福祉の現場を支援する弁護士の取り組みを紹介します。

介護のケアにとどまらず、福祉の分野でもユマニチュードの考え方や技術を活かすことはできるのでしょうか。「セルフネグレクト」に取り組む福祉職を支援する弁護士、篠木潔さんの試みを紹介します。(聞き手・松本あかね)

篠木潔さん(福岡県在住)

弁護士法人翼・篠木法律事務所の代表弁護士(福岡県弁護士会所属)として、主に企業法務や医療・福祉関連業務に従事し、福岡県介護保険審査会長、福岡県社会福祉士会理事なども経験。法律事務所内に社会福祉士を雇用して共同で成年後見業務にあたるなど、法律とソーシャルワークの連携を実践しています。

(前編より続く)

独学からのスタート

-改めて篠木さんが、ユマニチュードを知ったきっかけを教えてください。

篠木潔さん 10年くらい前、NHKのテレビ番組でユマニチュードが特集されていたのを見たことが最初のきっかけです。ものすごく驚きました。ケアをあんなに拒んでいた人、歩けなかった人が、イヴ・ジネスト先生の手にかかるとあっという間に改善していくなんて。これって、私たち弁護士が依頼者を支援するときにも、使えるのではないかと興味を持ちました。

—依頼者ともっと繋がる方法はないかという問題意識を当時すでにお持ちだったのでしょうか。

はい。私は今年で弁護士26年目なのですが、私たちの世代の弁護士は、法学部を卒業して、あとは司法試験を勉強しただけなので、え的にコミュニケーションというものを学んだことがないんですよ。しかも、依頼者に対しては、まずは法律の知識を介して話を進めていくので、日常会話と違って内容が難しくならざるを得ないのです。

このため私もよく叱られていました。「先生の話は理屈っぽくてわかりにくい」、「先生は早口だからわからない」(笑)。でもイヴ・ジネスト先生の話をテレビでお聞きして、論理や知識だけでなく、ユマニチュードを使ってあんなふうに変われるんだったら、僕もやってみたいと思ったのがきっかけでした。そして、現場の医療福祉関係の方もコミュニケーションというものを学んではどうかと思った次第です。

—その後はどのようにユマニチュードを学ばれたのですか?

2014年2月に上智大学で開催されたイヴ・ジネスト先生と本田先生の講演会を聴講し、その会場で販売されていたDVDで学びました。当時、福岡では研修は全く開催されていなかったので、本を買って読み込みました。実際に、先ほどお話ししました消費者被害に遭っても支援を拒否される認知症高齢者の事案をはじめ、私が成年後見人になっている認知症高齢者の方々とのコミュニケーションもうまくいくようになりました。

2023年には福岡市主催のユマニチュード家族介護者向け講座を受け、叔母の介護を手伝っていたときに試してみたら、認知症で見当識障害が出ていて私のことを全く忘れてしまっていた叔母が、途中で「あんた、潔くんね」と思い出してくれたという劇的な体験もしました。

—セルフネグレクトの支援に関する相談を受ける以前から、ユマニチュードを独学し、実践するという経験を積まれていたのですね。

はい。あくまでテレビやDVDや本で学んだ範囲でしかなかったのですが、試すとうまくいくので、うれしくなって実践しました。また、私はコロナ禍前には定期的にケアマネージャーを対象に無償の勉強会を開いていたのですが、そこでDVDを見たり、私が本を読んで学んだユマニチュードの情報を伝えたりし、皆で研究しました。一度伝えると、皆さんが感動して、患者や利用者さんのために自分で走り出すのです。なので、医療福祉職は本当に素晴らしい専門職だなあと思いました。


「ケアマネゼミ・チーム篠木」の勉強会風景。約20名の小さな勉強会ですが、介護におけるさまざまな問題や法的課題について皆で勉強し、講演会なども実施しました。

—私たちは、支援に対して拒否が強ければ強いほど、相手側に問題があると思ってしまいがちです。こちら側にも伝え方に問題があるかもしれないと気づくのはなかなか難しい。法律家である篠木さんにとって、ユマニチュードを具体的なスキルとして知ったことが、実践の原動力になったのでしょうか。

そうですね。ご自身の生命や健康や財産を守るために必要不可欠である場合は、つい「病院に行ってください」「これをしないともっとひどくなりますよ」と言いたくなりますが、簡単に言ってはいけないのかもしれません。「正しいことは人を傷つける」ことがありますからね。

こちら側がまずはステップを踏んで、相手が少し心開いて話をしてくれるようになったら、こちらの意図と相手の気持ちがもつれているところを探し出して、ゆっくりほぐしていくことができます。そういう人間関係を築く一つのスキルとして、ユマニチュードは役立つということだと思います。“正しいこと”、すなわち、ご本人に今必要なことは、ユマニチュードのステップを踏んだ後に言うと、うまくいくことが多く、ユマニチュードと出合うことができて本当によかったと思っています。

法律家とユマニチュード

—支援者からすると、法的責任の問題もあったと思いますが、本人の意思の尊重との兼ね合いでも悩んだ部分があったのではないかと思います。医療者の立場では、命に関わる場合は踏み込まなければいけないという考え方もあると聞きました。

そうです。医療者の使命が患者の命や健康を守ることにあるので当然ですよね。ところが一方で法律家である弁護士の中には、判断能力の落ちていない本人が、もういいと言うのなら、そこまでしなくていい、むしろ本人の意思を尊重すべきだという考えの人も多いのです。むしろ意思に反して支援を行うことは自己決定権の侵害、すなわち人権侵害になるのではないかと危惧する意見もあります。

このように、医療者と法律家で感覚が違うと、支援の現場で意見が対立して支援が進まないという事態になりかねません。でも、よく考えてみると、結局のところ、セルフネグレクトのご本人が「いいよ」と支援を受け入れてくれればいいわけです。対立もなく支援も進んでご本人の生命をはじめとする権利を擁護することもでき、これが理想的な解決です。

そこで、その合意に至るために、支援者と相手の橋渡しをしてくれるのがユマニチュードをはじめとする具体的な「スキル」だと思います。スキルさえ身につけておけば、本人の嫌がる気持ちをほぐすことができるわけで、嫌がっているのに支援を強いることがなくなります。そしてご本人の命や健康や財産を守ることもできます。ということは、「スキル」というものが、権利や人権を守る有効かつ大きな手段だと言えると思います。言い換えると、「権利擁護のスキルとしての価値」ということができます。

私たち弁護士は抽象論ではなく、具体的な支援方法をアドバイスできなければ、権利擁護という弁護士本来の役割を果たすことができません。しかし、ユマニチュードはその具体的な方法を私たち法律家にも教えてくれているので、可能性は大きいです。

ユマニチュードは基本的には介護ケアのスキルとして構成されているけれど、その哲学や体系から考えると、介護ケアのスキルを超えて、権利擁護としての役割はもちろん、社会全般にもっと広い役割と機能が期待できるのではないかという点に着目しています。

—本人の人権を考えた場合、健康、命を守ることももちろんだけれど、自己決定の尊重という視点を失わないことも同じように大切で、そのための具体的なスキルを含めたアドバイスが必要とお考えなのですね。

はい、そのとおりです。イヴ・ジネスト先生も、患者さんが拒否することを認められていますね。無理矢理にはしないというのがユマニチュードの思想ですから。

私たち法律家は「拒否する権利」というように、つい「権利」という言葉を使ってしまいますが、先生ならおそらく「拒否することはあたりまえの人間性」とおっしゃるかもしれません。本人を同じ人間として尊重するという立場でいらっしゃると思います。そしてそれをほったらかしにするのではなく、次にどうするかという使命感がユマニチュードを作り上げていったのではないでしょうか。

—自立して最後まで人間らしく生きるという思想ですね。

はい。ユマニチュードの技術『4つの柱』のうち『立つ』は、ケアの側面としては物理的に立つことが念頭に置かれていますが、実は精神的に「自立」するということでもあるのかなと思っています。ゴミ屋敷に住んで支援を拒否する、そのことが果たして自立になっているのかどうか。実はそれが嫌なのに、片付ける方法を知らないだけかもしれない。支援を求める力を失ってしまっている方もいらっしゃると思います。それって決して自立しているとはいえませんよね。

「自立ってなんぞや」という話になるかもしれませんが、おそらく人間性とは何かといえば、人と話し合ったり、人の助けを求めたりすることができるということも、そうなのではないでしょうか。そうやって人間社会はできていますから。

—本人の意思を尊重しながら、どうしたら人間らしい生活を営めるようになるか。どうしたら拒否という形ではなく、適切な自己決定をしてもらえるか。それにいたるまでのサポートをすることで、法的な懸念もなくなるし、最終的にその人の権利擁護も叶うということでしょうか。

はい。世の中には、例えば、今までは治療や介護を受け入れていたけれど、途中で拒否する人もたくさんいらっしゃるわけです。必要な治療や介護の一部を拒否される方も少なくありません。それをそもそも全部嫌という人たちがセルフネグレクト事案の中には多く存在し、その方たちは困難事案の最たる当事者とも言えます。だから、セルフネグレクトの支援ができる人は、ある意味ほとんどの事案の支援ができるはずです。そのくらい究極の事例だと思います。

ある自治体では、支援が進まない困難事例として挙げられている事例の約52%が支援拒否だったことが判明し、その支援のためのガイドライン作りに乗り出した例もあります。やりがいがあるといったら少し語弊があるかもしれませんが、取り組む大きな価値があることだと思います。

私自身は弁護士ゆえ、クライアントから依頼があって初めて仕事をすることになるので、最前線でセルフネグレクト事案に遭遇する専門職ではありません。しかし、ユマニチュードの存在やスキルを伝えることで、支援者の方への支援、つまり後方支援ができるのではないかと考えています。そして、先ほど保佐申立を拒んでおられた女性の例から分かるように、弁護士も、個々の事案の解決のため、権利擁護の手段となり得るユマニチュードを学ぶことはとても有益だと思うのです。

“支援者への支援”を目指して

—今後は、研修会やシンポジウムを開催される予定とお聞きしています。

今年(2024年)2月に、私が所属する福岡県弁護士会と、九州の各弁護士会で構成する九州弁護士会連合会との共催で、シンポジウム「セルフネグレクト~支援を拒否する人への支援を考える」を開催しました。そこでは、保健師としてのご経験を持つセルフネグレクト研究の第一人者の先生の基調講演や各専門職の方とのパネルディスカッション、そして福岡市の地域包括支援センターと障害者基幹相談支援センターの協力を得て実施した「繋がるヒントを見つけるためのアンケート」調査の報告を行いました。

この報告はセルフネグレクト事案の多くの成功事例を集め、それらの事例を要約するとともに、そこから抽出できた「支援に繋がるアプローチ方法(スキルやヒントや心構え)」や「現場の悩み」を報告するものでした。すると、そのシンポジウムの事後アンケートでは、支援のための具体的な方法やスキルをもっと知りたいという要望が一番多かったのです。

そこで私の発案で、弁護士によるセルフネグレクト支援の後方支援の第2弾として、今年11月に福岡県弁護士会主催で、セルフネグレクト支援のアプローチ法やスキルを中心とした研修を実施します。準備が間に合えば、ユマニチュードがセルフネグレクトの方々とのコミュニケーションに役立つということもお伝えしたいと思っています。

現時点ではまだセルフネグレクトの現場でユマニチュードの具体的な応用方法ができ上がっているわけではありませんが、イヴ・ジネスト先生のおっしゃる「自立を促す技法」とそれを生み出した哲学体系は、必ず応用ができるものと確信しています。

そして、権利擁護のスキルとして、ユマニチュードを知ってもらうことによって、医療福祉関係者や介護の必要な市民だけでなく、自治体や企業、そして社会全体にユマニチュードを広めたいです。わが国では家族などの養護者による高齢者虐待が年間約17,000件程度発生しているのですが、その原因の第2位は「虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」です。しかし、介護をする家族の方々にユマニチュードを普及させることに成功すれば、介護者による虐待が減少することが考えられます。これもユマニチュードの権利擁護としての側面です。

今後ユマニチュードからどんな展開が飛び出すのか、世の中の「支援の必要な方々」と「それを支援する方々」に対して、きっとすごいことができるんじゃないかと期待しています。そして、私自身は、「ユマニチュードの権利擁護としての側面とその価値」を多くの方々に伝えていきたいです。

後日談

本インタビューの後、篠木さんとイヴ・ジネスト先生が直接お会いする機会がありました。

篠木潔さん ユマニチュードをセルフネグレクト支援に活用することについて、zoomミーティングで本田美和子先生にご相談した際、私はジネスト先生のお考えと異なってはいけないと思い、その点について本田先生にお尋ねしました。すると、私の考えをジネスト先生に直接お話しされてみませんかと言われ、その場を設けてくださいました。

そしてなんと、私の地元福岡の鉄板焼屋さんで、3人で会食することになったのです。さすがの強心臓の私も、本田先生と直接お会いするのは初めてですし、ジネスト先生ご本人とのお食事会ですので、数日前から非常に緊張しました。ところが、お会いしてみると、ジネスト先生の包み込むようなコミュニケーションのお蔭であっという間に緊張がほぐれ、様々なお話をすることができました。

ユマニチュードをセルフネグレクト支援に活用することやユマニチュードの権利擁護としての側面にも大賛成してくださいました。お話をお聞きすると、ユマニチュードは人間の尊厳を基本とし、もともと人権をも念頭に置いたものだということでした。そして技法だけではなくユマニチュード哲学も重要だとおっしゃり、いろいろと教えてくださいました。

私はスキルとしてのユマニチュードに着目しすぎて、本当の意味でのユマニチュードをしっかり理解していなかったことを恥じました。そして、まだ知らない150の技法や哲学も含めて、ユマニチュードを改めて本格的に学びたいと思いました。そこで、酔いの勢いで弁護士向けのユマニチュード研修をしていただくようお願いし、本田先生に実施していただくことになりました。これは日本で初めての弁護士に対するユマニチュード研修となります。

余談ですが、ジネスト先生は日本酒の辛口がお好きとのことで、大変驚きました。そして最後には、私が持参していた先生のご著書にサインまでいただきまして(笑)、私はユマニチュードを多くの人に伝える決意を新たにした次第です。


左から本田美和子先生、イヴ・ジネスト先生、篠木潔さん。福岡の鉄板焼屋さんにて。

おわり

福祉の現場を支援する弁護士の取り組みを紹介します。

介護のケアにとどまらず、福祉の分野でもユマニチュードの考え方や技術を活かすことはできるのでしょうか。「セルフネグレクト」に取り組む福祉職を支援する弁護士、篠木潔さんの試みを紹介します。(聞き手・松本あかね)

篠木潔さん(福岡県在住)

弁護士法人翼・篠木法律事務所の代表弁護士(福岡県弁護士会所属)として、主に企業法務や医療・福祉関連業務に従事し、福岡県介護保険審査会長、福岡県社会福祉士会理事なども経験。法律事務所内に社会福祉士を雇用して共同で成年後見業務にあたるなど、法律とソーシャルワークの連携を実践しています。

支援を拒否する人たち

-弁護士として「セルフネグレクト」に関わる医療・福祉職の方をサポートする研修会、シンポジウムの開催に取り組まれていると聞いています。まず「セルフネグレクト」とは何かを教えてください。

篠木潔さん 「セルフネグレクト」は一般的には次のように定義されています。

「人が人として、生活において当然行うべき行為を行わない、あるいは行う能力がないことから、自己の心身の安全や健康が脅かされている状態に陥ること」

より専門的な定義として「健康、生命および社会生活の維持に必要な、個人衛生、住環境の衛生もしくは整備又は健康行動を放任、放棄していること。そしてそれには、サービスの拒否、財産管理の問題、社会からの孤立などの付随概念を含む」という内容が提唱されたりもしています。

身近な例でいえば、いわゆる「ゴミ屋敷」がそうですが、それにとどまりません。近所の人が通報して初めてわかることも多いのですが、訪問すると、夏なのにクーラーもない中で寝込んでいることがわかったりする。極端に物を溜め込んだ不衛生な環境で、本人の栄養状態も極めて悪い、持病があるのに治療しない、介護サービスを導入しないと在宅生活が困難なのに頑なに拒むといった事例が見られます。

—篠木さんご自身が「セルフネグレクト」の問題を知ったきっかけは?

弁護士として、医療・福祉関係者から、支援を拒否する人に対し、強く介入しなかった場合に法的責任を問われる可能性があるか」という相談や、逆に「本人が拒否している関係で、どこまで介入してよいのか? 介入しすぎると法的責任と問われる可能性があるか」という相談を受けることが度々ありました。

また知り合いのケアマネージャーさんから、支援を受け入れないまま、2、3年経過するという事案もあると聞いて驚きまして。実際に孤独死も起きていて、これは大きな問題ではないかと勉強したところ、「セルフネグレクト」という大きな問題(テーマ・課題)があることがわかった。それが、5、6年前のことです。

—「セルフネグレクト」は直訳では「自分の世話を怠る」となりますね。なぜ、そのような状況に陥ってしまうのでしょうか。

セルフネグレクトに陥るリスク要因にはいろいろあります。例えば認知症によって判断能力が落ちて、身の回りのことができなくなる場合があります。また、判断力はしっかりしているけれど、配偶者や近しい家族が亡くなる、リストラといったライフイベントによって生きる意欲が失われてしまう、その結果、自分の世話をしなくなるといった要因もあります。

さらにプライドや遠慮、気兼ね。これは日本人に多いそうです。プライドの高い人は人の世話になりたくない、遠慮や気兼ねをする人は人のお世話になるのは申し訳ないと思ってしまい、生活や医療の支援を拒否した結果、家屋の衛生状態、本人の健康状態が著しく損なわれてしまうのです。

引きこもりの長期化も要因として挙げられます。人間関係の構築ができず、受け入れを拒否してしまうのですね。人間関係のトラブルで、人間が怖くなっている場合や、虐待のトラウマで生きる意欲が失われ、SOSを出せないということもあるそうです。そのほかには経済的な問題。支援の費用が出せないから拒否するというケースもあります。

—さまざまな理由や背景があるのですね。

そうなのです。そのような方に対して支援を進めるためには、本人の協力や同意、承諾が必要ですが、それを拒否されてしまい、支援そのものが進まないというのが現状です。ひどい場合は、そもそも自治体の職員や医療・介護関係者等の支援者に会ってもくれないという例もあり、支援に繋がるまでに数年もかかる事例が少なくないようです。

しかし、こうした「支援の拒否」を弁護士から見た場合、ご本人は「自己決定権を行使されている」ともいえるわけです。分野は違いますが、「尊厳死」は延命を拒否してするものですが、今はこれを尊重しようという流れもありますし、海外では安楽死さえ認められている国もあります。つまり、積極的に死ぬことを許容されている国もある中で、セルフネグレクトの場合は、その手前の事柄で自己決定権を行使されているのですから、なおさらその意思決定を尊重すべきと言えなくもありません。

しかし、行政自体も支援者も、本人の生命や健康等に悪影響が出ているのだから、本人を守るという権利擁護の観点から、あるいは支援者たちの職業倫理の観点から、それを放っておくことはできないと悩まれる方が多いのです。一方、放っておくと自分たちに責任が及んでくるのではないかと恐れている方も少なくない。そのような現場の支援者のジレンマに対して、私たち弁護士が、ある程度の方向性をアドバイスする必要があったわけなのです。

ユマニチュードのスキルを使ってみたら

—現場の支援者が、本人の意思を尊重する気持ちと命や健康を守らなければ、という使命の板挟みになっている状況が伝わってきます。それに対して、ユマニチュードのスキルはどのように役立つのでしょうか。

私が実際に関わったケースをご紹介しましょう。

認知症の症状のある高齢女性ですが、消費者詐欺に遭ってしまったり、契約の意味を正しく理解できないばかりか、預貯金の管理さえもできなくなったりされていました。認知症が進んで判断能力の程度から言うと成年後見制度の「保佐人」による支援が必要な事態となりました。しかし家庭裁判所から保佐人に対して、その方の生活のために預貯金の管理や介護サービスなどの各種契約等を代わりにすることができる「代理権」を付与してもらうには、制度上、本人の同意が必要なのです。なので、その方から代理権付与についての同意を得られなければ、ご本人の生活全般を守れないわけです。ところがその高齢女性の方は、子供さんや私の先輩弁護士がどんなに説得しても同意してくださらない状況でした。

そこで、このままではうまくいかないということで、私が先輩の弁護士に頼まれまして、その方の所へ同行しました。当時入院中だったのですが、先輩弁護士はベッドに座っておられた女性のところへ行って、仁王立ちになって言うわけです。「被害に遭っているから後見制度使わないといけない」「代理権付与の同意書をもらわないと困る」と、叱るような口調で。その方にしてみれば、そもそも被害に遭っているという認識もないし、自分でなんでもできると思っておられるから、当然拒否される。

それを見て、私は相手の視野に入るようにして膝をついて、「初めまして」。ゆっくり、話しかけてみました。そうしたら「あんた、なんね」、「弁護士です」。なぜ弁護士が来ているのかと、最初は「助けはいらん」と拒否されました。そこで、私は話を切り替えて「この病院はごはんがおいしいですか?」「お困りのことないですか?」と聞くと、「おいしくない」「看護師が意地悪する」とかおっしゃる。「それは大変ですね」、それから「触れる」のステップをしてみたんですよね。そうしたら、私の顔をじっと見て、そこからが急展開。私という人間を受け入れて、話を聞いてくださって、いろいろお話をしました。そしてその場で同意をもらいました。おそらく1時間くらいのことだったと思います。

—説得しようとするのではなく、まず受け入れてもらおうとなさった。ユマニチュードを使うことでコミュニケーションの扉が開き、支援の内容を理解してもらうことができたのですね。

はい。ユマニチュードのスキルを使うことで、これまで受け入れてくれなかった方が話を聞いて、「いいよ」と言ってくださった。そのお蔭で保佐審判開始の申立を行うことができ、保佐人が選任されて財産を守ることができました。

この方は認知症でしたが、それだけでなく「8050問題」といわれる引きこもりの当事者や、ゴミ屋敷のケースにもユマニチュードは役立つのではないかと思うのです。その点について本田美和子先生にお聞きしたところ、先生も「役立つと思う」とおっしゃいました。そもそもユマニチュードは、いろいろなスキルを駆使して患者さんが自分は大切にされている、支援者たちもあなたのことを大切に思っているということを表現するスキルだとおっしゃっていました。

それってまさに、セルフネグレクトのご本人に対しても必要なことですよね。自分が大切にされていない、酷いことを言われた、自尊心が傷つけられた、他人が怖いといった理由で引きこもりの方もいらっしゃるでしょう。だからこそ「あなたのことを大切に思っています」ということを、まさにユマニチュードのスキルを使って伝えることが重要だと思うのです。

「尊重」と「支援」を両立する

本田先生ご自身も、医療現場でセルフネグレクトを経験されたことがあるそうです。いちばんいけないのは、「今日はあなたを支援するためにきました」とか、用件をはじめに言うことだとおっしゃっていました。

ユマニチュードの中でも、例えば相手の領域に入るために、ノックをして承諾を得ることとか、ケアをするという合意をしてからにしましょうとか、そういうところがある程度進んで初めて、用件を言って、その中で合意を得ますよね。それがご本人を一番尊重したやり方だと思います。

ところが現場の支援者は、セルフネグレクトが何年も続いる状況を目の当たりにすると、こんな暑い中で危険かもしれない、と急ぎ支援をしようと焦ってしまって、そういう大切な手順を取らないだろうと思うんです。本田先生は、相手が受け入れてくれなければ、その場で一旦帰るということも大切なことだと。実際に経験豊かな行政職、福祉専門職は、無理やり話を続けようとせずに、一旦は帰られるそうです。

—現場でも実はいろいろなスキルを実践されているのですね。

そうなのです、皆さん試行錯誤するなかで、生まれているスキルがあるのだと思います。ほかにも、私が使えるのではないかと先生にお話ししたのが、ユマニチュードの5つのステップの中の『感情の固定』。ケアの後で共に良い時間を過ごしたことを振り返るというステップがありましたね。

セルフネグレクトの場合にも、例えば、拒否していた方が、玄関だけ開けて話をしてくれたなら、「会ってくださってありがとうございます。本当に私は嬉しかったです」と感謝の気持ちを伝える。そうやって本人が喜ばれること、印象に残る話をすると、支援の前段階ではあるけれど、その会話自体が、本人にとってはケアのようなものではないでしょうか。そしてその良い印象が残り、それが次に繋がっていくのは、病院や介護施設でのユマニチュードの実践と同じかもしれないと思いました。

それから『再会の約束』、これは次のケアを受けてもらうための準備として、「今日は玄関を開けてくださってありがとうございます。また訪問します」と約束をする。おそらくそんな約束はいらないと言われるかもしれません。そのとき、「先ほど、花の話をされていましたよね、ちょうど1ヶ月後、紫陽花の季節なので、写真をいっぱい撮ってきます。○○公園の紫陽花なんかは種類が多くてとても綺麗なんですよ!」とかね。再会の約束と同時にご本人が喜ばれるような約束をする。それでも来なくていいとおっしゃるかもしれない。でも1ヶ月後に行ったときには、そのことを覚えていらっしゃって、その日の会話は、まずは紫陽花の話からスッと入っていくかもしれませんよね。

そのほかにも、ユマニチュードの手法や哲学で、セルフネグレクトの支援はもちろん、権利擁護の場面に役立つことはたくさんあるように思います。なので、日本ユマニチュード学会でも一度、研究していただければうれしいです。

—支援は介護と同じで、一回の訪問で終わりではなく、関係性の構築が必要だと感じます。

そうなんですよ。イヴ・ジネスト先生もそれをよくわかっていらっしゃって、うまくいく方法をしっかり体系化されていますから、介護ケア以外にも、きっと使えると思います。なんといってもユマニチュードにはそれを支える素晴らしい人間哲学がありますから。

—お話を伺っていると、本人の判断能力の低下による拒否もあるけれど、コミュニケーションがうまくいっていないことが、第一の原因という見方もできるのではないかと思いました。

そうですね。その意味では、まずは繋がるための支援が重要です。そのために、コミュニケーション ケア技法でもあるユマニチュードは本領発揮の場でもあると言えるように思います。さらに、セルフネグレクトの支援の場合、コミュニケーションが取れた後、ケアよりもさらに進んで、具体的にどういう支援をするかという話をご本人とする必要があります。

ケアや治療はある程度、行うべきことが決まりやすいです。でもセルフネグレクトの方を支援する時、それぞれ課題や背景や考え方が違いますから。お金がない、とにかく人が怖いとか、ご病気かもしれないなどさまざまです。そのため、適切なコミュニケーションを通じて必要な情報を取得し、その人にあった支援をどうしていくかという合意を形成していかなければいけません。その中においても、ユマニチュードの手順を1つ1つ繰り返していけば、拒否は起こりにくんじゃないか、そして前向きな合意形成が可能になって、セルフネグレクトの支援が進むんじゃないかなと思うのです。

(後編に続く)

家族介護者の体験談をご紹介します

認知症の家族の介護をする方にとって、コミュニケーションがとれなくなることは大きな葛藤です。いざ介護が始まり、意思疎通の難しさに直面したとき、ユマニチュードの考え方と技術を取り入れたことで、相手に寄り添う関わり方ができるようになったという声をご紹介します。

高橋夏子さん(東京都在住)

フリーランスの映像ディレクターとして、医療や環境、教育分野を中心にテレビ番組や映像制作を手がけ、本学会の設立当初から活動を撮影してくださっています。「介護のプロのためのもの」と思っていたユマニチュードが、家族の介護にも活かせることを知って実践してみたところ、お義母様との関係改善につながったという体験談を伺います。

子育ての偉大な協力者だったばあばに変化が

-子育てに多大なサポートをしてくれたお義母様の様子が、息子さんが小学校に入学した頃から「おや?」と思うことが増えたそうですね。

高橋夏子さん 実はその1年程前から、勘違いや計算ができなくなるといったことが始まっていました。「もしかして認知症?」「まさか認知症じゃないよね」の間で戸惑っていましたが、息子が小学校に入った年の夏休み頃から、義母とのコミュニケーションがうまくいかなくなり始めました。

映像ディレクターという仕事柄、締め切りに追われると夜も遅く、就業時間も不規則になりがち。そこで産休から復職したタイミングで、義母宅から徒歩7分の場所に引っ越し、義母にはたくさん助けてもらってなんとかやってきたのです。

これまでなら「今日は遅くなるからよろしくね」と3分の電話で通じていたのが、15分かかるように。義母もイライラしてきて、「じゃあ、私はどこに向かえばいいの!?」と怒り出すようなことが増えていったのです。


昼夜なく忙しい生活の中、
子育てをたくさん助けてくれた義母。

—はっきりと認知症ではないかと気づいたきっかけはあったのですか?

あるとき、ただならない様子で「すぐ来て欲しい」と電話がありました。駆けつけると、「電話が壊れた」と言うのです。私の番号は登録してあるのでワンプッシュでかけられるのですが、友達からの電話に折り返そうとしたら、かけ方がわからない。それを認めたくないからなのか、「壊れた」と。

さらにかかりつけ医に「ぼけているから検査を受けるように」と言われたと腹を立てているのですが、話があちこちに飛んで、あまりにも支離滅裂なのでで、思わず「ばあば、認知症なんじゃない?」と言ってしまったのです。

—そのひと言で関係が一変してしまったのですね。

認知症は“関わりの病”といわれています。認知機能が落ちても幸せに暮らしている人もいる。ではなぜ不幸になる人がいるのかといえば、関わり方がうまくいかないから。

私は「あなたは認知症だ」と面と向かって言ったために、義母を傷つけてしまった。それからは何を言っても、逆の意味にとられ、揚げ足をとられ、あることないこと攻撃されるようになりました。

ケーキを買っていったら投げつけられたり、街中で殴りかかられたりしたこともあります。この状態が3年ほど続いたのが、最もつらい時期でした。自分を守るために、顔を合わせなかった期間もあります。それくらい、人から嫌われ、よかれと思ってすることを全部否定されるのは、本当につらいことだと思いました。

「相手を否定しない」、その先がわからない

義母とは、息子が生まれる前は2人でお酒を飲むこともあったし、本当の母娘と間違われるくらい仲がよかったのです。信頼していたからこそ、私に八つ当たりしていたのでしょう。 義母の言うことには勘違いもあるけれど、悪意もあったと思います。5歳の子どものようにわがままを言う一方で、大人だから、どう言えば私が傷つくかもわかっている。「親がダメだから、お前もダメなのだ」と言ったり、攻撃したいという悪意の塊になっていました。

けれど、それまでの関わりの中で、それを抱かせてしまったのはおそらく私だと。関係性がうまくいかないから悪意が雪だるま式に膨れ上がって、にっちもさっちも行かない状況になっていました。

—当時はこうした出来事をどう受け止めていたのですか?

介護についての本をたくさん読みましたし、介護系のウェブサイトで、悩みを相談できるサービスを利用したこともあります。でも本には「相手を否定しない」と書かれていても、その先をどうすればいいかは書かれていないんですよね。

例えば、義母が「鍵を盗まれた」とやってきて、家をしっちゃかめっちゃかにして探そうとする。そこへ「鍵はここにはないよ」「誰も盗んでいないよ」と言っても火に油を注ぐばかり。いったいどこまで話を合わせたらいいのか、その術がいっこうにわかりませんでした。

お正月の後、神社のお焚き上げに家のゴミを持っていくといってきかず、後で夫に回収してもらったこともあります。とにかく、今どこの世界にいて、どの物語を生きているかがさっぱりわからない。こちらもどこまで合わせて演技しなきゃいけないの? 否定しないにしても限界があると感じていました。

相手をコントロールしようという思いを捨てて

—ユマニチュードとはどういうタイミングで出合いましたか?

本田先生が最初の本を出版した後、テレビの報道特集で取り上げられたのを見ましたし、メディア関係の知り合いから、すごいドクターがいて、フランスから導入して取り組んでいる魔法のケアがあるよ、と聞いていました。

でもその頃は、まだ介護も始まっておらず、ひとごとだったのです。実際に自分が認知症との付き合いで行き詰まったときも、自分でできるとは思わず、ずっと看護師さんや介護士さんのためのものだと思っていました。

いよいよ、つらくてどうしたらいいかわからなくなったとき、相談した同業のディレクターからユマニチュードは家族でも実践できると聞いて、ちょっとずつ真似事を始めました。「見る」「触れる」といっても正直、本を読んだだけではどうしたらいいかわからない。わからないながらも、義母が落ち着いているときに「マッサージしてあげようか」とニベアを塗ってあげたり、そばに近づいてから話す、聞くといった関わり方を、自分なりにやってみるようになりました。

—関わり方を自ら変えていったのですね。

「間違いを正さなきゃいけない」という義務感や、「正した方がいいに違いない」という思い込みを一切捨て去りました。認知症のある人がいる世界を完全には理解できないまでも、それはそれでいいんだと思えるようになってきたのです。

その頃には義母の体力も落ちて介護の支援を受けるようになり、常に噴火している状態から鎮静化して、関係性も少しずつよくなっていきました。


2018年、息子の11歳の誕生日に。
この頃から関係性が回復し始めた。

介護現場や家族の生の姿を記録する中、見えてきたこと

—日本ユマニチュード学会との仕事が始まったのはその頃でしょうか。

はい。本田先生(当学会代表理事 本田美和子)とジネスト先生(ユマニチュード考案者 イヴ・ジネスト氏)の対話や、介護現場の取り組みを撮影し、直に見聞きする中で「こんな関わりがあるんだ」と自分の心がころっと変わったのです。

まずは気持ちがラクになりました。介護現場の方も悩んでいる。皆大変なんだということがわかったからです。プロも壁にぶつかりながらやっている。そして簡単ではないけれど、ユマニチュードを知れば、プロでなくても誰でもできるようになるということも、目の当たりにしたのです。

義母とよく似た症状の奥様をケアする夫さんが、「最初はコミュニケーションがうまくいかず、心中も考えたくらいつらかった」と話すのを聞き、家族で追い込まれても、老老介護の方でも、ユマニチュードを実践すれば、超えていけるんだと。プロの場合と家族の場合、両方のリアルな体験を見たことは大きかったですね。

—プロでも壁にぶつかることがあると同時に、ユマニチュードを実践すれば、誰もがちゃんとコミュニケーションをとっていけるのだと。

皆さんの実践されている工夫も勉強になりました。新婚時代や、若く素敵な奥様の写真を集めてアルバムを作っている夫さんを真似て、息子の赤ちゃんの頃の写真を小さなアルバムにしたり。義母がイライラし始めたときに見せると「かわいいね」、と心がふわっとなるようなアイテムです。やっぱり孫は最強ですね。

—お義母様にも変化はあったのでしょうか?

その頃にはすっかり穏やかになりました。体力が落ちたせいもあったかもしれませんが、激昂しなくなりましたね。デイサービスでも、職員の方を「お姉さん」「お兄さん」と呼んで、時々面白いことを言って笑わせたりしていたようです。もともとサバサバした明るい性格で、コミュニケーション能力の高い人でしたから。

ただ体力が落ちた分、1日中こたつに入ってテレビを見るようになり、排泄ケアも必要に。ヘルパーさんの助けも借りながら、毎日義母宅へ通うようになりました。精神的には楽になりましたが、体力的にはしんどく、てんてこまいでした。

最終的には要介護3に認定され、持病の間質性肺炎のために在宅酸素療法を受けていましたが、通院が難しいため訪問診療の相談を始めた矢先、義母は急に亡くなりました。


2019年、最後に一緒に過ごしたクリスマス。
おばあちゃん子だった息子もよく手伝ってくれた。
孫がそばにいると、本当にうれしそうで元気になった義母。

不安のもとを理解することから

—介護の当事者でありつつ、撮影を通じ、さまざまな介護現場、ご家族の関わり方を目の当たりにした高橋さんですが、ユマニチュードをどのようなものと考えていますか?

一般的に認知症のある人は何もできない弱き人で、支援の対象者と考えられています。社会的に存在価値が認められなくなる、恐ろしい病という感覚が強いけれど、いやいや違うでしょ、と。認知症には誰でもなりうるし、関わり方さえ分かっていれば、気持ちの部分ではお互いに不幸になるわけではありませんから。

今思うと、義母はわからなくなっている自分のことをわかっていて、とても不安だったのだと思います。逸脱した行動をとってしまうのは、不安があるから。ジネスト先生、本田先生からは「理由はあるよ」「不安だよ」という言葉を何度も聞きました。

認知症だけでなく、発達障害や自閉症のある子どもの大変な行動の原因も、不安や心配に根付いていると考えられています。その行動のもとにある理由をちゃんとわかれば対応できるということを、技術と考え方の面で明示してくれているのがユマニチュード。そこは本当に希望であり、実際に役立つ情報だと思います。

—もし怒ったり、拒絶したりする人がいたら、普通は理由を慮(おもんぱか)ります。けれど、認知症の人の場合は、病気だからと拘束や投薬といった方向へ向かってしまう現状がありますね。

認知症のある人は視野が狭くなったり、感覚が過敏になっていたりする。認知症のある人の世界というのは、そういう見方、感じ方があるから不安になるし、その不安が逸脱した行動につながるということが、ユマニチュードでは可視化されています。

今、発達障害の人を対象にした取材も多いのですが、こういう感覚の違いがあるから不安、不穏、不快になってこの行動になる、という考え方は、ユマニチュードと全く同じですね。

— 病気として治療の対象とするほかに、知覚される世界が違うから反応が違ってくるという認識に変わり始めているのですね。

ある意味当たり前かもしれないけれど、言われないとわからない。そこを指し示してくれるのがユマニチュードの大きな点なのでしょうね。


2020年7月、ばあばに最後につくったおやつのおむすび。

(聞き手・松本あかね)

家族介護者の体験談をご紹介します

ご家族の介護にユマニチュードを取り入れ、実践してくださる方々が増えています。会員の皆様にその体験談を募集したところ、ご家族ならではの素敵なお話が多数寄せられましたのでご紹介します。

村上裕子さん(静岡市在住)

今は亡き認知症の義理のご両親の介護、また夫の看病にユマニチュードを役立ててくださったという村上さん。「あなたは大切な存在」という思いを家族でもしっかり伝えることが介護の支えになったそうです。「ユマニチュードのお陰で本当に幸せだった」と振り返る村上さんのお話には、ご家族の関係の素晴らしさが溢れています。

「両親の面倒は私がみると決めていた」

-ユマニチュードを知ったのは、NHKのラジオ番組で本田美和子代表理事が話していたのを偶然に聴かれたことがきっかけだそうですね。

村上裕子さん はい、放送がいつだったか記憶が定かではないのですが、日頃NHKラジオをよく聴いていまして、義父に少し認知症の症状が出始めてきた頃だったこともあり、「あ、これは心に留めておこう」と思ったんです。

ラジオを聴いた後、すぐに資料となるものが欲しいと思って本を探し、その当時は2013年に出た雑誌のバックナンバーくらいしかなく、それを取り寄せて本当にむさぼるように読んで、その哲学と技術を心に留めたという感じでした。その後も出版される本を読んではユマニチュードを学びました。

—最初にユマニチュードを知った時はどこに引かれたのでしょうか。

(認知症という)病気のことをしっかり理解するということ、相手を一人の人間として大事にする、「あなたがそこにいてくれることが大事」だときちんと伝えるということがとても心に残りました。以来、両親の介護ではずっとそのことを心掛けてきました。

もちろん、介護をしているといら立つこともあるし、腹立たしいこともあって怒鳴ってしまうような時もあったんですけれど、「あ、待て、待て」と。確かラジオで(ケアが)上手くいかない時は一度は諦めてもそれは失敗ではないっていうお言葉もあって、その言葉も心に残っていましたね。

—義理のお父様に認知症の症状があったとのことですが、お母様やお父様、ご家族の介護が始まったのはいつ頃からですか。

2012年11月に当時85歳だった義母が転倒して大腿骨骨折で3カ月間ほど入院をした頃からです。退院後、家事をすることが無理になって、母の通院の介助や、全面的にではないですが家事の手伝いが始まりました。

義父は義母の2歳上になりますが、母の入院の頃に自分でも病院に行きたがって地図を買って、それも何回も買っていたらしいんですが、すぐ近くの病院だったのに自転車で行こうとして行けないということがありました。私たちが連れて行ってもすぐ帰りたがったりして、認知症の症状が出て来ていたんです。

義母は翌年1月末に退院してきたのですが、その半月後に今度は意識障害で救急搬送され、どうも膀胱の括約が悪いのではないかということでカテーテル留置になり、本格的に母の身の回りの世話が始まったんですね。父の方はまだユマニチュードを切実に必要とするほど認知症の症状が進んではいなくて、普通にケアをしていた感じでした。

—ご両親とはもともと同居していらっしゃったのですか?

はい、息子が3歳になる時に、私がアナウンサーという仕事をしていたこともあり二世帯住宅で同居となりました。両親は孫がかわいくてしょうがないという感じで世話してくれて、私は育児も仕事もとても楽になり、それぞれの生活を保ちながらも一緒にいるメリットがとても大きくてありがたかったんです。ですから、私はもし両親に何かあったら、今度は私が面倒をみたいってずっと言っていました。

—素敵なご関係ですね。

こんなことを言うと、「良いお嫁さん」ぽく聞こえるかもしれないですけれど、全然そんなことないんです。これは本当に両親が素晴らしい人だったからなんです。昔、冗談で夫に「もし私たちが離婚しなきゃいけなくなったら、私はあの両親の娘になりたいから、悪いけどあなたが出ていってね」って言ったんですね。そしたら「俺は行くところがないから置いてくれ」って(笑)。

ただ、介護では母をもっと早くにプロの手に任せていたならばという悔いが少し残っているんです。

—どういうことでしょうか。

母は2014年の6月に今度は脳梗塞を発症しました。その時は朝起きたら「何か指が変なの」って言いだして、「これは脳梗塞じゃないかな」と思って病院に連絡したら、外来に連れていらっしゃいって言ってくださったので私が車に乗せて行き、案の定、軽い脳梗塞ということで、急きょ入院となりました。

短い入院で済んだんですけれども、その間に母が変なことを言いだしたんです。お嬢さま育ちで穏やかな母が父に怒鳴るようになり、退院してからも父が母の部屋に入ろうとすると「やめて、来ないで」ってキーッと声を上げたりして。

それも今思えば、レビー小体型認知症のせいだったのかもしれないんですが、この段階ではまだ私は分からなくて、「おかあさん、それはないよ」ってこんこんと説得して、本当に今思えば鬼嫁だったと思うんですけれど。

—いえいえ。

さらにその年の9月に夫のがんが分かったんですね。検査をしたら、大腸がんで転移もありステージ4と言われました。手術は一応成功したんですけれども、ストーマ(人工肛門)を造設することになって、そのお世話も始まりました。

がんが転移していた肝臓については、2週間に一度、抗がん剤の投与を受け、更に別の抗がん剤を家に持ち帰って3日間ぐらいかけて徐々に体に入れていくという治療でした。一気に髪も抜けるし、食欲も落ち、口内炎がひどくなったりして、両親と夫の3人の世話で、それはそれは大変な感じだったんです。

ただ、その頃に「あなたがいてくれるのがありがたい」っていう思いを直接言葉で言うようにしたんです。夫はすまながって「あなたには苦労を掛ける」とか言うから、「私はやりたくてやってるんだから、そんなこと言わないで」と、そうしたやりとりが支えとなりました。

—ご家族3人のお世話が大変な中でユマニチュードがお役に立ったんですね。

そうです。その翌年の2015年の7月に母がようやく要介護1の認定を受け、デイサービスとヘルパーさんを利用するようになって楽になりましたが、3カ月ほどでまた圧迫骨折をして、そこからもう一気に弱りました。母が亡くなったのは2016年なんですが、転がり落ちるように体力が弱くなって、混乱したことも言うようになって(と厚いノートを開く)。

—全て記録を取られていたんですか。分厚い本2、3冊分ありますね。

全部、裏紙になぐり書きなんですけれど、血圧や様子を書いておきたくて。その頃のことを読むと、2016年の5月13日金曜日、ユマニチュードという言葉が出てきます。

母の血圧を測る時に、起こさないようにといきなり測ろうとしたら、すごく嫌がったんですね。「測ろうとして声を掛けると顔をしかめ、昨夜同様うるさそうに『いいわよ』っていう感じで言った。で、もう一回『血圧を測らせてもらうね』と言うと、『はい』と腕を出してくれた。これからもユマニチュードを肝に銘じよう」って書いてあります。かなりユマニチュード、ユマニチュードって思ってたんですね。

—圧迫骨折後、お母様はかなり弱られたということでしたね。

そうなんです。車椅子を借りるために介護認定を受け直したら、一気に要介護5になりました。「あなたのお母さんはもう寝たきりです」と言われたように感じてショックだったんですけれど、夫が「使える(介護保険の)点数が増えたと思えばいいんだよ。くよくよするなよ。2人で頑張って面倒みような」って。夫もつらかったと思うんですけれど、よくサポートをしてくれて、おかげで私も仕事しながら母のお世話ができました。

8月の末に夫が、私が用意しておいたお昼ご飯を母に食べさせていた時に喉に詰まらせてしまい、救急車を呼びましたが、そこからほぼ脳死状態となりました。

実は、母は前日に熱があり病院を受診していて、その晩に「もうプロに任せた方がいいのかな。私は家にいてもらいたいけれど。あなたはどう思う?」って夫に相談したら、「おふくろはうちにいたいと思ってるはずだよ。これからも2人で面倒みような」って、そんな話をしていたんです。

その翌日のことでしたので、夫は「自分が食べさせている時にむせさせてしまった」、私は私で「私の作ったご飯でむせさせちゃった」と、本当に2人とも悔いが残りました。

でもお医者さまが「引き金は喉に詰まらせたことですが、全身の機能が落ちていましたから、これは老衰に近いことです」と慰めてくださったのは救いでした。母は気管挿管で頑張ってくれましたけれど、一月ほどで亡くなりました。

毎日病院に通っていたのですが、亡くなる前の日は夕方に一度帰宅した後、夜になってからどうも気になって再び病院に行ったら、母の血圧が下がってきたところでした。最期の一晩、私が付き添うことを許してくれて「シゲ(村上さんの夫)を頼むわね。おとうさんも頼むわね」って言ってくれたのかなって思いました。

—お母様に思いが通じていたのでしょうね。

はい。それから夫が翌年の7月初めに亡くなりました。家に最期までいてもらいたいと思い、夫もギリギリまで頑張ったんですけれども、がんの最末期はせん妄が出てくるんですね。痛みも酷く、医療用の麻薬も効かない。

「病院で痛み止めの注射を打ってもらおう」って言って、騙すように6月の末に車で連れて行きました。そうしたら病院の先生が「このまま病院で最期でいいですか」っておっしゃるので、「そのつもりで連れて来ました」「じゃあ、持って1週間だと思ってください」って言われて、本当に1週間でした。

その時は全部の仕事を断って、義父は近くに住む妹にケアしてもらって、全ての時間を夫のために使うことが出来ました。

大切な「嘘も方便」の笑顔

—そうでしたか。その後、お父様のケアはどうされたのですか。

夫を看取った後は、父を1人でうちに置いておけないと思って、すぐにヘルパーさんとデイサービスをお願いしました。ずっとそのままの態勢で行けるかなと思っていたんですけれども、ヘルパーさんから、父の場合はグループホームという形が良いのではという提案があり、たまたま知り合いが大家さんをなさっている建物でグループホームがあったので問い合わせてみました。

見学だけのつもりで、入所させる気持ちは全くなかったのですが、「ちょうど今、空きがあります」ということで、息子に話したら、「お母さんがもう面倒みられない、駄目だってなった時に空きがあるとも限らない。いい機会だから手続きしたら」と言われて、それも一理あるなと思い決心しました。

ただ、もう私は悲しくて、ぼろぼろ泣きながら父の持ち物に名前付けをして。涙、涙でやってるので、「バカだな」って息子にも言われたんですけれども。

—突然のことでしたものね。お父様は入所されていかがでしたか。

暴力が始まっちゃったんです。以前もお下の世話をするときに暴力はあったんですね。でも、そういう時は、私はわざと作り笑顔でニコッて笑って目を合わせて、「おとうさん」って言っても分からないので名前で「ケンイチさん」と呼びかけながら、「○○してもいいですか」「△△してもいいですか」とひたすら笑顔で接すると、抵抗の力が抜けるんですね。

—なるほど、ユマニチュードですね。

そうです。母にもそうしていましたが、笑顔で話しかけながらお世話をすると、父も「おお、なんだ、そうか」って言う感じで受け入れてくれる。「嘘も方便」と思って笑顔で介護をしていたんですけれど、ホームではそうも行かなかったようで。

父が夜間徘徊をして、自分の部屋が分からないので、他の人の部屋に入ろうとする。それを制止すると暴力が出るということで、実は入所してすぐに夜間だけはうちで面倒みることになったんですが、いつまでもそうしていられないとのことで、病院に約1カ月入院して薬物療法を受けました。落ち着いたのでグループホームに戻ったんですけれども、やっぱり暴力が出ました。

「これ以上はホームでは面倒をみられません」と言われ、父は入所から2か月後に家に帰ってきました。またデイサービスに毎日通い、私は不規則な仕事で夜に出掛けることもあるので、日曜以外は用意した夕飯をヘルパーさんに食べさせてもらい、口腔ケアもしてもらって、寝かせてもらうという生活になりました。

—村上さんご自身は大変ではなかったですか。

本当にいろいろあったんですけれども、父がグループホームから帰ってきた後、私ね、すごく幸せだったんです。これはユマニチュードのおかげです。もう本当に腹を括って、「よし。もう徹底してユマニチュードだ」と思って介護をやっていたら、ある時、息子が「お母さん、ぎゃーぎゃー言わなくなったね」って言ったんですね。険が取れたように感じたようです。

—どんなことを実践されたのでしょうか。

夜、私がいられる時には、父が寝る時には眠るまで側にいて、マッサージをしたり、歌を歌ったりしました。ちょうど12月だったものですから「もういくつ寝るとお正月」を歌ったり。

父はケンイチという名で、よく自分で「ケンちゃんは寝るとするかな」なんて言っていたので、その「ケンちゃん」が歌詞に出てくる「あの子はたあれ」を歌ったりもして、父が「もういいよ、おやすみ」と言うまでは傍にいるようにしました。

また、とにかく口に出して「おとうさん、ありがとうね。うちにいてくれてありがとうね」って言うと、「おお、俺こそ、ありがとうな」なんて返してくれました。

—お二人のご様子が目に浮かぶようです。

「ありがとう」は母にも言ってたんです。母はおしんこをポリポリよく食べてくれたので、「お母さんがこうやっておいしそうに食べてくれると、嬉しいわ」「おしんこもね、こうやってポリポリンて食べてくれると幸せよ」って言うと、母は「私も幸せよ」って穏やかに言ってくれて。

最初、母がレビー小体型認知症と分かる前は、おかしな妄想を口にすると「何を変なこと言ってるの。そんなことないでしょ」なんて私も強く言っていたんですけれど、分かってからは話を合わせるようにしました。

母が「お猿がいるのよ、追っ払ってちょうだい」って言う時は、立ち上がって、追い払うふりをして「追い払ってきたよ」と応えたり。私たちには妄想でも、母にしてみればそれは本当のことなんですよね。だからもう、なるべく話を合わせていました。

—大変とは感じられなかったのですね。

本当に幸せだったんですよ。一時期、確かに3人の世話をしてた時には大変だったんですけれども、でも、私にできることは何でもしようと思って。

当時のケアマネさんもとても良い方で、家族だからできることとできないことがあって、プロだからできることとできないことがあるから、とにかくまずはご自分の健康を守ることが大事ですよ、自分の気分転換に遊びなさいって言ってくださって。私は遊びたいとは思わなかったんですけれど、仕事に出るとすごく気分転換になりました。

—地元テレビ局のアナウンサーをされていたんですよね。

結婚で会社は辞めましたが、フリーで仕事を続けていました。介護の当時からは、もう年のせいで司会やナレーションの仕事はめっきり少なくなって、その放送局がやっているカルチャーセンターの講師の仕事がメインで、たまに舞台の仕事がある程度です。

でも、受講生さんにもスタッフにも、介護のことはあまり言わなかったんですね。夫のことも一切言わずに過ごして、それが私の支えでもあったんです。普通によくある介護、みんなと同じでケラケラ、楽しく毎日過ごしてるよっていうような感じで、それがいい気分転換になって、支えにもなったと思っています。

「本当に本当に幸せでした」

—そうですか。今は介護も終えられて、家族介護にユマニチュードを使うことについて改めてどうお考えですか。

日本人は「愛してるよ」とか言うのは苦手だからユマニチュードは向かないと言われるけれども、お子さんに「好き好き、チューッ」とするのと同じことだと、以前、ジネスト先生がおっしゃっているのを聞いて、本当にその通りだなと思います。

とにかく実践していただいて、「愛してるよ」は難しいにしても、あなたがいてくれて幸せ、食べてくれて幸せ、着替えてくれたら「ありがとうね、自分で着替えてくれて嬉しいわ」で良いと思います。

私は嘘もよくつきまして、父や母に着替えて欲しい時には「ごめんね。私、洗濯を済ませちゃいたいの。申し訳ないけど、今着替えて欲しいの」という言い方をしました。「着替えてもらうと私が助かる」っていう感じで言っていましたね。

—それはご家族という関係ならではですね。

そう思います。「汚いから取り換えるわよ」じゃなくて、「私が助かるの」っていう感じでやらせてもらう。「技術としてのやさしさ」という言葉がありますが、それはジネスト先生もおっしゃっていて、嘘なんだけれども、相手が「自分が大事にされているんだ」って自覚できるならば、それは一つの技術だし、そのための技術はやはりなくてはならないもの、そう思います。

私は仕事で朗読や読み聞かせの講座をしています。そこでも、やっぱり技術があるからこそ、「こう読みたい」という表現ができる。例えば楽器の演奏でもそうですよね。こんなふうに演奏したいって思っても、技術がなければその演奏を表現できない。だから技術って最低限必要なもので、これは介護も同じなのかなっていう思いでした。積極的に相手が大切であることを伝える、それが大事かなって思います。

ただ夫にはちょっと照れもあって、父母と違い積極的には難しかったのですが、なるべく明るく、明るく、とにかく「あなたがいてくれるから私が今いられるんだよ」っていうような感じでいましたね。

—アナウンサーとして「伝える」というお仕事をされていたからこその「伝え方」の工夫ですね。

そうかもしれませんね。今は、認知症のケアに音読がとてもいいということで、デイサービスへの出張講座として、利用者の皆さまに音読していただいたり、時には私が紙芝居や昔話をしたりしています。

工作をしていただく時もあるのですが、例えば折り紙なら「その折り方は駄目よ」ではなく、「そういうやり方もいいけれども、こうするともっといいかもしれない」というように伝えることも、技術の一つとして心がけています。

—なるほど。

一つユマニチュードに関して、その施設でのことをお話しすると・・・。足腰が弱いので、立ち上がろうとするとすぐスタッフの方に押さえつけられてしまい、それでも必死に抵抗するN子さんという方がいらっしゃって、とても気になったんです。

N子さんは講座には参加されないのですけど、私は行くと、手をよく洗って、マスクにフェイスシールドもしたうえで、しっかり視線を合わせて「N子さん、こんにちは。お邪魔します。今日もよろしくお願いします。ご機嫌はいかがですか」とご挨拶するようにしたら、N子さんも「まあまあね」「悪くないわ」などと反応してくださるようになって、それを見たスタッフの方から「おお」って感嘆の声が上がったんです。

ユマニチュードを知っていれば当たり前のことなんですけれど、スタッフの人はただN子さんを後ろから押さえつけるだけで、何か言う時にも目を合わせないんですよね。講座の中で時々歌を歌うと、N子さんもね、歌に合わせて手拍子してくださるんです。私、涙が出るほど嬉しくって。

—素晴らしいお話です。

これはユマニチュードが素晴らしいんです。時々、そこのスタッフの方々にユマニチュードっていうのがあってね、というような感じでお話もしています。

—ユマニチュードを広めて下さってありがたいです。

ユマニチュードの認定インストラクターに、なんて思ったりもしたんですけど、これ以上欲張るのはやめて、今やってることを一つ一つしっかりやって、折に触れてユマニチュードを広められたらなと思っていますし、これからはケアする人のケアというようなこともやれたらなと考えています。

—頼もしい応援団です。

母と夫を送り、父との最期はユマニチュードのお陰で本当に本当に幸せな時を過ごせたと思っています。そのことは家族を介護される皆さんに、繰り返しお伝えしたいと思います。

(聞き手・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ご家族の介護にユマニチュードを取り入れ、実践してくださる方々が増えています。会員の皆様にその体験談を募集したところ、ご家族ならではの素敵なお話が多数寄せられましたのでご紹介します。

片倉美佐子さん(福岡市在住)

認知症のお母様のケアにユマニチュードを取り入れて4年になる片倉さん。第一回会員ミーティングにゲストとしてご登場いただき、本田代表理事との対談ではユマニチュードとの出会いやその実践を語っていただきました。今回はコロナ禍において、100歳を迎えたお母様の介護にどう向き合われたかお話ししてくださいました。

「立つ」と人は前向きになる

-この11月にお母様が100歳となられたそうですね。おめでとうございます。

片倉美佐子さん ありがとうございます。母の生きる力と多くの支えて下さった方々の優しさ、そしてユマニチュードのおかげです。この夏から特別養護老人ホームに入所いたしましたが、敬老の日には内閣総理大臣、福岡県、福岡市からのお祝い、そして施設でも表彰の場を設けて下さいました。またコロナが収束しているおかげで、100歳の誕生日には私と息子も面会して直接お祝いできました。

—それは何よりです。入所される前はコロナ禍でご家族での介護も大変だったのではないでしょうか。どうお過ごしでしたか。

以前、本田先生とお話しした頃からずっと平日はデイサービス、デイケア、週末は3泊のショートステイを利用すると言うサイクルで落ち着いていました。その中で、コロナの前となりますが、2年前の5月に一度、肺炎となり1ヶ月ほど入院をしたことがありました。

母は一人で杖なども使わずに普通に歩いていましたが、「入院をすると寝たきりになる」とよく言われるので、そこがとても心配で。ユマニチュードでも「立つ」ことはとても大切ですし、とにかく毎日毎日、面会に行き、少しでも車椅子から立ってもらうようにしていたのですが、なかなか素人では難しかったです。

—それでどうされたのですか。

退院する前の10日間、病院に頼んでリハビリを入れてもらったんです。お医者様は「いきなり大丈夫かな」と心配していましたが、良い療法士さんに出会い、さすがプロですね、あっという間に階段もスタスタと上り下りできるまで回復しました。

そこで驚いたのは、立って歩くことができるようになったら、母が以前から大好きだったパズルもまた集中してやるようになったんです。やはり自分の足で立てること、歩けることは、人の気持ちを前向きにさせるんだなと思いました。ユマニチュードの4つの柱に「立つ」が入っているのはそう言う意味もあるのかと感心しました。

—それは素晴らしいご経験でした。

はい。退院してからは、通っている施設のお祭りでひ孫と一緒に太鼓を叩いたり、七五三で一緒に神社にお参りに行って高い段も上ったり、本人も再び自信が持てたようです。認知症もこちらがユマニチュードで対応していれば不穏は起きませんし、施設も慣れたスタッフの方々ばかりで、とても穏やかに過ごしていました。

ただ、2020年の1月くらいから、意思表示が遅くなってトイレに間に合わなかったり、立つときに支えが必要になってきて、私もどうしたものかと思っていた頃にコロナ禍となり緊急事態宣言が出たのです。

—2020年の4月の頭ですね。

そうです。ちょうどその直前にショートステイに入っていたのですが、施設の方から「今、施設を出てしまうと戻ることができないかもしれない」と言われて、私も感染のことを考えると施設にいた方が安心かもと思い、ショートステイを4月の下旬まで延長してもらいました。

それでも緊急事態下であることは続きましたので、また延長、延長と繰り返し、結局は6月半ばまで母は施設に留まりました。

—その間、片倉さんはお母様と会えなかったのですか。

1ヶ月に一度、内科や精神科の病院を受診する時は家族が付き添えましたので、施設に留まって1ヶ月半後の5月半ばにようやく会えました。

施設から母の様子は定期的に知らせてくれていて、眠気が強くなっていたり、足の運びが悪くなり、またむくみも出てきていると聞いて心配していたのですが、実際に会った時も車椅子で目をつむっていて。声をかけると目が開いて笑顔が出たので少しほっとしたのですが、言葉は出ませんでした。

6月に家に帰ってきた時も、足がふらついて1人で立つことが難しかったです。翌日から食欲も出て、パズルもやり始めましたが、歩行は前のめりになってしまい、いつ転ぶか心配な状況でした。

私が今、反省しているのは、この時に長い期間、母を預け過ぎたかなと言うことです。足腰が弱ったのは、母に心不全があるために、感染予防策として他の入所者との接触を避けるよう席が固定されて、あまり動けなかったことが一つの原因ではないかと思います。

私自身も仕事があり、また緊急事態で休校になった孫の世話もあり、「施設に母をお願いできるなら安心」と深く考えずにショートステイを延長しました。勇気を持って「家で大丈夫」と言えば良かったなと思いますが、その時は言えませんでした。1回目の緊急事態宣言下では、皆が手探りで仕方のなかったことではあるのですが。

—その後もコロナの蔓延は続きました。

はい、福岡県は独自のコロナ警報というものもありまして、そうした状況もにらみながら、デイサービスとデイケア、ショートステイといういつものサイクルを基本にショートステイの期間を10日間くらいに延ばしたり、ということを繰り返しました。そんな中でも昨年の11月には白寿のお祝いを家族でできましたので、それは本当に嬉しかったです。

—良かったです。

白い帽子と着物を着てもらい、みんなで写真も撮り、楽しい思い出になりました。ただ年末に18日間のショートステイから帰ってきたら足のむくみが酷く、両足が腫れたようになっていて、いつもの靴も履けなくなっていました。

内科を受診したりして心配したのですが、家での生活を始めたら、みるみるうちにむくみが引いてきたんです。自分で動いてデイサービスに行く、帰ってくるという生活をしていると少しでも立って歩きますし、家ではトイレのときは母に手すりに捕まって立ってもらいズボンの上げ下げをしていましたから、やはり「立つ」ということの効果だと思いました。

ですので、その後は緊急事態や警報が出ても慌てずに、いつものサイクルでショートステイは少しずつ、をやっていました。今年の5月のコロナワクチンの接種はショートステイの間にしていただいて、副反応の心配もありましたのでこれは本当に助かりました。

離れていても「あなたのことが大切」と伝えたい

—8月に特別養護老人ホームに入所されたそうですが、何かきっかけがあったのでしょうか。

はい、7月くらいから膝がガクガクなり始めて歩きにくそうになりました。整形外科を受診して、栄養面でも気を配ったりしたのですが、私が支えても車に乗るのが難しくなりました。8月に入って、トイレで立つことが難しくなり、また椅子からずり落ちてしまい、私が母を起こすこともできない状況になったことで、「これはもう無理だ」とケアマネージャーに相談したところ、すぐにいくつかの特養に申し込みをするよう言われました。

ただ、いつ入所できるか分かりませんから、家で暮らすことを考えて玄関にスロープをつける住宅改造やヘルパーさんに来ていただく相談も同時にしていましたが、運よくショートステイで通っている施設へ入れることとなり、ショートステイからそのまま入所となりました。

—100歳のお祝いをされたとのことですが、施設に入ってからのお母様のご様子はいかがですか。

入所前よりも食事も取れるようになり体重も増えています。お腹がいっぱいのときは口を開けないそうなのですが、施設の方も無理強いすることなく本人の意思を尊重して下さっていて助かりますし、安心していられます。

緊急事態の間も週に一度はオンラインで映像通話ができましたので、母の好きな歌を一緒に歌ったり、私がキーボードで曲を弾いたりして聴いてもらいました。母は目をつむったままのことが多いですが、声は出なくても、手で拍子を取ったりしてくれます。

—お母様のお好きなことをされているのですね。

はい、母の好きな童謡の「赤い靴」やショートステイから帰る時に車の中で必ずかけていた「岩壁の母」を聴いてもらいます。時々、パッと目を開けてくれることもあるので、喜んでくれているのではないかと思います。

今、何より大切にしているのはユマニチュードの「再会の約束」です。通話の最後には必ず「今度会いに行くからね」「会いに行くから待っててね」と声かけするようにしています。母が施設に入ってから私ができることは限られていますが、「あなたのことを大切に思っています」というユマニチュードの言葉を心に留めて、母との時間を大切にしたいと思います。

(聞き手・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。そうした皆さまから、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

斉藤直子さん

ユマニチュードをご家族の介護に役立てている方がたくさんいらっしゃいます。そうした皆さまの体験談をご紹介しましょう。第6回は、本田美和子代表理事へのユマニチュードの取材をきっかけに認知症のお母様と素晴らしい体験をされたという、ライターの斉藤直子さんのお話です。斉藤さんは女性週刊誌に介護についての連載を長年続けていらっしゃいました。斉藤さんからのお手紙と斉藤さんへのインタビューをお届けします。

斉藤さんから本田先生へのお手紙

斉藤さんから本田先生へのお手紙

本田美和子先生

取材ではお世話になりました。本田先生にご教示いただき、認知症の実母との関わりに大きな力をいただきました。本日はぜひそのことを先生にお伝えしたくてご連絡しました。

「認知症の人(に限らずかもしれませんが)の“輝いていた頃”の話を聞いて」というご教示がとても心に響きました。「最近、自分が連れて行った旅行とか孫を介した思い出ではなく、老親が現役世代として輝いていた頃」と先生は言われました。

確かに老親介護の場面では、つい自分(子供)の目線で考えてしまいます。自分が生まれる前の、親の若い頃のことなど思いも及んでいないことに気づき、誰の人生もうんと長いことに改めて気づきました。

私の母はもともと実家の家業であるテーラー(注文紳士服の仕立て)の仕事をしておりました。兄弟の中でも母は特に手先が器用で、職人だった祖父に見込まれて高校卒業後、家業を手伝っていたのです。

結婚し、私が生まれてからも自宅に仕事場を作りコツコツと服を縫っておりました。時々、上等な服地を持った洋服屋さんが訪ねて来て、「よろしくお願いします」と母に頭を下げて依頼しているのを見て、幼心に母を自慢に思ったものです。母は私が大学に入る頃まで仕事をしておりました。

ところが母が認知症になってから、自分は「幼稚園の先生だった」と言い出したのです。実は私の娘(母の孫)が保育士志望で、時々学校で勉強したことや実地研修の話をしていたので、母が認知症で妄想しているのだと思いました。

しかしながら、「ピアノを弾いていた」「目白駅前に通っていた」「3歳児の担当だった」など妙に具体的な話が出て来るので、だんだん気になって来て、まさかと思いながら調べたのです。

すると目白駅前に、創立100年を超す幼稚園(目白幼稚園)があり、ずいぶん迷ってから問い合わせをしてみたところ、なんと大当たりでした!

正確には幼稚園教諭として働いたのではなく、母が22歳(昭和30年頃)のとき、幼稚園に併設された幼稚園教諭・保育士を輩出する専門学校で1年間学んでおりました。当時は授業がない時に学生が幼稚園で子供たちの世話をしていたそうで、母の記憶はおそらくその時のもの。結局、幼稚園に就職はせず、家業に戻ったようでした。

この件を調べてくださったのが目白幼稚園の本部長さんで、前の園長先生(女性)の息子さんでした。そして偶然にも、その園長先生は専門学校で母と同期生だったのです。残念ながら今年2月に逝去されてしまったのですが、ちょうどその頃に、悩みに悩んだ私が問い合わせをしたため、本部長さんもご縁を感じてくださったようです。

そんなことで、3月末、母と娘と私とで目白幼稚園を訪ねました。母が通っていた頃と同じ場所ではありますが、建物はきれいに建て替えられていて、流石に母も懐かしさを感じることはなかったようです。本部長さんが目白幼稚園の教育理念などを話してくださるのも、「分からないかな・・・退屈してそっぽを向いてしまうかな」と心配したのですが、母は真剣に聞き入り、本部長さんの話に呼応するように「そうよ! 子供は自由にさせて育てなきゃね」と言いました。嬉しかったです。

目白幼稚園は自然主義教育を実践した和田実さんという教育者が創始者で、「子供の遊びに手を出してはいけない」「子供が遊びを創造する力を奪ってはいけない」という教えが理念でした。母が幼稚園の先生だったとは夢にも思わなかったけれど、そう言われると私を育てた母の中にそんな教えがあったようにも感じます。今思い出すと、ですが。

前の園長先生と母が一緒に収まった専門学校の卒業写真も見せていただき、わずか1年でも本当に母が幼稚園の先生であったことを知ることができたのは、私の人生にはとても大きな出来事でした。

母はといえば、事前に言って聞かせた細かな説明にはどうもピンと来なかったようですが、幼稚園で幼児教育について語り合った時間が、とてもしっくりと来ていたように感じました。何かは感じてくれたのではと思います。

同行した娘(母の孫)が、ちょうど母が目白幼稚園に通っていた頃と同じ22歳。保育士として社会に出る直前の春休みでした。私もこの年齢だからこそ、今回の出会いに感動できたのかなと思います。人生の感動を親子で共有できることが、人生の後半の大きな喜びだと思いました。認知症かどうかは関係なく。

本田先生のお言葉から思い切って踏み出すことができ、ぜひお伝えしたく思いました。今度とも同時よろしくご指導くださいませ。

斉藤直子

斉藤さんへのインタビュー

『知識を活かせなかった後悔』

-素敵な体験談をありがとうございます。お母様が認知症と診断されたのはいつのことでしょうか。

斉藤さん 2013年のお正月のことでした。数年前から家の中が散らかったり、冷蔵庫の中に腐ったものがいっぱいあったりと「多分、認知症だろうな」とは思っていたのですが、夫婦で無事に暮らしていましたので、私も娘の受験のことなどがあり、恥ずかしながら見て見ぬ振りをしていた感じでした。

ところが、年末に父が急死して、母が一人ぼっちになってしまいまして、介護保険のサービスを使うためには介護認定を受ける必要がありますから、そのためにもと年明けに診断を受けようということになりました。

—診断を受けられていかがでしたか。

診断を受けて母もショックだったようで、何というか急にすごく認知症らしい感じになってしまいました。介護保険を使いケアマネジャーさんをつけ、ヘルパーさんに来てもらったりと態勢を整えて1年間は一人暮らしをしていたのですが、BPSD(認知症の行動・心理症状)が悪化し、顔つきも変わり、私にもいつも攻撃的でコミュニケーションが取れない感じになってしまい、お互いに一番辛い時期でした。

—日常的なことはお一人でできたのですね。

そうなんです。トイレもお風呂も大丈夫ですし、買い物も行きますし、新聞も読みます。表面的に日常生活はできたので最初の認定は要介護1で、ヘルパーさんにもちょっと見守ってもらうという感じでした。私は同じ沿線で数駅離れたところに住んでいて、毎日電話すると「買い物も行って、毎日ご飯も食べてるから大丈夫」と言うんですけど、今考えると無理があったんですよね、本当は食べていなかったらしく激痩せしてしまったんです。

—その頃、お母様は何歳でいらっしゃったのですか。

当時78歳で、年齢的にも70代はまだ生活者としては大丈夫という思い込みもあり、ケアマネさんやヘルパーさんという目もあるしと油断をしてしまった。激痩せして、さらに驚いたのが、家に行ったら母の前髪や眉毛が焼け焦げていたんです。料理の時に火加減を見ようとして燃えたようなのですが、本人にその認識が全くない。これはもう一人暮らしは無理だと思い、施設を探し始めました。

とはいえ、当時の私は施設というといわゆる老人ホームというイメージしかなく「ついに施設に母を入れるのか」と思ってしまい、かなり躊躇しました。でも調べると、自由度の高いサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)というものもあることが分かり、サ高住を中心にかなりの数の施設を見学しました。

私は高齢者や介護のことをいろいろと取材もして、情報はたくさんあったのですが、それを自分のことに活かすことができていなかったんです。記事では「まず地域包括支援センターに相談」などと書いているのに、自分では知った気になって行かなかった。実際に専門家に相談して話を聞くことが、介護にはとても大切なことだと思います。

—お母様は施設のお話をすんなりと受け入れてくださいましたか。

言い出すのにすごく躊躇したのですが、「家も汚くなって来て、一人暮らし難しそうだから引っ越す?」と聞いてみたら、母があっさりと「引っ越す、引っ越す」って。母もなんとかしたいと思っていたんだと気づいて、そこに至るまでに一年もかかってしまったことが悔やまれました。

転居先も私が三つに絞った施設とサ高住から、駅に近い賑やかな商店街にある施設を母自身が選びました。そこに移ったら見る見るうちに穏やかな母に戻り、今はとても楽しそうに過ごしています。

『輝いていた頃のエネルギー』

—ユマニチュードについては本田代表理事に取材する前からご存知でしたか。

取材などを通して名前は知っていましたが、介護の専門の方が学ぶものと思っていて、私が連載していた女性週刊誌の読者には、ちょっと縁遠いかなと考えていました。それでも介護の現場で大きな成果を上げているというユマニチュードには興味があり、ぜひお話を伺いたく思っていました。そこで、ユマニチュードの技法の根底にある 「介護家族でやりがちな間違い」「どんな姿勢で認知症の家族と向き合えばよいか」を、本田先生にアドバイスいただくという形で取材したのです。とてもよい取材をさせていただきました。

—その中でお手紙にあるようにご本人の「輝いていた頃の話」をするということに感銘を受けられた。

そうです。認知症の家族として一番、心に響きました。「昔の話」となると、どうしても子供目線のもの、本人にとっては親になってからの思い出話になってしまう。どんなに古くても私が小さい頃に行った家族旅行の思い出で、あとは、私が大人になって年取った母を旅行に連れて行ったとか、孫の成長を見せたとかになってしまう。「そこじゃなくて、お母様ご本人が長い人生の中でいちばん輝いていたところよ」とおっしゃった本田先生の言葉、まさに目から鱗でした。

本田先生も「高齢の認知症の方のご家族にそういう話をすると、大抵その辺りのことを思い浮かべるのよ」とおっしゃっていましたが、例えば私の娘からすれば、彼女は私の高校や大学時代のことは知らないわけですからね、人生はとても長いものであることを改めて感じました。

家族は全てを知っているような、分かっているような気になってしまい、そうでないと寄り添えないところもありますが、その人の「人生の輝いていた頃」に何か鍵があるという気づきは、「人間らしさを取り戻す」ユマニチュードならではだと思いました。

—そこから、お母様が幼稚園教諭になる勉強をされていたという話まで辿り着いた行動力はさすがです。

手紙にも書きましたが、母は認知症になってからそうした話をし始めて、私としてはテーラーである母に誇りを持っていたので、それを否定された気もして、妄想だと決めつけて目を背けていたんです。

ところが、保育士を目指す娘が母と話しているとその話がスルスルと出てきて、娘も「これって勉強した人じゃないと知らない話だよ」と言うんです。そんな時に本田先生のお話を聞いて、私は母の人生をきちんと見ていないのかもしれないと思い至りました。

「目白の駅前」であるとか妙に具体的なことが出てきたりしていたので、そうした材料を拾ってネットで調べたところ本当に幼稚園があったんです。謎解きのようで好奇心もあり、ライターと言う職業柄もあり、幼稚園に連絡してみたら、手紙のようなことになったんです。

母と同期であった前の園長が亡くなっていたのは残念ではありましたが、そのタイミングでしたので息子さんが熱心に調べてくださったこともありますので、偶然が重なって、本当に不思議で素敵な展開になったと思います。

—本当に素敵なお話です。

母の兄弟も認知症になってしまったりしていて情報は得られないのですが、推測するに、母は幼稚園の先生になりたかったけれど、戦後の大変な時代に祖父に見込まれて仕方なく家を手伝うことになったのかなと思います。

一時、父が病気をして休職していた時期にも母が一生懸命ズボンを縫って家族を支えました。間違いなく、母の職人としての技術が母の人生を支えてきたわけですけれど、22歳の頃には別の夢があって、孫が自分と同じ夢を持っていると言うことで思い出が蘇ったんでしょうね。

—お母様の、もしかしたら「あり得た人生」ということですね。

そうですね。今回の発見がなかったとしても、今の母や私の人生が大きく変わることはなかったと思うんです。今、目の前のことを一生懸命にやらなければならない現役世代には、親の若き日にまで思いを馳せるのは難しい。私が30代だったら同じことでもそれほど感動しなかったのではないかとも思います。

でも、私も50代後半になって、そうした思い出の大切さみたいなことがちょっと分かるようになりました。自分の若かった頃の思い出話しや、希望に燃えていた頃のエネルギーを思い出すことが、今の自分を支える力になる感じがします。だから、昔の「輝いていた頃」の話をすると、母の中にも同じこと起こるのかなと想像できました。

—お母様は今はどのようにお過ごしですか。

ヘルパーさんにお願いすることもすごく増えては来ましたが、そんな生活を受け入れているように私には見えます。母は自分の親や兄弟も認知症になる姿を見ていますので、理解して受け止め、覚悟しているのかもしれません。ヘルパーさんにも私にも「ありがとう、ありがとう」と感謝しながら機嫌よく過ごしている姿を見て、要介護になっても立派だなと、我が母ながら思います。

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

高野勢子さん

前回に引き続き、ジネスト先生の通訳も務めてくださっているフランス語通訳者の高野勢子さんにお話を伺います。今はご両親の介護をされている勢子さん。ユマニチュードの考え方に基づく観察と実験による介護のアイデアはとても興味深く、皆様のお役にも立つことと思います。

(前編より続く)

本田美和子・代表理事(以下、本田) 義理のご両親に引き続き、今は勢子さんのご両親の介護をされているそうですね。

高野勢子さん(以下、勢子さん)  はい。自分の両親の介護をするに当たって、高齢になって少し認知力が下がった時からユマニチュードのアプローチをしています。よく観察して、話し掛け方を注意するとすごくスムーズに事が運ぶので、ユマニチュードなら楽に介護ができると実感しています。

特に父は認知症なのですが、多分ユマニチュードを知らなかったら「大変だ」と思ってしまうことが、気分的に楽でいられるのはすごく助かっています。というのは、例えば排せつの世話というのは家族にとって、おそらく介護の職業に就いている人にとっても、すごく大変だと思うんですけれど、いろいろ実験して成果がありました。

本田 どのようなことですか。

勢子さん 歩かないといけない、立たないといけない、つまり足の力を付けることが必要とジネスト先生は常々おっしゃっているのですが、確かにそうだなと思います。本人が立てて歩けると、介護はすごく楽になるんですよね。

去年の春、父はコロナ禍でデイサービスに通うのを一時やめていたんです。デイサービスに行くときは、住んでいるマンションの下まで歩いていきますし、施設が広いからお風呂に入るために歩いたりもするので歩く場面が多かったのですけれど、家の中にいるだけでほとんど歩かない生活になりました。

すると、3カ月ほどした6月に母から悲鳴のような電話がかかってきて、父がご飯を食べなくなって、あちこちに粗相をしてしまうと言うんです。駆けつけてみたら、どうも父は歩けないからトイレにも行かない、ご飯を食べるテーブルまで行けないから食べない、ということだと分かりました。

じゃあ、その歩けなくなった原因は何かなと思ったとき、私がトイレに連れて行こうとしたら、ソファから立ち上がるのをすごく大変そうにしていることに気づいたんです。足の力が弱っているということもありますが、それに加えて、以前、ジネスト先生が「椅子が低過ぎると高齢者は立ち上がれない」と話していたことをハッと思い出しました。

よく見ると、世の中の大抵のソファは普通の椅子よりも低くて、特に父が使っていたそのソファは非常に低いソファでした。「ああ、これで立ち上がれないんだ」と思い、母が使っていた椅子を二つ繋げて板を渡して布団を掛け、父をそちらの椅子に座らせてみたら、割とすっと立てるんです。

本田 このお写真ですね。この高さですと体重の移動が楽なのでしょう。

勢子さん はい、ちょうど膝の辺りまで椅子の高さがあります。もう一つ工夫が必要だったのは、父はソファに座る習慣を身に付けてしまっていて、反対側に置いてある椅子にはなかなか座ろうとしないんです。そこで、お昼寝している間に椅子とソファの場所を入れ替えてみましたら何もなかったかのように、椅子に座るようになりました。

立ち上がることができるようになったら、トイレに行ったり、ご飯も食べられるようになって。さらに歩く練習をさせないと駄目だと思い、慌ててデイケアを探しました。父は耳がほとんど聞こえなくてしゃべることができないんですけれども、デイケアではスピーチセラピストがついてくれて、そちらにも目覚ましい回復があったんです。

本田 それは素晴らしいですね。ジネスト先生のお話をすごく役立てていらっしゃる。

勢子さん 私はユマニチュードを知っているので「できることは自分でやってもらわなければいけません」と思えたのは大きいですね。例えば、母は「もうお父さんは何もできないから、私が全部やらないといけない」という感じで、トイレでズボンを下ろすのもお尻を拭くのも全てやってしまって、母の方がくたくたになっていたんです。そこで私が、父に自分で立ち上がって、自分で拭いてもらうという訓練をしたら、93歳でもまた自分でできるようになったんです。

父は、歩く訓練をしたら粗相もしなくなり、排泄という大きな問題がなくなって介護は本当に楽になりました。今はテーブルの上に何か美味しそうなものが置いてあると、1人ですたすたやってきて食べちゃうんで、それが大変ですけれど(笑)。6カ月でこんなに回復するのかなと驚いています。

さらに、歩く練習をすることによって認知力、頭もしっかりしてきたようです。前は耳が聞こえないせいもあって、ほとんど発語はなかったんですが、ある時、料理をしている私に「おい、ちょっと布団を取ってくれ」と言ったんです。もうびっくりして、母と「お父さん何か言ったよ」と顔を見合わせました。それまで全くしゃべらなかったのがたまにしゃべるようになり、歩く訓練をすることで脳もしっかりするんだということを実感しました。

本田 まさにユマニチュードの「立つ」を実践された結果ですね。

勢子さん はい、ユマニチュードの研修の中で「4つの柱」の話を何度も聞いていたのが助かりました。「見る」でも、やはり老人は姿勢が前屈み気味で視線が落ちちゃうので、しっかり正面から顔を近づけて目を見て話すと、父は大抵の動作はしてくれると分かりました。

例えば、父が反対方向にすたすた歩いて行ってしまうとき、つい後ろから引っ張ったりしてしまうんですけれども、それでは絶対に動かない。父の前に行ってかがんで下から覗き込むように顔を見て、目が合うと「あ、勢子が何か言いたいみたい」と分かってくれて、「あっち、あっち、あっち」と行く方向を指差すとそちらに向かって歩いてくれます。

ヘルパーさんも目を合わせて、握手をしたり、ちょっと触れたりしていると、すごくスムーズに介護がやれるみたいです。

本田 そうですか。他には何かユマニチュードがお役に立つ場面はありましたか。

勢子さん 「5つのステップ」の「再会の約束」ですね。認知症だから約束なんかできないだろうなと疑心暗鬼になりますが、すごく上手くいくんです。研修でも「相手に拒否されたときにはケアを諦めて、違う時間に約束してやりましょう」というのがありますよね。

本田 はい、あります。

勢子さん 実は私は「本当に認知症の人は覚えていられるのかな」とちょっと疑っていたんです。ところが、実際に父にやってみたら本当に効果があるんです。

父は、私が行ったときにお風呂に入れるのですけれど、お風呂は大好きなのですが、どういうわけか「お風呂に入りましょう」と言っても拒否するときが何回かあって。こちらは夕方6時になったら電車に乗って帰らなくちゃいけないので「どうしようかな」と困っていたときに、「あ、そうだ。ユマニチュードの約束だ」と思い出したんです。

その時は午後4時だったのですが、父は耳が聞こえないから「4時半になったらお風呂に入りましょうね」とボードに書いて見せたら「はいはい」と返事をしていました。それで4時半になったら時計とボードを見せて「はい。4時半になりましたからお風呂に入りましょう」と言ってみたら、時計を見て「仕方がない」みたいな感じではありますが、ちゃんとお風呂に入ってくれたんですよ。

それが何回かあって「これは効くな」と思いました。たった30分後なんですけれど、OKなんですよね。この「約束」はすごく役に立っていて、介護拒否があるときはいつも使っています。

本田 そうですね。「約束」は本当にいいですよね。先ほど見せていただいたお写真の中に、お父さまの脇の下に勢子さんが体を入れて、肩で支えるような形で歩いているものがありましたが、これもジネスト先生に習った方法ですか。

勢子さん そうです。母は年齢的に本人が立っているのも危ないぐらいで介助は無理ですので、私1人で父を歩かせるときどうすればいいかと思って。こうやるといくらでも歩けるので本当に楽で、且つ女性1人で大きい体の人も動かせるというのがすごくいいですね。

こういうことも多分1回や2回の研修を聞いただけでは思いつかないと思うんです。何回も何回も聞いて、何気なく頭に入っていて、あるとき必要になったら「あ、そうだ。あれがあった」みたいに出てきます。そういう意味では、ユマニチュードは定期的に研修や講習を受けるのがいいのではと実感しています。そうすると、ケアのやり方だけでなくて、観察の仕方はどうすればいいのかとかいうのも、少しずつ身に付くような気がします。

本田 おっしゃるように観察の仕方ってとても大事ですよね。「よく見ましょう」といっても、相手のどこを見ればいいのか分からないですものね。

勢子さん そうですね。うちの母も私からユマニチュードの話を何度も聞いているので、上手にユマニチュードをやったことがありました。夜中にいきなり父が起きて背広に着替えて「じゃあ会社に行ってきます」と言い出したのですが、母は「そういうときは気をそらせばいいんだ」という私の話を覚えていて、「お父さん、今日は日曜日です。会社はお休みですから明日にしましょう」ってボードに書いて見せたそうです。そうしたら父が「あ、そうか日曜日か。じゃあ明日にしよう」と言って服を脱いで寝たそうです(笑)。

本田 それは、すごい。

勢子さん 私も「すごい」と思いました。パニックにならず上手く対応して「ユマニチュードちゃんとできてるじゃん」て(笑)。

幸いなのは、父は認知症になっても字が読めることです。漢字もまだ結構読めます。一度、父が服を着て出て行ってしまったことがあって、それ以来、入口に「出掛けるときは○○子(母の名前)に言ってから出掛けてください」と大きくポスターに書いて貼ったんです。それ以来、扉まで行っても帰ってくるので徘徊にならずに済んでいます。義母のときもそうでしたが、書いてそこに置いておくというのも役に立ちますね。

本田 メッセージですね。お写真をたくさん見せていただきましたが、お食事のときの写真が私はとても好きです。お父様を覗き込んでいる、目を見に行く感じが素晴らしいです。

勢子さん 放っておくと自分の好きなものだけ食べて終わりになるんですが、ちゃんと視線を捉えて「これもどうぞ」「飲み物も飲んで」と1回ずつお願いすると食べてくれます。

ただ、こちらが目を見て、ちゃんと本人に話し掛けていれば反応が返ってくるんだけれども、つい「言っているつもりだけれども、本人は全くあっちを向いて聞いていません」みたいなときもあり、そういうときには全然ご飯を食べてくれなくて、困ることになります。毎回毎回、繰り返し何回も何回も「目を捉える」というステップをしつこいぐらいやらないと駄目なんだというのは本当に感じます。

本田 それをやると全然違うという手応えがあるということですよね。うまくいかないときはやっていなかったという感じですか。

勢子さん 本当にそうです。明確に反応に出ます。本当にこちら次第という感じで、こちらがきちんとユマニチュードのステップをやっていれば、まるで普通の人、認知症じゃない人と同じような感じで反応が返ってきます。ですから、逆に「目を見る」というアプローチをしなければ、「この人は存在しません」という感じになってしまうということもよく分かります。

本田 不思議ですよね。ジネスト先生、マレスコッティ先生が「こうするとうまくいく」という方法を見つけておいてくださっていて、本当にありがとうという感じです。

勢子さん お陰でどんなに介護が楽になったか。家族は毎日、介護をしないといけないし、そういう意味ではもう本当に大変。大変だけれども、ユマニチュードのアプローチで観察と実験とその成果を見ていると割と面白いこともあり、苦痛だけではなくなります。

本田 嬉しいお話です。お父さまだけでなく、勢子さんは様々な場面でユマニチュードが使えるとおっしゃってましたね。

勢子さん ユマニチュードを最初に知ったころは、親は認知症ではなかったので、私は自分の通訳の仕事でユマニチュードを利用していました。仕事のうち、初めてのお客様というケースが大体8割なのですが、こちらもお客様に受け入れてもらえるかどうか不安、お客様の方もどんな通訳が来るか分からないという不安があります。そういう言葉には出さない不安のある状況で人が出会うと、ついネガティブな反応になりがちなんです。

そんなときにユマニチュードをやると、人間関係における不安が払しょくできる、ポジティブな関係が築ける気がしています。相手にかなり顔を近づけるような感じで、瞳を見てにっこりして、触りはしないけれどもちょっと動作を入れて挨拶をして。そういう最初のアプローチをしておくと、お客様との関係がすごくスムーズになるんです。

ユマニチュードは、要するにネガティブになりかねない人間関係をポジティブに変えていく仕方、訓練なんですよね。そして、それを何回も繰り返しているうちに自然にできるようになる。

このコロナ禍にあって、こうした人間関係だけでなく、毎日の生活、日々の状況を捉えるにあたっても、やっぱりポジティブに考える訓練というのを私たちは身に付けなくてはいけないのではと私は考えています。「いつもポジティブだね」という人がいますが、それは自然にできているわけではなくて、やっぱり訓練しているんじゃないかなと思うんですよね。

ユマニチュードはその訓練の仕方、「こういうふうにしたらポジティブになりますよ」と教えてくれる方法だなと強く感じています。

本田 面白いお話です。勢子さんとは長いお付き合いですが、こういうふうにユマニチュードについてお話する機会がなかったですから、今日はとても楽しかったです。

勢子さん そうですね。私も楽しかったです。

本田 これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

高野勢子さん

第5回にご登場いただくのはフランス語通訳者の高野勢子さんです。勢子さんとは、ジネスト先生、マレスコッティ先生が2012年に初めて日本にいらしたときに通訳をお願いしたご縁で知り合い、以来ずっと力を貸していただいています。お仕事を通じてユマニチュードに繰り返し触れていたことが、ご家族の介護にとても役立っているとおっしゃる勢子さん。ユマニチュードを実際にどう活かしていらっしゃるかお伺いしました。

本田美和子・代表理事 勢子さんとはもう丸9年のお付き合いになります。通訳を探しているときに、美しい日本語で説得力のある通訳をしていらっしゃる方をたまたまYouTubeで見つけて、それが勢子さんでした。当時、ユマニチュードを日本に紹介するに当たり、ユマニチュードで使われているフランス語の専門用語を日本語にするにはどうすればいいかについても、勢子さんの力をお借りすることができ、とてもありがたかったです。

せっかくの機会ですので、まずはユマニチュードの通訳をするに当たって、勢子さんが最初、どんなふうにユマニチュードについて感じられたか教えていただけますか。

高野勢子さん(以下、勢子さん)  通訳というよりは、その内容についてなのですが、今まであまり聞いたことがないお話で、ジネスト先生の話もすごく上手で引き込まれました。ユマニチュードは人と人を繋げてくれるということを実際の事例を通して話されて、そして認知症という大変な状況にどうやって対応していくかという話は本当に面白くて、最初2~3回通訳をしたときには「もう私の一生でやりたかったのはこれだ」と感じたほどです。

それと話がすごくポジティブですよね。高齢というだけでもネガティブに思えるし、さらに認知症だという状況はやっぱり誰もがネガティブに考えがちなのに、すごくポジティブに捉えていて。そして、さらにこういうふうに対処すればポジティブになるんだ、ということを教えてくれるという意味では本当に目から鱗という感じでした。

本田 ジネスト先生のお話は本当に楽しいですよね。今回、このインタビューを受けてくださったのは、勢子さんご自身のご家族にユマニチュードが役立ったからとお伺いしました。

勢子さん このお話を頂いて最初に思い浮かんだことは「お陰様で私はユマニチュードを2012年から知っていた」ということでした。義理の母が認知症になったのですが、そうなる前から家族としてユマニチュードを知っていたというのは、すごく良かったなと思うんです。というのは、今も言ったように認知症ってみんなの頭の中ではネガティブなものなんです。ネガティブなことしか思い浮かばない。

本田 「なっちゃったらおしまい」みたいな感じですね。

勢子さん そうです。義母は転んで頭を打って、7針縫うぐらいの怪我をしたことがきっかけで認知症になってしまったんです。だから突然だったわけですが、そのときの義理の兄の反応が「これで私たちの人生はおしまいだ」と言うんですよ。「兄弟の関係もこれで終わりだ。兄弟仲は悪くなる一方だ」と言って、私はそれを聞いてすごくびっくりしたんです。

それまでユマニチュードの研修の通訳をやっていると、認知症の人からはプレゼントをたくさんもらうんだという話をジネスト先生はされていて、認知症の人や高齢者の人と接することでいろいろもらうものがあって、そこに絆ができるんだという話をずっと聞いていたので、兄の反応にびっくりしちゃって(笑)。

私は幸いそう感じなくて済んだので、兄に「いや、そんなことはないと思うよ」と「そこまで悲観することはないんじゃないの」と言いました。できないこと、できなくなることはたくさんあるだろうけれども「お料理とかお掃除とかは人に頼んで、あとは普通に接していればいいんだよ」と言いました。

それと、母が認知症になって分かったことですが、何回も繰り返しユマニチュードを聞くというのはすごく大切なことだなと思いました。「ちょっと1回だけ」ではなく、同じ内容だと思っても、何回も聞くことによって身に付くということを本当に感じています。

本田 それはどういうことから感じられたのですか。

勢子さん 勘違いしがちですが、ユマニチュードってマニュアルじゃないんですよね。例えば「5つのステップ」をやればそれでおしまいというのではないと思います。私は現在自分の父の介護をしているのですが、ユマニチュードは本人を、つまりこの場合父をすごく観察して、それで彼がどういう反応をするかとか、どういうふうに彼に対応すれば応えてくれるかというのを「自分で考えましょう」という「考え方」を教えてくれるものです。だから、その人それぞれによって違う。

その「考え方」というのは、やっぱりすぐには分からないと思います。私たちはそうした「考え方」を習ったこともないし、そんな話を聞いたこともないですから。そういう意味ではユマニチュード研修を何回も何回も受ける、そしていろいろな事例を見ていろいろな体験をすることによって、どうしたらこちらが適応できるかということを学んでいく、そういうものだと思うんです。

だから、私は事前にユマニチュードを知っていて、それも、何回も何回も繰り返し研修の通訳の機会をいただき、それを通じて見ることができたというのは、すごく大きかった、得だったなと思います。

本田 良かったです。お兄さまには「こうやれば」という提案をなさったのですか。

勢子さん やっぱり「こういうふうにしましょう」と言ってもなかなか上手くはいかなくて。以前は義母はすごくしっかりした人で、記憶力も良くて何でも自分でできた人だったので、義兄にはやっぱりショックもあったようで、母が何かできないと怒るみたいなんです。

本田 お母さまの状況を受け入れられなかったのですね。

勢子さん そうなんです。受け入れられないんですよね。だから「お前は認知症でもう何もできないんだから、あっちへ行っていてくれ」とか言うわけです。兄にしてみれば「母はもう認知症になった」イコール「何もできない、だから僕が全部やるからあっちへ行っていてくれ」という感じなんですけれども。

本田 「やってあげるから、いいよ」とおっしゃる、優しい配慮からの言葉ですね。

勢子さん 優しい気持ちで言っているんだけれども、それでお母さんは泣いちゃって、部屋にこもって出てこなかったという話を聞いて、それは駄目だよという話をして。なかなか「こうしたらいいよ」というのも難しいです。

義姉もいて、トイレでお母さんの体を動かすことができないと言うから、お母さんよりも姉のほうが大きいから「軽く抱くようにして持ち上げて、自分が回ればいいんだよ」とかいう話をして、そうしたらできるようになったんですけれど。そういうふうに少しずつやっていくしかありません。

本田 他に具体的に工夫なさったことはありますか。

勢子さん ジネスト先生が「いつも相手を見て、とにかく観察をしなさい。観察して相手ができることはやってもらいましょう」とおっしゃっていたから、私はうちの夫と一緒に、お母さんはできないこともあるけれども、できることもいろいろあるから、いろいろ実験してみたんです。

それで、母はお料理が好きだったから、お米を炊いてもらおうと思いましたが「ご飯をつくってください」と言っても、その5分後には忘れちゃうわけです。それで、紙に「お米を炊いてください。おかずはこちらでつくります」と書いておいたら、お母さんはお米を炊くことができたんです。だから、できることって結構あります。

だけれども、それで失敗したのは、その紙をそのまま残して、お食事した後でみんな帰ってしまったんです。そうしたら翌日、またその紙を見て、お母さんはお米を炊いたんです。それが腐って数日後に発見されて(笑)。だから、書いてあれば、記憶はないけれども、次の日もちゃんと見て分かるんだということも分かりました。

本田 すごい発見ですね。他にも実験したことはありますか。

勢子さん あと実験したのは、ジネスト先生が「記憶としては残らないけれども、ポジティブなことを言う、あるいはそういう体験をすると感情記憶に刻まれる」という話を何回もおっしゃっていて、たまたま私の弟に子どもが生まれたので、「これはポジティブだ」と思い、お母さんに「弟に子どもが生まれたんです、男の子なんですよ」「かわいいですよ」と伝えたんです。そうしたらすごく嬉しそうな顔をして、「名前は?」と聞かれたので「リュウノスケというんです」と答えました。

もちろん5分後には忘れてるわけですよね。そうすると、5分後にもう1回同じことを伝えるんです。これはフランス語の単語を覚えるコツと同じなのですが、時間を置いてもう一度覚え直す。何回も何回もそれをやると記憶に刻まれるという話なのですが、何回ぐらいやれば、たとえ短期記憶がない人でも覚えられるのかなと思って、その日は5分ごとに20回繰り返しました。

ユマニチュードの事例に、認知症の方が何回も何回も同じことを繰り返すからこっちが嫌になっちゃう、という話があったんですけれども、それを逆手に取って、何回も何回も同じことをこちらから言ってみました。そうすると、そのたびに新鮮な喜びがお母さんにはあるんですね。

5分後に同じ「弟に子どもが生まれたんですよ」と言ったら「そうなの? それは良かったわね」と言う。「名前は?」と言うから「リュウノスケというんですよ」と言って、それを20回繰り返して、また次の週に行ったときに20回やって合計60回ぐらいやってみました。

そうしたら、あるとき兄から「勢子の弟に子どもが生まれたの?」と聞かれたんです。「そうだよ。誰から聞いたの?」と聞いたら「母が言ってた」と。「この話は本当なの?」と兄が言うので、「本当だよ。だから認知症になっても全然何にもできなくなるわけじゃないよ」と兄に言いました。

楽しいことは何とか覚えられる、少なくとも感情記憶に入ることが実験して分かりましたし、観察しているうちに、記憶力がなくなってしまったというのは本人も気が付いて、それが落ち込む要因にもなると分かりました。

一方で、人間の頭って、記憶以外の機能が残っていれば、他の脳の部分を使って状況を切り抜ける力というのは割とあるように感じます。お母さんも、記憶できない部分を割とうまくごまかして話をすることができるようになっていて。だから、そんなに悲観する必要はないと感じます。

本田 それはすごく面白いですね。その後、お母さまはどんなご様子でしたか。

勢子さん 認知症と診断されてからなるべく早い段階で対応する、早くデイサービスに連れていったり、歩かせることもすごく重要だとユマニチュードでよく聞いていたので、なるべく普通の生活を続けてもらうようにしました。もちろんヘルパーさんに来てもらったりするんですけれども、そのお陰で落ち着いた感じで推移しました。

しばらくしたら「これで人生は終わりだ。兄弟の仲はこれでおしまいだ」とか言っていた兄も「まあ、年相応だよな」とか言っていて(笑)。それで良かったなと思います。

本田 良かったです。ご家族が「人生の終わりだ」みたいになっちゃうと本当に介護を受けている方もつらくて大変になると思うんです。「これでいいんじゃない?」みたいにお兄さまが変わられたのは勢子さんのお陰ですね。

勢子さん 分からないですけれど、ユマニチュードの家族向けのビデオには私も登場させていただいていたので(※)、それをお兄さんのお嫁さんには見てもらったりしました。あんまり感想はなかったんですけれども少しは役に立ったんじゃないかと思います。

家族が認知症になると「大変でしょうがない」「大変でこっち(介護する側)が参っちゃう」みたいなイメージになってしまいますが、実際にはユマニチュードのアプローチをすればそこまで大変ではなくて、お風呂にも入れられるし、素直にこちらの言うことをいろいろ聞いてくれることも分かりました。義母の後、今度は義父がパーキンソン病と診断されましたが、そのときも役立ちました。

さらに今度は、自分の両親の介護をするに当たって、認知症になりかけた時点でユマニチュードのアプローチで観察をするとか、話しかけるとかすると、すごくスムーズに事が運ぶので、これは介護をしている人にはすごく楽ちんだな、楽に介護ができると実感しています。

(※ YouTubeで公開しているユマニチュードの教育映像で、勢子さんは介護がうまくいかずに困っている娘さんの役を演じてくださっています。

後編に続きます。

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

中下裕広さん、智子さんご夫妻

沖縄県石垣市の中下さんご夫妻のインタビュー後編です。アルツハイマー型認知症になった智子さんのお父様(おじい)とユマニチュードで良い関係を築けるようになったご家族は、地域でもユマニチュードを使ったコミュニケーションをなさっています。裕広さんには新たな目標も生まれたとか。その実践の経験談をお話して下さいました。

前編より続く

本田美和子・代表理事 中下さんとご両親には石垣島を訪れるたびにお世話になっています。お父様もお母様もいつ会っても明るく、楽しいお二人ですね。

中下裕広さん(以下、裕広さん)  母は今、学童保育の手伝いをしているのですが、発達障害のお子さんがいて、その子と接するときもユマニチュードを使っているそうです。「ユマニチュードの本の通りにやると、あの子たちも落ち着くよ」と話していました。

本田 そうですか。私たちは自閉症の子供を持つ親御さんたちにユマニチュードを教えるという試みを京都でやっているんですが、ユマニチュードは認知症だけでなく、さまざまな状況で広く使える技術だと思います。

中下智子さん(以下、智子さん) 私は子育てにも使えると思っています。ユマニチュードを知っていてればそんなにガミガミと怒らないで済むなと。職場で子育て中の人にユマニチュードの本を勧めているんです。

本田 それはありがとうございます。

裕広さん ユマニチュードを知って私たちが一番変わったのは、どんなときも「本人の話をきちんと聞く」ということです。何かを出来ない状況の人に対して、「こうしたらいいのでは」と自分たちが良かれと思うことを勝手に決めつけて行動するのではなく、本人には本人の気持ちや意見がある、そこを無視して進めるのは良くないと、ユマニチュードを学んで思うようになりました。

智子さん 「何か困っていることがあるから騒いでいるんだ」と、周囲にもいつも話すようにしています。大変かもしれないけれど、その原因を探してみた方がいいですよ、と。

本田 素晴らしいです。ジネスト先生も同じことをおっしゃっています。「必ず何か原因がある。原因が見つからない時もあるけれど、それは原因がないのではなく、私たちがまだ見つけていないだけなんだ」と。

智子さん 少し前の話になりますが、マンションの他の階に住まれていた高齢の女性が私たちの部屋をいきなり訪ねて来たことがありました。挨拶ぐらいしかしたことがなかったのですが、どうしてもうちの子供たちに会いたいと話されるんです。
以前だったら驚いてすぐに警察を呼んでしまうところなのですが、すぐに「これはユマニチュードだ」と思い、「今日はお約束していましたか?」と穏やかに会話を始めて、息子を呼んであげたら「この子に助けて欲しい。抱きしめてもいいか」と。息子も恥ずかしがりながらもそれに応じて、夫と共にしばらく家でお話を伺いましたら、どうも認知症ではないかと分かってきました。

本田 それからどうなさったのですか。

智子さん 今度は下の娘とお風呂に入りたいから部屋に着替えを取りに行くとおっしゃるので一緒に玄関を出たら、その瞬間に「子供の泣き声がする」と困惑されたようになったので、「一緒にお部屋に行ってもいいですか」と聞いてご自分の部屋までお連れしました。
階段を1段1段ゆっくり降りるよう介助して、自分の部屋にたどり着いたら、我に返ったように「今日は疲れたからもう休みます」とおっしゃるので様子を見て、私たちも家に戻りました。その方のご家族の連絡先も分かりませんし、大丈夫かなと気がかりではあったのですが。

裕広さん 私も気になって、病院の精神保健福祉士の方に対応の仕方を聞いたり、不動産屋さんや市役所に行った時に福祉関係の方にこのことを伝えたら、それが回り回って息子さんに伝わり、結果的に入院されたようです。

本田 素晴らしい対応でしたね。

智子さん 後から聞きましたら、コロナ禍でヘルパーさんや給食サービスといった支援が途切れ、誰とも会わない状況になって症状が悪くなっていたらしいんです。1時間くらいの出来事でしたが、ユマニチュードを知っていなかったら私たちも対応は違っていたと思います。

裕広さん ユマニチュードを学ぶ以前でしたら、2人ともその女性を単に「迷惑をかける人」としか思わず、警察を呼んで解決だったと思います。でも今は「困っている人」と思えるようになり、そこには原因があるはずで、それをなんとか出来ないかと思うようになりました。認知症だけでなく、人と人との関わりでもお互いにこうした意識があればもう少し優しい社会になるのかなと思います。

本田 泣きそうになるくらい嬉しいお話です。

裕広さん いえ、こちらこそユマニチュードに目を開いてもらったような感じでいます。ユマニチュードをきっかけにソーシャルワーカーを目指そうと思い、今、勉強しています。

本田 それは凄い。もうすでにソーシャルワーカーのような活躍をしていらっしゃいますね。お父様とお母様も喜ばれているでしょうね。

裕広さん 父はお酒をやめてふさぎ込んだ後、そのままになってしまうかと思ったのですが、最近、どんどん行動的になって、母と一緒に畑仕事をしたり、家の改造をしたりと、行動を見ている限りでは認知症とは思えません。

智子さん 物をどこに置いたかということは忘れたりするんですが、片付けなどの作業は時間はかかりますがやり遂げられるようになっています。

裕広さん 意外なことに何カ月も前に会った人との約束は覚えていたりするんです。随分と前に会った人が今日の何時頃に来ると父が言うので、本当かなと思っていたら実際に来て驚いたことがあります。「おじいは認知症だから」と僕が色眼鏡で見ていたことにハッとしました。認知症の人が「人として扱われない」という話を聞いたことがありましたが、こういうことだなと反省しました。

智子さん 母は、朝は父と畑をやり、昼間は学童保育の仕事、帰ってからも畑仕事と75歳とは思えないほど元気に忙しくしています。ユマニチュードのおかげで、おじいが穏やかでいてくれる今が一番幸せだと言っています。

本田 おじいもおばあも、智子さんと裕広さんも素敵なご夫妻ですね。ジネスト先生と一緒に石垣島にうかがう機会を作って、またぜひお目にかかりたいです。貴重なお話をありがとうございました。


中下さんご家族と共に。後列左が裕広さん、前列右が智子さん

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

中下裕広さん、智子さんご夫妻

今回、ご登場いただく中下さんご夫妻は沖縄県石垣市にお住いです。石垣島では同県立八重山病院の内科医、今村昌幹先生が旗振り役となり4年前からユマニチュードの講習会が様々に開かれていて、今村先生と仕事を共にされている裕広さんとご縁が出来ました。智子さんのお父様がアルツハイマー型認知症と分かったことから、ご家族皆でユマニチュードを独学し、今ではその哲学を地域の方とのコミュニケーションにも役立てていらっしゃるというお二人。その実践の様子を2回に分けてご紹介します。

本田 裕広さんが、運転手のお仕事で今村先生の訪問診療にご一緒されていることからユマニチュードを知ったそうですね。ユマニチュードに興味を持たれたのは、お父様のことでお困りのことがあったからでしょうか。

中下裕広さん(以下、裕広さん)  ユマニチュードに出会う前の話からしますと、妻の父親、おじいがお酒を飲むと暴言を吐いたり、暴れることがありました。若い時からそういう傾向はあったので酒乱だと思っていましたが、3日に1回ぐらいのペースで母から「助けてほしい」という電話がくるようになり、「困ったな」と思っていた時に、テレビや新聞で紹介される認知症の症状にどうも似ているなと気づいたんです。今村先生に聞いてみましたら、認知症の可能性があるので主治医に相談してみなさいと言われ、妻が聞きに行ったところ、実はすでに認知症の薬が出ていることが分かりました。

中下智子さん(以下、智子さん)  アルツハイマー型認知症とそのとき初めて知らされ驚きました。初期ということもあったようですが、母にも本人にも認知症とは伝わっていなくて、「脳にモヤっとしたものがあるから気をつけて」というくらいの説明だったようです。本人はもしかしたら聞いていたのかもしれないのですけれど。

本田 お父様がお酒を飲むと手に負えなくなるということは長く続いていたのですか。

裕広さん 1年ぐらいです。さらにお酒に酔っていないときでも、「おばあ(母)が浮気をしている」と現実では考えられないような事を話すときがあり、この症状で認知症ではないかと思うようになりました。

本田 そこで今村先生にご相談になったのですね。

裕広さん 治療や介護は本人の協力なくしては無理だと思ったので、主治医に父にはっきりと認知症であることを伝えてもらったのですが、今度は逆にふさぎ込むようになりました。ボーッとする時間が長くなり、このままでは寝たきりになるのではと心配をしていたところ、今村先生に「ユマニチュードを試してみたらどうか」と本田先生が出演されたニュース番組の映像を見せていただいたんです。

本田 ご覧になってどう思われましたか。

裕広さん ユマニチュードで認知症の人がこんなに変わるのかと驚きましたね。半信半疑でもあったのですが、藁にもすがる思いでしたから、まずはユマニチュードの本を読んでみたんです。ちょうどそのとき、仕事で行く診療所でたまたま認知症の男性を屋外から誘導する機会があり、僕が出来る範囲ですが、目線を合わせて笑顔で挨拶し、優しく腕に触れながら「診療所に一緒に行きませんか?」と話したら同意してくれました。診療所内にお連れし椅子に座ってもらったら笑顔も返してくれたんです。「ユマニチュードって本当に使えるんだ」とすっかり感動して、家でやってみようと家族に話しました。

本田 裕広さんからお話を聞いて智子さんはどう思われましたか。

智子さん 私はもともと介護の仕事をしていたことがあって、認知症の方と接する方法を若干は知っていたんです。目線を合わせたり、顔を近づけて話すことは自分なりにやっていたこともあり、ユマニチュードは私にはとても入りやすかったです。

本田 実際にお父様にユマニチュードを行ってみたときはいかがでしたか。

智子さん 最初は手を繋ぐのがとても恥ずかしかったんです。でも、父が「飲みに行く」というので付き添うことになり、夜道で人の目も気にならないので思い切って手を繋いでみました。35歳を超えて、75歳の自分の父親と「恋人繋ぎ」をして(笑)、石垣の夜道を30分ぐらい「気持ちいいね」「楽しかったね」と会話をしながら歩いて帰宅したら、いつもなら酔って帰ると家で暴れるのが当たり前だったんですけれど、その日は落ち着いて部屋に入って寝てくれたんです。(ユマニチュードは)「あ、こんな感じでいいんだな」と思いました。ちょっと恥ずかしかったですけれど。

本田 素敵なご経験ですね。

智子さん 精神科の先生に診ていただいてアルコールを止めるための薬を飲み始めていたこともあり、その頃から、本人が「お酒は要らない」と言い始め、普通の会話ができるようになりました。たまに被害妄想的なことは言うのですが、それを以前は暴言で表現していたのが、「おばあが他の人と出かけているんじゃないかと思うんだよ」と自分の悩みとして話してくれて。私も「じゃあ、おばあにどこに行くのか聞いてみるね」と、父の話をきちんと聞いて答えるようにしていたら、段々とそう言うことは言わなくなって来ました。

本田 ユマニチュードは治療ではなく、コミュニケーションのとり方です。お困りのときに、それまでとは違うやり方をしてみたら変化が生まれたと伺って嬉しいです。裕広さんはいかがでしたか。

裕広さん ユマニチュードの考え方が私たち家族を変えたと思います。相手の言っていることを聞いて尊重する。自分たちがやって欲しいことは、相手に伺いを立てて許可をもらってからやるというスタイルに変わりました。母がとても勉強してくれて、自分がやりたいことは、父にまず相談してからやるように徹底したら、2人の関係がとても良くなりました。

智子さん 例えば、我が家に来ているときも、それまでは「どこへ行った」「帰りが遅い」と父から電話が鳴りっぱなしで、母が帰宅すると怒っていました。それを「孫が遊びたいと言っているから、帰りが遅くなるかもしれないけれど良い?」と聞き、父がそれに許可を与えるというスタイルにしてからは、母が帰宅しても怒らないようになりました。

本田 素晴らしいですね。

裕広さん 家族でユマニチュードを学び始めたころが、ちょうど本田先生とジネスト先生が石垣島に初めて来られるタイミングで、お二人にお会いし、講習会を覗かせていただいたのもユマニチュードは良いと確信できることに繋がりました。


中下さんのご両親とイヴ先生、

本田 最初に石垣島に伺ったとき、おじいとおばあが営んでいらっしゃった民宿で食事をさせていただいんですよね。三線に合わせておばあが踊ってくださって。ジネスト先生はその時に撮影した、おじいとハグしている写真を今でも大切にされています。

裕広さん それは嬉しいです。特に母はジネスト先生にお会いしてからガラッと変わりました。年齢が年齢なので気恥ずかしいところもあったようなのですが、実際にユマニチュードで接すると父が穏やかになるので、それまでは愚痴ばかりだったのが、「おじいがこう変わったよ」と私たちに嬉しそうに報告してくれるようになりました。

智子さん 最近では会うたびに「おじいが優しくて、とても楽しい」とのろけています。結婚してから今が一番幸せだそうで、何度も同じことをいうので、おばあの方が心配なくらいです(笑)。

本田 なんて素晴らしい。本当に素敵なご夫婦ですね。

※後編に続く

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

大津省一さん、信子さんご夫妻

認知症の信子さんと、信子さんの介護をされている省一さんは、前回の片倉美佐子さんと同様、福岡市が行なっている市民向けの講座でユマニチュードと出会われました。ユマニチュードにより再び信頼関係を取り戻すことができたというお二人には、福岡市と当学会で制作した映像「介護に笑顔があふれだした〜福岡市のユマニチュードの取り組み」にもご登場いただいています。

今回は、その映像の取材でイヴ・ジネスト先生と共に大津さん宅を訪問した折に伺ったお話をご紹介します。

ジネスト先生 今日はお招きいただきありがとうございます。信子さんは笑顔がとても素敵ですね。皆の宝物のような方です。

省一さん 今はもう完全に私のことを信じ切ってくれています。「あなたがいればもう何も要らない」と言ってくれているんです。

ジネスト先生 それは素晴らしい、愛の力ですね。

本田 信子さんと一緒に福岡市のユマニチュードの講座に参加されたのは3年前ぐらいのことです。その時にジネスト先生にお会いになったんでしたね。

省一さん そうです。市政だよりでたまたま見つけたのですが、ユマニチュードには本当に助けられました。妻が認知症を発症したのは10年ほど前ですが、その当時は声の掛け方すら分かりませんでした。なぜ何度も同じことを言っても分からないのか、同じ部屋に2人でいるのだから当然分かっているだろうと思っても反応がないから、私もついイライラして「言うたろうが」と怒ってしまう。そういうことの繰り返しでした。

本田 お辛かったですね。

省一さん 妻は30年前からうつ病を患っていました。しかし、それとは全く症状が違うんです。お金が無くなったと騒いだり、不安感が強く、私が同窓会の幹事のためたくさんの人から電話がかかってくるのを他の女性関係かと疑ったり。料理を作ろうとしても味噌の置き場や包丁のある場所が分からなくなるので出来ない。病院は薬を出すだけで、どう対応したらいいのか看護師さんに聞いても教えてくれない。様々な研修にも出てみましたが、全く解決できませんでした。何もない状態で自問自答を繰り返し、発症してから4〜5年は本当に辛くて、苦しかったです。

本田 ユマニチュードの研修を受けられて何が変わりましたか。

省一さん 認知症の症状に対して、具体的に「こうすればいい」ということを教えてもらえたのが本当に助かりました。そして、何よりまず手を握ることで変わりましたね。ユマニチュードでは下から支えるように「触れる」と教えて貰いましたが、日課の散歩の時にまずは普通に手を繋ぐようにしました。

本田 お散歩は毎日ですか。

省一さん 一年365日、雨が降っても雪が降っても朝4時半から出かけます。うつ病の頃から始めましたが、ユマニチュードに出会うまでは、私が先に歩いて後から妻が付いてくる感じで、妻は手を繋ごとうするのですが、恥ずかしくて私が振り払っていたんです。その手を繋いでみたら、妻はギュッと握り返して来ました。手を繋ぐことは、妻の安心感に繋がったようで一番大きな変化だと思います。妻に笑顔が増えました。

本田 ユマニチュードを実践して難しかったことはありますか。

省一さん 難しいということはなかったです。スッと入って来ました。疑問に思うこともありませんでした。ユマニチュードには哲学があるので、研修のノートを読み返すたびに奥が深いなと思います。相手をどう思いやるか、相手の人生を考えこちらがどう応じるのか。(認知症の)妻には昨日もなければ明日もないんです。あるのは今だけ。今日を精一杯に生き、妻が安心するように一緒にいることが大切です。ユマニチュードでは「目を見てゆっくり話す」のですが、そうすると相手に嘘もつけないし、喧嘩にもなりません。もちろん頭にくることもありますが、「こらっ」ていうくらい(笑い)。今は新婚の時みたいで一番幸せだと思っています。手を繋ぎ始めたときはすごく恥ずかしかったのですが、今は周りの皆から、自分もやりたいが出来ない、どうしたら出来るのかと聞かれます。

本田 どう答えられるのですか。

省一さん 「愛しているからです」と言ってます(笑)。妻と手を繋いで歩いている姿を見て、すれ違う方が「感動しました」と涙ぐんでくれたり、デイサービスの施設でも職員の方に「理想的」と言われますので、私たちも少しは良いことをしているかなと思います。

信子さん 夫がいてくれるからです。私に限らずみんな楽しく出来ればいいですね。

ジネスト先生 ところで省一さんには、昼寝をするなど信子さんから目を離していいとき、1人で休憩が出来る時間はありますか。

省一さん 週に2回、デイサービスに行きますが、昼間はまず1人で置いておくことは出来ません。例えば庭仕事で外に出るときも10分もすると私を探しに来ます。2歳ぐらいの子供の感じです。

ジネスト先生 それでは一つ提案をしましょう。

ワンポイント・アドバイス

 信子さんは先ほどからよく歌を歌われていますので、信子さんに向かい合っているようにカメラを見つめ、省一さんが歌っている映像を撮影してください。省一さんが何か用事があるときは、その映像をパソコンやタブレット端末、もしくはテレビなどで流しておくのです。
 これはフランスで奥様のお世話をしているご主人のケースなのですが(と言いながら省一さんに映像を見せる。註・この映像はDVDユマニチュードで見ることができます 。)奥様はご主人がいなくなると心配で仕方がなくなり、お手洗いにも付いてくるほどで、ひとりにできなくてお困りでした。そこで、お料理をしなきゃいけない、庭仕事をしなきゃいけないという時に、奥様をテレビの前に連れて行き、ご主人の映像をテレビで見られるようにするんです。
 歌を歌うのがお好きなご夫妻で一緒に歌った映像があるんですが、奥様はこれを30分くらいずっと見ていられるので、その間にご主人はやらなければいけない仕事ができるのです。

省一さん これは素晴らしいですね。

ジネスト先生 今、撮影してやってみましょう。例えば信子さんとの楽しかった旅行のお話など奥様が覚えていらっしゃる可能性のあることを1分ほどで構いません、信子さんの目を見て話しかける感じでカメラに向かって話してみてください。

省一さん (タブレット端末のカメラに向かって)お前とはよく山に行ったな。山の歌でも歌うか(と「山のロザリア」を歌う)。

(注釈:撮影後、その映像をタブレット端末で信子さんに見てもらうと、信子さんは集中して画面に見入り「山のロザリア」を歌い始める。その間にそっと省一さんが部屋から出ても信子さんは気づかずに歌を歌っている。数分の後、省一さんが部屋に戻る。)

ジネスト先生 省一さんがいなくなっても大丈夫でした。しっかり顔を上げて、目を見るように撮影するのがコツです。イヤホンで音だけ聞いてもらうというのも良いかもしれません。

省一さん こういう風にして歌ったのは初めてですが、ぜひやってみます。今日は先生方から良い材料をいただきました。

ジネスト先生 (省一さんを笑顔で見つめてる信子さんに)省一さんのことが好きですか? 結婚したい?

信子さん もうとうの昔にしています。

省一さん 今年で結婚50年になります。

本田 金婚式ですね。おめでとうございます。

信子さん (笑いながら)目出度くもあり目出度くもなし、です。

省一さん (大笑いして)私には良い女房です。散歩の時に「お父さんと結婚して良かった。手を繋いで歩けるから」と言ってくれます。2人の時間が持て、今が一番良い時だと思います。

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

片倉美佐子さん

第1回会員ミーティングにゲストとしてお招きした片倉美佐子さんのインタビュー後編です。福岡市の市民向け講座でユマニチュードに出会った片倉さんは、認知症を知るために心理学を学ぶなど意欲的にお母様の介護に取り組まれていますが、家族ならではのユマニチュード実践の難しさもあったとお話して下さいました。

※第1回会員ミーティングの模様は会員限定で配信中です。

前編より続く

本田 ユマニチュードのことは福岡市の講座で初めてお知りになったそうですが、ご参加くださったのはお母様の介護で何かお困りなったことがあったのでしょうか。

片倉さん はい、2016年の12月の市政だよりで講座があると知り、申し込んだのがきっかけです。これまで認知症について学ぶという講習に参加したことはあったのですが、介護の仕方を具体的に教えてくれるところはなかなかなく、母の介護はこれでいいのだろうかと常々思っていましたので良い機会だと思い参加しました。

本田 片倉さんはとても前向きに認知症のお母様の介護に取り組んでいらっしゃいますが、精神的にお辛い時期はありませんでしたか。

片倉さん 最も辛かったのは認知症という診断がつくまでですが、父が亡くなり母と二人暮らしになってからは、認知症への具体的な対応の仕方が分からず途方に暮れることがありました。デイケアを受けている病院で認知症の家族会に参加もしたのですが、皆さんの経験談が参考になる反面、「母も私のことを分からなくなってしまうのでは」「話も出来なくなるのでは」と将来への不安を感じるようになってしまって。セキセイインコの世話や鍼治療に連れて行き母を追い詰めてしまったのも、私の不安と焦りから出た行動だと思います。

本田 そのお気持ちが変わるきっかけがあったのでしょうか。

片倉さん 母が徘徊し、息子夫妻も駆けつけるという事態となったとき、息子たちに「申し訳ない」と思うと同時に、ハッと「自分がしっかりと構えないといけないんだ」と気付いたんです。責任感というのでしょうか、母に分かってもらおう、母を変えようとするのでなく、私が責任を持って母と向き合おうという自覚が芽生えました。

本田 放送大学で心理学を学ばれたそうですね。ユマニチュードの市民講座にいらしたことも同様ですが、片倉さんの行動力は素晴らしいです。

片倉さん はい、思いつくとすぐに行動に移さないと気が済まない性格です(笑)。放送大学は認知症とはどういうものか知りたいと思って入学し、2018年に卒業しました。卒業研究は母と私の介護のことを題材にしたんです。他にも、在宅ホスピスでボランティアをしたり、食育アドバイザーの資格も取りました。


第1回会員ミーティングの様子

本田 お仕事もしながら介護と勉学、お忙しかったでしょう。

片倉さん 初めは認知症の母がいることを職場になかなか伝えられずにいたのですが、ある朝、母がお世話になっている施設から「(家に)迎えに来たがいない」と職場に電話が入ったため意を決して上司に話し、心が軽くなりました。ただ、その上司が替わると夜勤の仕事が増え、休みも取りづらい環境になってしまって。加えて私自身も右肩鍵盤断裂で入院して手術を受け、退院後も週3回のリハビリを継続しなければ肩が上がらなくなってしまいました。介護にリハビリとこれ以上は会社には迷惑はかけられないと思うようになると同時に「これを機にスッキリと気分を変えたい」とも思うようになり、仕事を辞めることにしたんです。辞めて6年になりますが、収入は減ってしまったものの私自身のリハビリもしっかり出来て、大学も卒業できましたので後悔はありません。

本田 ユマニチュードの市民講座を受けられたのが3年半前ですね。初めてユマニチュードに触れたときはどう感じられましたか。

片倉さん はい、初回に「話す」(参照:ユマニチュード4つの柱)ことが大切で「会話を今の3倍に増やしましょう」と聞いて、それがとにかく「難しいな、どうしたらいいかな」と困ったことを覚えています。新しいセキセイインコを「レモン」と名付けて飼い始めたときでしたので、とにかくレモンのことを話題にして必死に母に話しかけました。すると次第に母が発する言葉が増えて来たんです。施設から帰ってくると「レモンちゃんが待ってるね」「レモンちゃん、ただいま」と自分から話すようになったのが嬉しかったです。

本田 実践したことの効果が目に見えると嬉しいですね。実践するのが難しかったことはありませんでしたか。

片倉さん ノックをして「来訪」を告げるということはすぐに実践したのですが、相手の正面で「視線を捉える」ということがなかなか出来ませんでした。「そんなことをしなくても母は私のことを見ているから大丈夫」と勝手に思い込んでいたんです。ところが、部屋に放していたインコが母の体に停まったときに、母がもの凄く驚いたんですね。私からすると母の元に飛んでくる様子が「見えていたはず」なのですが、母には「見えていなかった」ことに気づいたんです。それからはしっかり母の正面で視線を捉えることを心がけるようにしました。

本田 目線を合わせるということには、ご家族ならではの気恥ずかしさがありましたか。

片倉さん はい。同じようにハグや手を取ることもなかなか出来せんでした。会員ミーティングでもお話ししましたが、2回目の講習のときにジネスト先生に私自身が挨拶のハグをされたとき、ふわっと体も心もあたたかくなって、体に触れるというのはこういう効果があるんだと実感したんです。それ以来、母を優しく抱きしめたり、手を取ってさすったり出来るようになりました。

本田 それは素晴らしい。

片倉さん 講習を受けた後にケアのポイントをハガキで知らせてくださるなど、いつも気にかけてくださっている感じがしてユマニチュードを続けて行く励みとなりました。今は「目を見る」「ハグする」といった私のオーバーアクションが母には心地よく、また安心感にも繋がっているとよく分かります。母は最近は落ち着いている時間が増え、ジグソーパズルに凝っています。とても集中して楽しんでいるので、パズルをしているときなら私も30分ほど外出できるようになりました。デイケアやデイサービス、ショートステイなども利用しつつ、そうした一人の時間を作れるようになったことが私にはありがたいです。

本田 ご家族で介護されていると知らず知らずに頑張り過ぎてしまうことがあります。ご自身のための時間を作ることはとても大切ですね。

片倉さん だからこそ、ユマニチュードをもっと多くの人に知って欲しい、そして実践して欲しいです。私ももっと早く知っていたら、と心から思いました。ユマニチュードの技術を一つ取り入れるだけでも変化は起きますから。微力ですが私も認知症の家族の介護をされている方々に向けてユマニチュードの素晴らしさを発信をしていけたらと思っています。

本田 とても頼もしいです。これからもよろしくお願い致します。貴重なお話をありがとうございました。

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

片倉美佐子さん

片倉さんは福岡市が開催している市民向けの講座でユマニチュードを学び、認知症のお母様との暮らしに役立てていらっしゃいます。3月15日に行いました本学会の第1回会員ミーティングでゲストとしてユマニチュード実践の貴重な体験談を語っていただきましたが、さらに詳しいお話をご紹介します。

※第1回会員ミーティングの模様は会員限定で配信中です。

本田 ユマニチュードのことは福岡市の講座で初めてお知りになったそうですが、ご参加くださったのはお母様の介護で何かお困りなったことがあったのでしょうか。

片倉さん はい、2016年の12月の市政だよりで講座があると知り、申し込んだのがきっかけです。これまで認知症について学ぶという講習に参加したことはあったのですが、介護の仕方を具体的に教えてくれるところはなかなかなく、母の介護はこれでいいのだろうかと常々思っていましたので良い機会だと思い参加しました。

本田 お母様の介護をお始めになったのはいつ頃ですか。

片倉さん 実際に認知症という診断を受けたのは2007年なのですが、母の行動がおかしいと思い始めたのはもう20年近く前です。買い物に出て帰り道が分からなくなって歩き回ったり、食事の時もたくさんのおかずがあるのに一品だけをずっと食べ続けたり、それまでとは違う行動が増えました。父に対しての猜疑心も強くなり、父の行動を極端に制限するようにもなりました。とは言え、私は朝の7時に家を出て夜も7時過ぎまで仕事という日々でしたから、父がなるべく母に寄り添い、私も出来る範囲で一緒に過ごすという感じでいました。

本田 認知症と診断されたのはいつ頃でしょうか。

片倉さん 症状が出始めて5年後に脳の問題ではないかと思うようになり、ようやく脳神経外科を受診したのですが、その時は多発性脳梗塞という診断で認知症についての言及はなく、全く問題は解決しませんでした。翌年、もう一度受診して、ようやく認知症という診断を受け投薬が始まりました。母は父と一緒にいると比較的穏やかでそれまでと変わりない様子でいてくれたのですが、父が癌を患い他界し、私とふたり暮らしになってからは大変な状態になりました。仕事帰りに電話を入れるなど少しでも母に寄り添う工夫はしていたのですが、母の不安は増すばかりでいつも険しい顔をしていて。帰宅すると家中が散らかっていて「財布がない」と騒ぐこともあり、私も母の妄想で疑われることがやる瀬なく、かなり感情的に母に接していたと思います。

本田 それは大変でしたね。公的な援助はご利用になりましたか。

片倉さん 徘徊もあり、半年後にはさすがにこの状態を続けるのは難しいと思い、介護認定を受けてデイサービスを利用することにしました。ただ母に合うところがなかなか見つからず、3カ所ほど見学したのちに、今もお世話になっている今津赤十字病院(福岡市)の認知症のデイケアにたどり着きました。週に3回のデイケアに隣接する特別養護老人ホームのデイサービス、ヘルパーの訪問を段階的に増やして、仕事と介護を両立できるようになりました。担当してくれた係長さんとの出会いが私には本当にありがたく、そうしたケアの専門家の存在に本当に助けられました。


第1回会員ミーティングの様子

本田 具体的にどのようなことがお役に立ったのでしょうか。

片倉さん 認知症の人に話すときは「情報を一つに絞る」などの対応の仕方を教えていただいたことが役立ちましたし、何よりも困った時に相談できる相手がいるということで精神的に楽になりました。デイケアでの勉強会や家族会への参加も薦められて、認知症を知ることで前向きに母と向き合えるようになったと思います。介護だけの生活にならないようにと気分転換を兼ねて母と旅行もするようになりました。台湾に3泊4日で出かけたり、母の故郷の徳島や若い頃に住み込みで働いていた京都など3年間に合わせて12回、一緒に旅を楽しみました。

本田 それは素晴らしいですね。旅先は慣れない環境になりますがお母様は落ち着いていらっしゃりましたか?

片倉さん なるべく多く声を掛けて母の不安を取り除くようにして、ほとんどの旅では落ち着いていたのですが、2回だけ不穏の症状が出てしまったことがありました。親戚と一緒の旅行のときと初孫誕生の会食のときでしたが、私が親戚との付き合いを優先させて母への気遣いを二の次にしてしまったためだと思います。

本田 そうでしたか。

片倉さん 他にも失敗がありました。一人のときに寂しくないようにと思い母の好きなセキセイインコを飼い、ノートに餌やりのことなどを細かく書いて世話を頼んだのですが、どうやらそれが母にはストレスとなってしまったようです。夜間に母が徘徊する事態となってしまい、この時は離れて暮らす息子夫婦も駆けつける騒ぎとなりました。また鍼治療が認知症の進行を抑えるのに良いと聞いて受けさせたのですが、母はその後ずっと硬い表情で無言となり、床についてからも泣いていました。デイケアの係長さんから「嫌な感情はいつまでも残るので、本人の嫌がることはしないように」と言われ、自分の思いだけで母に物事を強要していたことにハッとしました。

本田 介護をする方が良かれと思ってやっていることが、介護を受ける方にとっては受け入れられないということはよくあるのですよね。会員ミーティングでジネスト先生も話していらっしゃいましたが、ユマニチュードは相手にあなたのことを大切に思っているんですよ、という気持ちの「届け方」を伝えるために作られたものなのです。

片倉さん それはユマニチュードを学んでよく分かりました。今は母に何かをさせようとするのでなく、「一緒にしよう」と思うようになりました。何でも声を掛けながら、ゆっくりゆっくり時間をかけるように心がけています。

ワンポイント・アドバイス

ご自宅でご家族の介護をされていらっしゃる方々は、ケアの専門家とは違い、いきなり介護をしなければならない状況となり、しかもいつ終わるか分からないという状況の中でご自身の生活と介護を両立させなければなりません。こうした困難に直面したときは、どうぞ周囲に助けを求めて下さい。

片倉さんはお父様がお亡くなりになった後、デイケアやデイサービスといった公的介護保険によるサービスを積極的に利用することで、お母様の介護とご自身の仕事を成り立たせることが出来ました。また息子さんご夫妻の支えも大きかったとおっしゃります。周囲に支援を求めることも介護の重要な技術なのです。

※片倉さんへのインタビューは後編に続きます。

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

坂登美子さん

認知症のお母さまの介護に悩んでいたとき、NHKの情報番組を通じてユマニチュードと出会った坂登美子さんの体験談の後編をお届けします。
お母さまの介護を通して見えた様々な課題をお話して下さりました。

前編より続く

本田 お母さまが亡くなられてお仕事を再び始められたそうですね。

坂さん はい、本当は前の職場で60歳の定年まで働こうと思っていたところが、母のすべての世話がのしかかってきて50歳で人生がパッと変わりました。先日、一周忌の法要を終えましたけれど、介護をしているときはよく眠れませんでしたし、頭もカッカとして食欲もない状態で。母が他界してしばらくはフワーッとしていて、仕事を始めてようやく地に足が着き社会復帰した感じがあります。社会とつながりを持ちつつ、日常的に介護もしている方たちも多いですけれど、本当に皆さん凄いなあと思います。

本田 介護と仕事の両立がとても大変だとよくお伺いします。ご自宅での介護にユマニチュードが少しでもお役に立てるよう家族介護者の方向けの講習会を行っていますが、最近、スマートフォンやタブレット端末を使った新しい支援の実証研究も福岡市などで始めています。講習を受けた後で実際にご家庭でケアをしている様子を動画で撮影して送っていただいて、それをユマニチュード認定のインストラクターが見て「こうしたら」と介護のコツを提案して送り返します。これまでケアの技術は現場で教えることが前提でしたが、インターネットを使って遠くにいても教わることができるシステムを開発するための研究です。
(詳細はこちら ※現在は受付を終了しています。)

坂さん それはありがたいシステムですね。 私もそうでしたが、遠方に住んでいるとなかなかユマニチュードを学ぶ機会がありませんから。私は母の介護をしていて、ユマニチュードが家族だけでなく、デイサービスなどの施設を始めとして地域のいろいろな所に広まるといいなと実感したんです。

本田 具体的にどういう場面でそうお感じになったのでしょうか。

坂さん ジネスト先生に教えてもらったように介護をして、母は家では確かに穏やかになったのですが、デイサービスに行くと帰って来たときは機嫌が悪くなっていて大変だったんです。デイサービスでは少し動くと「座っていて」と言われたり、トイレに行くと言えば人が付いてきたりと過干渉な状態で行動を抑えられるのが嫌だったのだろうと思います。家と施設で環境が変わるのも認知症の母には大変だったのでしょうね。私が一人になれる時間がないと精神的にも体力的にも辛かったので仕方のないことではあったのですが。

本田 介護をしていらっしゃる方が、ご自身の時間を確保するのは、とても大切なことだと思います。デイサービスを上手にご利用になったのですね。

坂さん 私が休息できる、という点でデイサービスはとても助かったのですが、デイサービスでもユマニチュードのケアをして貰えたら、と何度も思いました。それと母の血圧が高くなり救急隊にお世話になることが3回あったのですが、母にはものすごく苦痛だったようです。救急隊員の方は悪くないんですよ。ただ認知症の母には、血圧を測るのにいきなり腕を圧迫されるのが殺されるのではないかという位に恐怖を感じるらしくて大騒ぎしてしまうんです。搬送先の病院でも、年寄りだからと大きな声で話しかけてくる看護師さんがいらして、それも母はすごく怖かったようで「帰る」「殺される」とそれはそれは騒いで。

本田 助けに行ったのに受け入れてもらえない、というのは、救急隊の方々にとってとても大きな問題になっていて、福岡市消防局の救急隊のみなさまから相談をお受けしています。それで、昨年から救急搬送のためのユマニチュードをお教えすることになったんですよ。

坂さん 母が倒れてどうしようもなくて救急車を呼んでいるのに、さらに酷くなるという目も当てられない惨状になってしまいました。福岡市では救急隊や病院でもユマニチュードの講習会が開かれていると聞いて、それは認知症の家族がいる人にはとてもありがたいことだと思います。病院には認知症だけでなくいろいろな病気の方がいますから、ユマニチュードが広がると助かる方は他にもたくさんいると感じます。

本田 ユマニチュードはケアの様々な現場で有効で、例えば、自閉症スペクトラム傾向のあるお子さんをお持ちの親御さんにユマニチュードをお教えする試みも始めています。坂さんのように、実際にユマニチュードを実践された方が「ユマニチュードは役に立つ」と言って下さるのが、私どもにはとても嬉しい応援です。

坂さん 母の一周忌のときにご住職にユマニチュードの話をしたらとても興味を持たれて、本を借して欲しいとおっしゃってくれました。こんな風にちょっとした機会にユマニチュードのことを話して広められたらいいなあと思います。母が亡くなり、心の整理がつかず介護のことを直視出来ずにいましたが、少しずつ癒されてきたと感じています。母が最期にお世話になったグループホームの方がNPO法人を設立して高齢者から赤ちゃんまで集える場所を作りたいとおっしゃっているのですが、ユマニチュードにも興味があるようで、今度覗いて来ようかなと思っています。

本田 坂さんのお話は介護をしてる方にとってすごく勇気付けられるものだと思います。貴重なお話をありがとうございました。

対談を終えて坂さんからメッセージを頂きましたのでご紹介します。

母の介護に疲弊していた私がユマニチュードと出会い、変化したことはとてもありがたいことでした。

ユマニチュードは、「人間らしさを取り戻す」という意味だとあります。私は、認知症の母のために介護離職し、介護うつのようになり、人生が終わったと思っていました。今思うと、それまでの人生が「なんとかうまくいっている」と思っていたことの方が錯覚でした。

介護を終えた今、何故、本田先生の講演を聴講したいと思ったり、お会いしたくなるのか?それは、ユマニチュードを通して、私自身が「人間らしさ」を取り戻したからだと気がつきました。そう思えるようになるには時間も必要でした。家族関係、職場、地域社会の中で、少しずつ変化してきたと思います。

今は、実際に介護をしているわけではありませんが、自分の生活を、毎日を、楽しく生きたいと思います。

一人でも多くの人へ、ユマニチュードが届くことを祈っています。

坂登美子

(構成・木村環)

家族介護者の体験談をご紹介します

ユマニチュードはご家族の介護をしていらっしゃる方にも役に立ちます。ご自宅での介護がうまくいかずに困っているときにユマニチュードと出会い、再びご家族との良い時間を過ごせることになった方々が多くいらっしゃいます。本学会の本田美和子代表理事がそうした皆さまを訪ね、ユマニチュードを実践した体験と感想をお伺いしました。

坂登美子さん

第1回に登場していただくのは、岐阜県の坂登美子さんです。
NHKの情報番組「あさイチ」に寄せてくださったお母さまの介護についてのお困りごとがきっかけで、ユマニチュード考案者のイヴ・ジネスト先生と一緒にご自宅にお伺いしました。アルツハイマー型認知症のお母さまとの生活でお困りになっていた坂さんに、ユマニチュードの基本的な考え方と技術をお伝えしました。番組では1週間後に見違えるような変化が生まれていて、坂さんもとても喜んでくださっていることが紹介され、とてもうれしく思いました。今回はユマニチュードの市民公開講座があることを新聞で知って妹さんとご一緒に聞きに来てくださいました。3年ぶりにお会いできたことが今回のインタビューにつながりました。

本田 まず「あさイチ」にご出演されることになった経緯をお聞かせいただけますか。

坂さん 「あさイチ」は母がデイサービス施設に行っているとき、ひとりで家事をしながらよく見ていた番組なのですが、2016年の1月でしたか、ホームページに認知症に関するアンケートがあり書き込んだことがきっかけで声を掛けて貰いました。当時、認知症の母への接し方をどうしたらいいのか分からなくて、誰に聞いても具体的な方法を教えて貰えずに困っていたので、「私どうしたらいいんでしょう」という思いを藁にもすがるような気持ちでものすごくいっぱい書いて送ったんです。番組のディレクターの方から電話をいただいたときは、詐欺ではないかと思ったくらい驚きました。(笑)

本田 ユマニチュードはすでにご存知だったのですか。

坂さん はい、その前に別のテレビ番組で紹介されているのを見て、「私のときにはユマニチュードでケアして欲しいな」と思ったんですが、医療従事者しかその方法を教えて貰えないと勝手に思い込んでいて。「あさイチ」への出演は、母のそのときの状況や私が離職したことなど、家の実態がご近所に露わになってしまうというリスクも感じましたが、その恥ずかしさよりも自分が知りたいことを教えて欲しいという気持ちの方が大きくてお引き受けしました。

本田 そうでしたか。お母様の介護のために、仕事をお辞めになったのだそうですね。

坂さん そうなんです。テレビの操作が難しくなったり、「財布がない」と言っては何十個も新しいものを買ったり、2010年の年末ごろには母を一人で置いて出かけられない状態になりました。私自身も、母が認知症かもしれないという現実を受け止められず、でも実際に何をどうしたらいいかも分からずに混乱していました。友人に言われてまずは病院で診断書を出してもらい、役場に介護認定の申請をしデイサービスに通えるようになったのですが、しばらくは現実を現実として受け止められず、ただ「怖い」とだけ思って、認知症に関わる情報にも触れられずにいました。「あさイチ」のアンケートに答えたときはようやく現実を見られるようになってきたころでした。今から考えると、あれだけ母と離れずにいたら両方ともおかしくなると分かります。

本田 そうだったんですね。ジネスト先生に会われて第一印象はいかがでしたか。

坂さん 自分が知りたいと思っていることの考案者の方に来ていただけるなんて、と舞い上がっていました。魔法をかけたように母の様子が穏やかになるのが分かり、魔法使いだと思いました。

ワンポイント・アドバイス

認知症では、脳細胞の変化によって、記憶の障害や時間や場所が分からなくなるなどの症状がおこります。「あさイチ」では、坂さんのお母さまが、薬を飲んだことをすぐに忘れてしまったり、昔住んでいたご実家の汲み取り式のトイレのことを気にされて何度も繰り返し尋ねる様子が紹介されました。

ユマニチュードでは、そのような状況の解決策として、記憶のしくみや認知症の特徴に合わせた対応を提案しています。ジネスト先生は、お母さまの話を頭ごなしに否定するのではなく、その話に関連している別のことへと話題を転換させること、お母さまの好きなもの、昔好きだったものに話題を変えたり、近い距離で視線を合わせて優しく触れながら会話を行うようアドバイスしました。

本田 1週間後に番組スタッフがお伺いしたときに、まず、いろいろなことが変わったとおっしゃっていらっしゃいましたね。ジネスト先生がお伝えしたことをやってみて、いかがでしたか?


坂さん(左)と本田代表理事(右)

坂さん 私自身が楽になるためにも、母が穏やかでいてくれることが一番でしたから「あの魔法をどうやったら私もかけられるのかな」と思いながら必死で実践しました。ユマニチュードを教えてもらう前は、母に何度も同じことを聞かれるとイライラしてキツく責めるような言葉遣いになったり、母を黙らせようと言葉に言葉を被せたりしていました。それが逆効果だったとよく分かりました。時にはカッとしてユマニチュードを忘れてしまうこともあったのですが、「あ、これは違うな」と思い直したりして、少しずつ出来るようになりました。

本田 1週間後に伺ったときは、お母さまが、坂さんの子供のころの記憶なのか、しきりにお子さんのことを心配されていらっしゃいました。坂さんはそれを、雛祭りの飾りがついているケーキのことに話題を変えて、とてもお上手でした。

坂さん とにかく必死でしたから。最初はとにかく話題を探さなければ、何を言えばいいのかと思っていましたけれど、段々と言葉が出てくるように、見たままで言えるようになって来ました。他に褒めるところがないので「お母さんの膝が可愛い」とか言ったりして。

本田 お母さまのことをよく見ていらっしゃるからこその言葉だと思いました。すばらしかったです。

坂さん 体を優しく触るというのも勉強になりました。イライラして来ると強く触ってしまうんですよね。優しく背筋や体を触ったら、いかに穏やかになるかということが分かりました。私の場合は正式にユマニチュードの研修を受けたわけではないので我流になっていたかとは思いますが。

本田 ユマニチュードにはたくさんの技術がありますが、たくさん使わなければユマニチュードのケアができないわけではないんです。たとえば、触れることをやってみただけでもこのようにお母さまが変わったことを実感していただけて、とてもうれしいです。ご自宅で介護をしていらっしゃる方々にどのようにユマニチュードの考え方や技術をわかりやすくお伝えしていけば良いかを考えていきたいと思っています。

坂さん 月に一度母を病院に連れて行くときが家の外でユマニチュードを実践する良いタイミングだったんですが、病院での私たちの様子を見ていた方が「あのお母さまは娘さんにもの凄く大事にされて幸せだね」と話していたと近所の方が教えてくれて、とても嬉しくなりました。自分では毎日のことなので、きちんと出来ているかどうか分からないのだけど、私なりに一生懸命にやっていることが客観的に他の人にそう見えているのは嬉しかったですね。

本田 それは素晴らしいですね。

※坂さんへのインタビューは後編に続きます。

(構成・木村環)