです。

本田 そうですね。その時にもっと近づいて触れたり、相手が目を開ければアイコンタクトが取れて、自分がちゃんと認識してもらえる方向を、つまり右から近づくのか左から近づくのかを、選びます。自分は情報の塊として存在していて、自分が出す情報が相手に上手く届くような行動の選択が必要だという、ユマニチュードの基本で教えていることが、こういう形でも説明できるという感じでしょうか。

中澤先生の例えはとても分かりやすくて、私たちが出している情報が相手にどうやって届くのか、その前に相手はどういうことを予測している状態なのかを考えることが大切で、私たちが出しているメッセージに常に調和がとれていることが必要な理由もそれで説明できるのではないかと思います。

「皆で共にエビデンスを作りたい」

本田 では、参加されている皆さまからの質問やメッセージをご紹介します。「今後の科学的介護の実現のためには情報の共有は必須ですが、どのような形で情報公開をしているのか知りたいです」。中澤先生、いかがでしょうか。

中澤先生  情報の共有は結構重要だと思っていますね。まず我々がやらなきゃいけないのは、科学的エビデンスを作るというところで、学会とかで発表させていただいています。それから、今のところは僕や本田先生が知っている方にお願いして研究や実験をしているんですけど、今日のアンケートでもいいですけど、協力や一緒にやりたいということがあれば、ぜひ皆さんと一緒にやっていきたいと思っています。

科学的エビデンスについてはユマニチュード学会のサイトでもまとめて下さっていますので、そこをご覧になっても新しい情報はあると思いますし、色々なところで我々の資料も出ています。去年の学術会議の講演資料は私と本田先生のものは出ているので、そこをご覧になっていただくのもよいですし、検索すると出てくるものはあると思います。

本田 次は、こうした取り組みを「自治体でやるにはどうすればいいか」というお尋ねです。まずは、自治体が「やるぞ」と決めてくださらないことには介入のしようもないです。全く予算がない状況で私どもが手弁当で参加するのもなかなか難しいので。

ですから、まずは自治体の議会で取り上げていただくのはどうでしょうか。議員さんが時々私のところにお見えになることもあります。そのようなルートの開拓をしていただいたり、あとは社会福祉協議会で取り上げていただくですとか、既存の仕組みに取り入れるのがまずは良いのではないかと思います。

中澤先生  チャットでいくつか質問をいただいています。「アイトラッキングの最終目的はどんなものでしょうか」。これはアイコンタクトの検出、相手を本当に見ているのかっていうところをちゃんと評価したいということですよね。

例えばあるケアのセッションがあったときに、エキスパートの人とそうでない人ではアイコンタクトにどれぐらいの違いがあるのかということが第一義的なんですけれど、ちょっと面白いこともありました。ジネスト先生のアイトラッキングをすると、彼は相手の両目を代わる代わる見るっていう面白いパターンがあって、測ってみると新しいことが分かってくるということもありました。

本田 ご本人は全然意識されていなかったので、「ええー!」って驚いていらっしゃいましたね。

中澤先生  そうなんですよね。

本田 あとは予測と発達について「子供の遊びと共通するところがある」というメッセージです。本当にそうですね。

中澤先生  予測と発達っていうのは、特に子供の発達は面白いところがあって、例えば物をパッと落としたときに、下まで予測して見られるかっていうのは、ある年齢になるまでできないんです。子供を見ていると、予測できないから事故にあったり、逆のケースもあるんですけど、予測は発達と大きい関係があるので、そういう遊びが予測を育んでいたのかもしれないと思いますね。

本田 次は「医師からユマニチュードはおまじないでしょと言われる」と。私も最初に誰か別の人から聞いたら「そうなんだ、面白いね」と言うかもしれないです。自分の仕事にこんなに役立つと実感するためには、実際に経験することが必要かもしれません。

来年以降、臨床医の先生方にまとまってお話をする機会を何回かいただけそうですので、そういったところでもご紹介したいと思います。あとは、ジネスト先生が医学部の先生や看護学部の学生さんに講義したもののご紹介もできたらなと思っていますし、東京医療センターでは医師向けの教育介入研究が進んでいます。旭川医科大学、群馬大学、奈良県立医科大学、岡山大学、長崎大学でそれぞれ医学部の正規の授業として行われています。これは各大学の先生が「おまじないではない」とお考えだからこそ継続してるんじゃないかと思います。

「ノックの前に良い関係を作っておく、それが5つのステップなのかなと思いました」というメッセージです。そうですね。ノックが「ああ誰か来たんだ、嬉しい」となるといいですよね。

中澤先生  やっぱりそうだと思います。あとは、昨日もちょっと冗談で言ったんですけど、部屋がちょっとピンク色になるとか、ケアの前に。でもそれで心が弾むと違うかもしれないなと本当に思っていますけど。

本田 常に誰か来るときには自分にとって何か素敵なことがあるというものが、ずっとあればいいっていうことですよね。

中澤先生  ノック以外にも色々ありえるなと思いますけどね。

本田 そこで行わるケアが辛いものであれば、ノックがあれば拷問が始まるとご本人が捉えてしまう可能性もあるわけで、私たちのケアが上手くいった状態の中でのノックの重要性、どっちが先かということですよね。

お時間になりました。今日は皆さま、本当にたくさんの方にご参加いただき、ありがとうございます。お話をきっと楽しんでいただけたのではないかと思います。皆さまとご一緒できたことを大変うれしく思います。中澤先生、本当にありがとうございました。

中澤先生  ありがとうございます。

本田 これからもどうぞよろしくお願い致します。

(構成・木村環)

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