ユマニチュードの普及に力を入れている福岡市では、小中学校でユマニチュードを学ぶ取り組みが進んでいます。
今回、子どもたちがユマニチュードを学ぶための15分間の教材が制作され、オンラインで公開されました。
インストラクターの安武澄夫さんが非常にわかりやすく解説してくださっています。

 

『コミュニケーションを大切に~認知症とユマニチュード~』(15分49秒)

 

富山県立大学看護学部は国内で初めてユマニチュードを正規のカリキュラムとして導入しています。学生が実習中も卒業後も、それぞれの現場でユマニチュードを実践できることを目指し、2021年12月、実習先となる富山県立中央病院で「ユマニチュード研修」を開催しました。

実習先病棟の看護師の方を対象に、ベッドサイドトレーニングを含む4日間の基礎研修を実施しました。

2回に分けて開催した研修には、2つの病棟から合計12名の看護師の方に参加いただきました。病院長からは、ユマニチュードを学んだ学生の実習受け入れをきっかけに「病院全体としてユマニチュードに取り組み、医療の質をあげていきたい」とのお声をいただきました。

病院と大学の管理者を迎えて、まとめの発表会が行なわれました。

富山県立大学看護学部の取り組みはこちらからもご覧いただけます。

https://jhuma.org/20200620rep/

第3回日本ユマニチュード学会総会で行いました南高まりさん、阿川佐和子さん、本田美和子代表理事の鼎談の模様の後編です。認知症の家族と「コミュニケーションを取る」とはどう言うことか、ケアをする側の意識の持ち方次第で広がる世界を経験者のお二方がお話してくださいました。

←前編より続く

阿川佐和子さん 父と母が共にお世話になった「よみうりランド慶友病院」会長の大塚宣夫先生がおっしゃっていたんですけれども、食堂でコンサートやおしゃべりの集いがあるっていうと、大体、男の人は出席しない。それで男性患者をどうやったら連れ出せるかと考えて、「会議がありますから上がってきて下さい」って言うようにしたら皆さん出てくるんですって。仕事モードの方が、自分の役割ができるような意識があるそうなんです。

もう一つ、これはだいぶ改善されてきたように思いますけど、認知症になるということは子供返りしていくところもたくさんあるので、どうしても子供を世話する感じになる。私もそうでしたけど、看護師さんたちだって母親とかお姉さんみたいになるから「おしっこ出た?」っていうような言い方になって、そうすると男の人はものすごくプライドが傷つけられるんですね。

だから、私が今提案しているのは、例えば、それなりの役職で部下を持っていた経験がある人には「社長、お車の用意ができました」って車いすを持っていくとか、「失礼いたします!おしもを変えさせていただきます」と、それぞれの人格に敬意を表して、それまでの人生の延長のような扱いが必要なんじゃないかなと思います。

認知症の人はどこか別世界にいって訳の分からない人だ、こっちの通常社会とは違う引き出しに入っちゃった人だと思うと、ジネスト先生の話でもありましたけれど、人間という意識が薄くなってくる。そうすると、介護する側、ケアする側が、合理的に便宜的に都合の良いシステムを作っていくというのが今までのやり方だったような気がするんですね。

でも、半分忘れててもしっかりできることはあって、母なんかは文字を読むことはすごく早かったし、5分前のことは忘れても今現在のことの反応はすごくクリアなんですよ。「忘れるっていうこと以外はちゃんとできる人間だ」ということを忘れがちになるので、そこをこっちの便宜じゃなくて、あちらがどう思うか、「あちらの世界」に思いを馳せるという必要があるんじゃないかと。

例えば、母の頭の中では、どうもさっきまで家の中に赤ん坊がいたらしいという時があって、赤ん坊が心配で「赤ちゃんはどうしちゃったの?」って聞いてくる。最初の頃は「赤ん坊なんているわけないじゃない!」って返してたんですけど、そのうちに「今、お母さんと帰った」「2階で寝てるから大丈夫」と、その世界の中にこっちが入り込むようにしました。母が考えてる世界は何なんだろうと、こっちが楽しむ方が楽になるし、楽しくなるし、笑いが出てくる。

記憶の引き出しから飛び出す「宝物」

本田美和子・代表理事 認知症の方がおっしゃっていることは、その方にとって「その瞬間の真実」であるという観点から考えることが大切だと思います。記憶がどこまで遡っているのか、その「真実」がいつのことなのかを探しだすことが周囲の人にとって重要です。人は自分が安心できる時代に遡っていることが多く、別の言い方をすると、ご自分にとってすごくいい時代である可能性があります。

私たちはたくさんの病院や施設にお伺いして、ケアで困っていらっしゃる方から「どうやったら解決できますか」ってご相談を受けるんですけど、その時に患者さん、もしくは入居してらっしゃる方の紹介をお願いしますというと、医者のプレゼンテーションみたいになるんです。どういう病気で、どういう薬を飲んでいて、血液検査がこうで、というような形式です。

医師の私にとってはごく一般的な、なんですけど、ジネスト先生は「その人はどういう仕事をしていた人ですか」「お好きな食べ物はなんですか」「どのくらい歩けますか」というところから始まるんですね。そういうことをお伺いすると、特に病院の方々は、その方の今の病気の状況は知っているけど、どういう生活史があるか、現在の生活に必要な能力はあまりご存知ないんです。

ここで私が多くの方にご提案したいと思っているのは、その方の10代から80代までの10年ごとのベストメモリー、例えば「20代でとても良かった思い出は何ですか」と聞いておくことです。その方が何かおっしゃった時に、その思い出を照らし合わせて、今どれぐらいまで戻れば、安心してもらえるかという参考になるんじゃないかと思います。

阿川さん 母は認知症になってから昔話を多くするようになって、まず小学校の2、3年の時に二・二六事件に出くわしたと。「生き証人?」と思ったんですけど、永田町に住んでいて、いつものように学校に行こうとしたら雪が降っていて、(軍人に)「ここから先は行ってはならん!」って(手でバツ印)バッてやられて、びっくりしてわんわん泣いてうちへ帰ったって。

それから父と結婚したあと、母方の祖父にとっては可愛い可愛い末娘がどうもワンマンっぽい若者に連れ去られたと思ったそうで、「結婚してしばらくしておじいちゃんがね、本当に辛かったら帰ってきていいんだよ」って言ったって。「聞いたことない、そんな話!」って私の方が泣いちゃったりして。昔話に宝物が次々、次々と出てきたんです。

歴代天皇の名前を「言えるのよ」って誦じ始めて、必ず同じところで止まって「あれ?」って言ってまた最初から。それを20回くらい繰り返すんです。普通の生活してる時にはめったに出てこなかった話や小さい頃の話がいっぱい出てきて、別の引き出しが開いたなっていうのがありましたね。

本田  そんな感じがしますよね。そういう話をされるとご本人が落ち着かれると思うので、困ったなっていうような動きが出た時に、切り札としてそれを出してみる。

南高まりさん  そうですね、ただ、時々なんですけど、父に聞きたいことがあって電話して「こういう質問が来たんだけど、どう思う?」なんて話すと、ちょっと話がずれるんですよ。その質問の答えがなかなか返ってこなくて、それこそ昔の話になってしまったり、自分の武勇伝みたいな話になっちゃったり。そういう話に流れると「ちょっと無理なんだなぁ」って私も引いてしまって。

「やっぱり認知症ってこういう風になってしまうんだ」ってがっかりする思いも今まであったんですけれど、父がすごく機嫌よく話すので、最近はしばらく耳を傾けているんですね。そうすると、すごく喜んじゃって、とても生き生きと、さらに機嫌よく話をするようになるんです。さっきの阿川さんのお母様と同じように昔の話を延々として、それで一息入れた時に「ところで質問が来てるんだけど」って・・・

阿川さん そこで改めて話を戻す?

南高さん  そう、そうすると的確な答えが返ってきたりするんです。それはびっくりしました。今まで人様の前では「時間がないからこんな戦争中の話とかキリスト教の話とかしてる場合じゃないよ」ってこっちが焦って、すると父もイライラしてきて、私も「勘弁してよ」ってなったりしたんですけど。

コロナ禍になって仕事が減ったので、話す時に横道に逸れても構わないですから、そういう話を私も楽しく聞けるようになりました。その話の最後に「ちょっとこういう質問があるんだけど、どうかな」って聞いたら、「それはね」ってパチっと答えが返ってきたりするんです。

阿川さん コミュニケーションを取るってどういうことかなって思いますね。母と対峙していて、こっちが求めていることが返ってくるのが「コミュニケーションが取れた」と思っていること自体が間違いではないかと思いました。そちらの脳みその動きをこちらが面白がって、そこで展開させていって気が付いたらちゃんと着地してたっていう方が、どっちも楽だし機嫌良くなる。

これはうちの夫が母をケアしてる時に編み出した方法なんですけれど、ご飯を食べてる時に2人がおしゃべりしていて、母が「あなたはどちらのご出身?」って社交辞令で聞くんです。「九州です」「九州のどちら?」「大分です」「大分って私行ったことないの」「どういうところ?」「暖かいところです」。私は「え、大分って雪降ったりしない?」ってちゃちゃ入れながら聞いていて。

そうすると、しばらくしてまた「あなたはどこのご出身?」って始まる。「九州です」「九州のどちら?」「大分です」「大分ってどういうところ?」「寒いところです」って、夫の答えが変わってるんです。「いつも同じ答えを言ってるとこっちも飽きるから、変えてみる」とか言って(笑)。

あと、夫が「あんまり繰り返しが続いて疲れたなって思うときは“小学校では何してました?”って質問を投げかけると、頭の動きが違う枝に広がっていくよ」って。コミュニケーションって何だろうって思うと、必ずしも真実を相手に分からせることではないっていうことに気づきだすんですよね。

南高さん  そう思います。そうすると話が終わった後の私も居心地が良くなって、ああ良かったなってお互いに思えるっていうのがいいですよね。楽ですよね。

「がっかり」を止めて「今」を楽しむ

阿川さん 楽ですよね。あともう一つ、認知症っていうのは結局は5分、10分前のことを忘れてしまう。今さっきやったことなのにってこっちはがっかりするんだけど、がっかりを止めることにしようってある時決めました。今ここで話が盛り上がって、母がゲラゲラ笑ってたらそれが一番幸せなことじゃないかって思ったの。

「さっき見た桜、きれいだったね」という過去の話は無しで、見ている時に「わぁ、きれい!」って盛り上がって、それでおしまい。5分後に「桜きれいだったね」って言って覚えていなくても、今度は「こっちのシクラメンもきれいだね」って言って、そっちに感動する。今だけで十分って途中で思ったんですけど、その辺りはまりさんも同じだとおっしゃってましたね。

南高さん  そうですね。父が同じことを何回も言った時は「私が同じことを何回も言っていると教えてあげた方がいいの?」って最近聞いたことがあるんですね。そうしたら「それは教えてもらった方がいいと思うよ。仕事の時なんかはみんなが困るでしょ」って言うんです。

南高さん  細かいことは結構ありましたね。父も時間の感覚があやふやになっていきましたから、朝6時頃に起きてしまって、お気に入りの喫茶店に出かけて行って、そこが開いてなくて、帰りにどうしたらいいか分からなくなりうろうろと。迷子まではいかなかったんですけど、どこに行ったか分からなくなったことはありましたね。

ただ、父が「桜がきれいだったねっていうことぐらいは何回言ったっていいでしょ」って言うんですね。どうでもいいって言ったら失礼だけど、季節の変化とか「あの時の桜はきれいだったね」とか、「いちょうの紅葉がきれいだったね」っていうことは「何回言ったっていいでしょ?」って私に言うから、「それはそうだね」って言って笑ったりしたんですけど。

阿川さん あら、可愛い(笑)。忘れていっている自分がいるっていう悲しさと同時に、そういう状況の自分をどうやって今の生活にフィットさせていくかっていう知恵みたいなものが認知症の方にもあって、私がご飯を作ってて、できた横から食卓に母を座らせて食べさせてたら「あら美味しい」って声が聞こえて、「何が美味しいと思ったの」って聞いたら、「これ」って緑色の野菜を取り上げたんですよ。

南高さん  オクラだったんですけれど「はい。これはなんでしょう?」って聞くと、「うーん、なんだっけ」って。「オクラ」って言うと、「なんだ、オクラ、知ってるわよ」って。それでしばらくしたら、また「あら美味しい」って。今度は何かと思ったら同じもの。「さっきも食べて美味しいって言ってたけど、これは何だった?」って言ったら「うーん、分かんない」。「オクラ」って言ったら、「あら知ってるわよ、オクラぐらい」っていうのを3回ぐらい繰り返して。

阿川さん 「なんでも忘れちゃうんだね、母さんは」って言ったら、ちょっとムッとした顔して「覚えてることだってあるもん」って言うんです。「じゃあ何覚えてるの」って聞いたら、「うーん」って考えて、「今ちょっと何を覚えてるかは忘れた」って(一同、笑)。知恵が回るなと思ったんですけれど、そうやって「恥ずかしい」みたいな意識を、ちゃんと自分の中で処理する能力があるっていうのは、有能じゃないかと思ったんですけどね。

本田  そうですよね。

南高さん  父も、電話でとっても良いことを伝えてくれたんですけどよく聞き取れない時があって「ごめん、ちょっと今書くから、もう1回言ってくれる?」って言ったら、「そういうことは難しい」って(一同、笑)。そんな笑い話もありました。

阿川さん 私は母に自分の名前を忘れられると悲しいなと思って、最後の砦みたいなものですから、会うと必ず「これは誰ですか」って聞いていたんです。名前がすぐ出てくる日もあるし、10分後に出てくることもあるんだけど、一瞬「うっ」と分からなくなる。それで、(自分の顔の鼻あたりを指差して)「これは誰ですか」って聞くと、その答えが「お鼻子ちゃん」って。「いやいや、そういう名前じゃないでしょ」って。

だんだんと、私は母のおばあさんになったり、お姉さんになったりするから「え、忘れちゃったの? 佐和子って覚えてる?」って聞くと、ニヤッと笑って「私がボケたとでも思った?」って(笑)。色々な知恵を使って生きてるなっていう気がしますよね。

本田  そうですね。阿川さんのことをお姉さんやおばあさんって思う年代にご本人が戻ってるということですものね。その時は30代のお母様とか20代のお母様とかに戻っている。

阿川さん 5歳ぐらいの時もあるし。

本田  そういう時は、5歳ぐらいの時のお話が泉のように湧いてくると思います。

阿川さん 私は、「介護」というものの90%は嘆き悲しむとか、イライラすることだと最初は思ってましたけど、認知症の母と付き合ってみるとおかしいことだらけで、母の脳みそは一体どういう変化を起こしているんだろうと、それが分かったら面白いなと思いました。

元に戻ることはないにしても楽しむ手立てはいっぱいあるんじゃないかっていう気持ちになると、もちろん物理的には大変だし、面倒臭いことはたくさんあると思いますけど、何て言うかな、おかしいものを探せば必ず出てくるんじゃないかっていうことを今、「辛い辛い辛い!」って思っていらっしゃる方には申し上げたいなと思いますね。

本田  そうですね。今が幸せであるという状況、5分前のことは忘れちゃってるけど、今は楽しいっていうことが連続すれば、ずっと楽しい時間を過ごしていただくことができますね。介護が辛いと思ってらっしゃる方に、武器と言いますか、道具と言いますか、「これを持っていけば大丈夫ですよ」っていうようなことを具体的にお伝えできたらいいなと思います。

阿川さん 「ことことこーこ」という小説で母親が徘徊してしまうところを書いたのですが、その時に、子供は「迷子」なのに老人は「徘徊」っていう言葉しかなくて、その中間の言葉はないのかなと思ったんです。

(周囲から見れば)「あのおじいちゃん徘徊してるのかな」と思うかもしれないけど、本人にしてみれば何かの目的があって家を出てるんですよね。どこかに向かおうとしたんだけど、そのプロセスが分からなくなっているだけだということを、もっと周りは認識して差し上げる必要があるんじゃないかと思いました。

「徘徊までしちゃった!」ってなると大変な感じで見ちゃうけど、そうじゃないんじゃないかなって。まりさんのお父様だってコーヒー飲みに行きたいから出かけて、たまたま出かけた時間が悪かったっというだけですよね。

南高さん  そうですね。

本田  行動には常に理由があるといいます。ご飯を食べない時も、もしかしたら食事の出し方の問題であるとか、お箸の使い方が分からなくなっているのかもしれません。

実は私、先ほどジネスト先生が講演でご紹介した大津さんご夫妻のところにお伺いした時に、お昼にみんなで食べようと思って、幕の内弁当をお持ちしたんです。お弁当箱の中が小さく九つに仕切ってあって、その一つ一つに素敵なおかずがいっぱい入っていたのですが、奥様は「うわぁ、きれい」っておっしゃるけど、手を付けない。どれから食べていいか分からないんです。

大津さんが「こういうのは苦手になってるんです」とおっしゃり、その中のおかずを一つだけ取ってお皿に出すとお召し上がりになりました。幕の内弁当では情報が多すぎるんです。

こうした食事だけでなくあらゆることに共通すると思うんですけれど、分かりやすく情報を出すことと、その方のことを大事に思っているということを私たちが上手くご本人に伝えられると、楽しい生活をずっと続けていただくことが可能なんじゃないかなと思いました。

「触れる」こと「見る」ことで伝わる愛情

阿川さん あっという間に終わりの時間が近づいてきたんですけど、南高さんはユマニチュードに出合って、これは役に立ったなとか、この考え方に同意するなとか、これは違うなと思うことはありますか?

南高さん  父には興味のある話をしてあげたいなっていう気持ちがあるので、ユマニチュードの「言葉をあふれさせる」ということは、なるべく本人の興味を引く楽しいことから入っていくのがいいなって思ったことはありました。

あとは、実家にいた時は父の顔なんか見ないで帰ってきちゃうこともあったんですけど、今、施設を訪ねたときは、正面に回って「まりだよ、来たよ」みたいな感じで父の目をアイキャッチして話すと、本当に喜んでくれます。笑顔で「うわぁ、来てくれたの」って、認識の笑顔の力をすごく感じるようになって、ユマニチュードがちょっとできたのかなって思います。

阿川さん 私は父とはそういうことはなかったんですけど、特に晩年は母とスキンシップというか、帰る時にギュッと抱きしめるようにしました。母は「痛い、痛い!」って言いながらもゲラゲラ、ゲラゲラ笑ってて。やはり本当に肌で触れ合うっていうのは、何か見えてくる、感じるものがあるんですね。

南高さん  父が母と一緒に老人ホームに入った初日、入居の日にですね、私が帰ろうとしたら、父が「まり、写真を撮って」って言うんです。そういうことを言ったのは父の生涯で初めてだったんですよ。私がカメラを向けると、母のことをギュッと抱きしめて、まるで母の体温を感じることで自分の存在を確認しているような光景でその時の2人の笑顔っていうのが、すごく印象的でした。

阿川さん ご著書にありましたね、その写真。本当に仲睦まじいというか、お父様はお母様のことを愛してるのね、って感じで。

南高さん  母の体温を感じることで自分の存在を確認しているような、そして娘の笑顔も丸ごと感じてくれた笑顔だったかなって思って、ああいうのはもう撮れないと思いました。

本田  素敵ですね。

阿川さん うちは父が先に老人ホームに入ったので、認知症の母を連れて週に1回お見舞いに行っていたんですけど、父は母のことをとても心配していて、病室の外まで私たちを見送った時、ドアのところで母に握手を求めたんですね。

「えっ!?」って母も戸惑って、「佐和子ともやってくださいよ」って言ったら、私とはやりたくないらしいの(笑)。母に「お前は体を大事にしろよ」とかなんとか言って、握手して見送ってくれたんです。

帰ってから「父さんが握手求めてきた。触りたがってたよ。嬉しかった?」って聞いたら、母が「いまさら」って。「冷たっ!」て思いました(一同、笑)。

本田  夢のような時間でしたが、そろそろ終わりにしたいと思います。

阿川さん お役に立つ話が出来たかどうか。まりさんはこれからも色々乗り越えなきゃいけないことがありますね。

南高さん  ホームの方たちが本当に優しくしてくださるので、楽しんで過ごしてもらいたいと思います。

本田  南高さん、阿川さん、本日はありがとうございました。そして今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ご参加いただいた皆様も今日はありがとうございました。

※11月13日に逝去された南高さんのお父様、長谷川和夫さんを偲ぶ場が、「認知症フォーラム.com」に作られました。まりさんが撮影されたお写真が日替わりで掲載されています。

第3回日本ユマニチュード学会総会にて生存科学研究所と共催で行いました市民公開講座「家族をつなぐユマニチュード」から、自らが認知症であることを公表した医師・長谷川和夫さんの長女で、精神保健福祉士の南高まりさん、作家・エッセイストで本学会理事の阿川佐和子さんと本田美和子代表理事の鼎談の模様をご紹介します。家族介護の当事者でいらっしゃる南高さん、経験者の阿川さんのお話は、ご家族への率直な愛と優しさに満ちたエピソートが満載です。

※長谷川和夫さんは11月13日に逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。

南髙まり様
国立音楽大学卒業後、音楽を通じての地域活動を推進するとともに、現在は精神保健福祉士として立川市役所の精神障害者デイサービスに勤務。三人きょうだいの長女として、父(長谷川和夫先生)が80歳を過ぎた頃から主な活動に付き添い、著書「父と娘の認知症日記」(中央法規出版)などを通じて介護の体験を発信している。
長谷川和夫先生は、1929年生まれ。「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発し、「認知症」への名称変更の立役者でもある認知症専門医。2017年に自らが認知症であることを公表して以降、当事者の立場から認知症の人の想いを発信している。
阿川佐和子理事
エッセイスト、作家。2012年『聞く力――心をひらく35のヒント』が年間ベストセラー第1位、ミリオンセラーとなったほか、2014年には菊池寛賞を受賞。2018年に「看る力」、介護を題材とした小説「ことことこーこ」を上梓。2019年の設立時より日本ユマニチュード学会理事を務める。

認知症——本人の葛藤、家族の葛藤

本田美和子・代表理事 ここからは「家族をつなぐユマニチュード」と題して、南高まりさん、阿川佐和子さんと3人で進めて参りたいと思います。

南高さんは、私たちが臨床でいつも使っている長谷川式認知症スケールを開発なさった長谷川和夫先生のご長女でいらっしゃいます。先生が80歳を過ぎた頃から、先生の主な活動に付き添われ、そのご経験に関する著書「父と娘の認知症日記」(中央法規出版)を出版されました。長谷川先生との生活も含め、ご家族としてのお話をお伺いしたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

南高まりさん  よろしくお願いいたします。

本田 そしてお隣にいらっしゃるのは、皆さまご存知の阿川佐和子さんです。

阿川佐和子さん よろしくお願いします。

本田 阿川さんは認知症がテーマのひとつである小説「ことことこーこ」(KADOKAWA)をお書きになる時にユマニチュードについてご興味を寄せていただき、声をかけてくださったのがきっかけで、現在は日本ユマニチュード学会の理事としてお力をお借りしております。今日はこの3人で色々なことをお話しできたらと思います。

阿川さん 私は母が2020年5月に92歳で亡くなりまして、父が2015年に94歳で老衰で亡くなりました。父と母が2人暮らしをしていた2011年ぐらいから、母が「あれ?」っていう認知症状を起こすようになり、父は最期まで記憶力はしっかりしていましたが、その頃から両親の介護が始まったんです。

(介護をしたのは)10年近くですが、そんなにべったり看ていたわけではないし、手伝って下さる方もいっぱいいらっしゃる中で「さあ、次はどうする」「さあ、次は」とやっているうちに今に至るので、本当に介護で苦しんでいらっしゃる方に比べれば楽でした。

認知症になった母自身は昔から明るく素直な性格で、私は父に似て性格が悪いんですけど(笑)、その母が認知症になった時に、性格がひがみやすくなるとか、疑いやすくなるとか、怒りっぽくなるということが起こるのかと思っていたら、元の母の性格のまま記憶力だけが少しずつ低下していきました。私は「認知症優等生」と呼んでいたんですけど、手のかからない母だったので、そういう意味でも皆さんより楽をしていたなと思います。

今回、南高さんにお会いするにあたり、「父と娘の認知症日記」を拝読して、認知症になられた御父上とお嬢さんとの愛情溢れる関係が羨ましく、「こんな優しいお父さんならケアしたいわね」っていう思いがしたんです(笑)。

その中で、まりさんがご長女としてどれほど色々なことに気を付けたり、反省したり、学習したりしながら今に至っていらっしゃるのかお聞きしたいと思うのですが、まりさんの場合はお父様、私の場合は母と、性の違いでも色々あるんじゃないかという気もしています。

特にお父様自身がお医者様、研究者として認知症の権威でいらっしゃって、そのご本人が認知症になってしまったということに、最初から自覚があったというのがすごいなと思ったんですが、どの辺りで(認知症になられたと)感じられたんですか?

南高さん  父自身が「あれ、おかしいな、どうしたんだろう」と思い始めたのは、だいぶ前からなのではないかと思うんですけれど、母と2人の生活の中ではルーティンで同じことを繰り返していますので、それほど大きな変化を家族はあまり感じていなかったと思うんですね。

阿川さん それは本当にそう思います。知り合いのご主人様に会ったときに「ちょっとおかしいな」と思ったんです。それを奥様は周りに言わないで闘っていらっしゃるのかと思って、私は「もしかしてご主人様は認知が・・・」ってお話したら、奥様に「分からなかった。よく教えてくれた」って言われたんです。食事をする、寝る、お風呂に入るという普通の生活では、ご本人が自覚していても、症状がそんなに顕著に出ないということもあるんですね。

南高さん  そうですね。もともと父は昭和の初期に生まれた人ですから、生活の中の、例えばお茶碗を洗うとか、お料理をするとか、洗濯をするっていうことを何十年もやっていない人でした。

阿川さん 全部お母様にまかせっきり。

南高さん  はい。自分の下着がどこにあるかも分からない、銀行のキャッシュカードの使い方も分からないようなタイプですので、ケアマネージャーさんには最初から「長谷川さんは要介護認定1ね」って言われてました(笑)。そんな父でしたから、最初、生活上で特に困ったことはなかったのではないかと思います。

現役で講演に出かけたり、人様に会ったりということが少しありましたので、その中で父が「いつもと違うな」「自分が何を話してるか分からなくなっちゃったな」と、後から本人の了解を得て日記を見せてもらったらそうした葛藤が記してありました。

阿川さん 日記をつけていらしたんですね。

南高さん  毎日、何十年も日記をつけていたんですね。それを見る限りですけれど、闘っていた様子といいますか、「おかしいな」「なんとかごまかした」と頑張ろう頑張ろうとしていた、そういうニュアンスの言葉がありました。そのうちに、人様に気づいていただいた部分、周りの後輩の先生とか、介護をしてくださった方が「あれ?」っていう風に思うことが少しずつ重なっていったというのがあったかもしれません。

阿川さん 私の母の場合は、2011年3月の東日本大震災の半年ほど後に心臓の手術で入院したのですが、母に「あの地震怖かったね」って言ったら、何も覚えていなかったんです。「あれだけ大きな地震のことを覚えていないなんて」とびっくりした記憶があったので、おそらく2011年ぐらいからだと思うんです。

後から母の部屋を整理したら、日記はつけていなかったんですけど、「これはとっておかなければならない」「このレシートはここに」「重要キープ」とかたくさんメモを書いていました。「無くしたもの」っていうメモに「出てこない、バカバカ、私バカになっちゃった」とあるのを発見して、家族が気付くよりずっと前に、自分で自分が壊れていっているんじゃないか、これからどうなるんだろうと不安を抱えていたんだと知りました。その当時は全く気づいていなかったので、それは小さな後悔です。

想像ですけれど、母が一番苦しかったのはこうして独りで葛藤していた時と、まだ半分ちゃんと生活できる力を持っていた時だと思います。一般的にまだらの状態のときはイライラも激しいと言いますけれど、その頃の母は心臓の病気もあって薬を飲まなくてはいけないので、飲んだか飲まないのか分からない状態になると、こっちもカーッとなって「さっき飲んだって言ったのに飲んでないの?」と詰問してしまい、母を泣かせることがよくあったんです。ご著書にはまりさんのお父様が荒れた様子は全く出てこないですね。

南高さん  よく認知症になると怒りっぽくなる、イライラするという症状が出てくると皆さんおっしゃるんですけど、父はもともと気が短かったり、せっかちなところがあったので、認知症になったからといって、急に怒り出すとか、イラついて物を投げるとか、そういうようなことはありませんでした。

阿川さん それは奥様やお嬢様、ご家族の対応が優しかったということはないですか?

南高さん  父が自分で言ってましたけど、父自身は「もう1人の僕を見ている」というか、認知症になった自分を観察してるような冷静なところが最初からあったのかもしれません。

阿川さん さすが科学者ですね。認知症ではない僕が、認知症の僕を観察していることの観察結果はお嬢さんに報告はあったんですか?

南高さん  私、父に直接「認知症にならないほうが良かった?」とか「認知症になったことを後悔してる?」ってズバッと聞いちゃったりしてたんですね。

阿川さん ストレートですね(笑)。

うちは父があるとき家族で外食をした折に、母がお手洗いに行って姿がなくなった途端に、子供たちに向かって「いいかお前ら、気が付いているかどうか知らないけど、母さんはボケだ!母さんはボケだ!母さんはボケだ!」って3回繰り返したんです。

「そんな大きな声で言わなくても。分かってます、分かってますから」って言ったんですが、父親はそれで自分の覚悟を決めようと思ったところがあるのかもしれません。父にしても私にしてもそうでしたが、初期の頃は「まだなんとか学習させれば元に戻すことができるんじゃないか」って希望を持つでしょ?  漢字ドリルとか計算ドリルとか「これを毎日やるように」って渡したりして。

あと、父はテストをするんですよね。父が入院していた個室のお手洗いに母が行くというと「流し方は分かるのか」って母に確認する。「そんなこと分かりますよ、やあね」ってお手洗いに入ったあと、しばらくすると「あれ?あれ?あれ?」って声が聞こえてくるの。そうすると、父が「ほら、お前は分かるって言ったのに分からなかったじゃないか!」って怒って、出てきた母に向かって「もう一度行って流してみなさい。覚えなさい」って言うの。

そういうキツい対応をしてなんとか治そうとあがいて、途中で(無理だと)気づくんですけど、まだ初期ならこっちに戻ってこられるんじゃないかって、そういう時期って家族はありますよね。そういうことはなかったですか?

南高さん  そうですね、どちらかというと私たちは、「あーあ、しょうがないや」っていう風で。

阿川さん 諦め、はやっ!(一同、笑) 

南高さん  諦めよりも「なっちゃったね」っていう受け止め方だったような気がします。認知症っていうのは、年を取れば多かれ少なかれ症状が出てくるんだというのは前から家族で話していて、父とも話していたことがありましたし、どちらかというと自然に受け止めて「しょうがないな」と。

介護は長期展望で 独りで抱え込まない

阿川さん 実生活では何かとトラブルが起こるわけでしょ? 薬を飲んだって言ってるのに飲んでなかったりとか。

南高さん  そうですね。

阿川さん 私の母の場合には、大事だと思うものはどこかに隠しておかなくてはという気はあるらしくて、戸棚に入っていたはずの銀行の通帳やお金がなくなって、下着の引き出しに隠したりしていて、家族が一日中捜索活動ということがあったり。こちらもイライラしちゃいかんと思いながら「時間がないのにどこにやっちゃったの!?」と、そういうトラブルはなかったですか?

南高さん  細かいことは結構ありましたね。父も時間の感覚があやふやになっていきましたから、朝6時頃に起きてしまって、お気に入りの喫茶店に出かけて行って、そこが開いてなくて、帰りにどうしたらいいか分からなくなりうろうろと。迷子まではいかなかったんですけど、どこに行ったか分からなくなったことはありましたね。

阿川さん 冷や冷やするような。

南高さん  そうですね。私は離れて暮らしていましたので、母から電話がかかってきて「行方不明なのよ、みんなで探してるんだけど」っていうことは何回かありました。

阿川さん まりさんご自身にもご家庭と仕事があるでしょうし、介護っていうものに時間を割かなければいけなくなった時に葛藤はありませんでした?

南高さん  そうですね、近くに妹がいましたし、弟も時々顔を見せてくれてましたから。子供たちが来るというのは父にとって嬉しいことだったので、そういう面では恵まれていたと思います。今でもそうですが、独りで抱えないで済んだというのは良かったと思います。

阿川さん 先ほど(※鼎談前のジネスト氏の講演内での)ビデオで登場した大津さんご夫妻は、どうみてもご主人様が8割方、奥様の世話を1日中してるんですけど、一般的に他人に頼るのはお金がかかるとか、誰に頼っていいか分からないとか、今はデイサービスなどの福祉の制度があるけれど、それもなかなか難しいという人もいますよね。

本田  大津さんの場合は、お嬢様夫妻が一緒に住んでいらして、大津さんの奥様も今はデイサービスに時々お出かけになっているんですけれど、そこに到るまではとても大変だったというお話をしてくださいました。

阿川さん 私も兄弟は4人なんですけれど、娘は私1人で、しかもその時は結婚していなかったから、サラリーマンの弟や海外に転勤している弟になかなか頼りにくいものがありました。

それでも非常に協力的に「週末は誰がみる」っていうシフトを組んで、カレンダーを作ったりしてやってはいましたけど、どこかで最初の頃は「私がやんなきゃいけないんじゃないか」という意識があって。「抱えているレギュラーの仕事を半減させて、父と母の家に私も一緒に住んで合間にできる仕事をして、出かける仕事は止めて」とワーッて考えたんですけど、それをやったら私が壊れるなと思いました。

もう一つ、同い年ぐらいの学生時代の友達に話すと、みんな大体、介護経験があるんですね。そういう人たちが「私はね、舅さんを施設に入れてようやくホッとしたと思ったら帰ってきちゃったのよ」とか「ヘルパーさんに来てもらったら、その人と気が合わなくて勝手に辞めさせた」とか色々なトラブルの話が出てきて、「これはやらない方がいい」「これはやった方がいい」みたいなことをアドバイスしてくれたんです。

そうした中で「アナタ、この2〜3年頑張ろうと思ってるでしょ? それは甘い!」って言われて「えっ?」と思って。「介護なんて10年、20年かかるかもしれないのに、今から力を入れたらあなたが倒れるよ。力を抜きなさい」って言われて、本当に「そうか、長期展望が必要なんだ」と気づきしまた。

それから、楽になる方法をあれこれ考えようということを模索し始めて、「1人で背負おう」「私は正義の味方、良い娘だ」と見せたいがためにやるのは、逆に良くないことなんじゃないかと思ったんですけど、南高さんはどうでした?

南高さん  私の場合はこの2〜3年、父の隣にいて人様の質問を受けるという機会がすごく多かったんですね。認知症だと公表したがゆえに取材が色々入ってきて、それは現役の時より多いほどで(笑)、人気者になって、仕事が増えちゃって。

阿川さん お父様は嫌がらなかったですか?

南高さん  人様に会うのはもともと好きな性格なので、喜んで出かけていきましたし、その目標のために体の調節を頑張って、熱を出さないようにしよう、風邪をひかないようにしようと、励みになったと思うんですね。私はいつも父の肩が触れるぐらの隣に一緒に座って人様の話を聞いていましたので、時間の経過とともに、父がすごく話を聞きづらくなってるな、受け止めにくくなってるなと感じました。

「1年前は耳に入ってきたことが、箇条書きにしてあげないと大変かな」とか「抽象的なことは入りづらいから、もう少し分けて話してもらえませんか」って言いたくなったり。それを父と一緒に感じることができたっていうのは、父の変化が分かるというと大袈裟ですけれど、父の気持ちを隣で感じることができたかなっていうのは少しありました。

阿川さん 男と女の違いでいえば、男の人って社会対自分の関係性というものを長年築いてきて、そこの中で自分がどんな態度を取ったり、どう役立つかっていうことを意識しているわけですよね。母のように家でずっと専業主婦をやってきた人間とは少しベクトルが違うような気がします。多分そうやって、外界との接触が元気の素になるっていうことはおありだったのかもしれないですね。

南高さん  そうですね。今、父は介護施設にいるんですが、最近、父がちょっと機嫌が悪くなる時ってどういう時なのかなって考えていたんです。施設の職員さんはとても良くしてくださるんですが、私が訪ねていきますと、父と母がいても、どちらかというと私に話しかけてくるんですよね。

阿川さん その方が話が早いから。

南高さん  はい。(施設での両親の様子を)すごく丁寧に話してくださるんですけれど、その時、ふと父の顔に目をやると、眉間にしわを寄せている感じなんですね。だから、前のように父に隣にいてもらって一緒に人様の話を聞く、両方に話してもらうという感じにしたらどうかなって。

阿川さん お父さまにしてみれば、疎外されたような気分になっちゃう。

南高さん  以前からよく父は「人が話すときは丸テーブルがいいな」って言うんです。上座とかなく、みんなが等しい関係で丸いテーブルを囲んで話したらいいなって。ただ、今は時間もないし、面会時間も15分ですから、職員の方が私に話すというのは無理もないんですよね。

阿川さん コロナ禍でもありますからね。

南高さん  ええ。仕方ないんですけど、そういう時の父って「なんで僕をないがしろにするんだ」という表情で。自宅にいた頃、ケアマネさんが来て色々おっしゃる時も自分が置き去りにされてるっていうような表情をすることがありました。

仕事モードじゃないですけど、父と隣にいて一緒に話を聞いている時はすごく機嫌よく人様に対峙していたので、そういう風にやってみるのはどうかなって昨日思いました。

阿川さん 日々発見ですね。

後編に続きます→

第3回日本ユマニチュード学会総会で開催したシンポジウム「ケアの連携〜調布東山病院での事例」の模様をご紹介します。ご家族、地域、施設でユマニチュードのケアのバトンがつながれていく貴重な事例を当事者の皆さまが語って下さいました。

ご登壇者
佐々木澄子さま 吉澤真理さま
家族介護者(お二人は母娘です)
安達英一さま
社会福祉法人桐仁会居宅介護支援事業所
栗田香織(ユマニチュード認定インストラクター)
特定医療法人社団研精会 デンマークイン若葉台 
佐久本和香さま
医療法人社団東山会 東山訪問看護ステーション科長
安藤夏子(ユマニチュード認定チーフインストラクター)
日本ユマニチュード学会教育育成委員長
医療法人社団東山会 調布東山病院ユマニチュード推進室科長 
進行役
杉本智波(ユマニチュード認定チーフインストラクター)
第3回総会大会長 日本ユマニチュード学会学術研究委員長

シンポジウム『ケアの連携〜調布東山病院での事例』

杉本智波・大会長 今回は「ケアの連携〜調布東山病院での事例」というテーマでシンポジウムを開催いたします。このテーマにしたきっかけは、インストラクターの安藤夏子さんからのご提案でした。ユマニチュードは大切なケアの技法ですが、継続、連携というところではまだまだ課題が多いのが現状だと思います。ユマニチュードのケアが地域の中でどういった変化をもたらすのか、そうしたお話を伺いたいと思います。

まず今回、私たちにたくさんのことを教えて下さいます佐々木澄子さまと娘さんの吉澤真理さま。共に夫で父親の佐々木健太郎さんを介護されています。澄子さんは前もって撮影しました映像での御登壇です。

吉澤真理さん 今日はよろしくお願いします。

杉本 よろしくお願いいたします。そして佐々木さんの地域での生活をずっと支えていただいておりました、安達さま、佐久本さま。

安達英一さん ケアマネージャーの安達と申します。よろしくお願いします。

佐久本和香さん 東山訪問看護ステーションの佐久本です。よろしくお願いします。

杉本 よろしくお願いいたします。そして、デンマークイン若葉台のユマニチュード認定インストラクターでいらっしゃいます、栗田さん。

栗田香織インストラクター よろしくお願いします。

杉本 そして調布東山病院のユマニチュード認定インストラクター、安藤夏子さん。

安藤夏子・教育育成委員長 よろしくお願いします。安藤です。

杉本 佐々木健太郎さんの紹介を安藤さんからお願いします。

ケアが届かず疲弊するご家族

安藤 今回の学会総会の「つなげようケアのバトン」というメインテーマのもとに、本日は調布東山病院と在宅と施設でのケアの連携の事例を共有させていただければと思います。まずはこれまでの介護のご様子について介護者である、妻の澄子さんからのお話をご覧ください。

佐々木澄子さんインタビュー(VTR上映)

看護師さんやお風呂の(介助をしてくれる)人が来てくださって(ケアを)やってると「触るな!」「お前は誰だ」と叩いたりつねったりがひどくて、罵詈雑言、言いたい放題で看護師さんはあっちつままれ、こっちつままれ、申し訳なくて。

とにかく手早くやらなきゃいけないというのがまず第一。手早くやって、あんまり触らない。私がやる時は手早く、ちょこっと触ってパパパっとやろうとして、それが頭にしみ込んでいました。『1、2の3』で洋服を持ち上げたり、脱がせたりしてたんだけど、いつだったかゴツーンとゲンコツがきて、膝蹴りを食らったりもして。

『一生懸命やってるのになんで叩くのよ!』って言うと、向こうも売り言葉に買い言葉で『バカ野郎!』とか『クソばばあ』だの、日によって言葉が違うんだけど、その応酬になっちゃって。こっちもまた今日も何か言われるかなと思って言葉も少なくなっちゃって、『おはよう』とかそういう言葉かけもしなかったですね。

私も自分がやってることが間違いだとは思っていないから、正しいことを私がしてるのに向こうが嫌がって、なんでこんな怒ってるのか分からない。そーっとやっていたら遅くなるじゃないですか。だからとにかく手早くやっていたんだけれど、それが本人にとっては苦痛だったのね。(ユマニチュードを知るまでは)それが一切分かってなかったんです。

安藤 このように非常にご苦労されていた澄子さんだったんですが、ユマニチュードが介入することになった経緯をご説明します。

佐々木健太郎さんは妻の佐々木澄子さん、本日ご参加くださっている長女の吉澤真理さんの介護を受けながらご自宅で生活をされています。10年前に発症した脳梗塞の影響で左片麻痺と左上下肢の拘縮があり、ベッドで過ごす24時間の生活は常に介護を必要とされている状態です。

ユマニチュードが介入することになったのは、遡ること昨年(2020年)の6月、本日ご参加いただいている訪問看護ステーションの佐久本科長より依頼をいただいたことがきっかけでした。それまでは週に1回の訪問看護と訪問入浴のほかに、ショートステイを利用されていたのですが、長年利用されていたショートステイ先の諸事情で利用先が変わると、ご本人のスタッフに対する暴言暴力を理由にそちらから利用を断られてしまいました。

※安藤さん作成の資料より

暴言暴力はショートステイに限らず訪問看護、それから訪問入浴、そして毎日介護をしているご家族にも同様の状況でした。それでもショートステイの利用を家族の休息時間とすることで何とか頑張ってこられていたのですが、それが利用できないという状況になったことで、ご家族の介護負担、それから疲労が顕著となってしまいました。そして佐久本科長が途方に暮れているご家族を心配して、相談をくれたことが介入のきっかけとなりました。

杉本 ケアを一生懸命やっていたのだけどなかなか良くならない状況というのは、澄子さんの言葉で十分に私たちに届く内容だったと思います。ではユマニチュードが入る前の状況を一番近くで見ていた安達さん、よかったらその時の状況をお話しして下さい。

安達さん 昨年4月から私が担当で伺ったんですけれど、その頃からショートステイ先から「利用中の介護が大変です」といったような相談が私の方に直接あったり、家族の方にも連絡がいきました。具体的にいうと「手が出る」「暴言がある」ということで、施設では受け入れは難しいということが何度もあり、訪問する度に、澄子さん、真理さんが下を向きながら「どうすればいいんだ」とお困りでいらっしゃいました。

安藤さんが入るようになってから、少しずつ、家族と介護に対するお父様の反応が変わったという話を訪問時にお伺いするようになってきました。

杉本 一番近くでご苦労なさってるご家族と、決して良い状況ではないご本人様、そして依頼をする施設の方のおっしゃる内容も十分に理解なさっていて、その間で非常にご苦労なさったんじゃないかと思います。

佐久本さんが安藤さんに介入の依頼をなさったわけですが、その前の状況、訪問看護として関わっておられた時の状況を佐久本さんから改めてお伺いできますか。

佐久本さん はい。佐々木さんは約3年前ぐらいに、私が在籍しています訪問看護ステーションの母体の調布東山病院に「食欲が少なくなってきた」ということで検査入院をされました。退院された時に退院後の体調確認を訪問看護でして欲しいというご依頼を受けました。その時にも病棟の看護師さんから「少し攻撃性があります」という申し送りがされていたと記憶しています。

訪問看護を続けるなかで、攻撃性が常時あるということも分かってきましたし、それがサービスを提供する側に向かうこともありました。毎日本当に一生懸命介護していらっしゃるご家族が攻撃されるというお話も伺って、ご家族も私たち関わる側も胸を痛めながら介入していました。

ご家族からお父様を「家で過ごさせたい」「支えたい」というご希望を何度も伺っていましたので、どうにかこの状況を解決できないかと考えましたが、ショートステイが攻撃性の問題で難しいというところで、ご家族も私も途方に暮れてしまい解決策が見えないという状況になってしまいました。

こうなったらユマニチュードの技を持っている安藤さんに助けてもらおうということで、澄子さん、真理さんとお話をしまして、安藤さんに依頼をしたというのが経緯です。

杉本 それぞれ関わっておられる専門職の立場から、非常に悩み多き状態だったということが非常によく伝わってきます。佐久本さんの言葉で印象的だったのが、家にいたいと思われているご本人の願いを叶えたいとご家族も懸命に介護をなさっている状況。けれども良い状況にならないという苦しさが、イメージがつくぐらいしっかりと届きました。ユマニチュードの介入が始まってから、その後の経過を安藤さん、引き続きご説明いただけますか。

まずは「触れる」技術から

安藤 はい。昨年6月から訪問看護に同行してご家族と一緒に介護の方法について考えてきました。介入の経過を簡単にお伝えしますと、初回訪問の時に、清拭、着替えたりというところの抵抗が非常に強く、触れられることに非常に敏感に反応しているということが分かりました。

普段は、先ほど澄子さんが「とにかく触ると怒るのでなるべく触らない、パッパッパと急いで行う」とおっしゃっていましたけど、この工夫がですね、ご本人にとっては不快な情報として届いてしまって、ケアが難航しているのではないかと考えました。まずは触れる時に工夫することとして、ユマニチュードの触れ方の技術をお伝えしました。

それ以降は毎週少しずつ少しずつ技術を足していって、技術の習得に重点を置いたのちに、今度はそれが定着するように訪問看護の際にはご家族と一緒にケアを行っていきました。

これは娘さんの真理さんの提案なのですが、ケアの様子をビデオに撮り、実際に行ったケアを振り返るということを続けています。

こちらはご自宅の様子なんですが、ご本人の部屋の扉やベッドサイドには真理さんの手作りの貼り紙が貼られていて、奥様の澄子さんが忘れないように工夫されています。

このようにご家族がユマニチュードケアを実践されることによって、本人に変化がみられるようになってきました。実際に澄子さんの声を聞いていただければと思います。

佐々木澄子さんインタビュー(VTR上映)

あっちもこっちも(施設に健太郎さんの受け入れを)断られて、どうしようと思っていた時に、パッと安藤さんが目の前に現れて。真理が『お母さん、ゆっくりやって、ゆっくりやって』って言うのと同じで、安藤さんも『こうじゃなくて、こうですよ』って。私のすぐ前でなさって、そうしたら相手が変わったんだから。それで目がぱちくりですよ。

今までは声かけるのも嫌だったけど、自然に『おはよう』と出て、(健太郎さんも)目をつぶってたのが目を開けて『おはよう』とか言う。自然に私もそういう態度が出来るようになったのが、自分でも驚いていて。

安藤 今まで自分なりに考えて、良かれと思ってやってきたものがあり、それを変えるというのは最初の一歩としてすごく大変だったと思うんですけれど、半信半疑ながらも変えてみて下さった。スタートは技術を変えたことですが、それによって健太郎さんご本人の反応が変わったことで、今までは「話しかけることも嫌だった」という澄子さんが自然に声をかけるようになってきました。「そんな自分に驚いた」とおっしゃっていましたが、私たちも澄子さんの変化には非常に驚きました。

このように健太郎さんが落ち着き始めた頃に、在宅チームとしましては、ご家族がこの先も在宅での介護を続けていくためには、断られてしまっていたショートステイの利用を再開できないかと考え始めました。ただ、お住まいのある市内ではどこも受け入れがないと、ケアマネの安達さんも悩まれていまして。

一方で、ユマニチュードの介入によってご本人の状態が落ち着いたということもあって、このケアを継続してつないでくれるところがないだろうかとも考えていました。そこで、市外ではあったんですが、栗田インストラクターが勤務されているデンマークイン若葉台に相談をしたところ、本当にありがたいことに施設で検討して下さり、その結果、受け入れてくださることになりました。

昨年の10月に初めて入所しまして、約1カ月の施設入所、そして在宅で3カ月過ごし、そしてまた1カ月デンマークインに入所ということを繰り返しています。在宅と施設との共通言語としてユマニチュードケアの継続というものがあり、バトンを渡しては受け取って、また渡すということが実現できています。

杉本 ありがとうございます。皆様が自分の持てる力全てを使って判断をして、その時の状況に応じて「これがベストではないけれど、これしか方法がない」という中で支え続けてきた。その時に技術を持った安藤さんがやってきて、少しずつ澄子さんがその方法を取り入れてくれるようになった。

私たち医療者は、ご家族の在宅介護の生活の中で24時間ずっといるわけではありません。佐久本さんが一番よくご存知だと思いますけれど、スポットで行く中で、常に一緒にいるご家族が試行錯誤している中で編み出した、とにかく早く済ませようという方法を毎日続けていらっしゃった。これは決してご家族のお話しだけではなくて、私たち医療者も同じような場面を臨床で多く経験していると思います。

第2の課題であったショートステイの利用に関しては、栗田インストラクターの働きもあって、今、「デンマークイン若葉台」でのショートステイの利用と家での生活をなさっているということですが、ショートステイの間の、健太郎さんのご様子を栗田インストラクターからご説明いただければと思います。

在宅と施設 つながるバトン

栗田 ご家族と安藤さんからのバトンを私たち介護士が施設で受け取る形で、ちょうど1年前ぐらいに初めて1カ月の利用をしていただきました。初めてお目にかかった1日目は、みんなが緊張していたと覚えています。一緒に来てくださった真理さんも「本当に1カ月間、大丈夫かな」って不安そうな様子で、健太郎さんご本人もお家を出られるときは緊張して、寂しそうだったとお聞きしました。お迎えした私たち職員も、1カ月無事にケアをすることができるのかなと緊張していました。

その顔合わせの日に、ご家族が安藤さんから教えてもらったユマニチュードのケアで特に気を付けていたことをお手紙にしてお持ちいただいて、それを私たちフロアスタッフみんなが読んで、施設での健太郎さんのケアがスタートしました。

なかなかスタートからそう上手くはいかず、ご自宅で悩まれていた状況が施設でもありまして、スタッフが健太郎さんの強い言葉を受けてしまったり、ケアの最中につねられたり。ただ、そこで「大変な人だな」とか「仕方ない」で終わらせず、スタッフみんなで「今のはなぜいけなかったのかな」と考え、観察をしてやり方を変えたりと様々な工夫をしました。

ユマニチュードの関わり方を繰り返し繰り返し実践し続けることで、スタッフの中でも上手くいった時のケアの方法が当たり前のケアの方法となっていき、そうすると徐々に健太郎さんにも変化がみられるようになりました。介護の拒否や抵抗が軽減されて、ケアを受け入れてくれる様子が見受けられるようになったり、ケアの最中に、例えば(体位)変換していく時に柵につかまってくれたり、移乗する時には私たちの首のところに健太郎さん自らが手を回してきてくれたりという形で、協力動作をいただけるようになってきました。

中でも、お家ではなかなかできなかったベッドから起きて車いすに移ったりという、ベッドから離れる、移乗する時間を作ることができたことが、ケアを受け入れてくださった一番大きな変化かなと私たちは思っています。

施設では起きる時間をお食事の時間に絞って、朝食、昼食、おやつ、夕食と4回の時間にお声がけをしています。ご飯の時間だから「じゃあ起きますよ」ではなくて、毎回健太郎さんご自身に「お食事はどちらで召し上がりますか」と聞くと、健太郎さんご自身が「みんなと一緒に食堂で」と選択してくださるようになって、起きる時間を確保できるようになってきました。関係性ができたからこそだと思います。

全ての食事ではないですが、ほとんどの時間で自ら起きるということを選択してくださり、その離床されてる時も、お話とまではいかないですけど同じテーブルの方々と一緒に食べている姿を見ていると、「起きる」という行為をネガティブなものではなくて、ポジティブなイメージとして捉えてもらえたのかなと感じました。

食事の摂取量が増えていたり、お食事の後もお部屋に帰らずに皆さんと一緒にテレビを観るという選択をされたり、そうした行為からも「起きる」こと、施設での生活がそれほど苦痛ではなく、安心できる環境に徐々になっている、ケアを継続することで私たちが受け入れてもらえているのかなと感じることができました。

1年前のご入所から現在までに3回のご利用があり、つい先日、3回目のご利用を終えてご自宅に帰られたんですが、入所を繰り返す度に状況がどんどん良くなって、スタッフに労いの言葉をかけてくれたり、他の利用者さんに「○○さん」と声をかけたりされるようになりました。ご家族様、ご本人様がご希望される在宅ケアが続けていけるように、施設としてのサポートをこれからも続けていきたいと思っております。

杉本 ありがとうございます。良いバトンが渡っては戻ってきて、また渡っては戻ってと、落ちることなくバトンがつながっているんですね。ケアのバトンがどこかですり抜けることがないようにと考える上で、非常に重要なお姿だなと思います。

お話の中で私が感じたことは、健太郎さん自身が安心できる環境を二つ持たれたことの意味です。安心できる人たちに囲まれる場所が二つあるというのは非常に重要なのではと思います。デンマークインという意思を持って出かける先、その場所があることが非常に生活の豊かさにも繋がっていくのではと思いながら聞かせていただきました。

では一番近くでお父様の状況を見て、そしてお父様を介護をなさっているお母様の状況も一番近くで見ていらっしゃった娘様の吉澤真理さんからお話をいただきたいと思います。ユマニチュードが入る前のこと、そして現在、何か変化を感じていらっしゃるようでしたら、そういった点もお話いただければと思います。

「ユマニチュードで母が一番変わった」

真理さん 父に関わって下さった皆様のお話を伺って、昨年の6月以前はあんなに大変だったんだなと思い返していたんですけれど、ちょうど安達さんがケアマネージャーになる前に、1年の間に2回ケアマネージャーさんが変わったんです。安達さんは父のことがよく分からない状態、ショートステイ先とうまくいってないところからのスタートだったので、ご心配やご苦労をおかけしたなと思います。

安藤さんが6月に来てくださるまで、本当に毎日父の介護をするのが地獄のようでした。父自体は1日中不機嫌だったわけではなく、食事なんかはお喋りしながら食べたり、テレビを観ながら感想を言ったり普通に喋るんですけど、オムツ交換とか、家族以外の人が来てケアをする時の拒否が激しく、(訪問看護の)看護師さんのユニフォームを見た途端に「お前は誰だ!帰れ!」って大きな声で怒鳴って、まだ何もしていないのに怒ってるという状況がずっと続いていて、そういうところを無理やり着替えさせたりするので、余計にひどくなっていったんだと思います。

お風呂自体は好きで、訪問入浴のサービスも受けていたんですが、着替えの際に服が引っ張られたりすることが、今思えば父にとっては苦痛で、嫌な思いをしていたんだと思います。(サービスをする人を)叩いたり、つねったり、蹴ったりということがありました。新しく探したショートステイ先も断られてしまって、行く先を失ってどうしようという時に、佐久本さんから安藤さんに来ていただくのはどうかと提案をいただきました。

以前、父が調布東山病院を退院して間もない頃に安藤さんが1、2回来てくださったことがあって、佐久本さんに「安藤さんが来られた時、何か違いましたか」って聞かれて、確かに安藤さんが来た時はまるで猛獣と猛獣使いみたいだったなと思い出して(笑)、「そういえば違った感じがします」とお話ししましたら、「それなら安藤さんに相談してみます」ということで、安藤さんが続けて毎週来てくださることになりました。

毎週来てくださったっていうことが母にはすごく良くて、訪問看護の看護師さんは毎回違う方が来られるのですが、母は全然顔も名前も覚えられないんです。逆に父はすごく人の顔も名前も覚えるんですね。ですので、同じ人に関わってもらうのが母にも父にも良いのかなと思うんです。

ユマニチュードという言葉は私にとって初見ではなくて、前にジネスト先生がNHKの番組に出ていらしたのをたまたま見ていて、「ユマニチュード」という言葉は覚えていなかったんですけれども、フランス人の頭もじゃもじゃのおじさんが、患者のおばあちゃんと会話して言葉も違うのに意思の疎通ができて、おばあちゃんの調子がどんどん良くなっていくっていう、すごいケアの方法があるんだなって思って。

それを取り入れてる病院の看護師さんも、(ユマニチュードは)手間がかかるように思われるけど、患者さんが協力してくれるので気持ちよくケアができるっていうようなお話をされていたことを覚えていたんです。ですので、安藤さんのお話を聞いたときも、私は「あ、あのユマニチュードか」っていうようなイメージでした。

ただ、母にとっては初めての言葉で、安藤さんがくれた(ユマニチュードを解説した)冊子を「お母さん先に読みなよ」って渡したんですが、何日かして「読んだ?」って聞いたら「まだ読んでない」って言うんですね。「じゃあお母さん、私が先に読むから」って読んで、大事だなと思うことを紙に書いてドアに貼り付けました。

「お母さん、部屋に入る前は3回ノックしてね」「いきなりガラッと開けて、オムツ変えるからじゃなくて、トントントンッて3回してね」っていうところから始まって、気をつけなきゃいけないことを紙に書いて一つずつ増やしていきました。いきなり要件を言わないとか、目線は上から見下ろさないとか、上から掴まないとか、簡単なことなんですけど「お母さん書いてあるでしょ、あそこ見て」って意識づけをしながら、毎日父に接するようにしました。

私にとっては、父も変わったんですけども、母が一番変わったなと思うんですね。(ユマニチュードに出会う前も)私は、父と接する時に「今なんで怒ったんだろう」って思うと「じゃあ今度はこうしてみようか」って、父が何が嫌なのかを考えながら私なりに色々と実践していたんです。

それで「こうしたら良かったよ」って母にも伝えるんですけど、母には母の考えがあって自分の正しさで介護をしているので、私の言葉が届かずなかなか一緒にできなかったんですね。そこがずっとネックになっていて、私が父に「おはよう」というと「おはよう」と返してくれているんだけど、母がベッドサイドに来ると「お前何しに来たんだ」ってなってしまうという上手くいかなさがずっとありました。

そこに安藤さんが来てくださって、私的には「今まで父が笑顔を見せてくれていた、そのやり方で良かったんだ」っていう確認ができました。そして母にとっては、安藤さんから言われてその通りにちょっとやってみたら、父の態度が変わったので「もっと早くすればよかった」と腑に落ちたような感じで。母が、自分の接し方が父に苦痛を与えていたということに気付いたっていうところが、本当に劇的な変化だと思います。

母が父に笑顔で「お父さん、おはよう」って声をかけているのを見た時、私は本当に感動しました。「ええーっ!」って。母は自然に出てくるようになったって言うんですけど、(ユマニチュードを実践すると)介護する人の気持ちも変わるし、それが次の優しさに繋がっていくという感じがするんですよね。

この前、デンマークインの3回目の入所から帰ってきたんですけれど、今までは家でずっとベッドの上で過ごしていた父が、「お父さん、ご飯だから車いすに乗ってあっちで食べよう」って言ったら「うん」って。車いすに乗ることが当たり前っていう習慣が身について帰ってきました。帰ってきて1週間ぐらいですけど、食事の度に車いすに移るということができています。

母は、最初はそれが嫌そうで(笑)、車椅子に乗せる時には私1人では乗せられないので母に手伝ってもらうんですが、「お父さんベッドの方がいいんじゃない?」「お父さん、本当に車いすで食べるの?」って何回も聞いて。だけど、父が車いすで食べるって言うので「ああ仕方ないわね」って渋々手伝っているんです。

父は車いすで食べることで姿勢も安定して、行く前は右手でスプーンがちゃんと持てなくてふらふらしていたのが、リハビリもしていただいたので、すごく上手に食べられるようになっていました。出したご飯もきれいに食べるので、父が残さずに食べることを母も喜んで、その嬉しさもあって車いすに乗せるのを渋々ですけど毎回手伝ってくれています。デンマークインで身につけた良い習慣を家でも継続して、父の基礎体力的なものを落とさずにキープ出来たらいいなと思っています。

杉本 ありがとうございます。安藤さんがユマニチュードという技術を持ってきてくださったことは非常に大きいと思うんですけど、真理さんが紙に書いてくださったりして、こうやってみたらというきっかけの種をたくさん蒔いておられたんだなと思いました。

一つ質問がありまして、先ほど安藤さんのお話しの中でケアの様子をビデオに撮ろうと提案されたのが真理さんだったと聞きました。なぜ映像に撮った方がいいと思われたのか、教えていただけますか?

真理さん 着替えをする時に、それまでは私と看護師さん2人で父をゴロンゴロンひっくり返しながら、ベッド上で着替えさせていたんですけど、安藤さんが来られて、ベッドサイドに腰かけて着替えた方が父もラクなんじゃないかということで、そこで母にも手伝ってもらって着替える方法を指導していただいたんです。

その着替えの時に父が怒って母をゴン!て叩いたり、怒鳴ったりすることがあるのですが、やってる時は何に怒ってるのかがよく分からないんですね。母に「こうしたんじゃないの?」「ああしたんじゃないの?」って言ったら「いや、そんなことしてない!」ってなってしまったので、客観的に振り返れるようにと思って撮影することにしました。

その映像を見て最初に感じたのは、ベッドサイドに3〜4人の女性が襲いかかるように、手術台を囲んでる先生みたいになっていて、これはベッドに寝てる人はすごく怖いなと。周りから人の頭がのぞき込んでたら怖いだろうなと客観的に見て感じて、視野に入る人はできるだけ少ない方がいいんじゃないかと映像を観ながらいろいろ工夫しました。

あと、父はすぐ直前のことだけを怒っているわけじゃなくて、2分ぐらい前にやった動作に対して怒ってて、突然バン!ってきたりすることがあるっていうのは、つい最近発見したことです。

杉本 ユマニチュードを大きくご自分たちのものにされて、ケアを続けていらっしゃるのは非常に素晴らしいと思いますし、映像の持つ意味を改めて感じさせていただきました。

先ほどからのお話の中でキーワードとして出てきているのは、なんで健太郎さんがこういう反応をするのだろうと、その理由を探すことができるようになったということと、それに対する方法論、どんな風にしたらいいんだろうという方法を持った方が現れたということかと思います。

これは決して安藤さんや栗田さんが特別な人というわけではなくて、常に安達さんや佐久本さん、もちろんご家族の方が健太郎さんにとって何が良いことなのかを、毎日ずっと考え続けて来られたからだと思うんですね。それはユマニチュードの表現で言いますと、哲学を持ってずっと支え続けていらしたということかもしれません。自分たちの役割って何だろうなって思いながら、毎日毎日お過ごしになっていてそこに技術が入ったことで、パカっと扉が開いたような、そんな印象を受けます。

ユマニチュードは私たちケアをする者を「職業人」と位置づけています。安達さんはご家族の心の支えになっているお方だろうと思うんですけれど、職業人という立場から、健太郎さんの一連のケースを通してお感じになったことを聞かせていただけますか。健太郎さんご自身に離床の意欲も出てきて、もしかしたらケアプランの見直しも必要かなとも思うのですが。

安達さん ユマニチュードを始めた頃、お母様から「どうすればいいの」って聞かれた時に、安藤さんが「介護する時や接する時は、無理して優しくしなくていいです。相手が優しく感じるように技や表現方法を変えるようにしたらどうですか」と話したことがあって、それからお母さんもどんどん表情が変わっていったように思います。

今までは寝たきりの方が生活する上での最低限のサービスだったと思うんですが、これからはその人がその人らしく生きられるように、生活できるようにプランを変えていこうと思っていますし、ご家族もそれを望んでいると思いますので相談しながら変えていきたいと思います。

杉本 ありがとうございます。ケアマネージャーはたくさんのお役目を担う非常に大事なキーパーソンでいらっしゃいますので、尊敬を申し上げております。ぜひ健太郎さんご自身が、こうありたいと思われる自分でいらっしゃれる日々が今後も続いていくように、皆さんで力を合わせて進んでいっていただいきたいと思います。

健太郎さんご家族と3年間という時間を共に過ごして、これからもおそらく伴走なさると思います訪問看護師の佐久本さんは、同じように健太郎さんとご家族に関わられての率直なご感想を伺えますか。

佐久本さん 私は訪問看護師ですので、健太郎さんが今まで生きてこられた人生だったり経過を考えながら、持っているお力を最大限に存分に生活に使っていただくことを、医療も含めて看ていくのですけど、やはり色々お言葉が強い時期は、私たちも短時間でケアをするとか、(体を)つかむような動作になってしまっていたということを、今回改めて安藤さん入っていただいて学ぶことができ、振り返ることができたんですね。

先ほどもお伝えさせていただいたんですけど、夢中になってやっている時は、そういう攻撃性をブロックするだけになっていて、きっとご本人もその看護師の表情、行動がとっても怖かったんだと思うんです。そういう過去がありながら、今、健太郎さんが変わってきたということに私たちもたくさん学ばせていただきました。

真理さんが撮った映像を一緒に見ていると「あの時の行動がこれにつながったんだよね」という風に一つ一つの行動のつながりに気づき、全てやっぱり勉強だなと実感しながら一緒の時間を過ごさせてもらってます。

今、訪問看護では3人チームでケアを繰り返していまして、澄子さん、真理さんと訪問看護師で、起こしたり、体を拭いたり、お着替えをしたりっていうことをやっています。すごく抵抗されていた時と比べると、看護師の方に背中を預けてくれるような姿勢を取っていただけるようになり、私もとっても幸せな気持ちがしました。

3年前は正直ちょっと怖かったんですね。そういったところが健太郎さんの背中のぬくもり、私の手のぬくもりがやっと通じ合ったみたいな、とても幸せな気持ちがしたので、触れ合って信頼して、優しい言葉をかけてというところで好循環が生まれてくるんだなと感じました。

真理さんは安藤さん以上のって言うと、安藤さんに怒られちゃうかもしれませんけど(笑)、ユマニチュードの触れ方、言葉がけがとっても素敵にできますし、妻の澄子さんもスポーツをされていたご経験から動きがスピーディーで、とっても良いチームでやれています。こういったところでケアのバトンがつながっていくんだなっていうのを目の当たりにさせていただき本当に感謝しております。

杉本 ジーンときてしまいました。インストラクターの栗田さん、安藤さんからも同じようにお言葉をいただこうと思います。まずは栗田さん。健太郎さんと関わられて色々思われたことがあるのではないかと思います。

栗田 個人的な意見としては、このバトンリレーの一部に私たちデンマークイン若葉台が入れたというのが、すごく良かったなと思っています。まだまだこれから施設利用を継続していただく中で、色々なケースが出てくるかと思うんですが、3回目を終えて帰られて、お家でも離床ができるようになったというところでは、もっとまた違う変化が出てくるのかなと楽しみながら一緒にお手伝いをさせていただきたいと思います。

杉本 ありがとうございます。最後に安藤さんお願いします。

安藤 皆様のお話を聞いて、私自身すごく感動しているんですけれども、ユマニチュードのケアは継続し続けることに意味があると実感しています。介護は終わりが見えなくて、きれいごとでは済まない現実が毎日続きます。大変な状況であればあるほど負担は大きくなって、ご本人を含めご家族や関わる方々も苦しくなります。

そこに精神論ではなくて、技術を通して解決できることがあるならば多くの人が救われるのではないかと、一事例として自分たちの経験が何かお役に立てればということで、今回、妻の澄子さんにも映像出演に快諾していただきました。ユマニチュードのケアはケアをする人も、受ける人も救われるケアだと私は思っています。そのことを今回の事例を通して自分自身も再確認するに至りました。

ご家族だけが頑張るのではなく、関わる人が同じようにケアを繋いでいくことで、本人が穏やかに毎日を過ごすことができる。それがご家族が介護を継続していこうとしていく力になるのかなと思っています。まさしく今回のテーマである「ケアのバトンをつなぐ」ということで生まれる価値なのではないかと思っています。

杉本 ありがとうございます。今回のテーマでたくさんのことを私も学ばせていただきました。「つなぐ」という一言ですけれども、在宅と組織をつなぐ、それ以上にケアをする者と受ける者、先ほど佐久本さんがおっしゃっていましたけれど、やっと届いたという感覚ですね。気持ちだけではなかなか難しい現状がたくさんあり、その中で技術を持つことの意味を私自身も考えさせられました。

一番お近くにいらっしゃいます澄子さんの言葉を最後にこのシンポジウムを締めたいと思います。健太郎さんとご家族にはこのような機会を与えていただいて本当に感謝いたします。そして登壇いただきました皆様、本当にどうもありがとうございました。

佐々木澄子さんインタビュー(VTR上映)

理由があって手を出しているというのも教えてもらったから、そうかと。今までのこの何年かの間に、少しずつおっしゃってることが頭の中に入ってくるようになって毎日が勉強になってます。本当にありがたいことです。私が変われば相手も変わる。あれからバカ野郎だのはない。(健太郎さんが)ちゃんと優しくしてくれているなって分かるんだなっていうのが、分かりました。

だから、(ユマニチュードが)どれだけ大切なことかと思います。ただオムツ変えました、脱いでお風呂に入れました、じゃなくて、良い気持ちで。やっぱり『脱がせられると嫌!』って思うでしょうね。それを優しくしてあげれば、『またね』とか、手を振ることもありますから、看護師さんたちに。相手の気持ちを思いながらってなかなか大変だけど。

杉本 以上を持ちまして今回のシンポジウムを閉じたいと思います。皆様、どうもありがとうございました。

※写真撮影、発表時のみマスクを外しています。

日本ユマニチュード学会の第3回総会を9月末、インターネットを通じたオンライン配信にて開催いたしました。

ダイジェスト映像

開催レポート

今回のテーマは「つなげようケアのバトン」。生存科学研究所との共催で行った市民公開講座と併せまして2日間で延べ600人以上の皆さまが参加して下さいました。本総会の大会長を務めた杉本智波・日本ユマニチュード学会学術研究委員長のインタビューで総会を振り返ります。

杉本 智波(すぎもと ちなみ)氏

熊本保健科学大学
キャリア教育研修センター認定看護師
教育課程脳卒中看護分野専任教員
脳卒中看護認定看護師
ユマニチュードチーフインストラクター

今回の大会開催にご協力いただきました皆さま、そして参加くださった皆さまに改めてお礼を申し上げます。新型コロナウイルスの影響下でも歩みを止めずにより良いケアを考えたいと思ってくださる皆さまのお力添えで、3回目となる日本ユマニチュード学会総会を無事に開催することができました。

1日目は生存科学研究所との共催で「家族をつなぐユマニチュード」をテーマとした鼎談、ユマニチュード考案者のイヴ・ジネスト 先生の基調講演を、2日目は会員総会として「ユマニチュードの再現性と継続性を目指して」をテーマにシンポジウムと17演題の口頭発表を行いました。(第3回学会総会の詳細はこちらから

昨年に引き続きオンラインでの開催となりましたが、口頭発表にはこちらの予想を上回る数の申し込みをいただき、会員の皆様がユマニチュードの実践を重ね、さらにそれを仲間の皆様に伝えたいという思いを持っていただいたことを嬉しく感じました。少しでも双方向になるよう、4人のインストラクターを座長として、質疑応答ができるように工夫をいたしましたが、いかがでしたでしょうか。

今大会は、全体テーマとして「つなげようケアのバトン」、加えて2日目の会員総会では「ユマニチュードケアの再現性と継続性を目指して」というテーマを掲げました。

今、ユマニチュードは医療や介護の現場、家族をケアする市民の方々へ、インストラクターの私たちの想像を超える勢いで広がっています。これはユマニチュードを実践した皆さまが「これは大事だ」と確信されたからこそだと思います。

ただ、ユマニチュードが広がることはとても嬉しいことですが、医療や介護の現場、施設、ご家族それぞれが個々のレベルで行っているユマニチュードが繋がっていかないと言う大きな課題があるように思います。ユマニチュードのケアのバトンがどこかでこぼれ落ちてしまうこと、今日届けたケアが明日は届かないということは、何よりもケアを受ける当事者の皆さまがお辛いことでもあります。

ユマニチュードを学んだ方なら誰しもが直面する「ケアが繋がらない」という壁。その壁にぶつかりながらもケアを諦めないで学会に集ってくださった皆さまと、どうしたらケアのバトンを繋げていけるか共に考え、その積み重ねを今後も共にやっていきましょうと言う思いを、このテーマに込めました。

そうした意味で、2日目のシンポジウムで示されたご家族、訪問看護、施設でのケアの連携の事例は、まさに今後のユマニチュードの浸透や広がりにとても重要なことを示していたと思います。シンポジウムの中でご家族が毎日毎日、一生懸命ご自身が正しいと思うケアを試行錯誤して行っていたけれども上手く行かなかった、という言葉は、良いケアを届けようとする者なら誰もが共感したのではないでしょうか。

そこにユマニチュードの技術、方法論がもたらされたことで、ご家族が変わり、ご本人が変わり、ケアマネージャー、訪問看護師そして施設へと良いケアのバトンが関わる方々皆で繋がれて、良い循環が生まれていく、非常に理想的な姿だと思いました。こうした素晴らしい事例をご報告いただいたことに心より感謝をいたします。

また口頭発表では、ユマニチュードの哲学に基づいて、施設や病院の皆が同じ価値観で同じ目標を見定めて試行錯誤することが、利用者さん、患者さんに届くケアへと実を結んだという事例が多く、とても勉強になりました。来年、日本でもユマニチュードの施設認証制度がスタートしますが、何よりも大切なユマニチュードの哲学とそれを達成するための技術という在り方が示されていると思います。

日本ユマニチュード学会の設立の大きな目的でもあります、ケアを実践している現場からの発表や科学的根拠の積み上げが、ユマニチュードに対する正しい理解に繋がると私は考えます。時に精神論として捉えられてしまうこともあるユマニチュードを、良いケアを達成するための有意義な手段であると多くの方に知っていただくためにも、この学会を職域に関わらない実践や研究成果を発表できる場としたいと強く思った大会となりました。

次年度の大会がどういう形式になるか現段階では分かりませんが、ユマニチュードを学び実践されている会員の皆様のお役に立てるような内容を考えて参ります。

※写真撮影、発表時のみマスクを外しています。

北海道札幌市で複数の老人ホーム施設を運営する社会福祉法人 神愛園は、日本ユマニチュード学会の賛助会員として当学会の活動に賛同いただいています。

2021年6月、同施設の職員の方向けに森山由香インストラクターが「優しさを伝えるケア技術ーユマニチュードー」のオンライン講演会を行いました。当日は13部署、125名の方が参加され、講演会で得た気づきや感想を事務局にお送りいただきましたので、その一部をご紹介させていただきます。

講演会後に寄せられたご意見・ご感想

講師の方が「心が動けば体が動く」とされたが、長く介護の仕事に携わる私も同じように思ってやってきました。しかし、徐々に介護を受ける側ではなく、介護を提供する側の自分が失敗しないように、段取りを忘れないように、との思いで頭がいっぱいになっていたことに、この講演で気づかされました。
よかれと思ってやっていることを、相手の存在を尊重できる形で届けていこうと、改めて感じました。

ヘルパーとして活動していると、時間内にしなければならいことをするため、本来は利用者さんと一緒に行う活動を、ヘルパー一人で行ってしまうこともありました。
しかし、それでは利用者さんが「一緒にしたい」行動を無視して尊重できていないことになるので、今後の活動面で注意していきたいです。

ユマニチュードは、ケアの対象となる相手に「あなたは大切な存在です」というメッセージを相手が理解できる形で伝える哲学に基づいた技術と捉えると、4つの柱、5つのステップにとても納得できました。
「ユマニチュードとは高齢者のみならず、誰に対しても活かせる技術。大切な人に対して無意識に行っていることを意識的に行う」という言葉が印象的でした。

「できることを奪わず、できないことを要求せず、埋もれた力を引き出す」という言葉がとてもわかりやすく、「介護」を表現していると感じました。介護が必要な人に対し、何でもやってあげることがいいことではなく、できること・できないことをしっかり把握することが重要で、その上でできないことのみをサポートすることで介護される側の尊重も守られるし、介護する側の負担も軽減できるのではないかと感じました。

ユマニチュードの実践を一人で成し遂げるには困難があり、チームとして行なっていく必要も感じました。 一人の関わりでは、点での関わりで終わってしまい、本当の改善策につながらない、一貫性がないものになってしまいます。今後より実践沿った研修を重ねて、一人ではなくチームとしてユマニチュードを実践していきたいと思います。

赤ちゃんに接すつように「見る」「話す」「触れる」ことは、常態化するのに時間がかかると思いますが、職員同士の挨拶でも家族や友人に対しても、しっかりと相手の目を見て元気に挨拶することから始めようと思います。 日本人特有のテレや恥ずかしさはありますが、より良い人生を生きるために率先してユマニチュードを身につけたいと思います。「心が動けば、体が動く」に取り組みます。

講演を聞いて、これまで当たり前のように行なっていた自分のケアを改める部分に気づくと同時に、人間らしさを取り戻すケアとして、自分が利用様にできるケアはまだたくさんあると感じられました。 具体的に実践できるケア技術を見ることができ、冷静に利用者様が何を言おうとしてるのか、今、利用者様に必要なことは何か、どのようなケアが適切かを考え、その方に合わせたケアが行える環境を整えていきたいと思いました。

講演会後、各事業所の推進者がメインとなり、一事例を3か月という期間を定め取り組み、その結果の報告を繰り返しているところです。また、各事業所の取り組み報告を掲示し、共有を行っています。そのほか、ケアプランにユマニチュードを盛り込みながら、実践につながる環境を作っています。とのお声をいただきました。

賛助会員制度

当学会では、ユマニチュードの浸透を共に目指してくださる施設や法人様による賛助会員制度を設定しており、すでに多くの皆様と活動を共にさせていただいております。くわしくはこちらをご覧ください。

雑誌「オレンジページ」4月17日号に、当学会の教育育成委員長であり認定チーフインストラクターでもある安藤夏子氏のインタビューが掲載されました。

憧れの看護師として業務に忙殺される中、ユマニチュードとの出会いによって、看護師としての悩みや壁をしなやかに乗り越えていく姿にとても勇気付けられます。

▼詳しくはこちらをご覧ください

https://www.fujisan.co.jp/product/331/new/

照林社の看護専門学習誌『エキスパートナース』2021年4月号に、本田代表理事の連載「ユマニチュードってどんなもの?どうやって進めるの?」が掲載されました。

ナースのための医療・看護最新TOPICSの連載として、ユマニチュードとは何かを丁寧に紹介しています。

▼詳しくはこちらをご覧ください

https://www.expertnurse.shorinsha.co.jp/posts/15558325

タイトルは、相手を思う気持ち伝える介護 フランス発祥の「ユマニチュード」

 

認知症の介護などで、一生懸命にケアをしても相手から拒否されたり、暴言を吐かれたりすることがある。しかし、それは「介護者が悪いのではなく、ケアのやり方に改善の余地があるのだと思います」と話す本田代表理事。

うまくいったケアには、友だちの家を訪ねて食事をし、おしゃべりをして名残惜しく別れるのと同じような流れがあると言います。

 

詳細はこちらからご覧いただけます。

https://medical.jiji.com/topics/1984

NHK Eテレの春季講座14時〜14時20分の家庭総合の枠にて、本田代表理事が出演する「高齢者を支える」が再放送されます。

https://www.nhk.or.jp/…/tv/katei/archive/chapter013.html

是非ご興味ある方、大変わかりやすい内容となっておりますので、ご覧ください。

公益財団法人介護労働安定センターの広報誌『月刊ケアワーク』2021年2月号にてユマニチュードが掲載されました。
ケアホーム西大井こうほうえんの施設長でもある田中とも江理事のユマニチュードへの取り組みを、7ページに渡り大型特集いただきました。ユマニチュード導入事例〜導入のポイントと効果の実際〜
◆「身体拘束ゼロ」の取組みから「ユマニチュード」へ
◆現場に技術を定着させるには組織的な取組みが必須
◆日本においてユマニチュードの認証施設になることが目標

 

▼詳しくはこちらをご覧ください
http://www.kaigo-center.or.jp/carework/

2/5発売の「明日の友」(主婦の友社)250号春号にて、ユマニチュードの大型特集を掲載いただきました。

「介護がうまくいかない」と悩む人々に、本田代表理事が、ユマニチュードの4つの柱の技法や相手と良い関係を結ぶための5つのステップを丁寧に解説します。

 

実践されているご家族の声も掲載されておりますので、ユマニチュードをこれから学びたいと思われている方、ぜひご一読ください。

https://www.fujinnotomo.co.jp/magazine/asunotomo/a0250/

1月5日(火)発売の小学館『女性セブン』に本田代表理事の連載企画「明日はわが身の伴走介護」が掲載されています。
『老親の認知症とうまく付き合うためにユマニチュードに学ぶ〝ケアの心“』が今回のテーマ。ユマニチュードの4つの柱を中心に家族介護ならではの不安を取り除くためのエッセンスが詰まっています。

 

▼詳細は以下にてご確認ください。
https://www.shogakukan.co.jp/magazines/2092301121

自然派食品などの企画・卸販売を手掛けるプレマ株式会社が発行する機関誌「らくなちゅらる通信」に田中理事のインタビュー特集『縛られているのは、介護する側の常識』が連載されています。
看護師として71歳の今も第一線に現役として立ち続ける田中氏の想い、これまでの歩み、抑制なき介護への取り組みなど、田中氏が理想のケア実現に向けて情熱を傾けていた壮絶な道のりが語られています。

▼第1回目の連載はこちらから
https://prema.binchoutan.com/r-natural/toku/toku_vol157.html

▼第2回の連載はこちらから
https://prema.binchoutan.com/r-natural/toku/toku_vol158.html

▼最終回の掲載はこちらから
https://prema.binchoutan.com/r-natural/toku/toku_vol159.html

公益社団法人 全国老人福祉施設協議会の会員向け会報誌『月刊 老施協』2020年12月号(12月15日発行)の連載企画「福祉のかたち」に、本田代表理事と荒瀬理事の対談が掲載されました。


福岡市で進行中の「福岡 100 」認知症フレンドリーシティ・プロジェクトの一環として「人生100年時代の健寿社会」の構築に取り組む福岡市の荒瀬泰子副市長と、その取り組みをユマニチュードのケア技法を軸に専門的立場からサポートする医師、本田美和子氏の対談です。

 

▼詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.roushikyo.or.jp/?p=we-page-menu-1-2&category=19325&key=19350&type=contents&subkey=355184

主婦と生活社発行のムック『NHK ガッテン!』12/16発売号にて、ユマニチュードのアイコンタクトパワーに関する記事が再編集・再掲載されました。

 

★スペシャル企画3★
認知症の介護は「アイコンタクト」で劇的にラクになる
こちらのコーナーで、認知症の人を前にしてどのような接し方にすれば良いか、「ユマニチュード」の技法を用いながらケアすることで、より良い関係性の作り方を提案しています。


▼詳しくはこちらでご覧ください。
https://www.shufu.co.jp/tax_magazine_kind/gatten/

NHK Eテレ『きょうの健康』が好評につき再々放送が決定しました。

テーマは「認知症に挑む」。
優しい認知症ケア〝ユマニチュード“として、4つの柱を中心に本田代表理事が解説しています。▼番組放映日
【1回目】12/16(水)午後8時30分〜8時45分
【再放送】12/23(水)午後1時35分〜1時50分

 去る9月26日、第2回日本ユマニチュード学会総会をインターネットによるオンライン配信にて開催いたしました。今回のテーマは「ユマニチュードが挑むケア・イノベーション」。発表者のいる福岡市の会場と全国の参加者の皆様を繋いで、生存科学研究所との共催による市民公開講座、第一期定時社員総会、学会総会の3部構成のプログラムで、ユマニチュードが拓く未来を語り合いました。  

ダイジェスト映像

 

 第1部は、自治体としてユマニチュードを採択している福岡市の取り組みを紹介する市民公開講座「福岡市から始まり広がる認知症フレンドリーシティ」。前半は、世界で初めて救急搬送の現場にユマニチュードを導入した福岡市消防局警防部救急課の財部弘幸・救急指導係長、ユマニチュード考案者のイヴ・ジネスト先生が基調講演を行いました。

 財部係長は、福岡市の救急事案による年間出動件数が約8万件、そのうち65歳以上の高齢者が半数を占め、認知症の人のも増えているという現状を説明。ユマニチュードを学んだ救急隊員は患者への共感度が上昇するという検証結果を示し、「(ユマニチュードを実践することが)患者とその家族の安心につながり、救急活動がより円滑に進むと考えられます。今後もユマニチュードの研修を続け、認知症に優しい街づくりの実現に貢献して行きたい」と救急現場でのユマニチュードの有効性を訴えました。発表内容は、こちらのURL(Youtube【第2回日本ユマニチュード学会総会】基調講演:『世界初!福岡市救急隊におけるユマニチュードの取り組み』)からご覧いただけます。


 ジネスト先生はフランスのご自宅から参加。これまで福岡市で出会った家族介護者の皆様のユマニチュード実践の様子をビデオで紹介しながら、「ユマニチュードは人と人をつなぐ絆の哲学です。どうやって絆を作るのか、絆がなければ私たちは存在できなくなってしまうことを教えてくれます」と話しました。またCOVID-19の蔓延する現在の状況について「私たち人間が生きるためには愛情と自由の二つのことが重要です。この困難な時期にも、勇気を持って自分の愛情を自由に表現し、愛情を受け止める環境を作っていきましょう」と呼びかけました。

 市民公開講座後半のパネルディスカッションには、福岡市でユマニチュードを実践している皆様が登壇。同市の原土井病院の作業療法士でユマニチュードインストラクターの安武澄夫さんを座長として、家族介護者の大津省一さん、ユマニチュード地域リーダーの松原弘美さん、福岡市保険福祉局高齢社会部の笠井浩一・認知症支援課長、日本ユマニチュード学会の本田美和子代表理事が、それぞれの取り組みとユマニチュードを普及するための課題を語りました。

 ユマニチュードを実践することで認知症の妻・信子さんとお互いの信頼感が増したという大津さんは、ユマニチュードの技術と哲学を「妻に普通の生活をさせて上げるための大事な宝物」と表現。認知症の家族を介護する方々が参加しやすくなるような方法や情報交換できる場が必要ではないかと訴えました。

 松原さんは同市の小中学校や地域の公民館でのユマニチュードの講座を担う地域リーダー。講座の参加者に若い世代が少ないことを紹介し「ケア技術というと30代、40代には伝わらないが、コロナと共生する時代には、マスクで顔を覆ったり、ソーシャルディスタンスを取っていても、アイコンタクトができたり、マスクの下に笑顔があれば相手に伝わるものが違うと思う。優しさを伝える、優しさを考える技術として、若い世代に広げることが世代の壁を破る一歩になるのでは」と提案しました。

 「認知症フレンドリーシティ」を推進する立場の笠井さんは、「大津さん、松原さんからたくさんの宿題をいただき、これは福岡市への期待と思います。我々が掲げているのは認知症のサポートではなく、認知症フレンドリーシティ。認知症の方々を支えるだけでなく、社会の仲間として活躍できる一員として、一緒に楽しい社会を作ることを目指して、これからも取り組んでいきたい」と応えました。(福岡市の取り組みについて詳しくは「自治体におけるユマニチュード」をご覧ください。

 学会総会では、自閉スペクトラム症の母子のコミュニケーションにユマニチュードを取り入れた研究など、ユマニチュード実践に関わる八つの研究成果、事例報告が行われました(詳しくは抄録集(PDFファイル)をご覧ください)。本田代表理事は、2年目を迎えた学会の運営について、オンラインの会員限定サロン「雨宿りの木」を拡充し「それぞれの現場でユマニチュードを実践されている会員の皆さまが繋がれる、相互交流の場を増やし、より良いケアについて皆で考え、実現していきましょう」と抱負を語りました。

 また、第一期定時社員総会では、2019年7月1日から2020年6月30日の第一期事業報告、2020年7月1日から2021年6月30日までの第二期事業計画の二つの議案が正会員(社員)157名の過半数の賛成により可決されました(議案について詳しくは2019年度第一期定時社員総会をご参照ください)。

 


 

第2回日本ユマニチュード学会抄録集

抄録集をこちらからご覧いただけます。
第2回日本ユマニチュード学会抄録集(PDF)』

 

参考資料

福岡市の高島市長よりご紹介のあった「認知症の人にもやさしいデザインの手引き」は、下記からご覧いただけます。

10月23日(金)、24日(土)の二日間に渡り、一般財団法人 認知症高齢者医療介護教育センター 福井県立すこやかシルバー病院にて、ユマニチュードの講演会が開催されました。
ユマニチュード認定インストラクターである、富山県立大学看護学部 岡本恵里教授 が講師役となり、医療介護専門職約80名の方々を対象に約1時間半にわたってユマニチュードの哲学と技法などについて語り合いました。

 

特別対談

認知症の一つ「レビー小体型認知症」の当事者として、自身の体験や症状を発信し続けている樋口直美さんに、当学会の本田美和子代表理事がお話をうかがいました。新刊「誤作動する脳」(医学書院)の出版にまつわる裏話から認知症の方々と社会の関わり方まで、ケアをする側、受ける側双方の立場から話が広がりました。

「書く」ことが心理療法に

本田美和子・代表理事 樋口さんは日本でのユマニチュードの活動の初期から興味を持ってくださり、ジネスト先生からぜひ名誉インストラクターになっていただけないかとお願いして受けてくださいました。今日はお招きできてとても嬉しいです。

樋口直美さん インストラクターだなんて。応援団だと私は思っています。

本田 ありがとうございます。ジネスト先生は常々「我々の一番の先生は、その状況に置かれている人だ」と話していらして、樋口さんにも本当に様々なことを教えていただいています。最初にお会いしたのは1冊目のご著書「私の脳で起こったこと」(ブックマン社)を出版されたときでした。私もちょうどユマニチュードを始めて間もなくのころでした。

樋口さん 私の本が出版されて間もなく開かれた講演会の時にお会いしたんでしたね。

本田 認知症全般についてもっと知りたいと思っていた時に、ご病気と共に暮らしている自分のことを書いている方がいらっしゃるのを知り、どんなことをお話しになるかぜひ伺いたくて参加いたしました。

樋口さん 講演の後の懇親会でお話しさせていただいたのですが、なんだか知らない人という気がしなくて。

本田 そうでした。前々から存じ上げているような、古いお友達に久しぶりに会うような感じがいたしました。とても楽しかったです。「本を書く」と決意された一番の理由はどんなことだったのでしょうか。

樋口さん レビー小体型認知症という病気が知られていないために、正しく診断されない方が多く、私もそうでしたが、処方された薬で逆に症状が悪くなる方や、知らずに風邪薬などいろいろな薬を飲んで悪化している方が多くいます。あるいは幻視に対して向精神薬を処方されて寝たきりになってしまう方も多くいて、「これは多くの人に知らせないといけない」というのが一番強い動機でした。

本田 樋口さんがそう思って行動を起こしてくださったことで、多くの人が救われたと思います。

樋口さん それなら良いのですけど、まだまだ知られていないと思います。病名も知られていないし、認知症ということで括られてしまい、自律神経症状などで身体的に苦しい症状がたくさんあることや、薬にも注意が必要だということまでは全然知られていません。

本田 そうかもしれません。私も教科書的に「そういう病気があるんだな」と知識としては知ってはいても、実際にどういうことがご本人に起こっていて、何にお困りかはわかっていないことがとても多いです。実際に経験をしていることを明確に書いて下さったのは本当に素晴らしく、ありがたいことでした。ちょうど「当事者研究」という言葉が知られてきた頃と時期的に重なっていたのではないでしょうか。

樋口さん 私もあの本を出した時には「当事者研究」という言葉は知らず、本を読まれた方から「これは当事者研究ですね」と言われて知りました。私はもともと常に書いている人間で、そういう職業ではなかったのですけれど、書くことが好きで、言葉にすることが癖というか身についた習性になっているんです。

本田 そうでしたか。本をご出版になってから様々なところにお話しにいらっしゃったと思います。

樋口さん そうでもないんです。よく「日本全国を飛び回ってる」みたいに言われるのですが、レビー小体型認知症はアルツハイマー病の方とは違い、体調の波がすごくあって、決まった日時に1時間、2時間かけてどこかに行くというのは結構難しいことなので、月に1、2回、関東を中心に講演に行くだけでした。体力的に難しいので動画を撮ってもらうことにして、どんどんアップして頂いたら何だかそういう印象になってしまったようで(笑)。

本田 そうでしたか。新刊の「誤作動する脳」の編集者である医学書院の白石正明さんともそうした活動の中でお会いになったのですか。

樋口さん そうですね。最初の本を出して講演をするようになり、お医者さんの知り合いや友達が増えたんですが、ある時、認知症専門医に私の時間の感覚の話をしたのです。「今日が何月何日か分からないというのは、病院では『見当識障害です』と言われるのですけど、私の時間感覚はちょっと違うんです。距離感がよく分からなくて、1ヶ月前と3ヶ月前の違いが分からないんです」などと話したら、「そんな話は聞いたことがない。それはきちんと文章に書いたらどうか」と言われました。

確かに、それまで取材を受けて時間感覚の話をしても、少し説明したくらいでは相手になかなか通じなかったので、自分でもこれは書いておいた方がいいなと思って。それで「note」というサイトに、自分の時間感覚について書いておいたら、白石さんが読まれて「本を書いて欲しい」と言ってきて下さったんです。

本田 白石さんには私もお世話になっていて、最初の本、「ユマニチュード入門」を作って下さったのが白石さんです。ユマニチュードが日本で多くの方に知っていただけるきっかけを作って下さいました。

樋口さん そうでしたか。有名であるかどうか、肩書きがどうであるかを一切気にせず、本質的なことだけをパッと掴む方ですよね。そして「面白い、面白い」ってやたら面白がる(笑)。

本田 そうです、そうです(笑)。白石さんと一緒に本をお作りになることになって、まずは医学書院のウエブサイト「かんかん!」での連載が始まりましたね。連載にあたって、編集者としての白石さんは何とおっしゃったのですか。

樋口さん 白石さんからは「あなたが症状をどう体験しているかだけを書いて下さい」と言われました。レビー小体型認知症がどんな病気かという説明は書かず、「いろいろな症状をどんな風に体験しているかをなるべく詳しく書いて欲しい」とそれだけでした。

本田 書く作業は楽しかったですか。

樋口さん 書くのは好きですが、大変でもありました。体調の波がすごくあることを考慮して締め切りは設けない形になったのですが、「月に1本は絶対に書く」と自分で決めて守りました。白石さんとのやりとりは楽しく、また書いていくうちに新しく発見することもありました。過去の経験を書くことで、そのことをまた考え、自分の中でどんどん深めていく作業は面白かったです。

本田 白石さんとの二人三脚的で作ったご本なのですね。

樋口さん そうですね。白石さんがいらっしゃらなかったら出来なかったです。最後の章に書いたのですが、私は41歳の時にうつ病と誤診されて、その薬物治療で半分死んだようになりました。6年間苦しんだのですが、そのときのことは思い出すと涙が出てくるし、思い出すのも苦しくて誰にも話せませんでした。書いたこともありませんでした。

それを初めて詳しく、ぼろぼろ泣きながら書いたんです。それができたのは、きちんと受け止めてくれる人がいる、否定せず、肯定的に受け止めてくれると信じられる人がいたからです。ずっと泣きながら書いたのですが、サイトにアップされたものを読んだ時にはもう泣けずに、他人の話みたいに「へ〜」と思いながら読めました。だから、私にとっては書くことがすごい心理療法になったんだなと思います。

本田 そうだったんですね。この本には、樋口さんが勇気を持って心の中を全部見せて下さっているお話が山積みで、その迫力に押されて読み続けました。特にエピローグの1歳のお孫さんを樋口さんがお風呂に入れるエピソードはもう胸を突かれる思いでした。赤ちゃんが「一点の疑いも不安もなく、悟りを開いたような半眼のまま、微動だにせず、いのちを委ねているのです。神様みたいだなと思いました」という表現に、「そうだ、これなんだ」と思いました。

言葉でコミュニケーションを取れない、知らない人を信頼しきっている赤ちゃんの姿を想像しながら、私たちがケアをお届けしたいと思う方々にも、そうやって任せていただけるような存在、任せて大丈夫だと思ってもらえる存在になるのが、私たちのゴールなんだと改めて思いました。

樋口さん そういう読み方をされたんですね。素晴らしいです。

本田 ひとは何もない状態から徐々に社会性を身に付けていき、そして、あるところから徐々にまたそれが失なっていくことが認知症の特徴の一つであると捉えたとき、こういう形で信頼し、受け取ってもらえるような「優しさを届ける技術」を考えればいいんだなと、自分の仕事と重ね合わせて読みました。

樋口さん 本当にそういう信頼関係が全てだと思います。認知症でどれだけ状況判断ができなくなったとしても、周りの人を信頼できれば、「この人たちは味方で、私を傷つけることは絶対にない」と信じられたなら、問題は起きないし、穏やかでいられますよね。ところが、今はなかなかそれが成り立たない。ケアをする側も一生懸命にやっているけれど、信頼関係が成り立たないから、ケアを受ける人は不安を感じ、怖さで暴れたり、叫んだり、拒否したり、変なことを言ったりということが起きている。そこが上手くいけば良いなと常に思います。

本田 その点において、ユマニチュードが多くの人の役に立てばうれしいなと思います。自分や自分の大切な人に対して、みんなが普通にユマニチュードを実践できるようになれば良いと。

「認知症になったら終わり」ではない

樋口さん ユマニチュードのように「1人の人間として大切にする」ということは、結構難しいことですよね。家族だからできるというものでもないし。

本田 家族だからこそ難しかったりもしますね。ですので、もう「みんなが」というしかないのですが、社会のみんなが考え方を少しずつ変えることが求められているのではないかと思います。

例えば、私が研修医になった頃は、がんの患者さんにそれを伝えるかどうかが議論されていました。今は本人に告知しないという選択はありません。

私がHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の仕事をしていた時、治療薬が無い時代には、ご本人に告知するのは絶望させるだけだからやめようという議論があったと知り、驚愕しました。もちろん今は、どんな病気でもご本人にお知らせすることが、ご本人の権利であるという社会の共通認識が生まれています。

私は認知症に対するアプローチもそういう風に変わって欲しいと強く思っています。認知症は、医学的な介入のために、つまり「ご本人のためになることだから」身体抑制も仕方がないと思われていましたし、閉じ込めて自由を奪うこともありました。実際、現在でもまだそれがすべて解消しているわけでもありません。そうしたことに対して「過去はそうだったんだよね。すごかったんだね」となるような未来に、みんなが納得して社会の知恵と技術で解決していける時代になるとうれしいなと思っています。まだ夢のような感じなのですけれど。

樋口さん 認知症について、一部の人は今まで言われているものとは違うことが分かって来ていると思いますが、世間一般の人の認知症の捉え方はあまり変わっていないと思います。最近も芸能人の方がレビー小体型認知症だと診断されたことをテレビ番組で公表したらしいのですけれど、ご本人が「仕事を続けたい」とおっしゃるのに、「仕事なんて出来るわけない」というような発言をネットで見て、「認知症になったら終わり」「何も分からなくなるんだ」みたいな見方はまだまだ根強いなと思いました。

本田 HIVの時も全く同じことが起こりました。かつては、ウイルスに感染することで、免疫力が徐々に低下して、さまざまな感染症を併発してエイズになって亡くなる、という経過をたどる病気だったのですが、今ではすばらしい治療薬の開発によって、死に至る病ではなくなりました。現在、お薬をきちんと飲み続ければ、標準的な寿命までお元気に過ごすことができます。つまり、HIVと共に暮らす人生が始まるのです。そうなると、自分の生活を支えるため、生活を楽しむためにも仕事がとても大切になってきます。

そのために、患者さんの就労支援も私たち医者の重要な役割になりました。企業の人事担当の方に、「HIVは粘膜と粘膜との濃厚な接触がなければうつらない病気で、通常の業務では心配要らない」ことを伝えたり、時には社員向けの講演も行います。どの企業も1人目の採用はいつもとても大変です。でも、いったん雇用が決まると、その方があまりにも普通と変わらないので、さらに紹介を頼まれるようになります。こんな感じで、今までに何人の患者さんをご紹介したか分からないくらいです。

ですから、認知症も最初は「そんなこと出来るわけない」というところから始まると思うんですけれど、その人が出来ることを十分にやってもらうことで、活躍の場が作り出されるという社会的な同意ができていくといいなと思います。

樋口さん そうですね。つい先日、テレビ番組で若年性認知症の方の就労の話をやっていたんです。50代後半のしっかりした方で、記憶だけは不得手なところがあると思うのですけど、全く普通にお話しできて、和やかで明るい方でしたから対人関係のお仕事をされたらいいんじゃないかと思ったのですが、大手ネット販売会社の倉庫の仕分けをするお仕事に就かれたんですね。商品を仕分けするために広い倉庫の中の棚の位置を覚えなければいけなくて、「自分は仕事がすごく遅い」と落ち込んでいらして、もう少し、この方の得意を生かすような仕事はないのかなとすごく思ったんです。

本田 それもHIVの時に私たちがやったように、ご病気の特性をよく知っている方が間に入ればいいと思うんです。認知症をお持ちの方が仕事をしたい、社会とつながっていたいと思う時に、具体的に力になれる人がいたらありがたいと思いますし、私もそういうことが出来たらと思います。

樋口さん 医師はそんなことまでしませんよね、普通は。

本田 そうですね、でも病気の治療だけで患者さんが良くならないということは、みんなもう分かっているんです。特に高齢者医療をやっている人は、患者さんが家に帰った時に家での生活をどう支えていけばいいのかと考えています。最近は訪問診療をしていらっしゃる先生方もたくさんいらっしゃいます。従来の医療ではあまり重要視されていなかった、生活を支えるための医療の必要性を多くの臨床医は感じていると思います。そこに面白さを見いだす、価値を見いだす医者は、今後きっと増えてくると思うんですよね。私の周りは、そういうこと考えてる医師が少なからずいます。

樋口さん そうしたお話が伺えると嬉しいです。

本田 7月から晶文社のウェブサイトでも連載「間の人」を始められましたね。まとまったらまたご本になるのかなと思いながら読んでいます。

樋口さん ありがとうございます。その予定です。今回は軽いタッチで、その時々に考えたことを自由に楽しく書いていきたいと思っています。

本田 それは楽しみです。またぜひお話を聴かせてください。今日はありがとうございました。

(構成・木村環)



樋口直美(ひぐち・なおみ)さん

1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断される。41歳の時にうつ病と誤診され、その治療で症状が悪化した6年間の経験が「当事者」として情報を発信するきっかけとなる。多様な脳機能障害のほか幻覚、嗅覚障害、自律神経症状などもあるが、思考力は変わらず、執筆活動を続けている。2015年に出版された最初の著書「私の脳で起こったこと」(ブックマン社)が日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞を受賞。

2020年3月「誤作動する脳」(医学書院)を上梓。

認知症未来共創ハブ制作のサイト「認知症世界の歩き方」の監修もしている。ベレー帽がトレードマーク。

樋口さんの活動の詳細は公式サイト「ペライチ」をご参照ください。

用語解説

レビー小体型認知症

アルツハイマー型認知症に次いで多いと言われる認知症の一つ。1995年にその名称と診断基準が発表された。大脳皮質の神経細胞に特殊なたんぱく質である「レビー小体」が蓄積することで、認知症の症状を引き起こすとされる。初期の段階では記憶障害は目立たないことが多く、認知機能の変動や幻視、幻聴、手足の震え、睡眠障害や自律神経症状などが特徴として挙げられるが症状は個人により多種多様。近年、早期に診断され、適切な治療とケアによって良い状態を保つケースも増えてきていると言われている。

福岡市の市政だよりにユマニチュードが詳しく紹介されました。
福岡市の「認知症フレンドリーシティ」に向けての取り組みとして、大津さんご夫妻のエピソードや、認知症の人にもやさしいデザイン、認知症カフェなどもご紹介されています。

▼ぜひご覧ください。
https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/77567/1/1-3_0915_web.pdf?20200909135238&fbclid=IwAR03610nm03TFq8viflk-0OfTv_sPFdBu7qz_VLHLCaCCnlZf0YRPizBPVg

NHKきょうの健康にて、ご好評につき「優しい認知症ケア“ユマニチュード“」が再放送、及びテキストにも再掲載いただくことになりました。
ユマニチュード4つの柱のうち「見る」と「立つ」の2つにフォーカスしてご紹介しています。放送後1週間の見逃し配信も行われますので、前回ご視聴されていない方は、この機会にぜひご覧いただけたら幸いです。


▼再放送予定日
9月23日(水)午後8時半〜45分
9月30日(水)午後1時35分〜50分

▼テキストは以下よりご購入いただけます
https://www.nhk-book.co.jp/detail/text-16491.html

朝日新聞デジタルにて、看護師である田中とも江理事のインタビュー全文が掲載されました。
1986年から現場で工夫を重ね、改革の先頭に立ってこられた田中氏が、71歳の現在に至るまでの活動の様子をご紹介いただいています。

▼こちらからご覧ください。
https://www.asahi.com/articles/ASN854WNBN73UHVA00F.html

 

8月12日発売のプレジデント9.4号の別冊付録の巻頭インタビューとして、ユマニチュード代表理事の本田美和子氏と田原総一郎氏の対談が掲載されました。
家族が認知症かもと思ったら今すぐ読む本
コロナ自粛で患者が急増中!


▼田原総一朗の告白「私は認知症かもしれない」

https://www.president.co.jp/pre/new/