2023年5月からスタートした「市民・家族のためのユマニチュード認定サポーター準備・養成講座」は、2024年7月までに全国各地に74名の認定サポーターが誕生しました!

家族介護をしている方、主婦、学生、会社員、接客業、清掃員、公務員、運転手、会社役員、保育士、管理栄養士、日本語教師、キャリアコンサルタント、教員、大学教員、医師、看護師、介護福祉士、歯科衛生士、訪問介護員、ケアマネージャー、薬剤師、理学療法士、臨床心理士、公認心理士、臨床検査技師、歯科衛生士、ネイリスト、マッサージ師など、様々な立場の方々が、生活のなかでユマニチュードを実践するために、この講座を共に学びました。

また、2022年からスタートした認証制度では、2024年5月までに、全国でブロンズ認証として8事業所を決定しました。

全国各地で、ユマニチュードの輪が広がっています!

2023年9月23日・24日、富山県立大学富山キャンパスにて「第5回日本ユマニチュード学会総会」を開催しました。全国各地から2日間でのべ300名と多数が参加され、また関係機関、関係者のご協力により無事開催できたことに深く感謝申し上げます。

ダイジェスト映像

開催レポート

今回の開催地は、全国に先がけてユマニチュードを看護基礎教育に導入した富山県立大学看護学部のキャンパス。看護学部でユマニチュードを学ぶ多くの学生さんが、総会の準備や当日の運営にご協力くださいました。

第5回総会のテーマは『ユマニチュードの可能性~教育の中にユマニチュードを取組む~』。

世界初や、日本独自のユマニチュードの広がりと可能性について、看護学生への教育、自治体での様々な取り組み、加えて専門職分野での最新の取り組みや研究と、多様な発表、意見交換の場になりました。

初日、総合司会の松井弘美氏(富山県立大学看護学科長/教授)の開会のご挨拶で幕を開けました。


総合司会 松井弘美氏

学術集会長 講演

最初の講演は、富山県立大学副学長でユマ二チュード認定インストラクターの岡本恵里氏による学術集会長講演『ユマニチューを学んだ看護学生の4年間の軌跡』。

2019年に開学した富山県立大学看護学部では、4年間を通して「看護ケアとユマニチュード」を授業に組み込み、2023年に初めての卒業生となる 1期生24名を送り出しました。

教育体制を整える開設準備ための2年間に行った教員向けユマニチュード教育、そして2019年から4年間、学部生と共に歩んだユマニチュード教育内容について、1年目~4年目まで、ユマニチュードの何をどのように学びを進めていったのか、学生との実際のやり取りを交えて、具体的に説明されました。2020年、2021年のコロナ禍においては、フランス、東京、富山等を結んでオンライン授業を行った様子など、困難な状況をも乗り越えた4年間の軌跡は、とても感動的で、富山県立大学看護学部の教育現場における新たな挑戦、そして可能性に多くの聴衆が感銘を受けました。最後に「全国の看護現場に飛び立った卒業生が実践する一つひとつのケアが、ユマニチュードの輪を徐々に広げてくれることを願っております」と述べました。


岡本恵里氏

基調講演

次にイヴ・ジネスト先生の基調講演『社会を支える基盤としてのユマニチュード』。

日本ではケア専門職にとどまらず、世界で初めて、小中学生、専門学校や大学生、市民・家族介護者など様々なフィールドでユマニチュードに取り組み、ユマニチュードが役立っており大変嬉しいと、この広がりに感謝の意を表しました。ユマニチュードは40年間、約3万人を超える患者さんと向き合いながら編み出した実践的なケア技法であること、またそのスキルは自由、平等、博愛の哲学に基づいて生み出されたものであり、ケアだけでなく社会にとっても、とても必要なものと、「ユマニチュードを学ぶ」ことの意義について述べました。


イヴ・ジネスト先生、通訳の本田美和子代表理事

シンポジウム

続くシンポジウム『ケア・キュア実践者にとってのユマニチュードの可能性』には、医療・介護分野でユマニチュードの普及・浸透に取り組んでいる4名の専門職が登壇しました。座長は、青栁 寿弥氏(公立大学法人富山県立大学准教授/ユマニチュード認定インストラクター)が務めました。


青栁 寿弥氏

林 智史氏(国立病院機構東京医療センター総合内科・感染症内科 医員)は、臨床現場でのユマニチュード実践、効果についての報告、そしてフランスでのユマニチュード認証施設での視察の際に、認知症の方に日本語でユマニチュードを実践してみたら、伝わった経験から、ユマニチュードは言語を超えた技術で、世界共通のものである実感を得たと視察時の写真と共に紹介しました。


林 智史氏

川岸 孝美氏(富山県 かみいち総合病院 看護部長)は、ユマニチュードの導入背景、研修、認知症ケア技術の可視化、そして、患者さんの変化を詳細なデーターを示しながら発表しました。更に、看護職でなく、全職種に広げるための取り組み、看護師による地域への出前講座という展開、今後の課題についても話しました。ユマニチュードの実践映像を見ると感動するが、目の前で行われて、患者さんが変化し、スタッフの笑顔を見ると何倍も感動する。もっと広めたいと話しました。


川岸 孝美氏

末弘 千恵氏(広島県 株式会社不二ビルサービス ケア事業部 次長)はユマニチュード認証に取り組んだ経緯、実際の取り組み、入居者・職員の変化、そして2023年6年にブロンズ認証を得た成功のポイントを発表。会場からの「職員全員で取り組む難しさについて」の問いに、ユマニチュードを実践することが目的でなく、なぜ、私たちは、ユマニチュードに取り組むのかを徹底的に考え、深めたことで、浸透できたと答えました。


末弘 千恵氏

荒谷 美波氏(富山県立中央病院 看護師/富山県立大学看護学部1期卒業生)は、 授業でのユマニチュードの学び、3年生の実習で試行錯誤をしながらも、こんな簡単なことで患者さんが変わるんだという体験談、そして現在、新人看護師としての活動、最後に私の強みとして、患者さんとかかわる際には、ユマニチュードが自分の強みだと思い、これからの更にユマニチュードを極めていきたいと力強く語りました。


荒谷 美波氏

質疑応答では、「病院ではユマニチュードを入院患者だけでなく外来患者にも対象としているのか?」「忙しい時にユマニチュードケアが途切れてしまうが、効果について」「施設職員全員で取り組む難しさについて」といった質問がありました。

最後に座長から、可能性ということで、諦めないという気持ちが大事。ユマニチュードのその人らしさを大切にすることは、自分自身を大切にすることと同じなので、皆さんと続けていきたい。ユマニチュードの輪が少しずつ広がって、ぬくもりのある大きな輪になることを願っています。とシンポジウムを締めくくりました。


シンポジウムの様子

学術発表:口演・示説

午後からは、会場を大講義室、201中講義室、203中講義室の3つに分け、『実践報告:大学・自治体』『実態調査・サポーター養成』『事例報告:入院患者』、『実践報告:専門職』、『事例報告:施設入居者』、『実践報告:施設内研究』等のテーマの学術発表が行われました。

発表プログラムと抄録集はこちらからご覧いただけます。

ポスター発表、実演

多くの人が行きかうホール部分では、数々のポスター発表掲示、ベッドシャワーシステムの展示、ユマニチュード シミュレーション教育システム(HEARTS)の展示・体験と、多種多様なユマニチュードの可能性を体感することができました。

市民公開講座

2日目の9月24日(日)は、澄み切った青空の下、第11回生存科学研究所共催・市民公開講座が開催されました。今回のテーマは『ユマニチュード認証施設:人生の最期の日まで「自律と自立が実現する生活の場」の創出』。昨年からスタートした日本版ユマニチュード認証制度の意義を考え、認証に取り組むことで生まれる組織の変容と将来像について語り合いました。

冒頭、本田代表理事から、本プログラムを継続して支援くださっている公益財団法人生存科学研究所 第6代理事長 故青木清先生の在りし日のお言葉や映像のご紹介がありました。続く基調講演では、まずユマニチュード考案者であるイヴ・ジネスト先生から、ユマニチュード認証制度の基本理念について伺った後、ユマニチュード認証の審査委員長である竹内登美子先生(富山県立大学名誉教授)より、ユマニチュードへ取り組む意義やフランス認証施設(ノルマンディーにあるジャンヌの家)の訪問を通じて得たユマニチュードの実践と評価に関する様々な示唆、ならびに「ユマニチュード認証審査会」での議論の一部などが紹介されました。


竹内登美子氏

その後、2日間の締めくくりとして、『日本のユマニチュード認証制度のこれから』と題した座談会を開催。ユマニチュード認証制度の設計に携わり調査員も務める森山由香氏と、認証を取得した施設の代表者である末弘 千恵氏、当学会の小川聡子理事が加わり、それぞれの経験を踏まえながら「人生の最期の日まで自律と自立が実現する生活の場とは何か」について語り合われました。


座談会の様子

今回の開催地、富山県の観光キャッチフレーズ “パノラマキトキト 富山に来られ” は、立山連峰から富山湾にかけての「雄大な自然景観」と、魚介類をはじめとする「新鮮な食」という、県が誇る、特徴ある観光資源の魅力・イメージを端的に表現し、「来られ」という優しい語感の富山弁で、富山県への誘客を呼びかけられているものです。この呼びかけを受けて、今年の学会総会は、2日間合計で延べ300名の会員、非会員のみなさまにご参加いただき、ユマニチュードの輪が強く大きく広がり、富山の魅力にも触れていただくよい機会となりました。


総会を支えて下さった富山県立大学看護学部の学生スタッフのみなさん

フランスで開催中の第16回非薬物的アプローチ学会において、自律をテーマにしたさまざまな講演や討議に、当学会の本田美和子代表理事が参画しています。

初日に開催された「国境なきユマニチュード・プロジェクト」発足式では、IGM(ジネスト・マレスコッティ研究所) 、コロンビアのAlbeiro Vargas財団、フランス・レユニオン島のPere Favron財団に加え、日本からは日本ユマニチュード学会・福岡市・IGM-Japonが参加を表明し、調印を行いました。

調印に先立ち、弾丸出張でご参画の福岡市・高島市長のすばらしいスピーチに、会場はスタンディング・オベーションとなりました。

プログラムでは、日本の取り組みを紹介する時間があり、当学会理事でもある荒瀬泰子福岡市副市長と本田代表理事が日本のユマニチュード認証制度についてご説明しました。

また、フランスのユマニチュード認証制度の運営団体Asshumvieのブースには、施設運営者としてご自身の施設を認証に導いた後に、ユマニチュードのインストラクターに転身し、現在は認証評価の調査委員長も務めているSohie Brobeckerさんもいらっしゃいました。

2023年8月30日(水)当学会主催で、ユマニチュードの「優しさが伝わるケア」を知っていただくための交流会をオンラインで開催しました。

開始時間が19:30分からということもあり、仕事や家事を終えた方、また職場から、そして移動中に耳だけ参加された方と、全国から約50名が参加されました。

講師は、ユマニチュード認定インストラクター渡邊美江子さん。


講師:渡邊さん

交流会では「ユマニチュードとは何か?」そして「ユマニチュードとご家族の事例」、最後に講師の渡邊さんが自身の「わたしのユマニチュード体験」を語りました。渡邊さんは、これまで介護施設で20年勤務した経験、ユマニチュードとの出会いと体験を、たくさんの具体例を挙げて説明しました。

最後の質疑応答、交流の時間では、参加者より「ユマニチュードは認知症でなく精神疾患のある方へも有効ですか?」や、「自治体で認知症サポーター制度がある。ユマニチュードも是非、やってほしいいが、どうやったら、自治体で取り入れてもらえるのか?事例はあるか?」といった質問がありました。

オンライン上で、みなさんの笑顔があふれた交流の時間となりました。

当学会では、今後もみなさんがご参加できるオープン参加型ユマニチュードキャラバンを開催いたします。 学会サイトや、SNSでお知らせいたしますので、是非、ご参加ください!

福岡市は、認知症になっても住み慣れた地域で安心して自分らしく暮らせるまちを目指す「認知症フレンドリーシティ・プロジェクト」を推進しています。

2023年9月15日(金)、拠点となる「認知症フレンドリーセンター」が、健康づくりサポートセンター・あいれふ(中央区舞鶴2丁目)2階にオープンしました。

記念式典

この認知症フレンドリーセンター開所記念式典に、ユマニチュードの考案者イヴ・ジネスト先生とロゼット・マレスコッティ先生、本田美和子当学会代表理事が出席しました。

冒頭の高島宗一郎 福岡市長のご挨拶では、福岡市が世界で最初に都市としてユマニチュードに力を入れて取り組んでいること。これまでの活動に加えて、このセンターでは、ユマニチュード講座の定期開催をすることなど、センターの紹介がなされました。


高島福岡市長

続くご来賓の方々のご祝辞では、イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生も登壇し、福岡市のユマニチュードの取り組みに感謝の念と賛辞をおくりました。


左から本田美和子代表理事、ロゼット・マレスコッティ先生、イヴ・ジネスト先生

最後に、高島市長、福岡市議会打越議長、ロゼット・マレスコッティ先生、そして認知症当事者のぶこ様が、テープカットを行い、多くの関係者とともに、記念撮影をしました。



テープカットの様子

当日は、多くのマスコミが取材におとずれ、各媒体でこの様子が広く紹介されました。


報道カメラ

セミナー開催

認知症フレンドリーセンター開所記念式典後には、イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生の二人が講師、当学会の本田美和子代表理事、入江芙美理事が通訳を務め、ユマニチュードセミナーが開催されました。

セミナーの様子


受講者は、福岡市でユマニチュードを多くの人に伝える役を担っている地域リーダーや、ユマニチュード認証取得に取り組んでいる施設の方々など、約30名が参加しました。ユマニチュードを普及・浸透させるという志を同じくする仲間が集い、ともに学び支え合う、絆を深める場となりました。

センターの様子


センター内のユマニチュードを紹介するボード

センターの受付では、ユマニチュードを紹介する映像を流しています。

ユマニチュードキャラバン2023 好評開催中!

認定インストラクターとの無料講習会に参加された方からの喜びの声を取材しました。

一般社団法人あしたの働き方研究所

代表理事 加藤 深雪さま

第3回は、2023年6月に受講された『一般社団法人 あしたの働き方研究所』代表理事の加藤深雪さんです。

皆が知っていたら皆がラクになる、コミュニケーションの技術

加藤さんが代表理事を務める『一般社団法人 あしたの働き方研究所』では、主に大人の発達障害など、生きづらさを抱える人の職場での理解とコミュニケーションを促進する活動や、職場のメンタルケア支援をミッションとしています。今回は、ユマニチュードがD&Iの基本的精神を体現していて、日頃からケアに関わっていらっしゃる皆様がよりよいケアを実践するためのお役に立つ、との思いからキャラバンに参加されました。

加藤さん ユマニチュードはタノシニアン®️の伴克子さん(第1回に登場)から紹介されて知りました。取り組みを聞いて、発達障害のある方とコミュニケーションをとる際に意識しなければいけないことと、共通する部分があると思ったのです。なかなか伝わらない相手に対して、どう気持ちを伝えてコミュニケーションをとっていくのか、そこのところに興味がわきました。

少しして91歳と88歳の両親の介護が始まり、今までなら起きなかったさまざまな出来事に直面しました。特に穏やかだった父が怒りっぽくなったのには戸惑いましたが、目を見て話したり、背中をさすったり、ユマニチュードの技術を使うと、とてもよいコミュニケーションが取れるようになって。「効果があるな」とますます関心を持つようになったのです。

公私の立場から、ユマニチュードの可能性を感じたという加藤さん。実際にキャラバンを受講してみていかがでしたか?

加藤さん 発達障害の中でも、特に自閉スペクトラム症の人と認知症の人では、脳の前頭前野(記憶や判断、感情のコントロールを司る部分)の機能が似ています。例えば自閉スペクトラム症の人が何かに夢中になっているときに声をかけても、コミュニケーションをとるのは難しい。相手の様子を見て、相手のペースに合わせて対応をしていく必要があるのですが、ユマニチュードの根本にあるケアに対する哲学というか人を思いやる基本の精神は自閉スペクトラム症の方へのそれと通じ合うものを感じました。

技術の面ではそのまま取り入れられる部分とそうでない部分もあります。自閉症の方は目をじっと見られるのが苦手な場合もあるので、「目を見て話す」ことは難しいのですが、小さなお子さんの場合、広い面積で適度に圧をかけながら行う触れる技術については、ご両親に対してお伝えするのはよいのではないかと思っています。

今後、介護の現場にとどまらず、ユマニチュードがより広く活用されていくとしたら、どのようなことが期待されますか?

加藤さん ユマニチュードの考え方で接すると、相手が穏やかになりますね。わが家でも父がよく笑うようになりました。相手がニッコリ笑ってくれればこちらも嬉しい。そんな循環が生まれるようになる。だから皆がこの方法を知っていれば、皆がラクになると思います。介護に限らず、ケアを必要とする人が身近にいるという状況は、誰にでも起こりうること。誰もが一人で生きているわけではありませんから。この考え方をいろいろな場面で活かしていけば、コミュニケーションがとりやすく、お互いの関係性もよくなるはず。そのことが、社会全体の生きやすさにつながっていくと思いますね。

参加者の皆様から寄せらせた感想

― 認知症、発達障害、うつ病、どれも身近に起こりうること。ユマニチュードはそれに対応できる技術だと思う。

― 介護者ではないが、仕事上、高齢者とそのご家族と接する機会が多い。ユマニチュードの考え方をご紹介したり、自分の仕事にも活かしていきたい

― 回想法(昔のことを丁寧に聞き、思い出を蘇らせること)について、とてもよい勉強になった。

― 近い将来、ユマニチュードを取り入れている心療内科のクリニックで働いてみたいと考えるようになった。

ご紹介

加藤さん企画のインターネットラジオ「たるみんの わくわくワークヒント」
毎回いろんなゲストをお迎えしての放送は、いつでも繰り返しお聞き頂けます。

https://honmaru-radio.com/category/ashihata/

Zoomによるセミナーも積極的に開催されています。
(発達障がいに関するセミナーの様子)



普段の対面研修の様子



令和5年9月18日(月・祝)13:00~15:30、福岡市の「認知症フレンドリーセンター」の開設にあたり、ユマニチュードと認証制度をテーマに、当学会と福岡市との共同による記念講演を開催いたしました。

(助成:日本財団、開催場所:福岡市 TKP ガーデンシティPREMIUM 天神スカイホール)

ダイジェスト映像

イベントレポート

福岡市では6年前の平成29年に「福岡100プロジェクト」を立ち上げ、人生100年の時代の到来を見据えた様々なプロジェクトを展開していますが、この福岡100の最初のプロジェクトとして採択されたのがユマニチュードです。プロジェクトの発表記者会見にはジネスト先生も出席し、これまで6年間にわたりにさまざまな活動が行われてきました。とりわけ「福岡発ユマニチュード」ともいえるのが地域への取り組みです。地域の公民館や小学校、中学校で合計192回の講座を開催し、延べ9000人が受講しています。また、福岡市消防局では世界初の救急隊のためのユマニチュード・トレーニングも始まっています。さらに今年の9月には福岡市の中心部に福岡市が運営する認知症フレンドリーセンターが開設されました。ここではユマニチュードに関するさまざまな資料を揃え、学ぶ機会を提供します。福岡市では「自分らしく暮らせる自治体」としてユマニチュードを導入し、市民の暮らしをより良く支えるための発展をめざしています。

今回、認知症フレンドリーセンターの開設記念イベントのひとつとして、ユマニチュードの考案者であるイヴ・ジネスト先生とロゼット・マレスコッティ先生を招いた講演が開催されました。「誰もが人生の最期の日まで自由と自律を持ち続ける生活の場をどのように実現させるか」をテーマに、ユマニチュードの歴史と基本的な考え方、そして誰もが自由と自律をもった生活の場としてのひとつのゴール「ユマニチュード認証制度」について、会場に集まった300人あまりの市民に情熱あふれるお話をしてくださいました。

講演会は、ジネスト先生とマレスコッティ先生のお二人が登壇し、交互に語る形式で行われました。まず福岡市の取り組みに対する感謝の言葉から始まりました。「福岡市はケアにおいて日本の代表となる、お手本となる街です。日本中の、そして世界中の街が福岡に続いていくよう願っています。」続いて45年前に体育学の専門家であった二人が病院に招かれ、ケアの分野に足を踏み入れることになった経緯と、そこで遭遇したたくさんの困難な事例、さらにその困難な状況に対してどのように取り組んできたかについて語りました。

講演抄録

メインスピーカー/
ユマニチュード考案者
イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生

「誰もが人生の最期の日まで自由と自律を持ち続ける生活の場をどのように実現させるか」

「私たちはたくさんの失敗をしました。しかし、失敗からしか私たちは学ぶことができません。本当にたくさんの失敗をし、その結果、たくさんのことを知ることができました。失敗を通して400を超えるケアの技術を見つけ出しました。そして20年ほど経った時に、その経験と知識、技術を基盤とした、ケアの哲学と技術で構成されるユマニチュードを考案しました。」

お二人は2012年に日本に招かれ、日本の病院や施設、家庭でのさまざまなケアが困難な状況に対して、ユマニチュードを用いた解決策を提案し、実践してきました。いくつもの日本での事例が講演の中で映像を交えて紹介されました。

続いて、このような効果を生み出すユマニチュードの基盤である「ユマニチュードの哲学」についての講義が行われました。人間が他の哺乳類と共通する点、他の哺乳類とは異なる人間の特性、さらに哺乳類が誕生した際に親が本能的に行う動物行動学的な行動と、それが仔に与える情報についての話から始まり、人間の場合それが「ユマニチュードの4つの柱」として本能的に行われていること、これは人類の長い歴史を通じて身につけたものであり、この4つの柱は人生を通じて大切な相手には私たちは本能的に無意識に行なっていることが語られました。4つの柱が得られなかった場合に人間はどうなるのか、という例として、ルーマニアの孤児院で発見された「チャウシェスクの子供達」の状況とその子供たちの救済に取り組んだフランスの医師ボリス・シルルニック先生のインタビューが紹介されました。

急速に進展した高齢社会において、人類は脆弱な高齢者に対してどのように対応をしたら良いかの経験がなく、「あなたのことを大切に思っている」ことを伝えるための4つの柱が存在しない状況でケアを受けている人々が世界中に数多く存在します。その方々は、「チャウシェスクの子供達」と同様の状況にあり、そこにユマニチュードを実践する大きな理由が存在します。

ケアが必要な脆弱な状況にある方々に対して「あなたのことを大切に思っています」「わたしが一緒にいるから大丈夫ですよ」と伝え続け、自分のことを自分で決め、自由を担保した生活の場の提供がこれからの社会には求められます。

フランスの典型的な介護施設のケアの様子の映像では、てきぱきと仕事は行われていましたが、4つの柱は存在せず、ケアを受ける人とケアを提供する人との間には、まるで戦争のような状況が繰り広げられていました。これは、フランスに限らず、世界中のケアの現場で起きています。

「ケアで陥りやすい罠とその解決方法」

先ほどのフランスでの介護施設の映像を見て頂きました。皆さん、介護する人、ちょっとひどいなと思われたかもしれません。でもあのような場面は、私たちが働いてきた世界中のどの国でも見ました。私たちは、ご家族の家庭での状況も見ました。その介護をしている方のことを悪く思わないで下さい。私たちもユマニチュードの技法を発見するまでは同じようなことをしていました。私たちのせいで、介護を受ける方が泣いたり叫んだりしていました。どうしてかというと、私たちはどうしたらいいか知らなかったからです。

皆さんにお伝えしたいのは「その解決方法は学べる」ということです。学ぶことができます。もしケアの現場で、あなたが叫んでる人を見たら、看護師さんを殴るような行動を見たら、ずいぶん攻撃的だなと思いませんか? そうではないんです。その方は、むしろ自分に向けられた暴力から自分を防御しようとしているのです。私たちはそれに気がついていないのです。

ケアを実践するとき、そこにはたくさんの罠があります。わたしたちは、相手に間違ったメッセージを伝えてしまいます。先ほどお見せした映像の中で、一生懸命仕事をしている看護師さんが、患者さんの腕を掴んでもちあげていましたね。看護師さんが相手のためにと思って行なっている行動が、ご本人には掴まれることで自分が攻撃されている、と感じさせてしまい、そこから自分の身を守るために防御の行為を行い、さらにそれが看護師さんには患者さんが暴力を振るっている、と思われてしまう。そこで生まれるのは強制的なケアです。

「ユマニチュード認証制度」

私たちはフランスでたくさんの施設で、ユマニチュード教育を行ってきました。でもなかなか進歩を確認する術がありませんでした。このため、ユマニチュードを用いたケアの質を担保する手段として認証制度を作り、少しずつ進歩が確認できるようなシステムを作りました。この認証制度は、満たすべき基準を満たすとAsshumevieという認証団体から認証が与えられることになります。私たちはフランスでの経験によって、この認証制度という制度がユマニチュードを実践してもらうために非常に重要だと実感しました。そして、「良いケア Bien traitance」を実践するのに有効だと感じました。

認証を受けるには5つの基本を満たす必要があります。日本では、Asshumevieに代わり日本ユマニチュード学会が認証を付与するシステムです。

まずは「強制的なケアはゼロにする」。かといってケアを諦めることはしない。例えばアルツハイマーの患者さんのところにいって、体をきれいにしましょうかと提案する。でも注意して下さい。もしその患者さんが嫌だと言ってるのに無理に実施したら、その患者さんはたぶん叫ぶと思います。この原則に沿ってケアする場合には、強制的に実施するのではなく、後にしましょうと言って後でやります。強制ケアではなくて、別の方法を探します。

2つ目の原則は、「1人1人の患者さんが唯一無二であるという存在を大切にし、プライバシーを尊重します」。例えば住居者の部屋に入る時は、必ず許可を得てから入ります。ケアをする側の人には、必ずドアをノックして、そして返事があるのを待ってから入るようにと指導しています。

3つめの原則は「最期の日まで立つ」ということです。全てのテクニックを使って、立位を最期の日まで保持できるようにします。立つこと、少なくとも体を起こすことは、人間にとって生理学的な効果にとどまらず、自己のアイデンティティを感じるためにとても重要な要素です。

4つめの原則は「組織が外に対して開かれている」ということです。つまり、24時間365日、誰でも来たい人は来ていいということです。例えばご家族の方が泊まりたいとおっしゃったら、それができるようにします。

5つめ、最後の原則は「生活の場、したいことができる場」ということです。お見せする映像の中で、フランスでの認証を受けた施設でいかにたくさんのアクティビティがあるかを見て頂きます

ここで、フランスの認証施設の日常の様子を撮影した映像が紹介されました。現在は四肢麻痺で寝たきりになっているスキー選手だった高齢の男性の「滑降するときの頬にあたる冷たい空気をもう一度経験したい」という願いを、スキー場にお連れしてソリに乗って実現する映像などが紹介されました。

フランスのユマニチュード認証施設には平均して90人位の方が入居しています。そのうち、寝たきりの人の割合は1%ぐらい。圧倒的に少ないです。一日に合計20分間立つ時間を作ることによって、例えば、お食事のテーブルまで立って移動するとか、歯磨きの時に立つとか、小さな積み重ねで合計20分を確保することによって、人生の最期の日まで歩く、立つことができる。寝たきりにならない生活を送ることが可能なのです。

ユマニチュードの認証施設では、皆で海水浴に行ったり、遠足に行くこともあります。ずっと山に住んでいた方がいて、海を見たことがなかったそうです。車椅子に乗って遠足に行きビーチに到着したら、彼女は立ち上がって海の中に足を浸し、「私の人生の一番の夢が今日叶った」とおっしゃったそうです。

ユマニチュードに取り組んでいる施設でユマニチュードの教育が始まると、様々な変化が生まれます。その例をひとつご紹介します。郡山市医療介護病院というユマニチュードを先駆的に導入して下さっている長期療養型の病院ですが、病棟で患者さんが眠れないときや、非常に大きな声を上げて興奮状態になったときのために病棟に備えていた薬を全く使う必要がなくなり、病棟にストックする必要がなくなったと、看護部長さんがおっしゃいました。私たちの話を、この蝶の話で終わりたいと思います。

あるところに、大きな森がありました。ある日そこで大きな火事が起きました。森に棲んでいた動物たちがみんな逃げ出し始めました。ライオンもゾウも逃げ出しています。でも、そこに一匹の蝶が火に向かって飛んでいます。逆方向に逃げていたライオンが蝶を見つけて声をかけました。蝶は足に小さな水のしずくを一滴抱えています。

「そんなちょっとの水を持っていったって火なんか消せっこないんだから、やめろ」とライオンは言いました。でも蝶は、「私は私ができることをやるんです」とライオンに応えました。

自分ができることをやる。

ユマニチュードはポジティブな関係を結び続けるものです。ユマニチュードは私はあなたの兄弟、あなたは私の兄弟という考え、友愛の情で結ばれているものです。これは平和の哲学でもあります。私たちに力を貸して下さい。より平和で優しさの溢れた町になるように、ぜひ皆さまのお力を借りることができたらと思います。ありがとうございました。

ユマニチュードキャラバン2023 好評開催中!

認定インストラクターとの無料講習会に参加された方からの喜びの声を取材しました。第2回は、2022年10月に受講された『アトリエ・ハコ』のデュプイ エリック・絵里子さまご夫妻です。

ユマニチュードを通じた優しさが伝わるケアの広がりを身近なところから地域社会へ

エリックさんは東京都杉並区で、地域に拓かれた交流と発信の場であり、フランス語学校を併設したレンタルスペース『アトリエ・ハコ』を運営されています。
そもそもなぜお二人はユマニチュードに関心を持たれたのでしょうか。

絵里子さん 考えてみると3つの出来事がきっかけになっているように思います。まず『ケア』について考えるきっかけを与えてくれたのは、2020年に亡くなった義母と、最後に過ごした時間だったと思います。亡くなる3ヶ月前に約1ヶ月ほど一緒に暮らしました。認知症ではなくても、視力、聴力の衰えから認知機能が落ち、日々できることが少しずつ限られていく中で、何をしたら彼女が心地よく感じてくれるか、笑顔を見せてくれるかを考えた時間でした。ただ、その時はユマニチュードの存在は知らず、今思うと、もっと彼女を楽にしてあげられる方法がたくさんあったのでは、と悔いが残ります。

2つ目は、実母が外科手術を受けた際に、家族としてサインを求められた身体拘束への同意書です。実際には拘束が行われるような状況にはなりませんでしたが、これが私達の唯一の選択肢なのか?とショックを受けました。

3つ目は、20年来のフランス語の生徒さんが、今年の初め認知症と診断されたことです。症状は日々顕著になり、混乱されているご本人にどう接したら良いのか。自分達には知識がないことを実感しました。

ご家族の介護や認知症を身近に感じる機会によって、ユマニチュードへ関心を寄せてくださったデュプイさんご夫婦。対象は「認知症」だけではなかったと言います。

絵里子さん 『認知症の方とのコミュニケーションの技法』ということはもちろんですが、それだけではなく、ユマニチュードの哲学が広く浸透し、人としての尊厳を保ちながら最後の日を迎えられる社会が、少し先の未来にあったら良いな、と思います。そのために自分達は何ができるかな?と。そこで、今回のキャラバンは“最初の一歩!“という思いで開催させていただきました。

実際に地域の方を集めたキャラバンを開催し、動画で事例を見ることで再度理解が深まり、参加者との繋がりもできたそうです。キャラバンが終わった後、会場に残って少し話し合いをしたり、その後でアトリエに来てくださる方もいる。今まさに介護中の人もいれば、知識として知りたい人もいて、話し合うことでお互いヒントを得られたと実感されているそうです。

エリックさん ユマニチュードの良いところは、できることを奪わずに「何ができるか?」を考えそれをサポートしていくところだと思います。Try & Errorですよね。

参加者の皆様から寄せらせた感想

― 初めて学ぶ人でも分かり易かった。交流会では、皆それぞれ不安があり、自分だけではない、ということが共有できてよかった。

― 母の介護をしていて「こうするべき」とか「残された時間は限られている」と思っても、肉親だからこそ難しいと感じる時があります。そこにもし『技術』があるのなら知りたいと思いますし、今回拝見した事例からも多くの学びがありましたので、より多くの事例を知りたいと思いました。

取材を終えて

エリックさんはキャラバンの後、88歳のフランス語の生徒さんが入院された際に、感情記憶にふれる関わりをすることで、フランス語の歌の最後の一言を聞くことが出来たのだそうです。
また、絵里子さんのお母さまは現在88歳。お元気で介護は不要なものの、手を出したくなる場面もあるそうで、そんな中でも『できることを奪わない』ことを心がけているのだとか。急いでいるときなどは特に『言うは易し、行うは難し』の状況の中、ちょっとだけ立ち止まって、「それは必要?」と自分に問う機会ができたことは大きな一歩。これからも地域に「優しさが伝わり合う」関係を広げていただけたらと思います

ユマニチュードキャラバン2023 好評開催中!

認定インストラクターとの無料講習会に参加された方からの喜びの声を取材しました。第1回は、2023年3月に受講された『タノシニアン®』というグループを主宰されている伴 克子さんです。

ユマニチュードを知った方、介護を終えた方から、優しさが伝わるケアの輪が広がっていく

『タノシニアン®』は、豊かな彩りある人生を送るシニアの方たち、およそ300人からなるグループで、毎月1回、様々な領域で活躍する方をゲストに招き、オンライン交流会を開催されています。デジタル庁からデジタル推進委員・デジタル推進呼びかけ員に70名が任命されるなど、多方面で活発な活動をされており、月次交流会の一つとしてユマニチュードキャラバンにお申し込みいただきました。

伴さん ユマニチュードについては、福岡市が先進的に取り組みをしていることを聞いており、以前から興味を持っていました。わたし自身がきちんと知りたいという思いがありましたし、タノシニアン®のメンバーにはシニアの方が多いので、認知症の方とのコミュニケーションやケアというテーマに対して、ひょっとしたら向き合うのが怖いって方もいらっしゃるかもしれないとも思ったのですが、まずは知ることが大切なので知って頂きたいとの思いで企画しました。

『実際にキャラバンを実施されて、「向き合うのが怖いかも」というのは杞憂であったと実感されたそうです。

伴さん まず、想定以上に当日の参加者が多くて驚きました。そして何より、ご自身に介護経験があり介護が終わった方たちが、ユマニチュードを知っていれば違ったかもしれないって思われた、ということが非常に印象的でした。わたしとしては、ご自身の介護を決して後悔して欲しくないと思うのですが、一方で、様々な思いを抱えていらっしゃることを受け止めなくてはとも思いました。

伴さんの受け止めを通じて、参加した方の中からは、「私は長年の介護を終えましたが、この感動&幸せの介護の技法を周りの人にも伝えたいと思います」「私は母の介護を終えた身ですが、長年の介護を思い出しながら(涙)…ユマニチュードの技術を知って使っていればもっと楽に介護ができたのではと思いました。現在、介護中の周りの人達に学んだ技法を伝えてあげたいなと思いました」など、前向きなメッセージが寄せられたと言います。
他にも、「暖かさを感じました。紹介された事例動画をみて涙が出てきました」「私の身内には介護する人はいませんが、自治会の方々が高齢化してるので役に立つことがあるのではと思ってます」「ユマニチュードはいずれ我が事になるかもと思いながら、家内とメモ取りながら観させて頂きました。大変有意義な話で、大いに参考になりました」などの感想をいただけたそうです。

伴さん 私自身、高齢の両親への接し方で、ちゃんと見たり、ゆっくり話したり、今までは適当だったところにも気を遣うようになりました。これからもユマニチュードの学びを深めていきたいと思いました。

実際に伴さんは、当学会主催のユマニチュードの実践力を身につける講座『市民・家族のためのユマニチュード認定サポーター準備講座・養成講座』を受講され、ユマニチュード認定サポーターとして登録し活動を開始されています。こうしてユマニチュードへの理解と共感の輪が広がり、実践できる方が増えていくことを心強く思います。



◆講座の情報はこちらからご確認いただけます

※次回の募集は10月実施分から再開の予定です

2022年12月3日(土)14時~16時、市民福祉プラザ(ふくふくプラザ)1階ホールで、福岡市が主催する市民向けユマニチュード講座「初めて知るユマニチュード」が開催されました。

福岡市に在住もしくは通勤・通学されている方を対象とした講座で、約130名が参加されました。

最初に、福岡市福祉局高齢社会部 認知症支援課の笠井課長がご挨拶で「福岡市は認知症フレンドリーシティプロジェクトを立ち上げて、様々な取り組みを行っています。その一つがユマニチュードの講座。2016年、2017年の2回、ユマニチュードの効果の実証をおこなった。その結果として、ケアを受ける人の拒否や暴力的な行動が改善される効果が確認できたことに加え、ケアをする側の人にも、精神的負担感が軽減されるなどの効果がもたらされることが確認できた。そこで2018年から本格的にユマニチュードの普及活動を続けている。福岡市が目指す社会は、認知症と共に、住み慣れた地域で安心して自分らしく暮らし続ける街。認知症のご本人や介護する方々が自分らしく暮らし続けられることを目指している。ユマニチュードをご家族や、お知り合いにも伝えていただいて、ユマニチュードの輪が広がることを祈念しています」と話しました。

講師は、ユマニチュード認定チーフインストラクターの安武澄夫さん。安武さんはご自身のお母さんと高齢の祖父とのやり取りなど、実際の体験談を交えながら、「認知症と共に生きる」「記憶のメカニズム」「ケアする人とは何か?」そして、「ユマニチュードの哲学や技術」について話しました。

同じくユマニチュード認定チーフインストラクターの杉本智波さんも登壇し、安武さんと一緒にユマニチュードの「見る」のデモンストレーションを行いました。

最後にユマニチュード学会の永井事務局長から、学会の紹介や無料で行っているユマニチュードキャラバンの案内がありました。講座終了後、参加者から講師や、学会のスタッフにユマニチュードの技法や、学会の活動についての質問が寄せられ、よい交流の場となりました。


福岡市 笠井課長 / 講師:安武さん(左)、杉本さん(右)

2022年11月18日(金)・27日(日)10時~17時、福岡市が主催する「ユマニチュード専門職向け講座」がオンラインで開催されました。

福岡市に在住もしくは勤務されている看護や介護の専門職を対象とした講座で、約50名が参加されました。


講師:佐々木さん

講師:金沢さん

講師:髙澤さん

講師:丸藤さん

18日の講師は、ユマニチュード認定チーフインストラクターの佐々木恵未さん、金沢小百合さん、髙澤君予さん。27日は、佐々木恵未さん、丸藤由紀さん、髙澤君予さん。

『ケアで大事にしていること』では、「先走らず同じペースで」「心穏やかにケアする」「気持ちによりそう」「本人らしい生活の邪魔をしない」「コミュニケーションをとりながら相手の性格を知ること」など、そして、『ケアでの困りごと』では、「時間に追われている」「おもいが伝わらない」「穏やかに対応できない」「拒否される」「受け入れてもらえない」といった様々な意見が出ました。これらは、職種が違っても皆さんに共通しているということを認識しました。

次に、コミュニケーションが上手くいかずケアを拒否していた患者さまが、ユマニチュードのケアを受けるようになったところ、ケアを受け入れ、自分の足で歩けるようになったり、優しい表情を見せるようになったという、事例映像が流れました。

ユマニチュードでなぜ、このような変化がおこるのか?なぜ、受け入れてくれるのか? そのためには何か必要になのか? ユマニチュードの哲学と具体的な技術について、様々な映像や、講師のデモンストレーション、受講者も体験しながら、学びました。

これらのユマニチュードの技法について参加者からは「ケアの拒否は自分のかかわり方に原因があったのかもしれない。技術を使って反応の変化をみたい」「拒否されることの分析ができると思う。知らず知らずにやっていて、それが拒否につながっていると気づいた」「できることは本人にやってもらうことの大切さを改めて実感した」「優しさを伝える方法として技術を使うということがわかった」といった感想が寄せられました。


「見る」「立つ」のデモンストレーションの様子

2022年11月16日(水)奈良市の西京公民館ホールで、六条地区社会福祉協議会が主催する「優しさを伝えるケア技法 ユマニチュード®講演会(第2回)」が開催されました。六条地区にお住まいの主に認知症の方のご家族を対象とした講演会で、前回は、オンラインでの開催でしたが、今回は、対面での実施となり、会場には約50名がお集まりいただきました。

日本ユマニチュード学会の永井美保子理事が講師を務め、奈良医療センター看護師で、ユマニチュード認定インストラクターの山西智美さん、上林久子さんも皆さんとの意見交換に加わりました。

まず、主催者である六条地区社会福祉協議会の大森護会長のご挨拶から始まりました。「高齢化が社会問題となり、認知症、MCIが増えていく中、お役に立てることをしたいと考えていたところ、国立奈良医療センターの当時の院長よりお声がけ頂き、院内で開催されたジネスト先生の講演を聞くことができ、 “魔法の介護法” だと、いい意味でのショックを受けました。家庭内で、認知症の介護で苦労をしている方、一人でも多くの方に聞いてもらいたいと思っていたところ、あるご夫妻から福祉にお役立て下さいとご寄附をいただき、開催したのがユマニチュードの講演会です。」とユマニチュードの講演会を開催するきっかけをお話しました。

講演では、講師自身がユマニチュードに出会って救われた張本人であり、亡くなった父が認知症を発症し、86歳の父を82歳の母が介護する老々介護の様子や、娘としての自身の体験を語りました。多くの人から寄せられる「家族への介護は、どうしても優しくできない、うまく介護をすることができない」という声に「介護をしていることで、十分にあなたは優しい人です。問題は、その優しさが相手に伝わっていない、相手が理解してくれていないこと。相手に伝わる、理解してもらうには、コツがある。誰でもできる、このコツの考え方と技術がユマニチュードです。」と語り、ユマニチュードの哲学や技術について、さまざまな映像を交えながら説明をしました。

質疑応答では会場からの「介護業界で働いていてユマニチュードを実践して、認知症の患者さんへの成功体験を得ている。しかし、家族の介護に悩んでいる。両親ともに80歳を超えて、認知症の母を父が介護している。父がかっとなって怒り、母に手をあげてしまいます。どうしたらいいのか? 身内の介護で感情が先に出た時にどうしたらいいのか?」という質問に、インストラクターの山西さんが、「身内だから自分の言っていることをわかってもらいたいと期待する気持ちになってしまう。それは寄り添う優しさから発せられるもの。まずは、お父さんの気持ちを大切に理解してあげたい。認知症は脳の病気。年だから年相応に物忘れするということとは違う。年をとって、物忘れすることの延長に認知症があるのではなく、脳が疾患として委縮して、覚えておけない病気。足の骨が折れた人に、まっすぐ歩きなさいというのと、認知症の人に、さっき言ったでしょ、覚えてないの!というのは、同じこと。忘れることを責められると本人もなんで私は覚えていないんだろうと不安になって、お互いが気まずくなる。お父さんの気持ちも大切にしつつ、お母さんの行動は病気からくるもので、これを改善するのは難しいということをお父さんとご一緒に受け止めていただき、どうしたらいいかを考えられるようなかかわりができたらと思う。」とアドバイスをしました。上林さんは、「私も、病棟で患者さんを見ているつもりで、見てなかったと思う。私は現在、コロナ病棟にいるが、これまでも結核病棟にいて、必ずマスクしないといけない状況だった。特にコロナ病棟では、帽子まで被って目元しか見えない状態で、誰だかわからないし、それが故のトラブルもあった。でも、ユマニチュードの技法を使って、ちゃんと目線を合わせて、声をかけて、処置をしますよと話をすることで伝わることができた。また何カ月もお風呂を拒絶する入院患者さんについて、調べてみると、昔はお風呂が好きだったが、以前の施設ではお風呂が冷たかったり、お風呂で痛いことをされたり、季節によっては、ゆず湯などあって、これが便に見えて嫌だった、などお風呂に入らなくなった理由があったということもあった。介護は、絶対こうしたらいいですよという答えはない。相手は人なので、一人ずつ方法は違います。実践して、小さな成功体験を積み重ねていけば、前向きになれます。私も失敗と成功を繰り返しながら実践しているので、皆さんもそのようにしていただけたら」と話しました。

講演会後も会場の皆さんと講師やインストラクターとのやり取りがあり、対面で直接交流することができた貴重な機会となりました。

日本ユマニチュード学会では、ユマニチュードについて知っていただく第一歩として、講演依頼を受け付けています。オンライン、対面どちらでも可能です。ご興味のある方は、是非、お問合せ下さい。

2022年10月1日(土)、22日(土)、福岡市南区男女参画支援センターアミカスで、福岡市が主催する「ユマニチュード家族介護者向け講座」を開催しました。

福岡市在住で家族介護をされている方を対象とした2日間各2時間の講座で、10月1日の1日目はユマニチュードの基礎を学び、3週間後の10月22日の2回目は、家族にユマニチュードを実践した効果や感想などと参加者同士で共有して、さらにユマニチュードの学びを深める内容です。

<1日目・10月1日>

10月1日は、福岡市福祉局高齢社会部 認知症支援課の笠井課長のご挨拶から始まりました。


福岡市笠井課長のご挨拶

「2050年には総人口の1割が認知症になるといわれています。認知症になっても住み慣れた地域で安心して自分らしく暮らしていける社会をつくっていきたい、そのために福岡市は認知症フレンドリーシティプロジェクトを立ち上げて、様々な取り組みを行っています。その一つがユマニチュードの講座。誰もがなりうる認知症。これを特定の誰かだけが支えるのではなく、みんなで支えていく社会を目指します。ユマニチュードを受講して、よかったと思われたら是非、周りの皆さんにもユマニチュードを伝えてください。」と話しました。

講師は、ユマニチュード認定チーフインストラクターの髙澤君予さんと、安武澄夫さん。 


講師安武さん(左) 高澤さん(右)

介護の困りごとは何ですか?の髙澤さんの問いに「デイサービスに行きたがらない」「着替えをしてくれない」「モノをなくしたと大騒ぎする」と皆さんから様々な問題が共有されました。髙澤さんは、認知症を知ること、そしてユマニチュードを実践することが、これらの困りごと解決の第一歩となりますと話し、「介護をするということ」「認知症を理解すること」「優しさを伝える技術ユマニチュード」をスライドで説明しました。安武さんはユマニチュードの技術を使った認知症の方への接し方を、受講者と一緒に実践しました。 

2時間の講座で学んだことを、ご自宅に持ち帰り、実践して3週間後にまた会いましょう!ということで1日目の講座は終わりました。

<2日目・10月22日>

2日目は、前回学んだことを復習して、その後、2グループに分かれて、ユマニチュードを実践した体験談と感想を受講者同士で交換しました。


認知症の方の見え方を体験

グループでユマニチュードを実践したことを共有

ある男性は「叔母が末期癌で、アルツハイマー認知症。これまでホスピスにいたが、この1年くらい自宅に戻って生活している。週1回、叔父の代わりに叔母のお世話に通っているが、叔母は私のことがわからないし、お昼を食べさせようとしても拒否されて、叔母に会う時間が苦痛で仕方なかった。でもユマニチュードで習ったことを実践したみたら「●●君ね、、、、」と私のことを思い出してくれた。今度行く時はまた忘れているかもしれないけど、次、会うのが楽しみになった。私は弁護士の仕事をしている。認知症などで判断能力が十分でなくなった人の意思決定を支援するため、成年後見制度というものがある。ある女性は認知症で財産を脅かされる被害にあっていた。家族がこの制度を使うように説得していたがこの女性は拒否していた。弁護士として、ユマニチュードの技術でこの女性と話をしてみたら、話を聞いてくれて、納得してもらえた。家族介護だけでなくて仕事にも活かすことができて、ユマニチュードを周りに広めたいと思った」と話しました。他の受講者も家族介護でユマニチュードを実践してみて上手くいったこと上手くいかなかったことを、共有しあいました。

最後は、髙澤さんと安武さん2人のインストラクターが、2日間の講座のまとめとして、ユマニチュードの技術を使った様々な“家族の為の介護のコツ”を実践して、受講者はさらに学びを深めました。

受講者の皆さんと講師

日本ユマニチュード学会第4回総会を2022年9月24日25日の両日にわたり京都大学国際科学イノベーション棟シンポジウムホールにて開催し、後日、録画版をオンデマンド配信いたしました。ご協力いただきました皆さま、ご参加くださった皆さまに改めてお礼を申し上げます。

新型コロナウイルスの影響もさることながら、前日からの大雨により交通機関に乱れが生じ、多少ながらもプログラム内容の変更を余儀なくされました。しかしながら、皆さまのお力添えにより、無事に2日間の全プログラムを終了することができました。(第4回学会総会の詳細はこちら)

今回第4回総会のテーマは『優しいケアの仕組み〜ユマニチュードとサイエンス〜』。2017年に科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)の研究テーマとして採択された『「優しい介護」インタラクションの計算的・脳科学解明』について、情報学・工学・心理学・医学・看護学などさまざまな分野の専門家が「ユマニチュードはなぜ有効なのか?」に関する研究を進めてきた、その成果を中心に、ユマニチュードに関する様々な最新の研究や取り組みについて発表がなされました。

1日目は、生存科学研究所共催による第10回市民公開講座として、2つの基調講演およびシンポジウムを行いました。基調講演1つめは、ユマニチュード考案者イヴ・ジネスト先生によるフランスからのオンライン講演でした。私たちが周囲から得る様々な情報はどのように脳に届けられているのか、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの柱の情報学的な効果は何かなど、ユマニチュードを通した幅広い観点から「優しいケアの仕組み」を解説されました。

基調講演2つめは、国際電気通信基礎技術研究所 住岡英信氏による「ロボット技術で目指す優しいケア」でした。ロボット技術の介護への有効性について、人形対話ロボットを用いた認知症高齢者へのコミュニケーション支援とともに、ロボット開発の中で培った技術を用いて、立ち上がり動作介助における「優しい介助」を計測し、理解する取り組みについて紹介されました。

続いて開催されたシンポジウムでは、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)研究テーマである『「優しい介護」インタラクションの計算的・脳科学解明』について、研究チームそれぞれの成果発表や全体討論が行われました。

また会場外のスペースでは、デモンストレーションとして、シンポジウムで発表された研究チーム開発のシステム体験が行われました。ユマニチュードの技術を評価するシステム、ケア中の相手との距離を簡便に計測するスモック型・マスク型センサー、拡張現実(AR)を用いたユマニチュード・シミュレーション教育システム、IT技術を使ってチームでユマニチュードを学ぶトレーニングシステム等を、実際に多くの方に体験していただくことができました。

こちらのデモンストレーションは、2日目も引き続き実施しました。

2日目は、まずは15演題の口頭発表が行われました。「分析調査」「導入効果」「実践事例」の3つのテーマに分かれ、ユマニチュードの実践、教育、研修効果、家族介護などに関する取り組み事例などについて、様々な立場・視点から発表が行われました。質疑応答を通じた意見交換も盛んに進み、学びを深めることができました。

続いて午後より、『ケアの見える化に取り組んだ郡山市医療介護病院の歩み』 と題して、2016年より6年に渡り、静岡大学情報学部協力のもと、自分たちのケアを撮影し映像学習を現場に取り入れている同病院の歩みをシンポジウム形式にて発表いただきました。数値化することが難しいケアを、サイエンスの力で見える形にし、それを再び現場にフィードバックすることで、ケアの現場にどのような変化が起こるのか、それぞれのお立場からお話を伺うことができました。

続けて最後のプログラムとして、「認証制度日本版」についての進捗報告が行われました。4月から開始された『ユマニチュード認証制度』。そのパイロット事業に取り組む20の事業所それぞれの意気込みが動画メッセージにて紹介されました。いずれの事業所も、「ケアの見える化」や「組織の取り組みの見える化」によって「よいケア・よい生活の場」実現に向けた意欲的な取り組みを進めており、スタッフの意識の統一・向上にもつながっているとのこと。加えて、パイロット事業所(認証準備会員)の一つである広島県広島市「ふじの家瀬野」のスタッフ3名が、パネルディスカッション形式で、それぞれの立場からの取り組み報告を行いました。学会と連携して行ったワークショップを通して、スタッフの共通認識が醸成されたことや、お便りや冊子など作成といったご家族への共有化の工夫など、具体的な取り組みエピソードが好事例として紹介されました。

過去2回の総会はオンラインでの開催でしたが、今総会は直接の意見交換やデモンストレーション等、実体験ができる場も設けることができ、より学びの深い会になったものと思います。会場内のスペースに十分な距離を置きながらも、2日間合計で延べ135名の会員、非会員のみなさまにご参加をいただくことができました。

ユマニチュード認証制度の発足を記念して6月から始まった「ユマニチュードキャラバン2022」。ユマニチュードに関心を寄せてくださる全国の皆さま方と認定インストラクターとの交流会が各地で続々と開かれています。沖縄県石垣市の「ぬちぐすい診療所・認知症医療疾患センター」での会の様子をご紹介し、キャラバンが実際にどのような形で行われているかをお伝えします。

主催者・インストラクターご紹介

主催

ぬちぐすい診療所・認知症医療疾患センター
(共催・沖縄県石垣市)

ユマニチュード認定インストラクター

伊東美緒さん
(群馬大学大学院保健学研究科・老年看護学・准教授)

映像を使いユマニチュードを解説

交流会を主催された「ぬちぐすい診療所・認知症医療疾患センター」は訪問診療を主とした、開所1年を迎えた診療所です。所長の内科医、今村昌幹先生は長年、沖縄県立八重山病院に勤務され、ユマニチュードを取り入れたケアを実践されて来ました。これまでにも石垣島でユマニチュード考案者のイヴ・ジネストさんを招いた講演会を開催されていて、キャラバンにもいち早く手を挙げて下さいました。

今回の交流会には、沖縄・八重山地域の医療、看護や介護に従事する皆さま約35人が診療所に設けられた会場やオンラインにて参加。当学会からは、認定インストラクターの群馬大学大学院准教授の伊東美緒さんがオンラインで参加しました。

まずは、伊東さんが高齢者のケアの研究を長年されていること、その中で出会ったユマニチュードが「介護や治療を拒否する方々へのケアの仕方に答えをくれる」ことに驚き、ユマニチュードに関わるようになったと自己紹介。

続いて、アルツハイマー型認知症のお母様の介護にユマニチュードを取り入れたご家族の変化を記録した、NHK厚生文化事業団のビデオ「優しい認知症ケア ユマニチュード」を参加者の皆さまと見ながら、具体的なユマニチュードの技術やその考え方を解説しました。

伊東さんは「(ユマニチュードを取り入れた後で)“認知症の妻を持っても不幸ではない”“人生が楽しくなってきた”という言葉がご家族の口から出てきました。ユマニチュードでご家族の気持ちがポジティブになると、ご本人にもその影響が出てきます。ご家族はその反応が嬉しくなり、また新たな行動ができる。ユマニチュードにはそうした相乗効果があります」と、ユマニチュードがご本人とその周囲の方々にもたらす効果を説明。

さらに、この春より始まった「ユマニチュード認証制度」とその意義、さらにユマニチュードを知るための書籍や映像資料の紹介も併せて行いました。

「地域全体に広めたい」

会の後半は参加者の皆さまとインストラクターが共に語らう交流の時間です。

会場にいらした方々からは「本など言葉では分からないことが、映像で実際のユマニチュードのケアの様子を見られたことでよく分かりました」「ユマニチュードは初めて知りましたが、こうしたことはご本人だけでなくご家族にも必要だと思いました」との感想が聞かれました。

また、ユマニチュードの講座を行ってもなかなか実践に結びつかないというお悩みも。伊東さんは、職場で1人で実践する難しさに共感しつつ、「2人でも3人でも、同じ職場の方が複数で一緒にユマニチュードを学ぶと実践しやすくなります」「(ユマニチュードの技術を使うことで)ご本人に起こる変化がよく分かる動画を現場で作り、職場や地域での研修で活用してみては」とアドバイスをしました。

また、高齢者が多いものの使える介護サービスが少なく、また人材も不足しているという離島ならではの課題がある中で、参加された医師からは「職場などの単位ではなく、島全体、地域全体を一つの組織としてユマニチュードを広げる方法もあるのではと考えています」との発言も。

訪問診療に関わる方からは「認知症の患者さんに学びたてのユマニチュードを使ってみたら、ほんの10分、15分ほどの出会いでしたが、帰るときには(患者さんの方から)握手をして下さって、本当に嬉しくなりました。この八重山地域の介護に関わる方々に広く伝えたいと思っています」との嬉しい実践報告も聞かれました。

「ぬちぐすい診療所・認知症医療疾患センター」主催の交流会は和やかな雰囲気の中、1時間半ほどで終了いたしました。

ユマニチュードキャラバン2022に関する情報

ユマニチュード認証制度のスタートにあたり開催いたしましたオンラインシンポジウム「よいケア、よい生活の場とは〜ユマニチュード認証制度の検討から」の模様の後編です。

前編はこちら

「よいケア」にたどり着く評価項目

本田美和子・代表理事 続きまして認証制度について改めまして皆さんのお考えをお伺いできればと思います。まず早出さん、いかがでしょうか。

早出徳一委員 お話にありました認証の評価項目についてですが、本当に細かな項目があるんですけれども、今まで介護の世界に「よいケア」をするためにはどういうことを行っていけばいいかという、ここまで明確な基準はなかったのではないかと思います。

もちろん介護保険制度の中で制度の決まりというものがあります。「虐待はいけません」「身体拘束はしては駄目です」とか、「週2回はお風呂に入れてください」ということはありますが、それは結局、最低の基準として「これはやってはいけません」「これ以上はやってください」というものです。

介護の現場にもマニュアルは存在していて、私どもの法人では介護福祉士のテキストや介護職員の初任者研修のテキストから、その中身を引いてきています。でも、そこにも一般的なことは書かれていますが、実際に「こんなケアをするといいです」という、具体的なことが示されているものはあまりありません。

そうした意味で、私はユマニチュードの評価項目は介護の現場で「こういうことをするといいですよ」というものになり得ると捉えていまして、しっかり組織として取り組んでいくことに、とても意義があると思います。

本田 ありがとうございます。評価項目は日本の法制度にも沿ったもので、ユマニチュードの認証の取り組みを進めることで、日本の行政から求められている条件もクリアできる形にいたしました。イメージとしましては、すごく大きな川を渡りたいけれど、橋がない。その時に川の中に大きな石が飛び飛びにあって、順に一個一個飛び乗っていくと、最終的に向こう岸に行ける、というような感じかなと思います。目的を達成するための道のりをお示しするものです。

逆説的になるかもしれないのですが、この評価項目を実践すれば「よいケア」の場を実現できます、というシステムでもありますので、認証の取得を目的としない方々にも、ぜひご利用いただけたらと思っています。多くの方がよいケアを受けられる社会づくりの一助になれたらうれしいです。佐々木さんは利用者という立場からこの認証制度についてどのようにお考えでしょうか。

メダルが施設選びの目安に

佐々木恭子委員 この制度には二つの意味があると思っています。ユマニチュード学会が発足した時のシンポジウムも聞かせていただいたのですけれど、その時にどなたかが、ユマニチュードを素晴らしく思っていて取り入れていきたいのに、なかなか周りにそれを伝えることがしんどいことなんだとおっしゃったんです。

今の現状を変えたいと思っている人がいて、その思いはあってもそれをどうやって周りに伝播させるかという時に、制度や仕組みというものは、その後ろ支えになると思います。熱いリーダーがいればできるというような属人的なものでは意味がなくて、その状態が続いてこそ根付く、人が変わっても制度があれば理解する人が増え続けるという意味で、やはり仕組みというのは大事だなと思っています。

もう一つ自分が施設を利用する立場で考えると、認証マークというのはそれぞれの施設のPRポイントとなります。自分が利用を考える立場になったときに、ユマニチュードのブロンズメダルを掲げている施設があれば積極的に利用したいと思います。利用者側にとって選択の幅が広がると思いますし、視点が増えると思います。

本田 私のところにも「ユマニチュードを導入している施設に家族を入れたい」「自分が入りたいけれどもどこにありますか」というお尋ねが多く来るのですが、ユマニチュードを学んだ方がいらっしゃるということと、その施設がユマニチュードを組織として実践している状況にあるかということはまた違うということを知るに至り、「よいケアの場を目指す」ことを目標に、認証に取り組もうという施設があるということはすごく重要なことだと思いました。

佐々木さん それが言語化されているということがすごく重要かと思います。例えば入学試験で学校を選ぶときに、その学校の校風はすごく言語化するのが難しいですよね。ユマニチュードで考えると、ユマニチュードの哲学によって作られるその施設の文化が校風に当たるかと思いますが、ユマニチュードの認証メダルが、具体的なメソッドと理念が結びついているマークだと思うと、施設を選びやすいと思います。

ウェルビーイングを叶えるユマニチュード

本田 ありがとうございます。山口先生、最後に一言いただけますでしょうか。

山口晴保委員 話が少し外れるかと思いますが、マイブームの話をします。私はなるべく認知症をポジティブに捉えようと提唱しているんですけれど、最近、認知症のケアは医学的なケアと人間学的なケアの両方が必要だと思っているんです。

医学的なケアというのは、その代表がBPSD(認知症の行動・心理症状)なんですが、BPSDというのは医学用語で、医学会が決めた患者の症状なんですね。医学というのは要するに悪いところを無くす、病気を無くすということですから、BPSDというのは異常な行動・言動であって、それを無くすというアプローチが医学的なケアモデルで、私はそれをネガティブケアと呼んでいます。その本人の良い所を伸ばす、隠された潜在能力を引き出すのがポジティブケアで、まさにユマニチュードがポジティブケアなんだろうと理解をしています。

人間は、普段からネガティブな言葉を口にしているとどんどんネガティブな方に行きますし、脳も体も使わなければどんどん機能が悪化して行きます。逆に、脳も筋肉も骨も、体の機能は使えば使うほど向上していきます。それが人としての大原則で、認知機能が低下した状況で色々と生活に困難を抱えている人がどうやって楽しく、私はウェルビーイングという言葉を使っているんですが、ウェルビーイングな状態でいられるようにすればよいのか。

心理学ではどういう状態がウェルビーイングなのかいくつかの要素があるのですが、まずは「ポジティブ感情がたくさんある」ということが大切です。ユマニチュードのケアを受ける側の人に「自分が大切にされている」と分かってもらえるというのは、ポジティブ感情を増やすことになります。ユマニチュードはそういうアプローチをしています。「他者との良い関係性」も要素の一つですが、これもユマニチュードが非常に大切にしていることです。

それから、本人が「ケアをされる」のではなくて主体性を持つということも大切で、人は人として認められると「生きていこう」という前向きな気持ちになると思うんですが、ユマニチュードはそこにもアプローチしています。

さらにもう一歩進めると「役割」というのもとても大切なんですね。ただ単に与えるケアではなくて、本人が何らかの役割を持つ。例えば「立つ」ことも、本人が協力をするから立てるのであって、そうでなければ介護をする人が100%引っ張り上げてしまうことになります。ケアもケアをする人と本人との共同作業だと思うんですが、本人の役割に着目して、協力してくれたことに感謝をすることもユマニチュードには含まれています。

ポジティブ心理学での幸福の条件とユマニチュードが目指すものには共通する部分がかなりありますから、こういうケアが日本でどんどん普及してくれるといいなと思っています。

人材確保につながるユマニチュードの導入

本田 ありがとうございます。認証制度についてはいかがお考えでしょうか。

山口さん 認証制度に取り組む施設と取り組まない施設があると思いますが、取り組む施設がいわばオピニオンリーダーや先達という感じで、一歩先に自分たちでよいケアを行って、その効果をぜひ示して欲しいです。

ユマニチュードを導入した施設で離職率が減るというのは、是非強調して欲しいことですね。それは施設経営にとっての最大の効果ではないかと思います。ユマニチュードの認証を受けるとコストはかかるけれども、そこに勤めてる人の満足度が高く、辞める人が少ないですよというのを世の中に示していくことがとても大切だと思います。そうすると導入する施設がどんどん増えるんじゃないかと期待しています。

本田 その点では早出さん、研修を実施した管理者の手応えとしていかがでしょうか。

早出さん はい、では私どもの施設で出ているユマニチュード導入の成果を簡単にお示しします。一つは定着率です。始めて2年くらいになりますが、108人が受講して、退職された方は2名です。多いか少ないかは事業所によって状況が違うかと思いますが、私どもの法人で今までの離職率を考えると、これは飛躍的に少ない数だと思っています。

おそらく、チームとしての目標をみんなが持って、「こういう介護をしていこう」「我々はこうしたケアを行っていくぞ」という気持ちがありますので、それが離職率という部分に表れているではないかと思います。

もう一つは新しい職員の採用です。今、介護の世界では人材を確保するのが難しいのですが、今年度私どもの施設では2人の新卒の職員を迎えることができました。その2人が自分の就職場所の決め手として考えてくださったのが、ユマニチュードなんです。

「色々な施設に実習に行ったけれど、この施設はちょっと変わったことをしている。なぜこんなことをしているのかな」から始まって、「もっとユマニチュードを知りたい」そして「ぜひこの職場で働きたい」というところに繋がったようです。ユマニチュードに取り組んで2年足らずで、実績としては足りないですが、我々投資している側としても、その成果は続けて見ていきたいと思います。

それと、山口先生からポジティブ感情という話がありましたが、ユマニチュードというのは本当にその通りだと実感しています。年老いてできないことが増えて、諦めてしまうという社会でなく、老後がワクワクできるような、自分の望む暮らしが実現できるような社会づくりを進めて欲しいと思っていますが、それがユマニチュードにあると思います。「日本の老後には未来がある」と言われるよう、私自身も頑張って取り組みたいと思います。

本田 ぜひよろしくお願い致します。お話は尽きませんが、お時間がなくなってきました。最後にご紹介をしたいことがございます。ユマニチュードを多くの方に知って頂くために、日本財団の支援をいただき、認証制度の制定を記念しました「ユマニチュードキャラバン」を始めました。

詳しくは当学会WEBサイトをご覧いただきたく思いますが、ユマニチュードについて知っていただき、また認定インストラクターと交流していただく場でございますので、ぜひお申し込みください。

本日はこれにて終了したいと思います。100名を超す皆様にご参加いただき、とても嬉しく思います。ありがとうございました。

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第3回日本ユマニチュード学会総会で行いました南高まりさん、阿川佐和子さん、本田美和子代表理事の鼎談の模様の後編です。認知症の家族と「コミュニケーションを取る」とはどう言うことか、ケアをする側の意識の持ち方次第で広がる世界を経験者のお二方がお話してくださいました。

←前編より続く

阿川佐和子さん 父と母が共にお世話になった「よみうりランド慶友病院」会長の大塚宣夫先生がおっしゃっていたんですけれども、食堂でコンサートやおしゃべりの集いがあるっていうと、大体、男の人は出席しない。それで男性患者をどうやったら連れ出せるかと考えて、「会議がありますから上がってきて下さい」って言うようにしたら皆さん出てくるんですって。仕事モードの方が、自分の役割ができるような意識があるそうなんです。

もう一つ、これはだいぶ改善されてきたように思いますけど、認知症になるということは子供返りしていくところもたくさんあるので、どうしても子供を世話する感じになる。私もそうでしたけど、看護師さんたちだって母親とかお姉さんみたいになるから「おしっこ出た?」っていうような言い方になって、そうすると男の人はものすごくプライドが傷つけられるんですね。

だから、私が今提案しているのは、例えば、それなりの役職で部下を持っていた経験がある人には「社長、お車の用意ができました」って車いすを持っていくとか、「失礼いたします!おしもを変えさせていただきます」と、それぞれの人格に敬意を表して、それまでの人生の延長のような扱いが必要なんじゃないかなと思います。

認知症の人はどこか別世界にいって訳の分からない人だ、こっちの通常社会とは違う引き出しに入っちゃった人だと思うと、ジネスト先生の話でもありましたけれど、人間という意識が薄くなってくる。そうすると、介護する側、ケアする側が、合理的に便宜的に都合の良いシステムを作っていくというのが今までのやり方だったような気がするんですね。

でも、半分忘れててもしっかりできることはあって、母なんかは文字を読むことはすごく早かったし、5分前のことは忘れても今現在のことの反応はすごくクリアなんですよ。「忘れるっていうこと以外はちゃんとできる人間だ」ということを忘れがちになるので、そこをこっちの便宜じゃなくて、あちらがどう思うか、「あちらの世界」に思いを馳せるという必要があるんじゃないかと。

例えば、母の頭の中では、どうもさっきまで家の中に赤ん坊がいたらしいという時があって、赤ん坊が心配で「赤ちゃんはどうしちゃったの?」って聞いてくる。最初の頃は「赤ん坊なんているわけないじゃない!」って返してたんですけど、そのうちに「今、お母さんと帰った」「2階で寝てるから大丈夫」と、その世界の中にこっちが入り込むようにしました。母が考えてる世界は何なんだろうと、こっちが楽しむ方が楽になるし、楽しくなるし、笑いが出てくる。

記憶の引き出しから飛び出す「宝物」

本田美和子・代表理事 認知症の方がおっしゃっていることは、その方にとって「その瞬間の真実」であるという観点から考えることが大切だと思います。記憶がどこまで遡っているのか、その「真実」がいつのことなのかを探しだすことが周囲の人にとって重要です。人は自分が安心できる時代に遡っていることが多く、別の言い方をすると、ご自分にとってすごくいい時代である可能性があります。

私たちはたくさんの病院や施設にお伺いして、ケアで困っていらっしゃる方から「どうやったら解決できますか」ってご相談を受けるんですけど、その時に患者さん、もしくは入居してらっしゃる方の紹介をお願いしますというと、医者のプレゼンテーションみたいになるんです。どういう病気で、どういう薬を飲んでいて、血液検査がこうで、というような形式です。

医師の私にとってはごく一般的な、なんですけど、ジネスト先生は「その人はどういう仕事をしていた人ですか」「お好きな食べ物はなんですか」「どのくらい歩けますか」というところから始まるんですね。そういうことをお伺いすると、特に病院の方々は、その方の今の病気の状況は知っているけど、どういう生活史があるか、現在の生活に必要な能力はあまりご存知ないんです。

ここで私が多くの方にご提案したいと思っているのは、その方の10代から80代までの10年ごとのベストメモリー、例えば「20代でとても良かった思い出は何ですか」と聞いておくことです。その方が何かおっしゃった時に、その思い出を照らし合わせて、今どれぐらいまで戻れば、安心してもらえるかという参考になるんじゃないかと思います。

阿川さん 母は認知症になってから昔話を多くするようになって、まず小学校の2、3年の時に二・二六事件に出くわしたと。「生き証人?」と思ったんですけど、永田町に住んでいて、いつものように学校に行こうとしたら雪が降っていて、(軍人に)「ここから先は行ってはならん!」って(手でバツ印)バッてやられて、びっくりしてわんわん泣いてうちへ帰ったって。

それから父と結婚したあと、母方の祖父にとっては可愛い可愛い末娘がどうもワンマンっぽい若者に連れ去られたと思ったそうで、「結婚してしばらくしておじいちゃんがね、本当に辛かったら帰ってきていいんだよ」って言ったって。「聞いたことない、そんな話!」って私の方が泣いちゃったりして。昔話に宝物が次々、次々と出てきたんです。

歴代天皇の名前を「言えるのよ」って誦じ始めて、必ず同じところで止まって「あれ?」って言ってまた最初から。それを20回くらい繰り返すんです。普通の生活してる時にはめったに出てこなかった話や小さい頃の話がいっぱい出てきて、別の引き出しが開いたなっていうのがありましたね。

本田  そんな感じがしますよね。そういう話をされるとご本人が落ち着かれると思うので、困ったなっていうような動きが出た時に、切り札としてそれを出してみる。

南高まりさん  そうですね、ただ、時々なんですけど、父に聞きたいことがあって電話して「こういう質問が来たんだけど、どう思う?」なんて話すと、ちょっと話がずれるんですよ。その質問の答えがなかなか返ってこなくて、それこそ昔の話になってしまったり、自分の武勇伝みたいな話になっちゃったり。そういう話に流れると「ちょっと無理なんだなぁ」って私も引いてしまって。

「やっぱり認知症ってこういう風になってしまうんだ」ってがっかりする思いも今まであったんですけれど、父がすごく機嫌よく話すので、最近はしばらく耳を傾けているんですね。そうすると、すごく喜んじゃって、とても生き生きと、さらに機嫌よく話をするようになるんです。さっきの阿川さんのお母様と同じように昔の話を延々として、それで一息入れた時に「ところで質問が来てるんだけど」って・・・

阿川さん そこで改めて話を戻す?

南高さん  そう、そうすると的確な答えが返ってきたりするんです。それはびっくりしました。今まで人様の前では「時間がないからこんな戦争中の話とかキリスト教の話とかしてる場合じゃないよ」ってこっちが焦って、すると父もイライラしてきて、私も「勘弁してよ」ってなったりしたんですけど。

コロナ禍になって仕事が減ったので、話す時に横道に逸れても構わないですから、そういう話を私も楽しく聞けるようになりました。その話の最後に「ちょっとこういう質問があるんだけど、どうかな」って聞いたら、「それはね」ってパチっと答えが返ってきたりするんです。

阿川さん コミュニケーションを取るってどういうことかなって思いますね。母と対峙していて、こっちが求めていることが返ってくるのが「コミュニケーションが取れた」と思っていること自体が間違いではないかと思いました。そちらの脳みその動きをこちらが面白がって、そこで展開させていって気が付いたらちゃんと着地してたっていう方が、どっちも楽だし機嫌良くなる。

これはうちの夫が母をケアしてる時に編み出した方法なんですけれど、ご飯を食べてる時に2人がおしゃべりしていて、母が「あなたはどちらのご出身?」って社交辞令で聞くんです。「九州です」「九州のどちら?」「大分です」「大分って私行ったことないの」「どういうところ?」「暖かいところです」。私は「え、大分って雪降ったりしない?」ってちゃちゃ入れながら聞いていて。

そうすると、しばらくしてまた「あなたはどこのご出身?」って始まる。「九州です」「九州のどちら?」「大分です」「大分ってどういうところ?」「寒いところです」って、夫の答えが変わってるんです。「いつも同じ答えを言ってるとこっちも飽きるから、変えてみる」とか言って(笑)。

あと、夫が「あんまり繰り返しが続いて疲れたなって思うときは“小学校では何してました?”って質問を投げかけると、頭の動きが違う枝に広がっていくよ」って。コミュニケーションって何だろうって思うと、必ずしも真実を相手に分からせることではないっていうことに気づきだすんですよね。

南高さん  そう思います。そうすると話が終わった後の私も居心地が良くなって、ああ良かったなってお互いに思えるっていうのがいいですよね。楽ですよね。

「がっかり」を止めて「今」を楽しむ

阿川さん 楽ですよね。あともう一つ、認知症っていうのは結局は5分、10分前のことを忘れてしまう。今さっきやったことなのにってこっちはがっかりするんだけど、がっかりを止めることにしようってある時決めました。今ここで話が盛り上がって、母がゲラゲラ笑ってたらそれが一番幸せなことじゃないかって思ったの。

「さっき見た桜、きれいだったね」という過去の話は無しで、見ている時に「わぁ、きれい!」って盛り上がって、それでおしまい。5分後に「桜きれいだったね」って言って覚えていなくても、今度は「こっちのシクラメンもきれいだね」って言って、そっちに感動する。今だけで十分って途中で思ったんですけど、その辺りはまりさんも同じだとおっしゃってましたね。

南高さん  そうですね。父が同じことを何回も言った時は「私が同じことを何回も言っていると教えてあげた方がいいの?」って最近聞いたことがあるんですね。そうしたら「それは教えてもらった方がいいと思うよ。仕事の時なんかはみんなが困るでしょ」って言うんです。

南高さん  細かいことは結構ありましたね。父も時間の感覚があやふやになっていきましたから、朝6時頃に起きてしまって、お気に入りの喫茶店に出かけて行って、そこが開いてなくて、帰りにどうしたらいいか分からなくなりうろうろと。迷子まではいかなかったんですけど、どこに行ったか分からなくなったことはありましたね。

ただ、父が「桜がきれいだったねっていうことぐらいは何回言ったっていいでしょ」って言うんですね。どうでもいいって言ったら失礼だけど、季節の変化とか「あの時の桜はきれいだったね」とか、「いちょうの紅葉がきれいだったね」っていうことは「何回言ったっていいでしょ?」って私に言うから、「それはそうだね」って言って笑ったりしたんですけど。

阿川さん あら、可愛い(笑)。忘れていっている自分がいるっていう悲しさと同時に、そういう状況の自分をどうやって今の生活にフィットさせていくかっていう知恵みたいなものが認知症の方にもあって、私がご飯を作ってて、できた横から食卓に母を座らせて食べさせてたら「あら美味しい」って声が聞こえて、「何が美味しいと思ったの」って聞いたら、「これ」って緑色の野菜を取り上げたんですよ。

南高さん  オクラだったんですけれど「はい。これはなんでしょう?」って聞くと、「うーん、なんだっけ」って。「オクラ」って言うと、「なんだ、オクラ、知ってるわよ」って。それでしばらくしたら、また「あら美味しい」って。今度は何かと思ったら同じもの。「さっきも食べて美味しいって言ってたけど、これは何だった?」って言ったら「うーん、分かんない」。「オクラ」って言ったら、「あら知ってるわよ、オクラぐらい」っていうのを3回ぐらい繰り返して。

阿川さん 「なんでも忘れちゃうんだね、母さんは」って言ったら、ちょっとムッとした顔して「覚えてることだってあるもん」って言うんです。「じゃあ何覚えてるの」って聞いたら、「うーん」って考えて、「今ちょっと何を覚えてるかは忘れた」って(一同、笑)。知恵が回るなと思ったんですけれど、そうやって「恥ずかしい」みたいな意識を、ちゃんと自分の中で処理する能力があるっていうのは、有能じゃないかと思ったんですけどね。

本田  そうですよね。

南高さん  父も、電話でとっても良いことを伝えてくれたんですけどよく聞き取れない時があって「ごめん、ちょっと今書くから、もう1回言ってくれる?」って言ったら、「そういうことは難しい」って(一同、笑)。そんな笑い話もありました。

阿川さん 私は母に自分の名前を忘れられると悲しいなと思って、最後の砦みたいなものですから、会うと必ず「これは誰ですか」って聞いていたんです。名前がすぐ出てくる日もあるし、10分後に出てくることもあるんだけど、一瞬「うっ」と分からなくなる。それで、(自分の顔の鼻あたりを指差して)「これは誰ですか」って聞くと、その答えが「お鼻子ちゃん」って。「いやいや、そういう名前じゃないでしょ」って。

だんだんと、私は母のおばあさんになったり、お姉さんになったりするから「え、忘れちゃったの? 佐和子って覚えてる?」って聞くと、ニヤッと笑って「私がボケたとでも思った?」って(笑)。色々な知恵を使って生きてるなっていう気がしますよね。

本田  そうですね。阿川さんのことをお姉さんやおばあさんって思う年代にご本人が戻ってるということですものね。その時は30代のお母様とか20代のお母様とかに戻っている。

阿川さん 5歳ぐらいの時もあるし。

本田  そういう時は、5歳ぐらいの時のお話が泉のように湧いてくると思います。

阿川さん 私は、「介護」というものの90%は嘆き悲しむとか、イライラすることだと最初は思ってましたけど、認知症の母と付き合ってみるとおかしいことだらけで、母の脳みそは一体どういう変化を起こしているんだろうと、それが分かったら面白いなと思いました。

元に戻ることはないにしても楽しむ手立てはいっぱいあるんじゃないかっていう気持ちになると、もちろん物理的には大変だし、面倒臭いことはたくさんあると思いますけど、何て言うかな、おかしいものを探せば必ず出てくるんじゃないかっていうことを今、「辛い辛い辛い!」って思っていらっしゃる方には申し上げたいなと思いますね。

本田  そうですね。今が幸せであるという状況、5分前のことは忘れちゃってるけど、今は楽しいっていうことが連続すれば、ずっと楽しい時間を過ごしていただくことができますね。介護が辛いと思ってらっしゃる方に、武器と言いますか、道具と言いますか、「これを持っていけば大丈夫ですよ」っていうようなことを具体的にお伝えできたらいいなと思います。

阿川さん 「ことことこーこ」という小説で母親が徘徊してしまうところを書いたのですが、その時に、子供は「迷子」なのに老人は「徘徊」っていう言葉しかなくて、その中間の言葉はないのかなと思ったんです。

(周囲から見れば)「あのおじいちゃん徘徊してるのかな」と思うかもしれないけど、本人にしてみれば何かの目的があって家を出てるんですよね。どこかに向かおうとしたんだけど、そのプロセスが分からなくなっているだけだということを、もっと周りは認識して差し上げる必要があるんじゃないかと思いました。

「徘徊までしちゃった!」ってなると大変な感じで見ちゃうけど、そうじゃないんじゃないかなって。まりさんのお父様だってコーヒー飲みに行きたいから出かけて、たまたま出かけた時間が悪かったっというだけですよね。

南高さん  そうですね。

本田  行動には常に理由があるといいます。ご飯を食べない時も、もしかしたら食事の出し方の問題であるとか、お箸の使い方が分からなくなっているのかもしれません。

実は私、先ほどジネスト先生が講演でご紹介した大津さんご夫妻のところにお伺いした時に、お昼にみんなで食べようと思って、幕の内弁当をお持ちしたんです。お弁当箱の中が小さく九つに仕切ってあって、その一つ一つに素敵なおかずがいっぱい入っていたのですが、奥様は「うわぁ、きれい」っておっしゃるけど、手を付けない。どれから食べていいか分からないんです。

大津さんが「こういうのは苦手になってるんです」とおっしゃり、その中のおかずを一つだけ取ってお皿に出すとお召し上がりになりました。幕の内弁当では情報が多すぎるんです。

こうした食事だけでなくあらゆることに共通すると思うんですけれど、分かりやすく情報を出すことと、その方のことを大事に思っているということを私たちが上手くご本人に伝えられると、楽しい生活をずっと続けていただくことが可能なんじゃないかなと思いました。

「触れる」こと「見る」ことで伝わる愛情

阿川さん あっという間に終わりの時間が近づいてきたんですけど、南高さんはユマニチュードに出合って、これは役に立ったなとか、この考え方に同意するなとか、これは違うなと思うことはありますか?

南高さん  父には興味のある話をしてあげたいなっていう気持ちがあるので、ユマニチュードの「言葉をあふれさせる」ということは、なるべく本人の興味を引く楽しいことから入っていくのがいいなって思ったことはありました。

あとは、実家にいた時は父の顔なんか見ないで帰ってきちゃうこともあったんですけど、今、施設を訪ねたときは、正面に回って「まりだよ、来たよ」みたいな感じで父の目をアイキャッチして話すと、本当に喜んでくれます。笑顔で「うわぁ、来てくれたの」って、認識の笑顔の力をすごく感じるようになって、ユマニチュードがちょっとできたのかなって思います。

阿川さん 私は父とはそういうことはなかったんですけど、特に晩年は母とスキンシップというか、帰る時にギュッと抱きしめるようにしました。母は「痛い、痛い!」って言いながらもゲラゲラ、ゲラゲラ笑ってて。やはり本当に肌で触れ合うっていうのは、何か見えてくる、感じるものがあるんですね。

南高さん  父が母と一緒に老人ホームに入った初日、入居の日にですね、私が帰ろうとしたら、父が「まり、写真を撮って」って言うんです。そういうことを言ったのは父の生涯で初めてだったんですよ。私がカメラを向けると、母のことをギュッと抱きしめて、まるで母の体温を感じることで自分の存在を確認しているような光景でその時の2人の笑顔っていうのが、すごく印象的でした。

阿川さん ご著書にありましたね、その写真。本当に仲睦まじいというか、お父様はお母様のことを愛してるのね、って感じで。

南高さん  母の体温を感じることで自分の存在を確認しているような、そして娘の笑顔も丸ごと感じてくれた笑顔だったかなって思って、ああいうのはもう撮れないと思いました。

本田  素敵ですね。

阿川さん うちは父が先に老人ホームに入ったので、認知症の母を連れて週に1回お見舞いに行っていたんですけど、父は母のことをとても心配していて、病室の外まで私たちを見送った時、ドアのところで母に握手を求めたんですね。

「えっ!?」って母も戸惑って、「佐和子ともやってくださいよ」って言ったら、私とはやりたくないらしいの(笑)。母に「お前は体を大事にしろよ」とかなんとか言って、握手して見送ってくれたんです。

帰ってから「父さんが握手求めてきた。触りたがってたよ。嬉しかった?」って聞いたら、母が「いまさら」って。「冷たっ!」て思いました(一同、笑)。

本田  夢のような時間でしたが、そろそろ終わりにしたいと思います。

阿川さん お役に立つ話が出来たかどうか。まりさんはこれからも色々乗り越えなきゃいけないことがありますね。

南高さん  ホームの方たちが本当に優しくしてくださるので、楽しんで過ごしてもらいたいと思います。

本田  南高さん、阿川さん、本日はありがとうございました。そして今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ご参加いただいた皆様も今日はありがとうございました。

※11月13日に逝去された南高さんのお父様、長谷川和夫さんを偲ぶ場が、「認知症フォーラム.com」に作られました。まりさんが撮影されたお写真が日替わりで掲載されています。

第3回日本ユマニチュード学会総会にて生存科学研究所と共催で行いました市民公開講座「家族をつなぐユマニチュード」から、自らが認知症であることを公表した医師・長谷川和夫さんの長女で、精神保健福祉士の南高まりさん、作家・エッセイストで本学会理事の阿川佐和子さんと本田美和子代表理事の鼎談の模様をご紹介します。家族介護の当事者でいらっしゃる南高さん、経験者の阿川さんのお話は、ご家族への率直な愛と優しさに満ちたエピソートが満載です。

※長谷川和夫さんは11月13日に逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。

南髙まり様
国立音楽大学卒業後、音楽を通じての地域活動を推進するとともに、現在は精神保健福祉士として立川市役所の精神障害者デイサービスに勤務。三人きょうだいの長女として、父(長谷川和夫先生)が80歳を過ぎた頃から主な活動に付き添い、著書「父と娘の認知症日記」(中央法規出版)などを通じて介護の体験を発信している。
長谷川和夫先生は、1929年生まれ。「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発し、「認知症」への名称変更の立役者でもある認知症専門医。2017年に自らが認知症であることを公表して以降、当事者の立場から認知症の人の想いを発信している。
阿川佐和子理事
エッセイスト、作家。2012年『聞く力――心をひらく35のヒント』が年間ベストセラー第1位、ミリオンセラーとなったほか、2014年には菊池寛賞を受賞。2018年に「看る力」、介護を題材とした小説「ことことこーこ」を上梓。2019年の設立時より日本ユマニチュード学会理事を務める。

認知症——本人の葛藤、家族の葛藤

本田美和子・代表理事 ここからは「家族をつなぐユマニチュード」と題して、南高まりさん、阿川佐和子さんと3人で進めて参りたいと思います。

南高さんは、私たちが臨床でいつも使っている長谷川式認知症スケールを開発なさった長谷川和夫先生のご長女でいらっしゃいます。先生が80歳を過ぎた頃から、先生の主な活動に付き添われ、そのご経験に関する著書「父と娘の認知症日記」(中央法規出版)を出版されました。長谷川先生との生活も含め、ご家族としてのお話をお伺いしたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

南高まりさん  よろしくお願いいたします。

本田 そしてお隣にいらっしゃるのは、皆さまご存知の阿川佐和子さんです。

阿川佐和子さん よろしくお願いします。

本田 阿川さんは認知症がテーマのひとつである小説「ことことこーこ」(KADOKAWA)をお書きになる時にユマニチュードについてご興味を寄せていただき、声をかけてくださったのがきっかけで、現在は日本ユマニチュード学会の理事としてお力をお借りしております。今日はこの3人で色々なことをお話しできたらと思います。

阿川さん 私は母が2020年5月に92歳で亡くなりまして、父が2015年に94歳で老衰で亡くなりました。父と母が2人暮らしをしていた2011年ぐらいから、母が「あれ?」っていう認知症状を起こすようになり、父は最期まで記憶力はしっかりしていましたが、その頃から両親の介護が始まったんです。

(介護をしたのは)10年近くですが、そんなにべったり看ていたわけではないし、手伝って下さる方もいっぱいいらっしゃる中で「さあ、次はどうする」「さあ、次は」とやっているうちに今に至るので、本当に介護で苦しんでいらっしゃる方に比べれば楽でした。

認知症になった母自身は昔から明るく素直な性格で、私は父に似て性格が悪いんですけど(笑)、その母が認知症になった時に、性格がひがみやすくなるとか、疑いやすくなるとか、怒りっぽくなるということが起こるのかと思っていたら、元の母の性格のまま記憶力だけが少しずつ低下していきました。私は「認知症優等生」と呼んでいたんですけど、手のかからない母だったので、そういう意味でも皆さんより楽をしていたなと思います。

今回、南高さんにお会いするにあたり、「父と娘の認知症日記」を拝読して、認知症になられた御父上とお嬢さんとの愛情溢れる関係が羨ましく、「こんな優しいお父さんならケアしたいわね」っていう思いがしたんです(笑)。

その中で、まりさんがご長女としてどれほど色々なことに気を付けたり、反省したり、学習したりしながら今に至っていらっしゃるのかお聞きしたいと思うのですが、まりさんの場合はお父様、私の場合は母と、性の違いでも色々あるんじゃないかという気もしています。

特にお父様自身がお医者様、研究者として認知症の権威でいらっしゃって、そのご本人が認知症になってしまったということに、最初から自覚があったというのがすごいなと思ったんですが、どの辺りで(認知症になられたと)感じられたんですか?

南高さん  父自身が「あれ、おかしいな、どうしたんだろう」と思い始めたのは、だいぶ前からなのではないかと思うんですけれど、母と2人の生活の中ではルーティンで同じことを繰り返していますので、それほど大きな変化を家族はあまり感じていなかったと思うんですね。

阿川さん それは本当にそう思います。知り合いのご主人様に会ったときに「ちょっとおかしいな」と思ったんです。それを奥様は周りに言わないで闘っていらっしゃるのかと思って、私は「もしかしてご主人様は認知が・・・」ってお話したら、奥様に「分からなかった。よく教えてくれた」って言われたんです。食事をする、寝る、お風呂に入るという普通の生活では、ご本人が自覚していても、症状がそんなに顕著に出ないということもあるんですね。

南高さん  そうですね。もともと父は昭和の初期に生まれた人ですから、生活の中の、例えばお茶碗を洗うとか、お料理をするとか、洗濯をするっていうことを何十年もやっていない人でした。

阿川さん 全部お母様にまかせっきり。

南高さん  はい。自分の下着がどこにあるかも分からない、銀行のキャッシュカードの使い方も分からないようなタイプですので、ケアマネージャーさんには最初から「長谷川さんは要介護認定1ね」って言われてました(笑)。そんな父でしたから、最初、生活上で特に困ったことはなかったのではないかと思います。

現役で講演に出かけたり、人様に会ったりということが少しありましたので、その中で父が「いつもと違うな」「自分が何を話してるか分からなくなっちゃったな」と、後から本人の了解を得て日記を見せてもらったらそうした葛藤が記してありました。

阿川さん 日記をつけていらしたんですね。

南高さん  毎日、何十年も日記をつけていたんですね。それを見る限りですけれど、闘っていた様子といいますか、「おかしいな」「なんとかごまかした」と頑張ろう頑張ろうとしていた、そういうニュアンスの言葉がありました。そのうちに、人様に気づいていただいた部分、周りの後輩の先生とか、介護をしてくださった方が「あれ?」っていう風に思うことが少しずつ重なっていったというのがあったかもしれません。

阿川さん 私の母の場合は、2011年3月の東日本大震災の半年ほど後に心臓の手術で入院したのですが、母に「あの地震怖かったね」って言ったら、何も覚えていなかったんです。「あれだけ大きな地震のことを覚えていないなんて」とびっくりした記憶があったので、おそらく2011年ぐらいからだと思うんです。

後から母の部屋を整理したら、日記はつけていなかったんですけど、「これはとっておかなければならない」「このレシートはここに」「重要キープ」とかたくさんメモを書いていました。「無くしたもの」っていうメモに「出てこない、バカバカ、私バカになっちゃった」とあるのを発見して、家族が気付くよりずっと前に、自分で自分が壊れていっているんじゃないか、これからどうなるんだろうと不安を抱えていたんだと知りました。その当時は全く気づいていなかったので、それは小さな後悔です。

想像ですけれど、母が一番苦しかったのはこうして独りで葛藤していた時と、まだ半分ちゃんと生活できる力を持っていた時だと思います。一般的にまだらの状態のときはイライラも激しいと言いますけれど、その頃の母は心臓の病気もあって薬を飲まなくてはいけないので、飲んだか飲まないのか分からない状態になると、こっちもカーッとなって「さっき飲んだって言ったのに飲んでないの?」と詰問してしまい、母を泣かせることがよくあったんです。ご著書にはまりさんのお父様が荒れた様子は全く出てこないですね。

南高さん  よく認知症になると怒りっぽくなる、イライラするという症状が出てくると皆さんおっしゃるんですけど、父はもともと気が短かったり、せっかちなところがあったので、認知症になったからといって、急に怒り出すとか、イラついて物を投げるとか、そういうようなことはありませんでした。

阿川さん それは奥様やお嬢様、ご家族の対応が優しかったということはないですか?

南高さん  父が自分で言ってましたけど、父自身は「もう1人の僕を見ている」というか、認知症になった自分を観察してるような冷静なところが最初からあったのかもしれません。

阿川さん さすが科学者ですね。認知症ではない僕が、認知症の僕を観察していることの観察結果はお嬢さんに報告はあったんですか?

南高さん  私、父に直接「認知症にならないほうが良かった?」とか「認知症になったことを後悔してる?」ってズバッと聞いちゃったりしてたんですね。

阿川さん ストレートですね(笑)。

うちは父があるとき家族で外食をした折に、母がお手洗いに行って姿がなくなった途端に、子供たちに向かって「いいかお前ら、気が付いているかどうか知らないけど、母さんはボケだ!母さんはボケだ!母さんはボケだ!」って3回繰り返したんです。

「そんな大きな声で言わなくても。分かってます、分かってますから」って言ったんですが、父親はそれで自分の覚悟を決めようと思ったところがあるのかもしれません。父にしても私にしてもそうでしたが、初期の頃は「まだなんとか学習させれば元に戻すことができるんじゃないか」って希望を持つでしょ?  漢字ドリルとか計算ドリルとか「これを毎日やるように」って渡したりして。

あと、父はテストをするんですよね。父が入院していた個室のお手洗いに母が行くというと「流し方は分かるのか」って母に確認する。「そんなこと分かりますよ、やあね」ってお手洗いに入ったあと、しばらくすると「あれ?あれ?あれ?」って声が聞こえてくるの。そうすると、父が「ほら、お前は分かるって言ったのに分からなかったじゃないか!」って怒って、出てきた母に向かって「もう一度行って流してみなさい。覚えなさい」って言うの。

そういうキツい対応をしてなんとか治そうとあがいて、途中で(無理だと)気づくんですけど、まだ初期ならこっちに戻ってこられるんじゃないかって、そういう時期って家族はありますよね。そういうことはなかったですか?

南高さん  そうですね、どちらかというと私たちは、「あーあ、しょうがないや」っていう風で。

阿川さん 諦め、はやっ!(一同、笑) 

南高さん  諦めよりも「なっちゃったね」っていう受け止め方だったような気がします。認知症っていうのは、年を取れば多かれ少なかれ症状が出てくるんだというのは前から家族で話していて、父とも話していたことがありましたし、どちらかというと自然に受け止めて「しょうがないな」と。

介護は長期展望で 独りで抱え込まない

阿川さん 実生活では何かとトラブルが起こるわけでしょ? 薬を飲んだって言ってるのに飲んでなかったりとか。

南高さん  そうですね。

阿川さん 私の母の場合には、大事だと思うものはどこかに隠しておかなくてはという気はあるらしくて、戸棚に入っていたはずの銀行の通帳やお金がなくなって、下着の引き出しに隠したりしていて、家族が一日中捜索活動ということがあったり。こちらもイライラしちゃいかんと思いながら「時間がないのにどこにやっちゃったの!?」と、そういうトラブルはなかったですか?

南高さん  細かいことは結構ありましたね。父も時間の感覚があやふやになっていきましたから、朝6時頃に起きてしまって、お気に入りの喫茶店に出かけて行って、そこが開いてなくて、帰りにどうしたらいいか分からなくなりうろうろと。迷子まではいかなかったんですけど、どこに行ったか分からなくなったことはありましたね。

阿川さん 冷や冷やするような。

南高さん  そうですね。私は離れて暮らしていましたので、母から電話がかかってきて「行方不明なのよ、みんなで探してるんだけど」っていうことは何回かありました。

阿川さん まりさんご自身にもご家庭と仕事があるでしょうし、介護っていうものに時間を割かなければいけなくなった時に葛藤はありませんでした?

南高さん  そうですね、近くに妹がいましたし、弟も時々顔を見せてくれてましたから。子供たちが来るというのは父にとって嬉しいことだったので、そういう面では恵まれていたと思います。今でもそうですが、独りで抱えないで済んだというのは良かったと思います。

阿川さん 先ほど(※鼎談前のジネスト氏の講演内での)ビデオで登場した大津さんご夫妻は、どうみてもご主人様が8割方、奥様の世話を1日中してるんですけど、一般的に他人に頼るのはお金がかかるとか、誰に頼っていいか分からないとか、今はデイサービスなどの福祉の制度があるけれど、それもなかなか難しいという人もいますよね。

本田  大津さんの場合は、お嬢様夫妻が一緒に住んでいらして、大津さんの奥様も今はデイサービスに時々お出かけになっているんですけれど、そこに到るまではとても大変だったというお話をしてくださいました。

阿川さん 私も兄弟は4人なんですけれど、娘は私1人で、しかもその時は結婚していなかったから、サラリーマンの弟や海外に転勤している弟になかなか頼りにくいものがありました。

それでも非常に協力的に「週末は誰がみる」っていうシフトを組んで、カレンダーを作ったりしてやってはいましたけど、どこかで最初の頃は「私がやんなきゃいけないんじゃないか」という意識があって。「抱えているレギュラーの仕事を半減させて、父と母の家に私も一緒に住んで合間にできる仕事をして、出かける仕事は止めて」とワーッて考えたんですけど、それをやったら私が壊れるなと思いました。

もう一つ、同い年ぐらいの学生時代の友達に話すと、みんな大体、介護経験があるんですね。そういう人たちが「私はね、舅さんを施設に入れてようやくホッとしたと思ったら帰ってきちゃったのよ」とか「ヘルパーさんに来てもらったら、その人と気が合わなくて勝手に辞めさせた」とか色々なトラブルの話が出てきて、「これはやらない方がいい」「これはやった方がいい」みたいなことをアドバイスしてくれたんです。

そうした中で「アナタ、この2〜3年頑張ろうと思ってるでしょ? それは甘い!」って言われて「えっ?」と思って。「介護なんて10年、20年かかるかもしれないのに、今から力を入れたらあなたが倒れるよ。力を抜きなさい」って言われて、本当に「そうか、長期展望が必要なんだ」と気づきしまた。

それから、楽になる方法をあれこれ考えようということを模索し始めて、「1人で背負おう」「私は正義の味方、良い娘だ」と見せたいがためにやるのは、逆に良くないことなんじゃないかと思ったんですけど、南高さんはどうでした?

南高さん  私の場合はこの2〜3年、父の隣にいて人様の質問を受けるという機会がすごく多かったんですね。認知症だと公表したがゆえに取材が色々入ってきて、それは現役の時より多いほどで(笑)、人気者になって、仕事が増えちゃって。

阿川さん お父様は嫌がらなかったですか?

南高さん  人様に会うのはもともと好きな性格なので、喜んで出かけていきましたし、その目標のために体の調節を頑張って、熱を出さないようにしよう、風邪をひかないようにしようと、励みになったと思うんですね。私はいつも父の肩が触れるぐらの隣に一緒に座って人様の話を聞いていましたので、時間の経過とともに、父がすごく話を聞きづらくなってるな、受け止めにくくなってるなと感じました。

「1年前は耳に入ってきたことが、箇条書きにしてあげないと大変かな」とか「抽象的なことは入りづらいから、もう少し分けて話してもらえませんか」って言いたくなったり。それを父と一緒に感じることができたっていうのは、父の変化が分かるというと大袈裟ですけれど、父の気持ちを隣で感じることができたかなっていうのは少しありました。

阿川さん 男と女の違いでいえば、男の人って社会対自分の関係性というものを長年築いてきて、そこの中で自分がどんな態度を取ったり、どう役立つかっていうことを意識しているわけですよね。母のように家でずっと専業主婦をやってきた人間とは少しベクトルが違うような気がします。多分そうやって、外界との接触が元気の素になるっていうことはおありだったのかもしれないですね。

南高さん  そうですね。今、父は介護施設にいるんですが、最近、父がちょっと機嫌が悪くなる時ってどういう時なのかなって考えていたんです。施設の職員さんはとても良くしてくださるんですが、私が訪ねていきますと、父と母がいても、どちらかというと私に話しかけてくるんですよね。

阿川さん その方が話が早いから。

南高さん  はい。(施設での両親の様子を)すごく丁寧に話してくださるんですけれど、その時、ふと父の顔に目をやると、眉間にしわを寄せている感じなんですね。だから、前のように父に隣にいてもらって一緒に人様の話を聞く、両方に話してもらうという感じにしたらどうかなって。

阿川さん お父さまにしてみれば、疎外されたような気分になっちゃう。

南高さん  以前からよく父は「人が話すときは丸テーブルがいいな」って言うんです。上座とかなく、みんなが等しい関係で丸いテーブルを囲んで話したらいいなって。ただ、今は時間もないし、面会時間も15分ですから、職員の方が私に話すというのは無理もないんですよね。

阿川さん コロナ禍でもありますからね。

南高さん  ええ。仕方ないんですけど、そういう時の父って「なんで僕をないがしろにするんだ」という表情で。自宅にいた頃、ケアマネさんが来て色々おっしゃる時も自分が置き去りにされてるっていうような表情をすることがありました。

仕事モードじゃないですけど、父と隣にいて一緒に話を聞いている時はすごく機嫌よく人様に対峙していたので、そういう風にやってみるのはどうかなって昨日思いました。

阿川さん 日々発見ですね。

後編に続きます→

第3回日本ユマニチュード学会総会で開催したシンポジウム「ケアの連携〜調布東山病院での事例」の模様をご紹介します。ご家族、地域、施設でユマニチュードのケアのバトンがつながれていく貴重な事例を当事者の皆さまが語って下さいました。

ご登壇者
佐々木澄子さま 吉澤真理さま
家族介護者(お二人は母娘です)
安達英一さま
社会福祉法人桐仁会居宅介護支援事業所
栗田香織(ユマニチュード認定インストラクター)
特定医療法人社団研精会 デンマークイン若葉台 
佐久本和香さま
医療法人社団東山会 東山訪問看護ステーション科長
安藤夏子(ユマニチュード認定チーフインストラクター)
日本ユマニチュード学会教育育成委員長
医療法人社団東山会 調布東山病院ユマニチュード推進室科長 
進行役
杉本智波(ユマニチュード認定チーフインストラクター)
第3回総会大会長 日本ユマニチュード学会学術研究委員長

シンポジウム『ケアの連携〜調布東山病院での事例』

杉本智波・大会長 今回は「ケアの連携〜調布東山病院での事例」というテーマでシンポジウムを開催いたします。このテーマにしたきっかけは、インストラクターの安藤夏子さんからのご提案でした。ユマニチュードは大切なケアの技法ですが、継続、連携というところではまだまだ課題が多いのが現状だと思います。ユマニチュードのケアが地域の中でどういった変化をもたらすのか、そうしたお話を伺いたいと思います。

まず今回、私たちにたくさんのことを教えて下さいます佐々木澄子さまと娘さんの吉澤真理さま。共に夫で父親の佐々木健太郎さんを介護されています。澄子さんは前もって撮影しました映像での御登壇です。

吉澤真理さん 今日はよろしくお願いします。

杉本 よろしくお願いいたします。そして佐々木さんの地域での生活をずっと支えていただいておりました、安達さま、佐久本さま。

安達英一さん ケアマネージャーの安達と申します。よろしくお願いします。

佐久本和香さん 東山訪問看護ステーションの佐久本です。よろしくお願いします。

杉本 よろしくお願いいたします。そして、デンマークイン若葉台のユマニチュード認定インストラクターでいらっしゃいます、栗田さん。

栗田香織インストラクター よろしくお願いします。

杉本 そして調布東山病院のユマニチュード認定インストラクター、安藤夏子さん。

安藤夏子・教育育成委員長 よろしくお願いします。安藤です。

杉本 佐々木健太郎さんの紹介を安藤さんからお願いします。

ケアが届かず疲弊するご家族

安藤 今回の学会総会の「つなげようケアのバトン」というメインテーマのもとに、本日は調布東山病院と在宅と施設でのケアの連携の事例を共有させていただければと思います。まずはこれまでの介護のご様子について介護者である、妻の澄子さんからのお話をご覧ください。

佐々木澄子さんインタビュー(VTR上映)

看護師さんやお風呂の(介助をしてくれる)人が来てくださって(ケアを)やってると「触るな!」「お前は誰だ」と叩いたりつねったりがひどくて、罵詈雑言、言いたい放題で看護師さんはあっちつままれ、こっちつままれ、申し訳なくて。

とにかく手早くやらなきゃいけないというのがまず第一。手早くやって、あんまり触らない。私がやる時は手早く、ちょこっと触ってパパパっとやろうとして、それが頭にしみ込んでいました。『1、2の3』で洋服を持ち上げたり、脱がせたりしてたんだけど、いつだったかゴツーンとゲンコツがきて、膝蹴りを食らったりもして。

『一生懸命やってるのになんで叩くのよ!』って言うと、向こうも売り言葉に買い言葉で『バカ野郎!』とか『クソばばあ』だの、日によって言葉が違うんだけど、その応酬になっちゃって。こっちもまた今日も何か言われるかなと思って言葉も少なくなっちゃって、『おはよう』とかそういう言葉かけもしなかったですね。

私も自分がやってることが間違いだとは思っていないから、正しいことを私がしてるのに向こうが嫌がって、なんでこんな怒ってるのか分からない。そーっとやっていたら遅くなるじゃないですか。だからとにかく手早くやっていたんだけれど、それが本人にとっては苦痛だったのね。(ユマニチュードを知るまでは)それが一切分かってなかったんです。

安藤 このように非常にご苦労されていた澄子さんだったんですが、ユマニチュードが介入することになった経緯をご説明します。

佐々木健太郎さんは妻の佐々木澄子さん、本日ご参加くださっている長女の吉澤真理さんの介護を受けながらご自宅で生活をされています。10年前に発症した脳梗塞の影響で左片麻痺と左上下肢の拘縮があり、ベッドで過ごす24時間の生活は常に介護を必要とされている状態です。

ユマニチュードが介入することになったのは、遡ること昨年(2020年)の6月、本日ご参加いただいている訪問看護ステーションの佐久本科長より依頼をいただいたことがきっかけでした。それまでは週に1回の訪問看護と訪問入浴のほかに、ショートステイを利用されていたのですが、長年利用されていたショートステイ先の諸事情で利用先が変わると、ご本人のスタッフに対する暴言暴力を理由にそちらから利用を断られてしまいました。

※安藤さん作成の資料より

暴言暴力はショートステイに限らず訪問看護、それから訪問入浴、そして毎日介護をしているご家族にも同様の状況でした。それでもショートステイの利用を家族の休息時間とすることで何とか頑張ってこられていたのですが、それが利用できないという状況になったことで、ご家族の介護負担、それから疲労が顕著となってしまいました。そして佐久本科長が途方に暮れているご家族を心配して、相談をくれたことが介入のきっかけとなりました。

杉本 ケアを一生懸命やっていたのだけどなかなか良くならない状況というのは、澄子さんの言葉で十分に私たちに届く内容だったと思います。ではユマニチュードが入る前の状況を一番近くで見ていた安達さん、よかったらその時の状況をお話しして下さい。

安達さん 昨年4月から私が担当で伺ったんですけれど、その頃からショートステイ先から「利用中の介護が大変です」といったような相談が私の方に直接あったり、家族の方にも連絡がいきました。具体的にいうと「手が出る」「暴言がある」ということで、施設では受け入れは難しいということが何度もあり、訪問する度に、澄子さん、真理さんが下を向きながら「どうすればいいんだ」とお困りでいらっしゃいました。

安藤さんが入るようになってから、少しずつ、家族と介護に対するお父様の反応が変わったという話を訪問時にお伺いするようになってきました。

杉本 一番近くでご苦労なさってるご家族と、決して良い状況ではないご本人様、そして依頼をする施設の方のおっしゃる内容も十分に理解なさっていて、その間で非常にご苦労なさったんじゃないかと思います。

佐久本さんが安藤さんに介入の依頼をなさったわけですが、その前の状況、訪問看護として関わっておられた時の状況を佐久本さんから改めてお伺いできますか。

佐久本さん はい。佐々木さんは約3年前ぐらいに、私が在籍しています訪問看護ステーションの母体の調布東山病院に「食欲が少なくなってきた」ということで検査入院をされました。退院された時に退院後の体調確認を訪問看護でして欲しいというご依頼を受けました。その時にも病棟の看護師さんから「少し攻撃性があります」という申し送りがされていたと記憶しています。

訪問看護を続けるなかで、攻撃性が常時あるということも分かってきましたし、それがサービスを提供する側に向かうこともありました。毎日本当に一生懸命介護していらっしゃるご家族が攻撃されるというお話も伺って、ご家族も私たち関わる側も胸を痛めながら介入していました。

ご家族からお父様を「家で過ごさせたい」「支えたい」というご希望を何度も伺っていましたので、どうにかこの状況を解決できないかと考えましたが、ショートステイが攻撃性の問題で難しいというところで、ご家族も私も途方に暮れてしまい解決策が見えないという状況になってしまいました。

こうなったらユマニチュードの技を持っている安藤さんに助けてもらおうということで、澄子さん、真理さんとお話をしまして、安藤さんに依頼をしたというのが経緯です。

杉本 それぞれ関わっておられる専門職の立場から、非常に悩み多き状態だったということが非常によく伝わってきます。佐久本さんの言葉で印象的だったのが、家にいたいと思われているご本人の願いを叶えたいとご家族も懸命に介護をなさっている状況。けれども良い状況にならないという苦しさが、イメージがつくぐらいしっかりと届きました。ユマニチュードの介入が始まってから、その後の経過を安藤さん、引き続きご説明いただけますか。

まずは「触れる」技術から

安藤 はい。昨年6月から訪問看護に同行してご家族と一緒に介護の方法について考えてきました。介入の経過を簡単にお伝えしますと、初回訪問の時に、清拭、着替えたりというところの抵抗が非常に強く、触れられることに非常に敏感に反応しているということが分かりました。

普段は、先ほど澄子さんが「とにかく触ると怒るのでなるべく触らない、パッパッパと急いで行う」とおっしゃっていましたけど、この工夫がですね、ご本人にとっては不快な情報として届いてしまって、ケアが難航しているのではないかと考えました。まずは触れる時に工夫することとして、ユマニチュードの触れ方の技術をお伝えしました。

それ以降は毎週少しずつ少しずつ技術を足していって、技術の習得に重点を置いたのちに、今度はそれが定着するように訪問看護の際にはご家族と一緒にケアを行っていきました。

これは娘さんの真理さんの提案なのですが、ケアの様子をビデオに撮り、実際に行ったケアを振り返るということを続けています。

こちらはご自宅の様子なんですが、ご本人の部屋の扉やベッドサイドには真理さんの手作りの貼り紙が貼られていて、奥様の澄子さんが忘れないように工夫されています。

このようにご家族がユマニチュードケアを実践されることによって、本人に変化がみられるようになってきました。実際に澄子さんの声を聞いていただければと思います。

佐々木澄子さんインタビュー(VTR上映)

あっちもこっちも(施設に健太郎さんの受け入れを)断られて、どうしようと思っていた時に、パッと安藤さんが目の前に現れて。真理が『お母さん、ゆっくりやって、ゆっくりやって』って言うのと同じで、安藤さんも『こうじゃなくて、こうですよ』って。私のすぐ前でなさって、そうしたら相手が変わったんだから。それで目がぱちくりですよ。

今までは声かけるのも嫌だったけど、自然に『おはよう』と出て、(健太郎さんも)目をつぶってたのが目を開けて『おはよう』とか言う。自然に私もそういう態度が出来るようになったのが、自分でも驚いていて。

安藤 今まで自分なりに考えて、良かれと思ってやってきたものがあり、それを変えるというのは最初の一歩としてすごく大変だったと思うんですけれど、半信半疑ながらも変えてみて下さった。スタートは技術を変えたことですが、それによって健太郎さんご本人の反応が変わったことで、今までは「話しかけることも嫌だった」という澄子さんが自然に声をかけるようになってきました。「そんな自分に驚いた」とおっしゃっていましたが、私たちも澄子さんの変化には非常に驚きました。

このように健太郎さんが落ち着き始めた頃に、在宅チームとしましては、ご家族がこの先も在宅での介護を続けていくためには、断られてしまっていたショートステイの利用を再開できないかと考え始めました。ただ、お住まいのある市内ではどこも受け入れがないと、ケアマネの安達さんも悩まれていまして。

一方で、ユマニチュードの介入によってご本人の状態が落ち着いたということもあって、このケアを継続してつないでくれるところがないだろうかとも考えていました。そこで、市外ではあったんですが、栗田インストラクターが勤務されているデンマークイン若葉台に相談をしたところ、本当にありがたいことに施設で検討して下さり、その結果、受け入れてくださることになりました。

昨年の10月に初めて入所しまして、約1カ月の施設入所、そして在宅で3カ月過ごし、そしてまた1カ月デンマークインに入所ということを繰り返しています。在宅と施設との共通言語としてユマニチュードケアの継続というものがあり、バトンを渡しては受け取って、また渡すということが実現できています。

杉本 ありがとうございます。皆様が自分の持てる力全てを使って判断をして、その時の状況に応じて「これがベストではないけれど、これしか方法がない」という中で支え続けてきた。その時に技術を持った安藤さんがやってきて、少しずつ澄子さんがその方法を取り入れてくれるようになった。

私たち医療者は、ご家族の在宅介護の生活の中で24時間ずっといるわけではありません。佐久本さんが一番よくご存知だと思いますけれど、スポットで行く中で、常に一緒にいるご家族が試行錯誤している中で編み出した、とにかく早く済ませようという方法を毎日続けていらっしゃった。これは決してご家族のお話しだけではなくて、私たち医療者も同じような場面を臨床で多く経験していると思います。

第2の課題であったショートステイの利用に関しては、栗田インストラクターの働きもあって、今、「デンマークイン若葉台」でのショートステイの利用と家での生活をなさっているということですが、ショートステイの間の、健太郎さんのご様子を栗田インストラクターからご説明いただければと思います。

在宅と施設 つながるバトン

栗田 ご家族と安藤さんからのバトンを私たち介護士が施設で受け取る形で、ちょうど1年前ぐらいに初めて1カ月の利用をしていただきました。初めてお目にかかった1日目は、みんなが緊張していたと覚えています。一緒に来てくださった真理さんも「本当に1カ月間、大丈夫かな」って不安そうな様子で、健太郎さんご本人もお家を出られるときは緊張して、寂しそうだったとお聞きしました。お迎えした私たち職員も、1カ月無事にケアをすることができるのかなと緊張していました。

その顔合わせの日に、ご家族が安藤さんから教えてもらったユマニチュードのケアで特に気を付けていたことをお手紙にしてお持ちいただいて、それを私たちフロアスタッフみんなが読んで、施設での健太郎さんのケアがスタートしました。

なかなかスタートからそう上手くはいかず、ご自宅で悩まれていた状況が施設でもありまして、スタッフが健太郎さんの強い言葉を受けてしまったり、ケアの最中につねられたり。ただ、そこで「大変な人だな」とか「仕方ない」で終わらせず、スタッフみんなで「今のはなぜいけなかったのかな」と考え、観察をしてやり方を変えたりと様々な工夫をしました。

ユマニチュードの関わり方を繰り返し繰り返し実践し続けることで、スタッフの中でも上手くいった時のケアの方法が当たり前のケアの方法となっていき、そうすると徐々に健太郎さんにも変化がみられるようになりました。介護の拒否や抵抗が軽減されて、ケアを受け入れてくれる様子が見受けられるようになったり、ケアの最中に、例えば(体位)変換していく時に柵につかまってくれたり、移乗する時には私たちの首のところに健太郎さん自らが手を回してきてくれたりという形で、協力動作をいただけるようになってきました。

中でも、お家ではなかなかできなかったベッドから起きて車いすに移ったりという、ベッドから離れる、移乗する時間を作ることができたことが、ケアを受け入れてくださった一番大きな変化かなと私たちは思っています。

施設では起きる時間をお食事の時間に絞って、朝食、昼食、おやつ、夕食と4回の時間にお声がけをしています。ご飯の時間だから「じゃあ起きますよ」ではなくて、毎回健太郎さんご自身に「お食事はどちらで召し上がりますか」と聞くと、健太郎さんご自身が「みんなと一緒に食堂で」と選択してくださるようになって、起きる時間を確保できるようになってきました。関係性ができたからこそだと思います。

全ての食事ではないですが、ほとんどの時間で自ら起きるということを選択してくださり、その離床されてる時も、お話とまではいかないですけど同じテーブルの方々と一緒に食べている姿を見ていると、「起きる」という行為をネガティブなものではなくて、ポジティブなイメージとして捉えてもらえたのかなと感じました。

食事の摂取量が増えていたり、お食事の後もお部屋に帰らずに皆さんと一緒にテレビを観るという選択をされたり、そうした行為からも「起きる」こと、施設での生活がそれほど苦痛ではなく、安心できる環境に徐々になっている、ケアを継続することで私たちが受け入れてもらえているのかなと感じることができました。

1年前のご入所から現在までに3回のご利用があり、つい先日、3回目のご利用を終えてご自宅に帰られたんですが、入所を繰り返す度に状況がどんどん良くなって、スタッフに労いの言葉をかけてくれたり、他の利用者さんに「○○さん」と声をかけたりされるようになりました。ご家族様、ご本人様がご希望される在宅ケアが続けていけるように、施設としてのサポートをこれからも続けていきたいと思っております。

杉本 ありがとうございます。良いバトンが渡っては戻ってきて、また渡っては戻ってと、落ちることなくバトンがつながっているんですね。ケアのバトンがどこかですり抜けることがないようにと考える上で、非常に重要なお姿だなと思います。

お話の中で私が感じたことは、健太郎さん自身が安心できる環境を二つ持たれたことの意味です。安心できる人たちに囲まれる場所が二つあるというのは非常に重要なのではと思います。デンマークインという意思を持って出かける先、その場所があることが非常に生活の豊かさにも繋がっていくのではと思いながら聞かせていただきました。

では一番近くでお父様の状況を見て、そしてお父様を介護をなさっているお母様の状況も一番近くで見ていらっしゃった娘様の吉澤真理さんからお話をいただきたいと思います。ユマニチュードが入る前のこと、そして現在、何か変化を感じていらっしゃるようでしたら、そういった点もお話いただければと思います。

「ユマニチュードで母が一番変わった」

真理さん 父に関わって下さった皆様のお話を伺って、昨年の6月以前はあんなに大変だったんだなと思い返していたんですけれど、ちょうど安達さんがケアマネージャーになる前に、1年の間に2回ケアマネージャーさんが変わったんです。安達さんは父のことがよく分からない状態、ショートステイ先とうまくいってないところからのスタートだったので、ご心配やご苦労をおかけしたなと思います。

安藤さんが6月に来てくださるまで、本当に毎日父の介護をするのが地獄のようでした。父自体は1日中不機嫌だったわけではなく、食事なんかはお喋りしながら食べたり、テレビを観ながら感想を言ったり普通に喋るんですけど、オムツ交換とか、家族以外の人が来てケアをする時の拒否が激しく、(訪問看護の)看護師さんのユニフォームを見た途端に「お前は誰だ!帰れ!」って大きな声で怒鳴って、まだ何もしていないのに怒ってるという状況がずっと続いていて、そういうところを無理やり着替えさせたりするので、余計にひどくなっていったんだと思います。

お風呂自体は好きで、訪問入浴のサービスも受けていたんですが、着替えの際に服が引っ張られたりすることが、今思えば父にとっては苦痛で、嫌な思いをしていたんだと思います。(サービスをする人を)叩いたり、つねったり、蹴ったりということがありました。新しく探したショートステイ先も断られてしまって、行く先を失ってどうしようという時に、佐久本さんから安藤さんに来ていただくのはどうかと提案をいただきました。

以前、父が調布東山病院を退院して間もない頃に安藤さんが1、2回来てくださったことがあって、佐久本さんに「安藤さんが来られた時、何か違いましたか」って聞かれて、確かに安藤さんが来た時はまるで猛獣と猛獣使いみたいだったなと思い出して(笑)、「そういえば違った感じがします」とお話ししましたら、「それなら安藤さんに相談してみます」ということで、安藤さんが続けて毎週来てくださることになりました。

毎週来てくださったっていうことが母にはすごく良くて、訪問看護の看護師さんは毎回違う方が来られるのですが、母は全然顔も名前も覚えられないんです。逆に父はすごく人の顔も名前も覚えるんですね。ですので、同じ人に関わってもらうのが母にも父にも良いのかなと思うんです。

ユマニチュードという言葉は私にとって初見ではなくて、前にジネスト先生がNHKの番組に出ていらしたのをたまたま見ていて、「ユマニチュード」という言葉は覚えていなかったんですけれども、フランス人の頭もじゃもじゃのおじさんが、患者のおばあちゃんと会話して言葉も違うのに意思の疎通ができて、おばあちゃんの調子がどんどん良くなっていくっていう、すごいケアの方法があるんだなって思って。

それを取り入れてる病院の看護師さんも、(ユマニチュードは)手間がかかるように思われるけど、患者さんが協力してくれるので気持ちよくケアができるっていうようなお話をされていたことを覚えていたんです。ですので、安藤さんのお話を聞いたときも、私は「あ、あのユマニチュードか」っていうようなイメージでした。

ただ、母にとっては初めての言葉で、安藤さんがくれた(ユマニチュードを解説した)冊子を「お母さん先に読みなよ」って渡したんですが、何日かして「読んだ?」って聞いたら「まだ読んでない」って言うんですね。「じゃあお母さん、私が先に読むから」って読んで、大事だなと思うことを紙に書いてドアに貼り付けました。

「お母さん、部屋に入る前は3回ノックしてね」「いきなりガラッと開けて、オムツ変えるからじゃなくて、トントントンッて3回してね」っていうところから始まって、気をつけなきゃいけないことを紙に書いて一つずつ増やしていきました。いきなり要件を言わないとか、目線は上から見下ろさないとか、上から掴まないとか、簡単なことなんですけど「お母さん書いてあるでしょ、あそこ見て」って意識づけをしながら、毎日父に接するようにしました。

私にとっては、父も変わったんですけども、母が一番変わったなと思うんですね。(ユマニチュードに出会う前も)私は、父と接する時に「今なんで怒ったんだろう」って思うと「じゃあ今度はこうしてみようか」って、父が何が嫌なのかを考えながら私なりに色々と実践していたんです。

それで「こうしたら良かったよ」って母にも伝えるんですけど、母には母の考えがあって自分の正しさで介護をしているので、私の言葉が届かずなかなか一緒にできなかったんですね。そこがずっとネックになっていて、私が父に「おはよう」というと「おはよう」と返してくれているんだけど、母がベッドサイドに来ると「お前何しに来たんだ」ってなってしまうという上手くいかなさがずっとありました。

そこに安藤さんが来てくださって、私的には「今まで父が笑顔を見せてくれていた、そのやり方で良かったんだ」っていう確認ができました。そして母にとっては、安藤さんから言われてその通りにちょっとやってみたら、父の態度が変わったので「もっと早くすればよかった」と腑に落ちたような感じで。母が、自分の接し方が父に苦痛を与えていたということに気付いたっていうところが、本当に劇的な変化だと思います。

母が父に笑顔で「お父さん、おはよう」って声をかけているのを見た時、私は本当に感動しました。「ええーっ!」って。母は自然に出てくるようになったって言うんですけど、(ユマニチュードを実践すると)介護する人の気持ちも変わるし、それが次の優しさに繋がっていくという感じがするんですよね。

この前、デンマークインの3回目の入所から帰ってきたんですけれど、今までは家でずっとベッドの上で過ごしていた父が、「お父さん、ご飯だから車いすに乗ってあっちで食べよう」って言ったら「うん」って。車いすに乗ることが当たり前っていう習慣が身について帰ってきました。帰ってきて1週間ぐらいですけど、食事の度に車いすに移るということができています。

母は、最初はそれが嫌そうで(笑)、車椅子に乗せる時には私1人では乗せられないので母に手伝ってもらうんですが、「お父さんベッドの方がいいんじゃない?」「お父さん、本当に車いすで食べるの?」って何回も聞いて。だけど、父が車いすで食べるって言うので「ああ仕方ないわね」って渋々手伝っているんです。

父は車いすで食べることで姿勢も安定して、行く前は右手でスプーンがちゃんと持てなくてふらふらしていたのが、リハビリもしていただいたので、すごく上手に食べられるようになっていました。出したご飯もきれいに食べるので、父が残さずに食べることを母も喜んで、その嬉しさもあって車いすに乗せるのを渋々ですけど毎回手伝ってくれています。デンマークインで身につけた良い習慣を家でも継続して、父の基礎体力的なものを落とさずにキープ出来たらいいなと思っています。

杉本 ありがとうございます。安藤さんがユマニチュードという技術を持ってきてくださったことは非常に大きいと思うんですけど、真理さんが紙に書いてくださったりして、こうやってみたらというきっかけの種をたくさん蒔いておられたんだなと思いました。

一つ質問がありまして、先ほど安藤さんのお話しの中でケアの様子をビデオに撮ろうと提案されたのが真理さんだったと聞きました。なぜ映像に撮った方がいいと思われたのか、教えていただけますか?

真理さん 着替えをする時に、それまでは私と看護師さん2人で父をゴロンゴロンひっくり返しながら、ベッド上で着替えさせていたんですけど、安藤さんが来られて、ベッドサイドに腰かけて着替えた方が父もラクなんじゃないかということで、そこで母にも手伝ってもらって着替える方法を指導していただいたんです。

その着替えの時に父が怒って母をゴン!て叩いたり、怒鳴ったりすることがあるのですが、やってる時は何に怒ってるのかがよく分からないんですね。母に「こうしたんじゃないの?」「ああしたんじゃないの?」って言ったら「いや、そんなことしてない!」ってなってしまったので、客観的に振り返れるようにと思って撮影することにしました。

その映像を見て最初に感じたのは、ベッドサイドに3〜4人の女性が襲いかかるように、手術台を囲んでる先生みたいになっていて、これはベッドに寝てる人はすごく怖いなと。周りから人の頭がのぞき込んでたら怖いだろうなと客観的に見て感じて、視野に入る人はできるだけ少ない方がいいんじゃないかと映像を観ながらいろいろ工夫しました。

あと、父はすぐ直前のことだけを怒っているわけじゃなくて、2分ぐらい前にやった動作に対して怒ってて、突然バン!ってきたりすることがあるっていうのは、つい最近発見したことです。

杉本 ユマニチュードを大きくご自分たちのものにされて、ケアを続けていらっしゃるのは非常に素晴らしいと思いますし、映像の持つ意味を改めて感じさせていただきました。

先ほどからのお話の中でキーワードとして出てきているのは、なんで健太郎さんがこういう反応をするのだろうと、その理由を探すことができるようになったということと、それに対する方法論、どんな風にしたらいいんだろうという方法を持った方が現れたということかと思います。

これは決して安藤さんや栗田さんが特別な人というわけではなくて、常に安達さんや佐久本さん、もちろんご家族の方が健太郎さんにとって何が良いことなのかを、毎日ずっと考え続けて来られたからだと思うんですね。それはユマニチュードの表現で言いますと、哲学を持ってずっと支え続けていらしたということかもしれません。自分たちの役割って何だろうなって思いながら、毎日毎日お過ごしになっていてそこに技術が入ったことで、パカっと扉が開いたような、そんな印象を受けます。

ユマニチュードは私たちケアをする者を「職業人」と位置づけています。安達さんはご家族の心の支えになっているお方だろうと思うんですけれど、職業人という立場から、健太郎さんの一連のケースを通してお感じになったことを聞かせていただけますか。健太郎さんご自身に離床の意欲も出てきて、もしかしたらケアプランの見直しも必要かなとも思うのですが。

安達さん ユマニチュードを始めた頃、お母様から「どうすればいいの」って聞かれた時に、安藤さんが「介護する時や接する時は、無理して優しくしなくていいです。相手が優しく感じるように技や表現方法を変えるようにしたらどうですか」と話したことがあって、それからお母さんもどんどん表情が変わっていったように思います。

今までは寝たきりの方が生活する上での最低限のサービスだったと思うんですが、これからはその人がその人らしく生きられるように、生活できるようにプランを変えていこうと思っていますし、ご家族もそれを望んでいると思いますので相談しながら変えていきたいと思います。

杉本 ありがとうございます。ケアマネージャーはたくさんのお役目を担う非常に大事なキーパーソンでいらっしゃいますので、尊敬を申し上げております。ぜひ健太郎さんご自身が、こうありたいと思われる自分でいらっしゃれる日々が今後も続いていくように、皆さんで力を合わせて進んでいっていただいきたいと思います。

健太郎さんご家族と3年間という時間を共に過ごして、これからもおそらく伴走なさると思います訪問看護師の佐久本さんは、同じように健太郎さんとご家族に関わられての率直なご感想を伺えますか。

佐久本さん 私は訪問看護師ですので、健太郎さんが今まで生きてこられた人生だったり経過を考えながら、持っているお力を最大限に存分に生活に使っていただくことを、医療も含めて看ていくのですけど、やはり色々お言葉が強い時期は、私たちも短時間でケアをするとか、(体を)つかむような動作になってしまっていたということを、今回改めて安藤さん入っていただいて学ぶことができ、振り返ることができたんですね。

先ほどもお伝えさせていただいたんですけど、夢中になってやっている時は、そういう攻撃性をブロックするだけになっていて、きっとご本人もその看護師の表情、行動がとっても怖かったんだと思うんです。そういう過去がありながら、今、健太郎さんが変わってきたということに私たちもたくさん学ばせていただきました。

真理さんが撮った映像を一緒に見ていると「あの時の行動がこれにつながったんだよね」という風に一つ一つの行動のつながりに気づき、全てやっぱり勉強だなと実感しながら一緒の時間を過ごさせてもらってます。

今、訪問看護では3人チームでケアを繰り返していまして、澄子さん、真理さんと訪問看護師で、起こしたり、体を拭いたり、お着替えをしたりっていうことをやっています。すごく抵抗されていた時と比べると、看護師の方に背中を預けてくれるような姿勢を取っていただけるようになり、私もとっても幸せな気持ちがしました。

3年前は正直ちょっと怖かったんですね。そういったところが健太郎さんの背中のぬくもり、私の手のぬくもりがやっと通じ合ったみたいな、とても幸せな気持ちがしたので、触れ合って信頼して、優しい言葉をかけてというところで好循環が生まれてくるんだなと感じました。

真理さんは安藤さん以上のって言うと、安藤さんに怒られちゃうかもしれませんけど(笑)、ユマニチュードの触れ方、言葉がけがとっても素敵にできますし、妻の澄子さんもスポーツをされていたご経験から動きがスピーディーで、とっても良いチームでやれています。こういったところでケアのバトンがつながっていくんだなっていうのを目の当たりにさせていただき本当に感謝しております。

杉本 ジーンときてしまいました。インストラクターの栗田さん、安藤さんからも同じようにお言葉をいただこうと思います。まずは栗田さん。健太郎さんと関わられて色々思われたことがあるのではないかと思います。

栗田 個人的な意見としては、このバトンリレーの一部に私たちデンマークイン若葉台が入れたというのが、すごく良かったなと思っています。まだまだこれから施設利用を継続していただく中で、色々なケースが出てくるかと思うんですが、3回目を終えて帰られて、お家でも離床ができるようになったというところでは、もっとまた違う変化が出てくるのかなと楽しみながら一緒にお手伝いをさせていただきたいと思います。

杉本 ありがとうございます。最後に安藤さんお願いします。

安藤 皆様のお話を聞いて、私自身すごく感動しているんですけれども、ユマニチュードのケアは継続し続けることに意味があると実感しています。介護は終わりが見えなくて、きれいごとでは済まない現実が毎日続きます。大変な状況であればあるほど負担は大きくなって、ご本人を含めご家族や関わる方々も苦しくなります。

そこに精神論ではなくて、技術を通して解決できることがあるならば多くの人が救われるのではないかと、一事例として自分たちの経験が何かお役に立てればということで、今回、妻の澄子さんにも映像出演に快諾していただきました。ユマニチュードのケアはケアをする人も、受ける人も救われるケアだと私は思っています。そのことを今回の事例を通して自分自身も再確認するに至りました。

ご家族だけが頑張るのではなく、関わる人が同じようにケアを繋いでいくことで、本人が穏やかに毎日を過ごすことができる。それがご家族が介護を継続していこうとしていく力になるのかなと思っています。まさしく今回のテーマである「ケアのバトンをつなぐ」ということで生まれる価値なのではないかと思っています。

杉本 ありがとうございます。今回のテーマでたくさんのことを私も学ばせていただきました。「つなぐ」という一言ですけれども、在宅と組織をつなぐ、それ以上にケアをする者と受ける者、先ほど佐久本さんがおっしゃっていましたけれど、やっと届いたという感覚ですね。気持ちだけではなかなか難しい現状がたくさんあり、その中で技術を持つことの意味を私自身も考えさせられました。

一番お近くにいらっしゃいます澄子さんの言葉を最後にこのシンポジウムを締めたいと思います。健太郎さんとご家族にはこのような機会を与えていただいて本当に感謝いたします。そして登壇いただきました皆様、本当にどうもありがとうございました。

佐々木澄子さんインタビュー(VTR上映)

理由があって手を出しているというのも教えてもらったから、そうかと。今までのこの何年かの間に、少しずつおっしゃってることが頭の中に入ってくるようになって毎日が勉強になってます。本当にありがたいことです。私が変われば相手も変わる。あれからバカ野郎だのはない。(健太郎さんが)ちゃんと優しくしてくれているなって分かるんだなっていうのが、分かりました。

だから、(ユマニチュードが)どれだけ大切なことかと思います。ただオムツ変えました、脱いでお風呂に入れました、じゃなくて、良い気持ちで。やっぱり『脱がせられると嫌!』って思うでしょうね。それを優しくしてあげれば、『またね』とか、手を振ることもありますから、看護師さんたちに。相手の気持ちを思いながらってなかなか大変だけど。

杉本 以上を持ちまして今回のシンポジウムを閉じたいと思います。皆様、どうもありがとうございました。

※写真撮影、発表時のみマスクを外しています。

日本ユマニチュード学会の第3回総会を9月末、インターネットを通じたオンライン配信にて開催いたしました。

ダイジェスト映像

開催レポート

今回のテーマは「つなげようケアのバトン」。生存科学研究所との共催で行った市民公開講座と併せまして2日間で延べ600人以上の皆さまが参加して下さいました。本総会の大会長を務めた杉本智波・日本ユマニチュード学会学術研究委員長のインタビューで総会を振り返ります。

杉本 智波(すぎもと ちなみ)氏

熊本保健科学大学
キャリア教育研修センター認定看護師
教育課程脳卒中看護分野専任教員
脳卒中看護認定看護師
ユマニチュードチーフインストラクター

今回の大会開催にご協力いただきました皆さま、そして参加くださった皆さまに改めてお礼を申し上げます。新型コロナウイルスの影響下でも歩みを止めずにより良いケアを考えたいと思ってくださる皆さまのお力添えで、3回目となる日本ユマニチュード学会総会を無事に開催することができました。

1日目は生存科学研究所との共催で「家族をつなぐユマニチュード」をテーマとした鼎談、ユマニチュード考案者のイヴ・ジネスト 先生の基調講演を、2日目は会員総会として「ユマニチュードの再現性と継続性を目指して」をテーマにシンポジウムと17演題の口頭発表を行いました。(第3回学会総会の詳細はこちらから

昨年に引き続きオンラインでの開催となりましたが、口頭発表にはこちらの予想を上回る数の申し込みをいただき、会員の皆様がユマニチュードの実践を重ね、さらにそれを仲間の皆様に伝えたいという思いを持っていただいたことを嬉しく感じました。少しでも双方向になるよう、4人のインストラクターを座長として、質疑応答ができるように工夫をいたしましたが、いかがでしたでしょうか。

今大会は、全体テーマとして「つなげようケアのバトン」、加えて2日目の会員総会では「ユマニチュードケアの再現性と継続性を目指して」というテーマを掲げました。

今、ユマニチュードは医療や介護の現場、家族をケアする市民の方々へ、インストラクターの私たちの想像を超える勢いで広がっています。これはユマニチュードを実践した皆さまが「これは大事だ」と確信されたからこそだと思います。

ただ、ユマニチュードが広がることはとても嬉しいことですが、医療や介護の現場、施設、ご家族それぞれが個々のレベルで行っているユマニチュードが繋がっていかないと言う大きな課題があるように思います。ユマニチュードのケアのバトンがどこかでこぼれ落ちてしまうこと、今日届けたケアが明日は届かないということは、何よりもケアを受ける当事者の皆さまがお辛いことでもあります。

ユマニチュードを学んだ方なら誰しもが直面する「ケアが繋がらない」という壁。その壁にぶつかりながらもケアを諦めないで学会に集ってくださった皆さまと、どうしたらケアのバトンを繋げていけるか共に考え、その積み重ねを今後も共にやっていきましょうと言う思いを、このテーマに込めました。

そうした意味で、2日目のシンポジウムで示されたご家族、訪問看護、施設でのケアの連携の事例は、まさに今後のユマニチュードの浸透や広がりにとても重要なことを示していたと思います。シンポジウムの中でご家族が毎日毎日、一生懸命ご自身が正しいと思うケアを試行錯誤して行っていたけれども上手く行かなかった、という言葉は、良いケアを届けようとする者なら誰もが共感したのではないでしょうか。

そこにユマニチュードの技術、方法論がもたらされたことで、ご家族が変わり、ご本人が変わり、ケアマネージャー、訪問看護師そして施設へと良いケアのバトンが関わる方々皆で繋がれて、良い循環が生まれていく、非常に理想的な姿だと思いました。こうした素晴らしい事例をご報告いただいたことに心より感謝をいたします。

また口頭発表では、ユマニチュードの哲学に基づいて、施設や病院の皆が同じ価値観で同じ目標を見定めて試行錯誤することが、利用者さん、患者さんに届くケアへと実を結んだという事例が多く、とても勉強になりました。来年、日本でもユマニチュードの施設認証制度がスタートしますが、何よりも大切なユマニチュードの哲学とそれを達成するための技術という在り方が示されていると思います。

日本ユマニチュード学会の設立の大きな目的でもあります、ケアを実践している現場からの発表や科学的根拠の積み上げが、ユマニチュードに対する正しい理解に繋がると私は考えます。時に精神論として捉えられてしまうこともあるユマニチュードを、良いケアを達成するための有意義な手段であると多くの方に知っていただくためにも、この学会を職域に関わらない実践や研究成果を発表できる場としたいと強く思った大会となりました。

次年度の大会がどういう形式になるか現段階では分かりませんが、ユマニチュードを学び実践されている会員の皆様のお役に立てるような内容を考えて参ります。

※写真撮影、発表時のみマスクを外しています。

 去る9月26日、第2回日本ユマニチュード学会総会をインターネットによるオンライン配信にて開催いたしました。今回のテーマは「ユマニチュードが挑むケア・イノベーション」。発表者のいる福岡市の会場と全国の参加者の皆様を繋いで、生存科学研究所との共催による市民公開講座、第一期定時社員総会、学会総会の3部構成のプログラムで、ユマニチュードが拓く未来を語り合いました。  

ダイジェスト映像

 

 第1部は、自治体としてユマニチュードを採択している福岡市の取り組みを紹介する市民公開講座「福岡市から始まり広がる認知症フレンドリーシティ」。前半は、世界で初めて救急搬送の現場にユマニチュードを導入した福岡市消防局警防部救急課の財部弘幸・救急指導係長、ユマニチュード考案者のイヴ・ジネスト先生が基調講演を行いました。

 財部係長は、福岡市の救急事案による年間出動件数が約8万件、そのうち65歳以上の高齢者が半数を占め、認知症の人のも増えているという現状を説明。ユマニチュードを学んだ救急隊員は患者への共感度が上昇するという検証結果を示し、「(ユマニチュードを実践することが)患者とその家族の安心につながり、救急活動がより円滑に進むと考えられます。今後もユマニチュードの研修を続け、認知症に優しい街づくりの実現に貢献して行きたい」と救急現場でのユマニチュードの有効性を訴えました。発表内容は、こちらのURL(Youtube【第2回日本ユマニチュード学会総会】基調講演:『世界初!福岡市救急隊におけるユマニチュードの取り組み』)からご覧いただけます。


 ジネスト先生はフランスのご自宅から参加。これまで福岡市で出会った家族介護者の皆様のユマニチュード実践の様子をビデオで紹介しながら、「ユマニチュードは人と人をつなぐ絆の哲学です。どうやって絆を作るのか、絆がなければ私たちは存在できなくなってしまうことを教えてくれます」と話しました。またCOVID-19の蔓延する現在の状況について「私たち人間が生きるためには愛情と自由の二つのことが重要です。この困難な時期にも、勇気を持って自分の愛情を自由に表現し、愛情を受け止める環境を作っていきましょう」と呼びかけました。

 市民公開講座後半のパネルディスカッションには、福岡市でユマニチュードを実践している皆様が登壇。同市の原土井病院の作業療法士でユマニチュードインストラクターの安武澄夫さんを座長として、家族介護者の大津省一さん、ユマニチュード地域リーダーの松原弘美さん、福岡市保険福祉局高齢社会部の笠井浩一・認知症支援課長、日本ユマニチュード学会の本田美和子代表理事が、それぞれの取り組みとユマニチュードを普及するための課題を語りました。

 ユマニチュードを実践することで認知症の妻・信子さんとお互いの信頼感が増したという大津さんは、ユマニチュードの技術と哲学を「妻に普通の生活をさせて上げるための大事な宝物」と表現。認知症の家族を介護する方々が参加しやすくなるような方法や情報交換できる場が必要ではないかと訴えました。

 松原さんは同市の小中学校や地域の公民館でのユマニチュードの講座を担う地域リーダー。講座の参加者に若い世代が少ないことを紹介し「ケア技術というと30代、40代には伝わらないが、コロナと共生する時代には、マスクで顔を覆ったり、ソーシャルディスタンスを取っていても、アイコンタクトができたり、マスクの下に笑顔があれば相手に伝わるものが違うと思う。優しさを伝える、優しさを考える技術として、若い世代に広げることが世代の壁を破る一歩になるのでは」と提案しました。

 「認知症フレンドリーシティ」を推進する立場の笠井さんは、「大津さん、松原さんからたくさんの宿題をいただき、これは福岡市への期待と思います。我々が掲げているのは認知症のサポートではなく、認知症フレンドリーシティ。認知症の方々を支えるだけでなく、社会の仲間として活躍できる一員として、一緒に楽しい社会を作ることを目指して、これからも取り組んでいきたい」と応えました。(福岡市の取り組みについて詳しくは「自治体におけるユマニチュード」をご覧ください。

 学会総会では、自閉スペクトラム症の母子のコミュニケーションにユマニチュードを取り入れた研究など、ユマニチュード実践に関わる八つの研究成果、事例報告が行われました(詳しくは抄録集(PDFファイル)をご覧ください)。本田代表理事は、2年目を迎えた学会の運営について、オンラインの会員限定サロン「雨宿りの木」を拡充し「それぞれの現場でユマニチュードを実践されている会員の皆さまが繋がれる、相互交流の場を増やし、より良いケアについて皆で考え、実現していきましょう」と抱負を語りました。

 また、第一期定時社員総会では、2019年7月1日から2020年6月30日の第一期事業報告、2020年7月1日から2021年6月30日までの第二期事業計画の二つの議案が正会員(社員)157名の過半数の賛成により可決されました(議案について詳しくは2019年度第一期定時社員総会をご参照ください)。

 


 

第2回日本ユマニチュード学会抄録集

抄録集をこちらからご覧いただけます。
第2回日本ユマニチュード学会抄録集(PDF)』

 

参考資料

福岡市の高島市長よりご紹介のあった「認知症の人にもやさしいデザインの手引き」は、下記からご覧いただけます。

10月23日(金)、24日(土)の二日間に渡り、一般財団法人 認知症高齢者医療介護教育センター 福井県立すこやかシルバー病院にて、ユマニチュードの講演会が開催されました。
ユマニチュード認定インストラクターである、富山県立大学看護学部 岡本恵里教授 が講師役となり、医療介護専門職約80名の方々を対象に約1時間半にわたってユマニチュードの哲学と技法などについて語り合いました。

 

2020年2月18日、本田代表理事と大島寿美子理事が岡山大学医学部医学科の学生へ約120名向けに講義を担当しました。4時間に渡る長時間の講義は、単にユマニチュードに関する理論を学ぶだけでなく、「見る」のワークショップなど実際に体験しながら学んでいただきました。

ユマニチュード教育への導入に関しては、2015年に旭川医科大学で、世界で初めて正規の医学教育にユマニチュードが導入されました。その後、岡山大学、奈良県立医科大学、長崎大学でも医学部の学生がユマニチュードを学んでいます。

2019年に開学した富山県立大学看護学部では、4年間一貫したユマニチュード教育が継続するカリキュラムが策定されています。

 

2020年2月23日京都大学にて、日本ユマニチュード学会理事であり、こころの未来研究センターの初代センター長、吉川左紀子教授の退官記念講演会が開催されました。
当日はイヴ・ジネスト先生も登壇され、吉川教授が長年取り組んできた「顔・表情認識とコミュニケーション」を主題として、こころの科学のもつ基礎研究、学際研究、実践研究という3つの側面とそれらをつなぐ試みについて議論を深めました。